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陸奥、そして長門のメッセージ

へろんです。
先日アップしました難波八阪神社でも紹介しましたが、こちらの境内には「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」があります。

難波八阪神社の「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」

記念碑の説明によりますと、「抑気具(よくきぐ)とは主砲の先端に装着した天盍(てんこう)をいう」のだそうです。
おそらく、主砲の砲身先端の蓋のことですね。

「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」解説

同型艦の《長門》とともに、交互に連合艦隊旗艦を勤めたため、当時は《大和》などより知名度は高かったようです。主砲は《大和》の46センチ砲以前は最大で、「世界七大戦艦(ビッグ7)」に数えられたこともあるのだとか。
横須賀海軍工廠で建造され、1920年に進水。しかし太平洋戦争中の1943年、瀬戸内海停泊中に謎の爆発を起こして沈没。

ピクシブ百科事典「戦艦陸奥」によると、

「陸奥の爆沈は国民の動揺を招くと考えられたため緘口令が布かれ、遺体は全て近くの無人島「続島」で荼毘に付された後埋葬され、遺族に遺骨が返還されることはなかった。
死亡した乗組員の家族には給与の支払いが続けられていた。生き残った乗組員は口封じのため真っ先に激戦地に送り込まれ、終戦時に生き残っていたのは60名ほどとされる」

ムチャクチャやん。
でもそれが戦争。何があっても戦争だけはいけません。絶対に。

1970年から8年間もかけて引き揚げ作業が行われ、艦体の75%ほどが引き揚げられたそうです。引き揚げられた艦の一部や遺品は、山口県周防大島町の沈没地点を望む丘に1972年(昭和47年)建設された陸奥記念館で展示されているそうです(ただし1994年(平成6年)には国道の改修工事のため移転)。
その他、艦体は鉄屑として利用されたり、各地で展示されている……

と、ここではたと思い出したのが、広島県の大和ミュージアム

大和ミュージアムの1/10 《大和》

ここの屋外展示に、確かに《陸奥》の砲身やスクリューがありました。

大和ミュージアムの戦艦《陸奥》主砲砲身
あっ、この砲身には蓋がありますね。この蓋は再現品でしょうか、それとも一緒に引き揚げられたものでしょうか。
もしも再現品なら……難波八阪神社の抑気具と引き合わせてやりたいような気もします。

大和ミュージアムの戦艦《陸奥》主砲砲身


大和ミュージアムの戦艦《陸奥》スクリュー


大和ミュージアムの戦艦《長門》模型
大和ミュージアムに展示されている、同型艦の戦艦《長門》模型。《陸奥》もこれとほぼ同じスタイルでした。

「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」解説の《陸奥》写真
なお、この「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」の写真とは艦橋の形や煙突の本数など結構違いがありますが、当時の軍艦は改装前後で「別ものか!?」と思ってしまうぐらい大掛かりな改装を行うことがありましたので、この違いもそうした改装によるものと思われます。碑の写真は前期、模型は後期のスタイルと思われます。

さて《陸奥》と同型艦の《長門》ですが。
《長門》は呉海軍工廠で建造され、《陸奥》の前年、1919年に進水。
主要な海戦に参加しながら、中破状態で横須賀に係留され、稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦となりました。戦後アメリカ軍に接収。

そして1946年。ビキニ環礁で原爆実験の標的艦となります。
核爆発を受け、同時に標的とされた米空母《サラトガ》はすぐに沈んでしまったが、《長門》はその後もしばらく浮かび続け、日本の造船技術の高さを証明した……

って、小さい頃に読んだ、もうタイトルも覚えていない戦記物の本に書いてあったのですよ。

でも今調べてみると、実際には標的とされた艦は他にも何隻もあって、《長門》と同じぐらい持ちこたえた艦は他にもあったそうです……。

さて。
漫画家・石ノ森章太郎先生(1938~1998)の代表作『サイボーグ009』テレビアニメ版には、なんとこの《長門》が復活(?)する、というものすごい回があります。1968年に放送された、第16話「太平洋の亡霊」

