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京都府長岡京市・光明寺

へろんです。
京都府長岡京市の光明寺は1175年(承安5年)に浄土宗を開いた法然上人が初めて「念仏」の教えを説いた地で、また長岡京市ではトップクラスの紅葉の名所です。
例年大混雑が伝えられるのでこれまで躊躇していましたが、2018年11月25日に思い切って行ってみました。

普段は入山無料ですが、紅葉期(2018年は11月10日~12月2日)のみ500円。お寺として駐車場はないとされています(観光バスは総門前に停まっていました)が、付近の臨時駐車場に案内されました。1回1000円、時間は関係ないので納得できる価格かと思います。

光明寺開門前の大行列
拝観時間は9時から……ということで、混雑を予想して8時45分ぐらいには到着しました。が、すでに長い列が!!

光明寺総門
総門は1845年(天保16年)に建てられたそうです。

光明寺表参道の出店
表参道を登ると、紅葉のきれいな広場に、いくつもの出店が並んでいました。「一方通行で帰りはここを通らないので、今のうちに寄っていってください~」という声に、お店に立ち寄ります。

光明寺表参道の出店で見つけたフクロウ箸置き
そして連れて帰ることにしたのが、このフクロウの箸置き。足の位置にへこみが付けられており、お箸を置くとフクロウが樹に止まっているように見えるという逸品です♪

手水舎から望む紅葉
手水舎の向こうには美しい紅葉が。

手水舎近くの見事な紅葉


光明寺御影堂
通常の寺院様式では本堂に相当する建物は御影堂(みえどう)と呼ばれています。現在の建物は1754年(宝暦4年)に完成したものだそうです。

御影堂からの紅葉
御影堂の右にある阿弥陀堂から靴を脱いで上がり、御影堂、釈迦堂と参拝していきます。

光明寺の美しい庭園


光明寺の御朱印案内


光明寺御朱印
御影堂で頂いた御朱印。中央は「浄土門根元地」と書かれているようです。芸術的な筆運びですね。


光明寺境内の紅葉
真っ赤に染まった紅葉も良いのですが、このように赤、橙、黄、緑のグラデーションも美しいものです。

光明寺境内の紅葉
そして陽の光を透かして見る紅葉。やはり紅葉は晴天の下がいちばんですね。

順路に従っていくと「もみじ参道 こちらから」という看板が。その通りに進むと……

もみじ参道へ抜ける道も大渋滞
げげっ、大渋滞!

光明寺のにぎやかな出店
細い道を抜けると、行きとは別の場所に、さらにたくさんの売店が並んでいてにぎわっていました。

光明寺もみじ参道の紅葉
そして名高い、光明寺のもみじ参道。

光明寺もみじ参道の紅葉

光明寺前で観光バスが大渋滞
もみじ参道を抜けて再び総門前に戻ってくると……観光バスがひっきりなしに出入りして、バスがすぐ脇を通過するので歩道を歩くのも怖く感じる混雑ぶり (((( ;゚Д゚)))

普段は有名で混雑が予想されるところはあまり行かないのですが、思い切って行ってみると、やはり行って良かったと感じました。さすが名所と呼ばれるだけのことはありますね。


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「太陽の塔」三部作

へろんです。
2018年11月24日早朝、2025年の万博が大阪に決定したことが伝えられました。
以前も書きましたように、1970年の大阪万博には個人的に非常に強い思い入れがありますので、2025年に再び万博が来る、というのはとても嬉しく思います。辛くとも2025年まで頑張って生き延びよう、という目標ができました(^^;)。一方では批判や問題もあるのでしょうが、これから盛り上がっていってほしいですね。

あ、でもカジノは絶対いりませんよ。

さて、表題は妻の命名なのですが、今年は「太陽の塔」にまつわる“イベント”が3つもありました。
まず一つ目は以前にも掲載しました「太陽の塔」内部公開
それから映画「カメラを止めるな!」を観に行った時に上映前の紹介で知ったのですが、映画「太陽の塔」というのも公開されると知り、2018年10月7日に行ってきました。これが二つ目。
そして天王寺のあべのハルカス美術館での、太陽の塔にまつわる特別展示(2018年9月15日~11月4日)には、終了直前の11月3日に行ってきました。
以上、名付けて「太陽の塔」三部作(^^)。

映画「太陽の塔」

さて、映画「太陽の塔」なのですが……(以下3枚の画像は映画「太陽の塔」予告編より拝借しました)

