fc2ブログ

台東区・寛永寺清水観音堂

2023年4月9日。
上野公園の寛永寺清水観音堂にお参りしてきました。

寛永寺清水観音堂
1631年(寛永8年)、かの天海大僧正が上野の台地に東叡山寛永寺を建立。比叡山延暦寺が京都御所の鬼門(東北)に位置していることにならい、江戸城の東北にあたるこの地を、東の比叡山という意味で東叡山としたそうです。

寛永寺清水観音堂のつつじ
桜は散っていましたが、つつじがちょうど美しく咲き誇っていました。

東叡山全景
寛永寺全景。
上野公園全体に意外といろいろあり……

寛永寺各所の御朱印
それぞれで御朱印も頂けるそうです。

寛永寺清水観音堂の「清水の舞台」
さてこの清水観音堂には、かの清水の舞台を模したという舞台があり……

寛永寺清水観音堂の「月の松」
ここから丸い輪になった松の木を見ることができます。
歌川広重の浮世絵にも「月の松」と呼ばれる円を描く松の枝が描かれており、明治初期の台風の被害で一度失われましたが、2012年(平成24年)に復元されたそうです。

下方の不忍池を望むことができますが、天海大僧正はその不忍池を琵琶湖に見立て、琵琶湖の竹生島から弁才天を勧請、不忍池に浮かぶ島に辯天堂を建立しています。

不忍池辯天堂
しかしこの日は辯天堂に至る橋も大混雑なのが見てとれまして、辯天堂へのお参りはあきらめました。

不忍池辯天堂
緑色の三角屋根が辯天堂なのですが。
不忍池を琵琶湖に見立てた天海大僧正も、ビル群にはびっくりするでしょうなぁ(@o@)

寛永寺清水観音堂のパンダおみくじ
さて、以前も書きましたように、近年は動物モチーフのおみくじもよく頂いています。清水観音堂の授与所には、なんとパンダおみくじが。上野公園ならではですね。

寛永寺清水観音堂のパンダおみくじ
江島神社の例もありましたし、ちゃんと裏を見て紐が出ていることを確認しましたよ(^^;)
ちなみに「吉」でした。

寛永寺清水観音堂の御朱印
こちら清水観音堂の御朱印。書き置きのみです。
頂いた御朱印をざっと確認し、カバンに入れます。
この時は気付かなかったのですが……帰宅後、カバンから取り出してしげしげとながめると……

お気づきでしょうか?

もう一度……

御朱印の日付が……

……令和四年!?

これがまだ頂いた直後なら申し出たんですけどね……。
一般に書き間違いもあるから頂いたら確かめよう、とは言われてて、確かにぱっと見たんだけど、気付かなかった……。
まぁ人様のやることだしこういうこともありますよね。ある意味これはこれでレアかな、と思ったのですが……後々、これは令和五年に頂いたものだ、と証明する方法がないなあ……。


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

スポンサーサイト



テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行

東京都新宿区・善國寺

 2022年8月。
 有名な神楽坂(といっても実際に行ってみるまでどのあたりかも知らなかった ^^;)近くに所用があり、余った時間で途中見かけたお寺にお参りさせて頂きました。

神楽坂善國寺

こちら善國寺(ぜんこくじ)は日蓮宗のお寺で、安土桃山時代の1595年(文禄4年)に創建。ご本尊は毘沙門天で、江戸三大毘沙門天のひとつに数えられるのだとか。

善國寺の“狛虎”


善國寺の“狛虎”
 狛犬ならぬ「狛虎」!

善國寺の虎の絵馬
 絵馬にも虎が描かれており、虎に縁が深いようです。
 というのも、毘沙門天は「寅の年、寅の日、寅の刻」に現れたといわれ、そのため虎が毘沙門天の神使とされているそうです。
 おお、そうすると寅年だったらタイムリーなわけで、去年のうちにアップすべきところでした(^^;)

 人と一緒だったのであまりあちこち写真を撮る間もなく、お参りを済ませてすぐ社務所へ。
 下調べもなく行ったのですが、こちらでも「切り絵御朱印」がありました。

善國寺御朱印案内
 毘沙門天様の切り絵御朱印は初穂料1500円か。うーむ。
 寅年だし、ということでその上の二つ折り御朱印を頂きました。
 言っちゃあなんねぇことかも知れませんが、御朱印の初穂料というのも、やっぱりその、バカにならないわけでして……。
 
善國寺通常御朱印案内
 通常御朱印は400円。初穂料は以前はほとんど300円、近年は500円が多いと感じますので、400円というのはちょっと珍しい気がします。

50円以下の硬貨は使用不可って……
 ふと見ると、なんと50円以下の硬貨は使用不可!!
 うーむ、小銭の入金が有料化されてからは神社仏閣ではお賽銭の扱いに苦慮しているという話も聞きますが……。法律上は同一硬貨20枚までなら受け取り拒否できない決まりだと思いますが、「商行為」ではないから良いのかな?? 宗教法人の扱いの問題も絡んで難しいところですね。