「真珠湾が空襲され、アメリカ軍艦船が撃沈されるという事件が起こった。同様の事件は続き、ついにはかつての日本海軍の戦艦長門が復活、放射能をまとったままサンフランシスコへ動き出す」
(東映アニメーション作品ラインナップTV番組第16話「太平洋の亡霊」より)

作中では明らかに《大和》または《武蔵》と思われる戦艦も復活しますが、艦名などは出てきません。上記のように昔は《大和》は知名度がなく、《長門》が有名だったからでしょうね。
《長門》に対する作中のギルモア博士のセリフ、

「戦って沈まず、国敗れて敵の残忍な兵器の実験材料にされ、沈められてしまった。長門に武人の心あらば、どんなにか口惜しかったことだろう…!!」

という言葉にも共感してしまいます。
しかし《長門》をはじめとする「亡霊」は、別に「アメリカ憎し」といった過去にとらわれているのではなく、もっと深い理由がありました。

サイボーグたちの調査で、この事件は戦時中に特攻隊で一人息子を失った平博士によるものだ、ということが分かります。

「平博士、あなたは気が狂っている!」
「狂っているのは私ではない、人間だ。お前たちだ!
かつて日本は誤れる戦いをし、多くの若い命を犠牲にしてしまった。その時我々は彼らの魂に何と誓った!?

我々は戦争放棄を憲法によって定めた。
二度と軍隊を持たぬと宣言した。
世界中が戦争はもうこりごりだ、そう心から考えた筈だ。
なぜなら、それが死者の魂を鎮めるたった一つの方法だったからだ」


平博士の言葉とともに映し出される、広島や長崎の光景。原爆死没者慰霊碑も繰り返し映し出されます。

原爆死没者慰霊碑から原爆ドームをのぞむ

そして、日本国憲法第9条の条文そのものが映し出されます。一部のお偉方が目の敵にしている、まさにそのものです。

「だが、今やその誓いは虚しかった。
世界の各国は、軍備の拡張に、兵器の力を強める競争に、しのぎを削っている。

私の一人息子は戦争で死んだ。
死者が生きて帰らぬ以上、生きているわしは何をなすべきか。

これがわしの解答だ!」



この作品は今ではニコニコ動画にもアップされています(YouTubeの方は一部割愛されているようです)。

アメリカ軍ばかりを攻撃するのもどうだろうなとは思いますし、戦争を憎んだとしてもアメリカ将兵に犠牲が出てしまったらいかんだろう、とも思います。ただしそこは作中でサイボーグたちがきちんと指摘しているところであり、作品全体としてのバランスはうまく取れていると思われます。
確かにツッコミどころは他にもあるし、理想と現実、様々な意見もあるでしょう。
しかしそれでも、これほどまでにストレートに、純粋に、真剣に反戦を訴え、良い意味で「分かり易い」作品は、今見直しても決して色褪せてはいません。
むしろ、8月には毎年この作品を再放送しても良いのではないでしょうか。与党(の息がかかった勢力)の圧力がかかることは間違いないでしょうが……しかしその前に、この作品を作った1968年当時の人々に顔向けできるかどうか、今一度考えてみて頂ければと思います。

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京都舞鶴防災フェスタ2019

へろんです。
2019年3月9日、ミリオタな気のある友人2人の主導で「京都舞鶴防災フェスタ2019」に行ってきました。
私自身はミリオタの気はないつもりですが、船が大好きなので、護衛艦などの一般公開を期待して誘いに乗りました(^^)

護衛艦3隻が勢ぞろい
護衛艦が3隻整列。左から、
DE-232《せんだい》、名前は「仙台」ではなくて川内川(せんだいがわ)に由来します。
DD-130《まつゆき》、艦名は旧日本海軍にもあった名前を継いだものが多いですが、これは初の名前だそうです。
DD-151《あさぎり》。この3隻の中ではいちばん大きいようです。