映画「太陽の塔」

最初の頃こそ当時の映像とかがちらちらと出てきてフンフンと見ていたのですが(大阪万博、太陽の塔といえば、世間的には岡本太郎ばかり注目されますが、ワタクシ的にはSF作家でテーマ館サブ・プロデューサーを務めた小松左京です。名前だけでも出てこないかとずっと見ていましたが、出なかった……。ただし最初の頃の映像にワンカットだけ映っていたと思います)、結局はいろんな人のインタビュー映像がほとんどでした。
しかも時々挿入される、走り回る女の子や、壁画の前で踊るダンサーや、謎の映像……

映画「太陽の塔」

ここは大阪やったんやー! 誰や、地球をこんなんにしてもうたんはー!!

……えっ、違うの? そういう映画じゃないの!?(爆)

映画「太陽の塔」

しかも原子力や3.11の話が絡みだして、だんだん妙な方向へと進んでいきます。
「人類は第二の太陽を手に入れた」というナレーションを聞いた瞬間、「これは危ない!」と思いました。思想が、では決してありません。原発反対は自由なことですし、私もどちらかといえば反対派です。
しかしこれは「太陽の塔」の映画です。
こういう描き方をすると、じゃあ「太陽の塔」の太陽は原子力をも意味してたんじゃないか、というトンデモない勘違いをする人が出てくる恐れはないでしょうか!?

まぁ確かに調べてみると、そんなことを言う人はいるようです。あくまでも後付けとして、そういう見方もできるんじゃないか、という意見なら良いでしょう。
しかしもしも岡本太郎がそういう意図をもって名付けた、などと言ったとすれば、それは間違いです。なぜなら、「太陽の塔」内部公開でも書きましたように、「太陽の塔」の名前は小松左京が「太陽の季節みたいだ」と言った言葉に岡本太郎がノッた、というのが真相なのですから。
この映画は太陽の塔の「ドキュメンタリー映画」とされているようです。しかし制作サイドの思想があまりにも前面に出過ぎていて、ドキュメンタリー映画ではなく、一種のプロパガンダ映画のような気がして、どうも釈然としませんでした。

続いて、大阪は天王寺のあべのハルカス美術館で催された「太陽の塔」展です。

あべのハルカス美術館「太陽の塔展」
開館時間より前に到着したのですが、すでにかなりの人が並んでいました。

「太陽の塔」の顔の親戚?
入るとさっそく、「太陽の塔」の親戚のようなオブジェが出迎えます。

「地底の太陽」保存用原型
「地底の太陽」保存用原型。地下展示にあった第4の顔は行方不明になり、2018年に復元されました。その復元の際の原型だそうです。

地下展示の様子
地下展示の様子。「地底の太陽」はこの奥にあるように、左右にコロナを放射し、全長13メートルもあったそうです。

ジオラマ風に再現された地下展示
こちらはジオラマ風に再現された地下展示。

太陽の塔の石膏原型を制作する岡本太郎
太陽の塔の石膏原型を制作する岡本太郎。
岡本太郎は1967年10月9日にアトリエの庭で「太陽の塔」の原型制作に着手。高さ1.5mほどの石膏原型で、上の「黄金の顔」は鍋のフタだったのだとか。ほとんど試行錯誤が見られないことから、頭の中でほぼ完全な立体造形がイメージできていたと考えられるそうです。

万博当時の様子の模型
万博当時の様子の模型。

「世界を支える無名の人々」
「太陽の塔」の脇には「世界を支える無名の人々」というタイトルで619枚の写真が展示されていたそうです。こういう視点はすばらしいですね。どのような基準で選ばれた写真か分かりませんが、もしもご存命の方がいらっしゃったら2025年に招待してはどうでしょう。

「太陽の塔」内覧模型
「太陽の塔」内覧模型。
……なんかちょっと学校の理科室にあったような人体模型を連想してしまいます。

「生命の樹」の模型
「太陽の塔」内部にそびえる「生命の樹」の模型。2011年の岡本太郎生誕百年事業の一環として制作されたものだそうです。

「生命の樹」の直角貝
隣にいたカップルが「この貝がいっぱいいる部分が好き」と言ってました。確かにたくさんいる直角貝が踊っているような戯れているような、良い雰囲気です。