善國寺寺務所で見かけたサイン
 寺務所にあったサイン。どうやら「なりゆき街道旅」というテレビ番組で紹介されたようですね。私でも聞いたことあるお名前のサインが。
 また、何でもドラマに登場したことがあるようで、なんか「聖地」の一種になっているようですが、芸能ネタはまったくもって疎いのでスミマセン(^^;)

善國寺二つ折り切り絵御朱印
 頂いた御朱印。
 なかなかに凝った切り絵で、これは価値あるものですね。
 これを開くと……

善國寺二つ折り切り絵御朱印
 内側は通常御朱印の態ですね。
 看板には「御朱印帳に収まります」とありましたが、こういう凝った御朱印は御朱印帳に貼ってしまうのもなんか忍びないと感じるようになってきています。御朱印帳に貼るということ自身にこだわりがなくなってきてるんですね。
 コロナ禍で一時期御朱印の直書きがなくなり、最近ようやく直書きも復活しつつあるとはいえ、書き置きのみのところもやはり多い。さらにはカラフルな御朱印や切り絵のような凝った御朱印が増えている今となっては、御朱印帳へ貼る以外の保存方法・閲覧方法を併用しても良いと感じています。
 このあたり、またどこかで記事にしようとは思っているのですが(でもいつになるやら……)。


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行

東京都台東区・浅草寺

 浅草寺。東京を代表するお寺の一つですね。「あさくさでら」ではなくて「せんそうじ」です。正式には金龍山浅草寺と号し、聖観世音菩薩を本尊とすることから浅草観音(あさくさかんのん)とも呼ばれています。
 こちらの雷門も特に有名ですね。

浅草寺の雷門
 1865年(慶応元年)に一度焼失し、その後は仮設の門が時折建てられていたそうですが、1960年(昭和35年)に再建された常設の門は、かの松下幸之助が病気平癒の報恩として寄進したものだそうです。

 2023年1月8日、コロナ禍の行動制限もなく、ものすごい混雑でした(T▽T)
 その先に続く「仲見世通り」と呼ばれる出店通りも結構なぎゅうぎゅう詰め。

浅草寺の宝蔵門
 こちらは別の日にとったものですが、「宝蔵門」と呼ばれる門。こちらは大谷米次郎(実業家。国技館建設、ホテルニューオータニ創始など)の寄進によるそうです。

浅草寺本堂
そして本殿。

浅草神社手水舎
 実は隣に「浅草神社」があるのですが、それはまた別の機会に。
 花手水が奇麗でした。

 さて。
 一緒に行った人がおみくじを引いてみますと……しっかり!!

浅草寺のおみくじ
 難しい漢文の内容だなあ……と思いましたが、裏返すと現代文の解説があるんですね。

おみくじの内容は……

「身分の下の者や使用人による災いが起こる」って……そんな人いないんですけど。

「一心に利益を得んとしても叶いません。」
 いやそう断言されましても……

 願望:叶いにくいでしょう。
 病気:安心できないでしょう。
 失物:出にくいでしょう。
 待ち人:現れないでしょう。
 新築・引越:さけましょう。
 結婚・旅行・付き合い:万事悪いでしょう。


 けちょんけちょんやなあ……(T▽T)

 私の好きな妖怪漫画の名作『うしおととら』で、潮が正月におみくじを引くと
「大凶 すべてわろし」
とあってがっくりくる(実はとらのいたずら)というシーンがあるのですが、それに匹敵するな……。
 で、どうすれば……

「少なくとも、使用人や部下を大切にして災難を防ぎましょう」

 いやだから使用人も部下もいないんですけど!!

浅草寺のおみくじ結び所
 というわけで、しっかり結んで流してきました。
「凶のみお結びください。それ以外はお持ち帰りください」としっかり書いてありました。

      *      *      *

 実は、浅草寺はおみくじに凶が多いことで有名だそうです。
こちらの記事は凶の割合を浅草寺に直接おうかがいするという、大胆な記事になっています。これによると、
 
「一説には平安時代に元三大師良源様によって、おみくじの元となるものが作られ、さらに、中国で天竺霊籤(てんじくれいせん)という、いわゆるおみくじの始まりと言えるものが流行りまして、室町時代までには日本に伝わったのです。
 江戸時代にはそれが合わさった観音百籤(かんのんひゃくせん)というものが広まり、以来浅草寺でもこれを用いております。
 そのときから、浅草寺のおみくじは凶の割合は変えていません。分配は凶30%、大吉17%、吉35%、半吉5%、小吉4%、末小吉3%、末吉6%です。」