護衛艦《せんだい》一般公開パンフ
さっそく《せんだい》一般公開に並びます。乗艦時に配られたパンフ。


対潜ミサイル74式「アスロック」ランチャ
対潜ミサイル74式「アスロック」ランチャ。
三菱重工業でライセンス生産したものを74式と呼ぶようです。ゴジラ映画の中で海中のゴジラに向けて発射されたこともあるのだとか(^^)

対艦ミサイル「ハープーン」発射装置
対艦ミサイル「ハープーン」の発射装置。
軍艦のスタイルって第二次大戦中の戦艦や『宇宙戦艦ヤマト』みたいに、でかい砲身を持った主砲や副砲が前後に並んだ姿を想像しますが、現代の兵装は多様なものがコンパクトに詰め込まれている感じですね。

ミサイル艇《はやぶさ》見学の列
ミサイル艇 PG-824《はやぶさ》では見学に長蛇の列が出来ていましたが、実は主砲(とは言わないのかな? 62口径76mm速射砲、だそうです)の前で……

62口径76mm速射砲の砲弾
乗員さんが持つ砲弾。一組ずつこの砲弾を手にして、記念撮影して下さってました。私らも調子に乗ってオッサン三人で並んで撮ってもらいました。友人二人が真ん中で砲弾を抱えて、私は端で手を添えただけでしたが(^^;)

護衛艦《みょうこう》のカレーブース
各護衛艦自慢のカレーや名物海軍カレーがずらりと並んでおり、その中から各自選んで昼食としました。私が選んだのは護衛艦《みょうこう》のカレー。友人が買った別のカレーとお互い一口ずつ味見してみると、意外と味が違いました。それぞれ独自色があるんですね。

警備犬の訓練展示
警備犬の「訓練展示」。犬種はジャーマン・シェパード。海上自衛隊ではいわゆる軍用犬を「警備犬」と呼称しているそうです。

《ひゅうが》に着艦するヘリ
居並ぶ艦艇の中でも最大のDDH-181《ひゅうが》。ヘリコプター搭載護衛艦だけあって、何度かヘリコプターの離着艦が行われていました。

迷彩塗装の自衛隊ヘリ
実は飛行機の中でもなぜかヘリコプターがいちばん好き♪
最初に飛んできたのは迷彩塗装の自衛隊のヘリですね。

海上保安庁のヘリ
海上保安庁のヘリは海難救助訓練?の紹介を行っているようでした。

京都府警のヘリ
続いて飛来したのは京都府警のヘリ。

《ひゅうが》搭載ヘリ
海自のヘリはおそらく《ひゅうが》搭載機ではないかと思われます。

京都市消防庁のヘリ「あたご」
さらに京都市消防庁の赤いヘリも。名前は「あたご」。それなら《ひゅうが》の向こうに停泊していた護衛艦《あたご》に着艦したらいいのに、などと思ったり。

護衛艦《あたご》一般公開パンフ
《あたご》一般公開のパンフ。
こうしてみると一般公開で配られるパンフって各艦で結構違うんですね。

タグボートより。逆光で見えません!
友人がタグボート航海体験に乗りたいってんで、他にも見たのがあったのに、海上から浮かぶ姿が見られるからって誘われて、整理券配布に1時間以上並んだんですがね……。いざ乗ってみると、タグボートの上に寒い中鈴なりで……しかも完全に逆光でした(--;)

《ひゅうが》一般公開の列
あらためてDDH-181《ひゅうが》の艦内公開の列に並びます。

ヘリコプター搭載護衛艦《ひゅうが》一般公開パンフ
2007年進水、全長197メートル。ちなみに最初に乗艦した《せんだい》は109メートル。倍近い違いがあるのか……(@o@)
《ひゅうが》は女性自衛官が乗員として初めて配備された護衛艦としても知られるそうです。