初代〈黄金の顔〉
初代〈黄金の顔〉。
1992年から93年にかけて太陽の塔は大規模な改修メンテナンス工事が行われており、その時この〈黄金の顔〉が交換されたそうです。交換され倉庫に保管されていた鉄板169枚を当時のままに組み立てたもので、直径10.6m。ほんと大きさを実感しました。

お茶目な「太陽の塔」
会場出入り口付近のお茶目な「太陽の塔」。

入館者ほぼ200万人達成
垂れ幕には「祝 入館者ほぼ200万人達成!!」……ほぼ? ほぼって??
調べてみますと、2018年10月11日に来館200万人達成記念セレモニーが行われたそうです。
10月には「ほぼ」ではなくてきっちり200万人目のセレモニーが行われているのに、なんで「ほぼ」となってるんでしょう? カウントに何か数え間違いでもあって、きっちり200万人目が分からなくなったとか……!?
いや特に何も書いてなかったですが、どうやらお遊びで「ほぼ200万人目」入館者の気分で記念撮影してください、という意図のようです。
まぁ逆に言えば、こうした○人目ってどうやって特定の一人を決めてるんだろうっていつも思いますものね……。

美術館の入っているあべのハルカスには、地上約300mの展望台もあります。その展望台でも「太陽の塔」展との連動企画でなにやら展示しているらしい、ということで、展望台にも上ってみました。

展望台の連動企画

〈黄金の顔〉見参? どこに?

ガラスに貼られた〈黄金の顔〉
……どうやらこれのことのようです。ガラスにシールのようなものを貼り付けた〈黄金の顔〉でした……。

展望台から望む大阪市街
まぁ企画はともかく、この日は天気も良く、地上約300メートルの眺めは絶景でした。

展望台から望む大阪市街
難波から梅田方向を望みます。

展望台のEXPO'70 グッズコレクション
展望台の一角には、万博グッズ収集家・万博ミュージアム館長の白井達郎氏の「EXPO'70 グッズコレクション」が展示されていました。これは見ごたえありました。

近鉄百貨店内での「EXPO'70 写真展」
もう一つの連動企画として、近鉄百貨店内で「EXPO'70 写真展」もやっていました。

近鉄百貨店内での「EXPO'70 写真展」
こじんまりとした展示でしたが、グッズや写真パネルなどこれもなかなか面白かったです。

2018年は「太陽の塔」に関するイベントが重なり、しかも最後には第二の大阪万博が決定されるという、特筆すべき年となりました。
2025年まであと7年、1970年の万博で活躍した岡本太郎や小松左京のような “大物” が今の世にいるだろうか? と考えるとちょっと心配な気もしないではないですが……。できるだけ環境に優しく、無駄遣いはせず、カジノなんぞは作らず、健全で明るい万博になってほしいものです。


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大阪自然史フェスティバル2018

へろんです。
大阪の長居公園で2003年からほぼ毎年開催されている大阪自然史フェスティバル、2017年は11月19日に行ってきましたが、今年もほぼ同じ11月17、18日に開催されるということで、18日午後に行ってきました。

「大阪自然史フェスティバル2018」チラシ


とてもよくできたバードカービング

年によっては「大阪バードフェスティバル」として開催された時もあるだけあって、鳥にまつわるブースも多くあります。
毎年すばらしいバードカービングが展示されています。鳥だけでなく、蟹もとても良くできていますね。

清水千佳子先生のゴイサギの絵
関西野生生物画クラブの作品もいろいろ展示されていましたが、清水千佳子先生が色鉛筆で彩色されていたゴイサギがいちばんすごいと思い、無理を言って作業中のところを撮らせて頂きました。

丹波竜頭骨レプリカ
丹波市役所 恐竜・観光振興課ブースの丹波竜(タンバティタニス・アミキティアエ Tambatitanis amicitiae )頭骨レプリカ。子供さんが持ち上げて抱えた姿をお母さんが記念撮影されてました。

3Dプリンタで作ったパーツを組み上げた骨格模型
篠山市で発掘された国内最古級の哺乳類、ササヤマミロス Sasayamamylos、丹波市で発掘され、新属新種と判明した約1億1千万年前のカエル、ヒョウゴバトラクス Hyogobatrachus の骨格模型。3Dプリンタで作ったパーツを組み上げたものだそうです。