 30%……なかなか多いな!!
 理屈をこねれば、どんなおうかがいでもすべからく凶の確率は30%ということですかね……? まあ確率論はどうであれ、おうかがいによって「神はサイコロを振る」のであれば、その手前の人の手で準備する段階では、すべて同じ割合とする方が良いような気もしますが(すべて同じ割合にしておいて、どれを出すかは神様次第、ということで)。
 一方でだいぶ昔、何かのテレビ番組で、ある神社のおみくじの割合を実際に調べるという企画を見たことがあります。その結果、そこでは凶の割合はゼロ!
 で、その理由をうかがってみると、「気分よくお帰りいただきたいので、凶はなしとしております」。
 お気持ちは痛いほどよく分かるのですが、それもなあ……。
 どちらにせよ、この割合は「企業秘密」的な感じで明かせないとしておくのが良いような気もします。

水上バス乗り場からスカイツリー方面
 浅草からはすぐ、スカイツリーがよく見えます。

GTS観光アートライン作品
 川辺にこんな猫もいました。「GTS観光アートライン」という企画の作品だそうです。東京はほんとに猫にまつわるものが多い気がしますね(^^)


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行

神奈川県藤沢市・江島神社

 神奈川県の江の島は有名だと思いますが、その江の島に鎮座するのが江島神社
 「江の島神社」ではなくて「江島神社」です。ちなみに有名なあの電車は「江ノ電」。このあたりの表記の問題は「江ノ島 江の島」で検索すると面白い記事がいくつも出てきます。

対岸より望む江の島
対岸より望む江の島。

 さてこの江島神社、ご祭神は、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)という三姉妹の女神様。
 神社としては552年に創建、1182年に弁財天が勧請され、神仏習合時代に江島弁財天として信仰されることとなったようです。
 江島神社HPによれば、「世にいわれる「日本三大弁財天」とは、安芸の宮島、近江の竹生島、江の島の弁財天のこと」なのだとか。

江島神社の青銅の鳥居
 青銅の鳥居は市指定文化財。ここからお土産屋さんなどが並ぶ、仲見世通りが続きます。

ゲゲゲの鬼太郎とのコラボ企画?
 どうやらゲゲゲの鬼太郎にまつわる企画が行われていたようです。この時は終了していたようで、鬼太郎ファンとしては残念。

猫娘とネコザメ(^^;)
 猫娘とネコザメ。なるほど どうやら新江ノ島水族館とのコラボかと。

江島神社の赤い鳥居
 階段を登っていくと現れる赤い鳥居。

江島神社の琵琶をかたどったパネル
 しゃもじ……ではなくて、弁天様の持っている琵琶ですね。宮島など弁天様ゆかりの場所でしゃもじが奉納されたりするのは、琵琶としゃもじが似ているからなんだとか。

江島神社の辺津宮
 そもそも「江島神社」は「辺津宮」「中津宮」「奥津宮」の三社からなるそうで、こちらは「辺津宮」。本当は三社ともお詣りするのが正式だそうですが、今回は時間がありませんでした。

江島神社の奉安殿
「辺津宮」の左にある「奉安殿」。別途拝観料が必要となります。

江島神社の龍神様
 とても精悍な感じの龍神さま。説明書きによると「江ノ島では弁財天の夫神として、財宝福徳の神としても信仰を集めています」。
 夫神というのは初耳?だったような気がしますが、弁天様と龍神様は縁が深いようですね。そういえば町田市の春日神社で頂いた弁天堂御朱印も「弁天堂龍女神之図」でした。

江島神社御朱印
頂いた御朱印。

八臂弁財天の御朱印
こちらは奉安殿に安置される「八臂弁財天」の御朱印。

 さて。
 ここ数年は動物や神様などのモチーフのおみくじも時々引くようになってきました。
 そこで、やはり「日本三大弁財天」の一つだし、ここは弁天様のおみくじでしょう! と頂いてきたのですが。

弁財天様のおみくじ
 こういうおみくじは、裏返すとおみくじを結んだ紐が少し出てますよね。
 普段からおみくじを頂く時、あまり選り好みするのも良くない気がして、最初に手にしたとか目が合ったとか、そうしたものを縁だと思って頂いています。

おみくじの底は……
 このおみくじを手にしたとき、紐が出てないので「ん?」と思いましたが、おそらく封入する時に紐の先まで貼り込んでしまったのだろう、と思ったのですよ。

 帰る予定の時間ぎりぎりになっていたので、おみくじは帰宅してからゆっくり読もう、と開けずに帰宅しました。
 帰って裏の紙をはがすと……

おみくじが、入ってない!!

ない……!!

これが神社にいる間だったらいちおう申し出たんですけどね……。

これはつまり運がない!? いやそもそも良いも悪いもない……!?

弁財天様のおみくじ
まるで弁天様にいたずらを仕掛けられたような……
何だか「えへへ、ばれた?」と笑われているような気も……。知りたかったらもっとゆっくりおいで、と言われてるんですかね……。


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行

東京都町田市・春日神社

 こちらの神社にお詣りしたのは2月でしたが、9月にはアップしようと思っていたものの間に合わず……。ご存知のように9月1日は「防災の日」、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災にちなんだものですが、実はこちらの神社には関東大震災にちなんだものがありました。

 2月6日の日曜日、この日は少し時間があったため、せっかくなら御朱印の頂ける神社を、行ける範囲でピックアップしていました。
 神社によっては御朱印もいつでも頂けるものではなく、こちらの春日神社も普段は人がおられず、毎月第一日曜日のみ頂けるとのこと。
 ……第一日曜日って今日じゃん。これは今日行かねば!