ヘリコプター搭載護衛艦《ひゅうが》
艦首から艦尾まで通じた全通甲板、さらにこうして前から見ても「空母」っぽいよなあ、と思いますが……ヘリの運用のみで固定翼機の運用は考えられていないこと、国会で空母は保持しないということになっている等々の「オトナの事情」で、あくまでも「ヘリコプター搭載護衛艦」なのだとか。
ちなみに艦名の「ひゅうが」は現在の宮崎県付近の旧国名に由来しますが、旧日本海軍の戦艦《日向》は後ろに飛行甲板を持つ航空戦艦に改装されています。やっぱ空母(っぽい)ことを意識してるんでは……。

《ひゅうが》の広い格納庫
乗艦して最初に、艦内のひろびろとした格納庫に案内されます。天井が開いた空間でしばらく待っていると……

見学者を満載した《ひゅうが》エレベーター
「ハイ、お待たせしました!」と艦載機用エレベーターがせりあがっていきます!(この写真は帰りに別のエレベーターで下降していくところ)

エレベーター下降時に手旗信号で見送って下さる乗組員さん
帰りにエレベーターが下降していく時、乗組員さんが手旗信号で見送って下さいました。感激~(T▽T)

《ひゅうが》甲板にあった謎のキャラのパネル
帰りのエレベーターのすぐ横に謎のキャラ??のパネルが。
友人の一人がミリオタのみならずそっちの方も詳しいようで、「艦コレ」?というゲームか何かのキャラだそうです。抱えている二連主砲(重くないのか!?)からすると、戦艦《日向》の擬人化? でも左手に持ってる甲板みたいのは「81」という数字からして護衛艦《ひゅうが》のそれっぽいし……

何にしても平和やなあ、としみじみ…… (´▽`)
いや、本心から平和がいちばんです。《ひゅうが》は2011年の東日本大震災でも人道支援に活躍していますし、こうした活動には頭が下がりますね。

長崎の夜景と船舶

へろんです。
2018年3月24日、長崎での宿泊は「矢太樓南館」さんでした。風頭山頂にあり、ロビーからは長崎市街を一望に見おろすことができるお宿です♪

矢太樓南館

チェックインして荷物を置いてから早々に、さっそく長崎市街を見るためロビーへと戻ります。
夕暮れ迫る長崎港に、大型客船と思われる船影の姿が。

長崎港の夕景


長崎港の《クイーン・エリザベス》
デジカメの最大望遠で見ると、やはりかなり大型の客船でした。
……この船型は、もしかして……

天保山に入港した《クイーン・エリザベス》
この写真は2016年3月22日、大阪の天保山に入港した《クイーン・エリザベス》です。この時は仕事帰りにちらとしか見ることが出来なかったのですが……

後から長崎港のホームページで調べてみると、2018年3月入港予定表の24日には、確かに《クイーン・エリザベス》の名前がありました。やはりあの《クイーン・エリザベス》です!

長崎港の《クイーン・エリザベス》
30分ほどしてもう一度見ると、電飾で飾られていました。

長崎といえば、夜景も有名ですね。長崎の夜景は「夜景サミット2012 in 長崎」において、香港、モナコと並び「世界新三大夜景」に認定されたそうです。
午後9時からはホテル従業員さんによる夜景の説明があるとのことで、参加してきました。

長崎の夜景
「矢太樓南館」さんロビーから稲佐山方向を俯瞰。
んー、私の写真ではパンフレットなどでよく見る美しい夜景には足元にも及びませんね……もっと精進せねば。

長崎女神大橋を遠望
長崎港の港口にかかる長崎女神大橋。Wikipediaによれば、長崎港に大型の客船が出入りすることを考慮して、水面から非常に高い場所を通る設計になっているのだとか。横浜ベイブリッジを通過できなかった世界最大級の客船《クイーン・メリー2》も通ることができたそうです。

