6周年!…1月9日は「とんちの日」!?

2017年1月9日より始めましたこのブログも本日で6周年。
お越しいただきました皆様、誠にありがとうございます。なかなか更新ペースも上がりませんが、引き続き何とぞよろしくお願いいたします。
* * *
さて。
昨年の1月9日には、この日が「風邪の日」であることをこちらで取り上げました。
その他、この日は何の日とされているのか……
とんちの日。
え、何で? と思ったら、とんちで有名なのはかの一休さん。「1」と「9」で「いち・きゅう」……「いっきゅう」……
うーん……(*_*)ゞ
* * *
「一休さん」は実在の僧である一休宗純(1394~1481)がモデルと言われますが、有名なとんち話はほとんど江戸時代の創作と考えられています。
天皇の血を引くと言われますが、権力が嫌いでかなり破天荒な行動もあったとか。そうしたところがとんち話に結びついていったようです。
一休さんの話で有名どころは「屏風の虎退治」ですね。
室町幕府第3代将軍・足利義満(1358~1408)が一休に出したそうで、
「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治せよ」
と将軍が言うと、一休は
「では捕まえますから虎を屏風絵から追い出して下さい」
と切り返した、という……。
いや、それで終わり?
私が考えたのは、その屏風ごと縛ることだったのですが、それじゃダメなんですかね(^^;)
ここから先は、後に私が考えた展開。
虎を追い出せ、という一休に対して将軍は、
「だから虎が出てくるのは夜だと申したであろう。今夜一晩、虎が出てくるまで見ておれ」
そして一晩の間、警護の者にでもこっそり見張らせておいて、もし途中で一休が寝たら翌朝、
「そちは寝ておったであろう、その間に虎が出てきておったぞ、このうつけ者が!」
こうなると一休の負け。
もしも寝ずに済んだとすれば、
「一晩見張っていましたが、虎は出てきませんでした。いかがでしょう、虎が出てくるまでこの屏風をお寺の方で預からせていただくというのは? その方が虎がここで暴れなくとも済むと思いますし」
と言えば一休の勝ち。
なんて寓話としては面白くないですかね。
「このはしわたるべからず」の話も有名ですね。
これを読んで思ったのは、「橋」と漢字で書いてあったらどうするんだろう? てこと。
子供にも分かるよう平仮名だったんだよ、という意見もあるかもしれませんが、それなら漢字の上に振り仮名を振れば良いんだし。

「だから渡るなと言ったのに……!!」
この後の展開として紹介されているのは、およばれに上がったら箸に「はしを使ってはだめ」とあったので箸を折ってその折った部分(つまり箸の端ではなく真ん中という意味)を使って食べたとか、「橋の真ん中も歩いてはだめ」と言われたら「橋に乗らねばよいのだろう」と敷物を敷いてその上を歩いたとかって……よく分かりません。
まあここまでくると、とんちというよりは、大人げない大人とこまっしゃくれた子どもの屁理屈合戦という気もしますが。
昭和時代の(つまり私が読んだ本での)創作かも知れませんが、子ども向けの本にこんな話も載っていました。
お寺で饅頭をつまみ食いしてしまった一休さん、仏像の口元にあんこをこすりつけて、仏様が食べてしまったことにします。これだけでも大概バチ当たりな気がしますが、和尚さんから問いつめられると、なんと仏像を鍋に入れて釜茹でに!
お湯がぐつぐつと煮え立ってくると、「ほら、くったくったとおっしゃってます」。
おいおいおい!
これはもはやとんち云々を通り越して、モラルの問題になりかねません(-_-;)
「嘘はいけません!」「他者に責任をなすりつけるとは何事か!」としばき倒されるのと違います? フツー……。
これは創作としても、仏像については、親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がり込んで阿弥陀如来像を枕に昼寝をしていたという逸話があるそうです(Wikipediaなんだけど出典不明)。戻ってきた蓮如はそれを見て「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたそうですが……。
これとて史実かどうかも分かりませんが、いずれにせよ一休宗純は一貫して戒律や形式、権威を否定する姿勢であったようです。
そうして見ると、一休さんの屁理屈というのも、身近な大人たちという「子どもから見た権力者」をやり込める、ということなのかも知れません。であればこそ、子ども向けではなく、権力を遠ざけた一人の人間としての「一休宗純」としても、もっと注目されてほしいものですね。
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