 ということで神社へのアクセスを調べ、向かったのは小田急線の鶴川駅。ここからバスということでしたが、このバスの乗り場が分からない! 駅前のロータリーにはいくつかのバス乗り場があるのですが、スマフォのマップで示される系統の番号が、どの乗り場にもないんですね。
 はて、どうしたものか……。
 もうすぐそのバスが来る時間だから、目的の系統番号を掲げたバスが来たら、その止まったところへ行けば良い。
 程なくして、その番号を掲げるバスが駅前ロータリーに入ってきました。そのバスが止まったら駆け寄るべく、目で動きを追います。
 ところが……そのバスはロータリーをぐるりと回ってどこにも止まらず、再び大通りへ!
 うっそー!!
 と心の中で叫び、大通りへ出るべく信号待ちしているバス目指して駆けだしました。いやもちろん駆け寄ったところで乗せてくれないことは分かっていましたが……。
 大通りに出たバスはスピードを上げるか……と思いきや、2ブロックほど進んで停車。
 なんと、ロータリーではなく大通り沿いにバス停があったのです。
 おおよそ200メートルぐらいでしょうか、全速力で追いすがって、何とか乗ることができました。

 息を切らしながらバスに乗っていると、予想以上に短い時間で目的の停留所が。
 ……いやこれだったら、バス停探してうろついたり全力疾走した分で歩いた方が良かったかも……。
 後から調べますと、頑張れば歩けるぐらいの距離ではありました。帰りは歩こうかとも思いましたが、行きでかなり消耗したため、結局バスに乗りましたが……

※後から調べますと神社公式サイトに紹介されたページに乗り場が詳しく載っていました。事前調査は大事ですね……。

      *      *      *

 バス停から10分弱。ようやく到着しました神社にお詣りです。

春日神社一の鳥居


春日神社二の鳥居


春日神社手水舎
手水舎はいたってシンプル。

春日神社の随身像


春日神社の随身像
一般的に狛犬さんがおられる神社が多いと思いますが、こちらは石でできた随身像が。

春日神社拝殿
拝殿。

春日神社稲荷社
こちらの稲荷社は江戸後期の1818年(文政8年)に祀られたそうです。とても色鮮やかですが、2020年3月に修繕されているそうです。

春日神社社務所
社務所はごく小さな感じ。おそらく特定の日以外は閉まっているものと思われます。

春日神社御朱印
見開き御朱印のようにも見えますが、右が春日神社、左が弁天堂の御朱印というようにも見えます。
「御朱印は書置きとさせて頂きます」と貼り紙にありましたが、御朱印をお願いすると、直書きして頂きました。おそらく他に参拝者がいなかったためと思われます。私の言葉から関西人と分かったらしく、少しお話させて頂きました(^^)

春日神社御朱印
頂いた御朱印。やはりこういう場合は見開きで頂いてしまいますね(^^;)

 さて実際にお詣りするまで知らなかったのですが、境内の一角に壊れた石の構造物がまとめられていました。

春日神社震災モニュメント
 春日神社の例大祭は毎年9月1日と決まっており、1923年(大正12年)の9月1日には藤田留吉氏によって寄進された石の大鳥居がお披露目されました。しかしその日の11時58分、関東大震災が発生。石の鳥居も倒壊してしまいましたが、例大祭で境内に集まっていた大勢の人々には一人の怪我人もなく、無事避難できたそうです。
 その後壊れた鳥居は土留などに使われていましたが、長い年月を経て風化してきたため、2013年(平成25年)に震災モニュメントとして整備されたのだそうです。

春日神社震災モニュメント


春日神社震災モニュメント

 東京に来てみるとなぜだか猫にまつわるものが多い気がしますが、当然といえば当然ですが関東大震災にまつわるものも多いと感じます。そういえば来年は関東大震災から100年。今少し防災意識も高めるようにしたいものです。


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村


猫と巨人 - 代田八幡神社(東京都世田谷区)

 東京に来てから通勤経路に近い神社を探してぽつぽつとお詣りしてきた神社の一つに、代田八幡神社があります。
 東京都世田谷区代田に鎮座、最寄り駅は小田急電鉄小田原線の世田谷代田駅。
 隣駅の梅ヶ丘からすぐの羽根木公園は梅の名所だそうです。2021年2月、梅を目的にこのエリアを訪れていました。