世界遺産「ジャイアント・カンチレバークレーン」
一般非公開のため旅行誌などにもあまり紹介されておらず、この説明で知ったのが、2015年(平成27年)世界遺産に登録された、ジャイアント・カンチレバークレーン。
1909年(明治42年)、英国スコットランドより導入され、今も現役で使用されている電動クレーンで、世界で同型は11基が現存しており、稼働している世界最古のものとして希少価値が高いそうです(「明治日本の産業革命遺産・三菱長崎造船所」説明ページより)。
あの原爆にも耐えたということですね。と思っていたら、米軍が1945年9月24日に撮影したとされる写真にこのクレーンが写っていたという記事もありました。旧日本海軍の戦艦《霧島》建造にも関わったのだとか。私事ですが、《霧島》は昔作った艦艇プラモデルの中でもっともお気に入りの船でした(^^)


矢太樓南館ロビーの置き物
ロビーに飾られた置き物の後ろに、船のプレートを見つけました。

オーストラリア海軍《シドニー》のプレート
「HMAS SYDNEY FFG 03」とあります。シドニーということはオーストラリアの軍艦でしょうか?
ということで調べてみると、オーストラリア海軍の《アデレード》級フリゲート3番艦でした。1980年に進水、2015年には退役しているそうです。《シドニー》は2002年に長崎港に入港したことがあるそうで、もしかしたらそんな時に乗組員か関係者がこちらに泊まったとかあったのかも知れませんね。

早朝の長崎港
翌朝、風頭公園から見た長崎港。

長崎港の《フォーレンダム》
……よくよく見ると、《クイーン・エリザベス》ではないですね!?

長崎港の《フォーレンダム》
後から画像を拡大してみると、「Volendam」という文字が。

2018年3月入港予定表の25日の欄には、《フォーレンダム》7:00~16:30とあります。どうやら「Volendam」というのが船名のようですね。《フォーレンダム》はオランダ船籍で、アメリカの会社が運航しています。全長238メートルと、全長294メートルの《クイーン・エリザベス》よりは小さいようですが、こうしてみるとやはり大きさを実感します。

入港予定表によれば、昨日いた《クイーン・エリザベス》の入港時間は7:00~19:00。昨夜のうちに長崎を後にしていたようです。ということは、昨日あの時間にチェックインしていなかったら、《クイーン・エリザベス》は見られなかったということですね。
船との出会いは一期一会ですね。

桜島と鹿児島湾の船舶

へろんです。
鹿児島市の城山展望台からの眺めです。

城山展望台から望む桜島
城山は市街地の中心部に位置する標高107メートルの小高い山で、展望台からは桜島をはじめ錦江湾や鹿児島市街地を一望できます。よく見る桜島の写真はここからの光景だったのか! と納得。天気の良い日には遠く霧島や開聞岳も見えるのだとか。

桜島を眺めていると、その右手下方、錦江湾に浮かんでいるものは、もしや……!?

錦江湾に浮かぶ潜水艦
デジカメの最大望遠で見ると、やはり潜水艦でした!
艦橋と潜舵からして《おやしお》型でしょうか?

鹿児島市のまち巡りバス
城山から降りる時に前を走っていた「まち巡りバス」。右は西郷隆盛と分かりますが(にしても顎外れりゃせんかい?)、左の女性は、後から調べると篤姫のようです。何で眼鏡をかけてるんだろう……。誰かの趣味?(爆)

西南戦争の銃弾跡
私学校跡に残る、西南戦争(1877年)の銃弾跡。

噴煙が昇る桜島
鹿児島市を後にして、指宿を目指し国道226号線を南下していきます。
その途中で桜島を振り返ると、桜島から噴煙が! さすが活火山。こちらの記事などによると、「噴火は日常」なんだそうですね……。

JX喜入石油基地
国道226号線から見えた石油基地。後で調べると、場所的にJX喜入石油基地ではないかと思います。JX喜入石油基地は1967年(昭和42年)に建設された世界最大級の石油の原油の中継備蓄基地で、日本国内の石油使用量約2週間分に相当する原油735万キロリットルを貯蔵することができるそうです。