カエル一匹分のパーツ
これがヒョウゴバトラクス一匹分のパーツで……

完成したカエル骨格模型
切り離して組み上げると、こうなるのだそうです。

丹波市役所 恐竜・観光振興課ブースにあった本
何冊か置いてあった本の中に、一つ目の怪物が表紙の「怪異古生物学」が……

「科學で樂しむ怪異考 妖怪古生物展」チラシ
この表紙を見て思い出すのが、2016年に大阪大学総合学術博物館で開催された「科學で樂しむ怪異考 妖怪古生物展」。龍や一つ目の妖怪などは、化石で見つかる古代の生物が元になったのではないか、という面白い展示でした。そこでうかがってみると、説明して下さった荻野慎諧先生は「怪異古生物学」を監修された方で、「妖怪古生物展」にもやはり関わってらっしゃったそうです。

大阪自然環境保全協会のウミウシ液浸標本
大阪自然環境保全協会のブースには、ウミウシの液浸標本が。これは珍しいですね。

アオウミウシの色がきれいに残った液浸標本
液浸標本は魚などがアルコールやホルマリンに浸けられていますが、時間が経つと色が抜けて、どうしても見た目あまりよろしくない状態になってしまいます。世の中「理科嫌い」の残念な話も聞きますが、この液浸標本の見た目が先入観となって理科嫌いの一因になっているのではないか、と思っているのですが……
このウミウシの標本はとてもきれいな状態でした。うかがってみると、グリセリンに浸けているのだそうです。

「きのこ好きのためのキノコサロン」のキノコ標本
「きのこ好きのためのキノコサロン」にあったキノコの乾燥標本。けっこうきれいに姿が残るものですね。ちなみにブースにおられた方はキノコの被り物をかぶっておられました(^^)

「キノコを食べる虫」と「キノコに食べられた虫」
キノコを食べる虫(右:ゴミムシダマシの一種)とキノコに食べられた虫(左:セミダケに寄生されたセミ)。

茨木・高槻自然に親しむ会の「チリモン」カード
茨木・高槻自然に親しむ会では「チリモン」(ちりめんじゃこやシラスに混じった、カタクチイワシ以外の生物の総称。多くは稚魚やエビカニの幼生。チリメンモンスター、略してチリモン)の活動もされているそうで、こんなカードを作成されています。

西田百代「海のミクロ生物 カード図鑑」
「チリモン」は主に稚魚や幼生ですが、それと成体とを一緒に並べた「海のミクロ生物 カード図鑑」。西田百代先生が自費出版されたもので、すごく良くできた図鑑です。500円で頂いてきました。

「奈良つばめねぐらこども研究部」のツバメの群れ再現模型
「奈良つばめねぐらこども研究部」では、平城宮跡をねぐらとするツバメの群れの観察を続けているそうです。

ゴマ粒で再現した、ツバメの大群が飛ぶ様子
無数のツバメの群れがゴマ粒のように見える、ということで、ゴマ粒で再現したツバメの大群が飛ぶ様子。たまにテレビで紹介される、東南アジアのコウモリの群れを思い出しました。

小学生が調べ上げた、平城宮跡の周りにいる虫
ツバメの大群がねぐらとする、平城宮跡の周りにいる虫を小学2年生の男の子が調査した結果です。実際に調べたお子さんが説明してくれました。100種類もいたそうで、自然の豊かさにも、それを調べ上げたことにも感嘆させられました。

「神戸市立須磨海浜水族園ボランティア」の、須磨海岸で拾われた貝殻や漂着物
「神戸市立須磨海浜水族園ボランティア」ブースで展示されていた、実際に須磨の海岸で拾われた貝殻や漂着物。結構大きな貝殻もあるんですね。

チャリティ古本市で見つけた大阪万博の本
NPO法人大阪自然史センターによるチャリティ古本市で見つけた本。万博当時の展示館などが掲載された大判の写真集です。大阪万博好きとしては見逃せず、買ってしまいました。

今回は所用のため昼からしか行くことが出来ず、2時間ぐらいしかいることができませんでしたが、それでも充分楽しめました。けっこうすごい人出で、人気のほどがうかがえます。来年はもう少し時間をかけていろいろお話したり、ゆっくり回りたいですね。


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大阪府茨木市・総持寺

へろんです。
前々回の更新で、出石の沢庵寺と一緒に総持寺を掲載しましたが、大阪府茨木市にも同じ名前の総持寺というお寺があります。実を言いますと、この茨木にあるお寺を知っていましたので、出石にも同じ名前のお寺があるのを見てそちらもお参りしようと思ったわけです。
出石で無事お参りできましたので、それでは前から知っていた茨木のお寺にも遅ればせながらお参りさせて頂こう、というわけで、行ってきました。