羽根木公園の梅


羽根木公園の梅


羽根木公園の梅
 満開までもう少しといった感じでしたが、とてもきれいな梅林でした。
 そして徒歩で代田八幡神社へ。

代田八幡神社鳥居
 実は環七通りを自動車で走っているとこの鳥居が目に付き、気になっていました。

代田八幡神社鳥居
 正面にももう一つの鳥居が。
 説明板によると、こちらの鳥居は1758年(天明5年)奉納されたもので、世田谷区内では2番目に古く、1654年(承応3年)建立の喜多見氷川神社の鳥居に次ぐものだそうです。1923年(大正12年)の関東大震災で傾き、その修理の時に正面を裏に向けてしまったと伝えられてるのだとか。

代田八幡神社手水舎

代田八幡神社本殿
 1945年(昭和20年)、空襲により社殿、神楽殿、社務所など全てを焼失。1949年(昭和24年)に社殿、1960年(昭和35年)に神楽殿と参集殿が再建されたのだそうです。
 他の神社仏閣でもいろいろ見かけましたが、東京では戦災と震災にまつわるものが多い気がします。

代田八幡神社の「ふくちゃん」
 授与品の中でも目に付くのが、2018年に「ふくもの隊」というグループ?とのコラボで生まれた「代田八幡神社公認の代田限定の縁起物」、福猫のふくちゃん。

代田八幡神社の「ふくちゃん」
「ご祈祷済みにゃす」がカワイイ。

代田八幡神社の「ふくちゃん」
 ということで我が家にもお連れしましたよ。
 以前豪徳寺の招き猫も紹介しましたが、東京は猫にまつわるものも多いような気がします。

代田八幡神社御朱印
 御朱印にもしっかり「ふくちゃん」が。

代田八幡神社のオリジナル御朱印
 ちなみにオリジナル御朱印帳もありました。

 さてこの「代田」という地名、あとから調べてみると、何と伝説の巨人「ダイダラボッチ」に由来するといわれるのだとか(!)
 この日は別方向へ歩いていったため最寄りの世田谷代田駅には寄らなかったのですが、別の日に改めてこの駅を訪れてみました。

世田谷代田駅前広場のダイダラボッチ足跡
 駅前広場には何とそのダイダラボッチの足跡が描かれています。グレーの部分ですが、かなりでかい。もっと上から見ないと分かりにくいですかね?

世田谷代田駅前広場のダイダラボッチ足跡
 親指方向から見た方が、まだ足跡として分かり易いですかね。

「代田とダイダラボッチ」解説
 広場の説明板によれば、かつてこの地の北東部にとても大きな窪地があり、巨人の足跡に見立てて「ダイダラボッチ」と呼ぶようになったのだとか。かの柳田國男の著書『ダイダラ坊の足跡』(1927)でも言及されているそうです。

 ダイダラボッチといえば、富士山を作った時に掘った跡が琵琶湖だとか、手を付いた跡が浜名湖だとか、壮大な民話が各地にあります。恐ろしい怪物というよりは、子供が砂場で穴を掘ったり山を作る光景を連想する、どこかのどかなイメージがあります。
 ダイダラボッチは『もののけ姫』(1997)で知った、という方も多いかも知れませんね。ただあれを見た時は「一般的なダイダラボッチのイメージとはなんか違うな?」と思ったものです。巨人つながりで名前を拝借して創作されたものなんでしょうね。
 ダイダラボッチは昔から民話としてまた伝奇モノやSFとしてもよく見かけてきたので馴染み深く感じますが、特に印象に残っているのは星野之宣先生宗像教授シリーズ第一作「巨人伝説」(1990)。(もののけよりもだいぶ前ですよ!)
 宗像教授シリーズは(オリジナルか元ネタがあるのかは分かりませんが)民俗学的な課題に独創的ながらも魅力的な説を宗像教授が展開する興味深いシリーズですが、その第一作は作中でダイダラボッチが現代に本当に出現してしまうという異色作。まだシリーズ化されるかどうかも分からない段階で描かれた実験作だったんでしょうね。

 ふくちゃんという猫とダイダラボッチという巨人、面白いものに触れることのできるエリアでした(^^)


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ : 御朱印めぐり
ジャンル : 旅行

宮城県仙台市・宮城縣護國神社

 仙台市は2017年(平成29年)、仙台東照宮に出張がてらお詣りさせて頂いた際の記事を掲載しましたが、関西にいるとなかなか訪れる機会がありませんでした。しかし転職で東京に来てからは、年に1回ほどは仕事や旅行で仙台やその先を訪れています。
 伊達政宗公騎馬像でも有名な仙台城(雅称「青葉城」)、その本丸跡に創建された宮城縣護國神社にもお詣りしたいとかねてから思っていましたが、毎回時間などの関係でなかなか行けず、実際にお詣りできたのは2022年4月でした。

宮城縣護國神社鳥居


宮城縣護國神社拝殿


宮城縣護國神社の八重桜
 ちょうど八重桜がきれいでした。

宮城縣護國神社の厄難消除御守ひょうたん
 厄難消除御守ひょうたん。初穂料1500円。
 このひょうたんに氏名、年齢を書いて身体中の悪いものを出すように息を吹き入れ、しっかり蓋を閉じて……