タンカー《かいもん丸》
石油基地の近くに停泊していた《かいもん丸》。2013年に進水した鹿児島船籍のタンカーで、全長246.8メートル。JX喜入石油基地から国内の各製油所へ原油を輸送しているそうです。

客船《コスタ・セレーナ》
おまけにもう一つ船の写真を。
鹿児島湾を北上していく豪華客船も、ちらとですが見えました。鹿児島港の平成29年入港予定から見て《コスタ・セレーナ》と思われます。《コスタ・セレーナ》はイタリアの客船で、総トン数 114,147トン、全長290.2メートル(てことは《かいもん丸》よりかなりでかい!)。

潜水艦、タンカー、客船とバラエティに富んだ船舶を見かけることができました。船好きとしては嬉しい限りです♪


富山県・海王丸パーク

へろんです。
富山旅行編に戻ります(^^)

高岡古城公園を出て北東に向かい、射水(いみず)市の海王丸パークを訪問しました。こちらでは引退した帆船「海王丸」(初代)が現役当時の姿そのままに保存展示されています。

海王丸パーク

Wikipediaの海王丸 (初代)のページなどによると、海王丸は神戸の川崎造船所で建造され、1930年(昭和5年)1月27日に進水。戦前に造られたんですなあ。戦時中は石炭の輸送任務に従事し、戦後は海外在留邦人の復員船として、27,000人の引揚者を輸送したそうです。引退までの59年間に106万海里、およそ地球50周分の距離を航海しましたが、1974年(昭和49年)以降は老朽化が進んだため、遠洋航海の規模縮小を余儀なくされ、1989年(平成元年)9月16日に退役。

引退後の引取先として、日本各地の自治体が名乗りを上げ、最終的に残ったのが富山県と大阪市。協議によって5年ごとに交代で富山新港と大阪港で交互に係留することになったそうです。まず1990年(平成2年)より富山新港に係留され一般公開が始まりましたが、1994年(平成6年)になって大阪市は別の帆船を誘致することを決定し、海王丸は富山新港に恒久的に係留されることとなったのだそうです。

大阪市の別の帆船って……もしかして、この頃に就航したものの、2012年当時の橋下徹・大阪市長によって切り捨てられた帆船「あこがれ」のことではないだろうか……

そう思って調べていると、「いこまいけ高岡」の海王丸パークのページに「1994年に大阪市が練習帆船「あこがれ」を建造・所有したため、結果的に富山新港に永久係留展示となりました」とありました。「神戸帆船フェスティバル」でも紹介させて頂きましたように、「あこがれ」は大阪から神戸に売却されて、「みらいへ」となっています。

海王丸と新湊大橋
右側の橋は上層の車道部分が2012年(平成24年)、下層の自転車歩行者道が2013年(平成25年)に開通した、新湊大橋。日本海側最大の斜張橋(塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つないで支える構造の橋)で、黒部ダムを除けば富山県内の建築物の中で最も高い建物だそうです。

海王丸のバックに立山連峰
バックには壮麗な立山連峰がそびえています。冬にはもっとくっきり見えるそうで、そんな季節にぜひ見てみたいものです。

海王丸甲板
船内もゴールデンウイークで大勢の人がいました。

海王丸船長公室
船長公室。左奥に日本人形が飾られていますね。

海王丸帆走用舵輪
帆走用舵輪。通常は2名、時化で舵が重くなると4名で舵を回すそうです。

ナデジュダの模型
日本海交流センターには各国の帆船模型がたくさん展示されていました。写真はロシアの「ナデジュダ」。ロシアでは最新の帆船で、ウラジオストクを母港としているそうです。