総持寺の石碑
高野山真言宗の寺院で、山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所。
漁師に捕らわれた亀を助けてやると、川に落ちた子どもをその亀が背中に乗せて助けてくれたという「亀の恩返し」で有名です。その逸話に基づくのでしょう、石柱を背負った亀さんが出迎えてくれます。
この亀さんは大きな耳を持っていて「ん?」と思いますが、実は贔屓(ひいき)という中国の伝説上の生き物で、「重きを負うことを好むといわれ、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に用いられることが多かった」のだとか。

総持寺手水舎
手水舎。センサー感知で水が出ます。

総持寺入り口
4月だったのですが、まるで紅葉したような樹がきれいでした。

総持寺山門
立派な山門は茨木市指定文化財。建立年代は明らかではないものの、18世紀後半には存在していたようです。

山門の提灯
左右の提灯には、左に「竹に雀」、右に「桔梗」の定紋があります。総持寺にはこの二つの定紋(家紋のようなもの)があって、仙台伊達家とのつながりを示すもののようです。

総持寺本堂
本堂。1571年(元亀2年)織田信長の焼き討ちで焼失、1603年(慶長8年)豊臣秀頼によって本堂が再建され、1935年(昭和10年)現在の形になったそうです。

総持寺の絵馬
絵馬にも描かれていますが、ご本尊は亀に乗った千手観音様です。この亀さんにも耳があるので「贔屓」のようですが、入り口で石碑を背負っている像よりも穏やかな顔をしてますね。

総持寺納経所
納経所は結構近代的な建物。

総持寺御朱印
頂いた御朱印。左上の「西国三十三所草創1300年」記念印にもしっかり贔屓がいます。
実は出石の総持寺の御朱印の隣に書いていただいたのですが、特に反応はなかったです(^^;)

総持寺かめさんおみくじ
やはりありました、「かめさんおみくじ」。引いてみましたよ~。運勢は中吉でした。

総持寺かめさんおみくじ
耳はないので、贔屓をかたどったわけではないようです。

総持寺かめさんおみくじ
亀さんのお腹もこんなふうになっています。

重いものを支える亀(に似たもの)って、たしか古代インドの宇宙観では大地は大亀の上に乗ってるんでしたよね(ただしその宇宙観は後世の創作という話もあるようで……)。ギリシア神話で天空を支えるアトラスも連想しますが、アトラスの場合は神々との戦いで巨人族が敗れた結果、罰として背負わされたんですよね。(じゃあ戦いの前は他の誰かが背負ってたんでしょうか??)
しかし贔屓の場合は、自ら重いものを背負うことを好むのだとか。昔からよく聞く、重い荷物と軽い荷物があったら、進んで重い方を取れ、という教えを思い出しました。贔屓の好みの理由は分かりませんが、もしもそんな人がいたら、そういう人こそ「贔屓」にしたいものです。「贔屓の引き倒し」にはならないように注意しなければなりませんが(^^;)


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手塚治虫「火の鳥」 - 完結編の構想

へろんです。
「火の鳥」……言わずと知れた“漫画の神様”手塚治虫先生が、ライフワークと銘打って1954年から1988年にわたって書き続けた超大作です。

宝塚市立手塚治虫記念館前のモニュメント
宝塚市立手塚治虫記念館前の火の鳥のモニュメント。後ろの樹がかぶってしまって顔などがちょっと分かりにくくなってますが……(^^;)ゞ 2001年1月3日撮影。

「黎明編」「未来編」など十数編の作品から成り、いずれも作品としては独立していますが、火の鳥をめぐるエピソードが共通してあり、火の鳥を軸にした壮大な人類史を構成しています。
その作品を執筆順に並べてみると、過去を描いた次は未来、その次はまた過去、と振り子のように時間軸を行ったり来たりして、しかもその振れ幅はだんだん短く……つまり過去・未来双方から現代へと近づいてくるという展開になっていました。

「火の鳥・太陽編」(上)表紙

最後に描かれた「太陽編」では、7世紀21世紀初頭という二つの時代を行ったり来たりという、それまでの「火の鳥」全体の構成をそのまま一つの作品に持ち込んだような構成でした。
1988年、「太陽編」完結。その翌年、手塚治虫先生は亡くなりました。