宮城縣護國神社のひょうたん掛所
こちらの「ひょうたん掛所」に吊るして納めるのだそうです。

宮城縣護國神社のおみくじ
 こちらにもひょうたん。初穂料400円のおみくじです。こちらのひょうたんを頂きました。
 ちなみにおみくじは小吉でした(^^;)

宮城縣護國神社御朱印
 頂いた御朱印。この時点ではすべて書き置き対応でした。

 御朱印を頂くため並んでいますと、私の前にいた若い男性、「御城印はありますか?」と……。
 おいおい、御朱印と御城印は根本的にまったく別物なのに何てことを…… (((( ;゚Д゚))) とハラハラしながら見ておりますと、訊かれた巫女さん「それでしたらあちらを下って、出た先を曲がった売店に……」とあくまでにこやかに対応されていました。
 何しろ城址に鎮座する神社ですから、そこらへんごっちゃにする人が出てきてもやむを得ないかとは思うのですが……

浦安宮御朱印
 もう一種類、別宮・浦安宮の御朱印も頂きました。伊達家の家紋・竹に雀紋と、伊達政宗公の兜に輝く三日月があしらわれていてカッコいいですね。
 この御朱印、「奥州仙臺城」とありますのでパッと見は御城印のようにも見えなくもないな……と思っていましたら、ネットで調べているうちに「浦安宮の御朱印は、仙台城址の御城印でもあるそうです」という記載を見つけてしまいました。

 御城印をかねた御朱印……!?

 うーむ……ただし公式HPなどにはあくまでも「御朱印」としか記載されていません。御城印をかねた御朱印、というものはないと思うのですが……。
 「御城印」なども定着するにつれ、いろんな部分で境界があいまいになってきているかも知れません。それもやむを得ないとは思いつつ、複雑な気分。

 さて。
 仙台城(青葉城)といえば、伊達政宗公騎馬像。

修復中の伊達政宗公騎馬像
……しかしこの時は足組が組まれ、修復中でした。2022年3月16日の震度6強の地震で、左に10度ほど傾いてしまったのだそうです。地震では他にも色々な影響があったかと思います。今更ながらお見舞い申し上げます。

修復中の伊達政宗公騎馬像
 上からかろうじて政宗公の兜が……。

伊達政宗公騎馬像
 こちらは2020年11月訪問時の騎馬像。この時はかろうじてここまで行ったものの、位置関係も分からず、時間もなくてお詣りまではできなかったんですね……。

仙台駅では外せないずんだシェイク
 仙台駅に来ると個人的に外せない、ずんだシェイク(^^)
 政宗公騎馬像が復活したら、また訪れたいものです。


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ : 御朱印めぐり
ジャンル : 旅行

ウクライナ語入り御朱印

 すでに各所で報道されて有名になっていますが、埼玉県の上里菅原神社にはウクライナ出身の神職さんがおられ、ウクライナ語入りの御朱印があります。
 実はウクライナ語入りの御朱印というのは以前から知っていたのですが、このご時世になってから行くのはミーハーっぽい感じもしてちょっと気が引けたのですが……。公式HPを見ると、やはりお詣りする人が増えて御朱印に2時間待ちという日も出ているのだとか。これは神職さんも大変でしょうから土日に行くのはやめようと思っていましたが、たまたま平日に休みが取れて埼玉方面に行くことになったので、足を延ばしてお詣りさせて頂くことにしました。

上里菅原神社鳥居


上里菅原神社手水舎
 左右に2頭の龍というのも珍しいかも。

上里菅原神社の梅
 梅の満開は過ぎていましたが、まだ花が残っていました。

上里菅原神社の「子育て三猿」の像
「子育て三猿」の像。足下にはお食い初めの歯固めの石がありました。

上里菅原神社の境内にて


上里菅原神社の境内にて


上里菅原神社拝殿
 拝殿に至る左右の手すり、左には青、右には黄色のリボンが結ばれています。

上里菅原神社社務所
 ウクライナの平和を願って結ばれたものですね。

上里菅原神社の御朱印ラインナップ
 御朱印はウクライナ語と英語が併記された見開き、季節の御朱印、ウクライナ語版の3種類でした。

上里菅原神社近くから見えた富士山
 上里菅原神社から少し走ったところから見えた富士山。この辺りからでも見えるんですね。鉄塔付け根付近の左なのですが、曇り空に白い山頂では、この写真でも分かりにくくなってますが……。

ウクライナ語版御朱印と挟み紙
 頂いたウクライナ語版御朱印(右)。キリル文字による仮名表記は昔かじったことがあるので、直書きいただいたウクライナ語の部分のうち「Су…」はスガワラではないかと想像がついたのですが、それ以外は分かりません。そこでうかがってみると、挟み紙として頂いた左の紙が「訳」になっているとのこと。
 帰宅後に調べてみて、おそらく以下のように書かれているのだと思います。


  Слава Україні!
   ウクライナに栄光あれ!