戦艦大和の模型
帆船以外では唯一、旧日本海軍の戦艦「大和」の大きな模型も展示されていました。

ここを訪れたのは5月4日、実は翌5日には29枚ある帆をすべて広げる総帆展帆が実施されたのですが、旅程の関係で5日には行けませんでした。今度機会があれば、総帆展帆の時にぜひ訪れたいものです。

神戸帆船フェスティバル

へろんです。
7月15日・16日、神戸開港150年を記念した、神戸帆船フェスティバルを見に行ってきました。
15日は入港セレモニーです。このセレモニーの前に帆船パレードも行われていたのですが、パレード見学の一般公募に申し込んだものの、落選してしまいました(T_T)

「日本丸」入港
「日本丸」。全長110.09メートル、日本最大、世界でも最大級の4本マストバーク型練習帆船。

「海王丸」入港
「海王丸」。「日本丸」の姉妹船で、全長は同じく110.09メートル。横では神戸市消防艇による歓迎放水が行われています。

神戸市消防艇による歓迎放水
歓迎放水は赤、青、黄の色が放水されていました。

「パラダ」入港
ロシアの帆船「パラダ」。全長108.60メートル。1989年に建造された練習帆船。
帆桁(ヤード)に人が並んでいるのが見えます。これは登檣礼(とうしょうれい)のスタイルではないでしょうか。登檣礼とは、主に帆船の出航時に船員を帆桁などに配置し、見送りに来た来客に対する謝礼を行うもので、帆船において最高の礼とされるそうです。

「日本丸」と「海王丸」
「日本丸」と「海王丸」。手前が「日本丸」です。

「日本丸」のフィギュアヘッド「藍青」
「日本丸」のフィギュアヘッド(船首像)。「藍青(らんじょう)」と名付けられているそうです。

「海王丸」のフィギュアヘッド「紺青」
「海王丸」のフィギュアヘッドは「紺青(こんじょう)」という名前で、藍青の妹なのだとか。

2日目、16日は帆を広げるセイルドリル(岸壁に停泊した状態で帆を張る作業)の時間に合わせて見に行きました。やはり帆船はこの姿が一番です。

帆を広げた「海王丸」
「日本丸」は昨日のうちに出港していましたので、まず「海王丸」に向かいます。「海王丸」の前は、ゆっくり撮影もできない満員電車並みのすさまじい人でした……。

帆を広げた「みらいへ」
「みらいへ」。全長52.16メートル。1993年「あこがれ」として就航し、大阪市が保有していましたが、2012年に当時の橋下徹・大阪市長の市政改革の一環で運航を終了し、売却されたそうです。2014年より船名を「みらいへ」に変え、神戸港を母港に体験航海事業を再開。苦労したんやなあ……

帆を広げた「パラダ」
「パラダ」はいろんな方向から撮りましたが、対岸で一般公開していた海技教育機構の練習船「銀河丸」デッキからがベストショットでした。「銀河丸」に多謝。「銀河丸」では訓練生の皆さんが見学者に丁寧に挨拶されていました。

帆を広げた「パラダ」


帆を広げた「コリアナ」
韓国の「コリアナ」。全長41.00メートル。韓国南西部の麗水(ヨス)市を母港とする、韓国唯一の練習帆船だそうです。

「コリアナ」と「パラダ」
手前が「コリアナ」、奥が「パラダ」。

セイルドリルの時間は午後1時から4時。先ほど「海王丸」を十分撮れませんでしたので、対岸のメリケンパークから撮影しようと、急いで移動を開始しました。移動の途中でふと見ると……

帆を畳み始めた「海王丸」
もう帆を畳み始めてる!!

時計を見ると、3時15分。
……早っ!!

うーん、4時までに帆を畳み終わるという予定だったのでしょうか。もう少しゆっくり見せて頂きたかった……。
帆を広げた姿は帆船のもっとも美しい姿であり、いちばんの見どころです。実際の作業は大変だろうとは思うのですが、一度広げたら急いで畳まずに半日ぐらいは広げておいて頂くとかできないものですかね?

プロフィール

へろん

Author:へろん
へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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