「太陽編」が(完結したものとしては)最後の作品ということは間違いないのですが、そのためか、時々「太陽編」が「火の鳥」完結編である、「太陽編」を以って「火の鳥」は完結した、などという誤解間違いを時々見かけます。
しかし「火の鳥」は上記のように過去と未来を行ったり来たりしながらだんだん現代へ近づき、最後には「現代編」を以って完結する、という構想があったと言われています。
はたして「火の鳥」はどのような物語で完結するはずだったのか……今となっては分からないものの、それを予想させる作品が残されています。

「ニュータイプ100%コレクション 火の鳥」

1986年「火の鳥・鳳凰編」のアニメ版が公開され、このムックとして発刊された「ニュータイプ100%コレクション 火の鳥」(角川書店、1986年)。この中に、月刊「COM」昭和46年(1971年)11月号に掲載された「火の鳥 休憩 INTERMISSION」という6ページの短いエッセイ風マンガが収録されていました。

この中で語られたところによると、手塚先生自身がたまに見る奇妙な夢は、実はいわば前世の記憶のようなものではないか……これは(輪廻転生のように)何らかのエネルギーが受け継がれていくものではないか……そのエネルギーの一瞬の仮の姿が生命なのではないか……

「ぼくは火の鳥の姿をかりて 宇宙エネルギーについて気ままな空想をえがいてみたいのです
なぜ鳥の姿をさせたかというと……ストラビンスキーの火の鳥の精がなんとなく神秘的で宇宙的だったからです
だからこの「火の鳥」の結末はぼくが死ぬとき はじめて発表しようと思っています

そして最後の一コマでは、手塚治虫本人の遺体を表しているのではないかと思われる、布に覆われたものから、火の鳥が飛び立とうとする姿が描かれています。

この作品は長らく単行本未収録だったため、あまり知られていないかもしれませんが(1997年になって講談社版手塚治虫漫画全集「手塚治虫エッセイ集」第6巻に収録)、偶然出会ったこの作品に強烈な印象を受け、「火の鳥」完結編は手塚治虫先生が亡くなる時に発表されるものしかあり得ない、と確信していました。
「火の鳥 休憩 INTERMISSION」の前のページに掲載された、手塚治虫先生と角川春樹氏との対談の中でも、このようなやり取りが載せられています。

手塚:僕のなかにあるエネルギー体が、何かの形で羽化をするときが、そのとき(引用者註:死ぬ時、そして完結編を描く時)だと思うんです。
角川:でも羽化するのは死ぬときですからね。描けませんよ(笑)。
手塚:いや、僕は描いてみせますよ(笑)。ひとコマでもいいんですよね。それがひとつの話になっていればいいんですから。「火の鳥」の終末になっていればいい。それは僕にとっての初めての体験でもあるんですよ。「あ、これで僕は死ぬんだ」とは思わないかもしれませんよ。どこかの星に行くのかもしれない。

もちろん現実には、死と同時に何かを製作したり、発表するというのは不可能ではないかと思います。だから、その意味でおそらく「火の鳥」は未完になるだろう、と思っていました。
なお「火の鳥 休憩 INTERMISSION」は、虫ん坊 2017年2月号の黒沢哲哉氏のコラム「手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!」の中に2ページ分が紹介されています。

そして1989年2月9日、手塚治虫逝去。たしか同じ頃に昭和天皇が亡くなったように思いますが、一個人の死ということに対する追悼の気持ち以上のものはあまりありませんでした。ですが手塚治虫逝去の報は、一時代の終わりを感じさせる、とてつもなく大きな事件でした。

予想はしていましたが、その時に「火の鳥」完結編が製作されたとか、発表されるといったことはありませんでした。
Wikipedia「火の鳥(漫画)」の中には「手塚は実際に死ぬ直前に何かを描こうとするも、それは叶わなかった」とあるのですが、この部分には注釈がないので真偽のほどは分かりません。

現在、「火の鳥」について調べてみると「大地編」「アトム編」「現代編」等々のいくつかの構想や噂話のようなものまで出てきます。
「火の鳥・完結編」がどのようなものであったのかは永遠に分かりません。手塚先生の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったそうです。最後にそう言いたくなるような仕事に巡り合えなかった私には想像もできないことではありますが……手塚先生が最後に言った「仕事」の中には、きっと「火の鳥・完結編」も含まれていたのではないでしょうか。


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