 Сугавара
  スガワラ(菅原)
 Джінджя
  ジンジャ(神社)

  Сайтама
   サイタマ(埼玉)
  Камісато
   カミサト(上里)


 キリル文字の筆記体は英語とはまた違っていて、調べてみると「m」は英語の「u」、「t」は英語の「m」に似た形になるようです。
 「神社」はGoogle翻訳では「святиня」となるのでどうも違うな? と悩みましたが、筆記体を調べて「ж」(ジェー)が2つあることが分かり、ピンと来て「ジンジャ」をGoogle翻訳にかけると、近いスペルが表示されました。

 なお公式HPにもありますが、御朱印を頂くことがウクライナへの寄付になるという誤った報道がされたそうです。なんでそういう間違った報道がされてしまうんですかねえ?
 御朱印とは別に、ウクライナへの人道支援の寄付を社務所で受け付けておられます。幸い他に待っている人もいなかったので少しだけお話させて頂き、ほんのささやかながら寄付させて頂きました。

      *      *      *

 2022年3月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会でオンライン形式による演説を行いました。それまでアメリカでは真珠湾攻撃に触れ、ドイツでは経済的な結びつきを批判したりしていたのでハラハラして見ていましたが、かなり穏便な内容と感じました。
 演説内容も、そしておそらくは服装も相手国によって考えているあたり、相当に優秀なブレーンがいるのだろうな、と見受けられます(一説によるとアメリカ人の補佐がいるという話も)。
 ロシアによる侵略は100%非難されるべきこととして、一方で外交政策としてウクライナ政府側に落ち度はなかったか、という声もあるにはありますが、現時点で「情報戦争」としてはウクライナ側が優勢のようです。
 むろん「情報戦争」で勝っても国民に多大な犠牲が出ては元も子もない。だから単純に武器や資金を送って戦争を続けさせるだけで良いのか、という声もありますが……ならば降伏してロシアの目的を果たさせるのが良いのか、というとそうわけにもいきません。さらに核戦争の危機まで取り沙汰され、大国どうしが全世界を人質に探り合い、睨み合いを続けているわけで……。
 以前も書きましたように、この情勢下で日本の野党や護憲論者などは重大な危機感を持っているのではないかと思いますが(持ってなきゃもう終わりです)、そうした単純な理想論を批判する与党や改憲論者も、単純な感情論や善悪二元論だけでは方向が違うだけで同じことです。

 つい先日まで、世界では新型コロナへの対策を「戦争」に例えていました。新型コロナに対しては、感染拡大に任せる「降伏」でもなければ非現実的な「ゼロコロナ」でもない、ほどほどのバランスを取る必要があったと思います。
 しかし今や本当の戦争が始まり、日本は昔から振り子が大きく振れ過ぎる、と時々書いてきましたが、今また一つの振り子がすさまじく大きく振れようとしている気がします。この世界情勢下では仕方ないことですが、単純な理想論でも感情論でも善悪二元論でもない、「建て前」と「本音」を直視して認め合った、現実的な議論が必要なところに来ていると感じます。



テーマ : 御朱印めぐり
ジャンル : 旅行

大阪府箕面市・為那都比古神社

 大阪に住んでいた頃、よく通る道沿いに鎮座していた神社の一つです。神社巡りをするようになって、一度お詣りさせて頂こうと初めて立ち寄ったのは、2018年の12月8日でした。

爲那都比古神社鳥居
 社号は「いなつひこじんじゃ」と読むそうです。
 おそらく「いな」は大阪府と兵庫県の境界付近を流れている猪名川と同じ由来かと思われます。かの『日本書紀』には「猪名県」(県は「あがた」、大化の改新以前の地方組織)という地名が見られるそうです。
 社記によると「今を去る1700年以前にあった部族国家「為那国」の中心地で為那国を統括した為那氏族の守護神として祀られたと伝承され」るのだそうです。

爲那都比古神社手水舎


爲那都比古神社拝殿
意外と奥行きのある広い境内。

爲那都比古神社の撫で牛
撫で牛さんも親子です(たぶん)。

八代将軍吉宗奉献社号碑
 この社号碑ですが、解説を読むと……

「徳川八代将軍吉宗ガ寺社奉行大岡越前守忠相ニ命ジテ元文元年ニ奉献ス」

将軍吉宗!? 大岡越前!? これって何気にすごくないですかね!?


爲那都比古神社に奉献された砲弾
 境内にはこのような砲弾が並んでいます。その下の説明によると……

「日露戦役ノ旅順港攻撃ニ使用セルモノヲ陸軍省ヨリ下賜サレ奉献ス」

 日露戦争って、これもまたすごいじゃないですかね!? 「旅順港」なので艦砲かと思いましたが、「陸軍省から下賜された」ということは自走砲とかそういった兵器の砲弾でしょうか。
 第二次大戦中は金属類はお寺の鐘でさえ供出させられたと言いますが、これは免れたということですかね。それもまたその歴史の証人ですね。


爲那都比古神社社務所
 社務所には誰もおられない……ようでしたが、奥の様子をうかがうと奥の方に神職さんがおられ、目があったので頭を下げると出てきてくださり、快く対応くださいました。

爲那都比古神社御朱印
 頂いた御朱印。達筆でらっしゃいます。ネットで見ても、最近の御朱印も基本的に変わっていないようです。今のご時世、こうしたオーソドックスなスタイルもかえって好感が持てますね。

爲那都比古神社の紅葉
 12月でしたが、境内の紅葉がまだまだきれいでした。

 為那都比古神社はかつて祭神を一時的に牛頭天王とし、神社自体も「天王」と称されていた時期があるそうです。というのも、織田信長が一帯の寺社を焼き払おうとした際、信長の信仰する牛頭天王を称することで難を逃れたのだとか。
 皮肉でも何でもなく、そういう逞しさは大好きです。

 全国的にはおそらく知名度は低く、私も実際にお詣りするまでは知らなかったのですが、後から調べますと、初詣などではかなり混みあう、地元に密着した神社のようです。
 おまけにかなり古い創建、将軍吉宗や大岡越前、織田信長、日露戦争と、ここまで歴史の話題が多いのもすごいですね。


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ : 御朱印めぐり
ジャンル : 旅行

東京都大田区・磐井神社

 2021年12月5日。
 所用で品川区を訪れた際、その近くの神社にもお詣りさせて頂こうと、スマフォのマップで見て立ち寄らせて頂きました。

磐井神社鳥居
 第一京浜に面した立派な鳥居。この辺りってもう太田区だったんですね(東京の区割りが実感としてまだ分かってない ^^;)
 磐井神社(いわいじんじゃ)公式HPのご由緒によれば、「『三代実録』によれば貞観元年(859)「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載されています」とのこと。

磐井神社手水舎
 手水舎では水は出ず、代わりに消毒液が置いてありました。

磐井神社拝殿


来年の干支の絵馬も準備済み
 すでに来年の干支の絵馬が設置されています。

磐井神社・参拝記念看板
 その手前の「参拝記念」看板には何か可愛らしいキャラが……。こちらは後から調べるとそれぞれ3匹の子供がいる「子だくさん狛犬」が有名だそうで、おそらくその狛犬のキャラだと思われます。

磐井神社絵馬
 絵馬にも狛犬キャラ。

磐井神社・師走御朱印のご案内
 御朱印は月替わりで、祭典や御祈祷などでお忙しい時以外は直書きして頂けるとのこと。

磐井神社・千代紙御朱印
 他にも書き置きの千代紙御朱印(9月~12月末まで)や……

磐井神社・幸先詣御朱印のご案内
「幸先詣(さいさきもうで)」の御朱印(12月いっぱい、限定300体)など、いろいろあります。

 やはり初めてのところはまずベーシックで、かつ貴重な手書き御朱印をお願いすることにしました。
 お願いした御朱印が仕上がる頃、横から妻が「あの幸先詣御朱印がいい」と言いだしました。
 えっ、と思って後ろを見ると、私の後にすでに2名ほど並んでおられましたので、その後ろに並び直し、改めて頂くことにしました。
 幸先詣御朱印のご案内をよく見ますと、「御朱印・御守りセット」となっています。実は、妻は御守りの方がご希望だったようです(苦笑)。ということで御守りは妻に渡し、御朱印は私の手元に、と相成りました。

磐井神社・12月御朱印
頂いた12月御朱印。とても縁起がいいです。

磐井神社・12月御朱印
もう一枚の12月御朱印。「狛犬」キャラが可愛いですね。

磐井神社・幸先詣限定御朱印
そして幸先詣御朱印。豪華な見開き御朱印と御守りとのセットで初穂料1000円というのは「お得」(?)ですね。

 近年はいろんな季節にいろんな〇○詣がうたわれていますが、「幸先よく新年を迎えるよう正月よりも前倒しで年末にお詣りする」という「幸先詣」、Wikipediaなどによると、新型コロナ対策として2021年正月の初詣の混雑を回避すべく、2020年末に分散参拝するよう提唱したものだとか。
 こちらの記事には幸先詣が「誕生」と書いてますけど、昔から、この1年無事に過ごせたことを感謝して年末にお詣りするというのも聞いたことがあります。新しく生み出したというよりは、そうした古くからの慣習に新たに名前を付けたということなんでしょうね。
 新型コロナの問題とは別に、日本では初詣だけでなく大型連休やお盆など、特定の時期に誰もかれもが一斉に集中してしまうことがよくあります。気持ちは分かるけど、毎年のゴールデンウイークの無茶苦茶な渋滞など、そこまで集中しなくとも、と思っていましたが……過度な集中を分散させるきっかけとなるのであれば、新型コロナ禍にもごくわずかでも「災い転じて福と成す」側面があったといえるかも知れません。


にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

テーマ : 御朱印めぐり
ジャンル : 旅行

プロフィール

へろん

Author:へろん
へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

カウンター
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
ぺそぎん メモ帳
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR