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靖國神社・遊就館の “特攻”兵器

 8月15日、「終戦の日」。
 この季節だからというわけではありませんが、境内で見たい絵画展が開催されていたため、7月下旬に靖国神社にお詣りしてきました。靖国神社については御朱印テーマで別記事にて紹介させていただくとして、今回は境内の「遊就館」で見学した内容です。
 「戦没船艦、鉛筆画の遺影 靖国神社などで作品展」という記事で紹介されていましたが、大阪の「鉛筆艦船画家」菅野泰紀さんによる、鉛筆一本で描き出された艦船画。撮影・SNS掲載OKということでした。

菅野泰紀氏作品展


「憧憬-われは海の子-戦艦 長門 2588」
作品名「憧憬-われは海の子-戦艦 長門 2588」

「わだつみの駿馬-戦艦 霧島 2602」
作品名「わだつみの駿馬-戦艦 霧島 2602」

「地中海遠征-一等巡洋艦 出雲 2577」
作品名「地中海遠征-一等巡洋艦 出雲 2577」

 さてこの遊就館、大きな神社によくある宝物館的な意味合いからスタートしたようですが、現在は近代日本の戦史博物館のような感じになっています。
 展示の大半は撮影禁止ですが、最後の「大展示室」は撮影可。展示されているのは主に第二次世界大戦の頃の兵器類。

九七式中戦車


“人間魚雷”回天


《彗星》と《桜花》
 機首が特徴的な艦上攻撃機《彗星》は空母のプラモデルに並べた思い出があります。展示されているのは1972年(昭和47年)にカロリン諸島ヤップ島で発見、復元された機体だそうです。
 その上にある小さな白い機体(こちらは模型)……

桜花模型
 《桜花》というロケット搭載の一人乗り小型機で、一式陸攻という大型機の下にコバンザメのように搭載され、敵艦にできるだけ接近して切り離されると、操縦者はロケットを噴射して一直線に敵艦へ突入……つまり操縦者はまず助からない「自殺兵器」です。
 《桜花》といえば、松本零士先生の漫画『音速雷撃隊』が思い出されます。週刊少年サンデーに1974年掲載されたもので、アニメ化もされているようですがそちらは観ていません。以下は昔読んだ漫画から、セリフもほぼそのまま書いています。

      *      *      *

 《桜花》で出撃する、すなわち戦死することが決定づけられている若い主人公は、ロケット技師の卵でした。出撃の前日、彼は月を見上げて言います。

「せめて、あと三十年生かしてくれたら……俺はあの月までロケットを打ち上げてみせる。それが俺の夢だった……。
 二十年でもいい。それだけあれば、必ず人間の役に立つことをしてみせたのに……」


 基地のそばでは、涙を流しながら琴を奏でる若い女性。主人公の彼女か何かだと推察されますが、そこは一切描かれません。
 基地上官もつぶやきます。

「この戦争で死んだ世界中の若いのがあと三十年生きていたら……みんないろんなことをやったろうになあ。せっかく生まれてきたのに……」

 一方、米軍でもやはり戦死者を悼む言葉が交わされていました。

「ロバートも死んだのか?」
「ロバートはディズニーの向こうをはる大漫画家になると言ってたのになあ……」
「あいつは天才だった。あと三十年生かしといたら、ディズニーを失業させたかも知れんなあ」


 米軍は撮影した日本機の写真を分析し、敵機が《桜花》を搭載していたことを知ります。これが「自殺兵器」であることをすでに知っている彼らは、その行為を「きちがいめ!」とののしります。

 翌日。主人公を乗せた一式陸攻を含む編隊が、再び米艦隊を襲います。
 空中戦の末、自らを犠牲にしつつも、一式陸攻は《桜花》を分離。主人公はロケットを噴射して米空母を目指します。
 そして主人公の乗る《桜花》が艦体を直撃。
 爆風で倒れる艦長のもとに、主人公が持っていた(たぶん)彼女の写真が舞い落ちます。その写真を一瞥した艦長(なぜそれが《桜花》パイロットの物だと分かったのか、は置いといて)、

「琴を背にした女の写真!? きちがいめ……!」
「艦長! 今、広島へB-29が原爆を投下したそうです」
「……俺たちも、きちがいか……敵も味方も、みんなきちがいだ……」


 そして爆沈する空母……。

      *      *      *

「あと30年生きていたら」というこの言葉。しかもそれは敵も味方も同じ。
 最後の「敵も味方も、みんなきちがいだ」という言葉。
 戦争というものの問題点、愚かさを見事に描かれていると感じます。

(ところで「きちがい」って不適切用語らしいですが、作中表現のままです。第一、ここでの用法が不適切だと思います? なんて言い換えします?)

 ただ、どこで読んだか失念してしまいましたが、松本零士先生は《桜花》を描いたことを後悔されていたそうです。その真意は分かりませんが……もしかしたら、必要以上に美化してしまうように取られるから、ではないでしょうか……?

 遊就館展示物の一つに「挺進爆雷艇〇レ」(〇の中にレ)の説明がありました。以下はその解説パンフの図ですが……

挺進爆雷艇

 爆雷を積んだモーターボートで敵艦に突っ込むという《桜花》と同じ「自殺兵器」で、海軍の《震洋》の陸軍版のようです。この図を見ると、起爆スイッチが艇首にあり、爆雷は操縦者のすぐ後ろ、背負っていると言っていい位置にあります。
 解説パンフには「青春のすべてを擲って鬼神のごとき攻撃を敢行し、再び帰らざるもの1636名の多きに及んだ。陸軍海上挺進戦隊の業績は、その家族と国を憂う純粋な心とともに、永く青史にとどめなければならない」とありますが……

 敵艦への突入は自らの手で起爆スイッチを入れることであり、頭のすぐ後ろにある爆雷が爆発するという状況、ちょっと想像してみて頂きたい。単純に「敢行」とか「業績」といった言葉で「称賛」していいのでしょうか。一方で他に選択肢のなかった状況であり、安易に「自殺行為」と「批判」するのもよろしくない。個人レベルでは「称賛」も「批判」も適切ではないのでは、と感じられます。

 一方で、“特攻”を拒否したり、「逃げた」という人の話も伝わっています。例えば対談マンガ「絶望に効くクスリ -ONE ON ONE-」(山田玲司、2005)では、著者の山田玲司氏と絵本作家の五味太郎氏との対談で、こんな箇所があります。

五味:「あの戦争で“特攻隊”って……逃げた人がいっぱいいるんだよ。ガソリンを何ガロンか積んでおいて、雲間に隠れて、八重山諸島あたりで終戦までじーっと待ってたんだ」
山田:「ある意味、勇気ある『個人』ですね!」


 “特攻”で亡くなった人も生き延びた人も、極めて限られた選択肢の中で、それぞれ様々な考えや事情のもと下した決断の結果であることは間違いありません。どちらが良い悪いはもちろんない。どちらの選択も同等の重みを持って尊重されるべきものであり、また個々人の様々な事情を考えれば、十把一絡げに論じるものでもありません。
 個人レベルではそうですが、社会レベルでは、かくも残虐な死を個人に「選ばせる」に至った原因、責任、繰り返さないための総括、反省は必要でしょう。しかしながらこのような問題となると、得てして「個人」を英雄視することにより、「社会」は逃げてきたように思われます。
 日本人はなぜか「個人」と「社会」を区別することが苦手のようです(不祥事を起こした社員がいたら全社員が悪い、のような)。しかし「個人の選択」と「社会の責任」を区別したうえで「社会の責任」に向き合わない限り、日本は先へ進めないのではないか、そんな気がしています。

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テーマ : 歴史認識
ジャンル : 政治・経済

祝・《はやぶさ2》地球帰還

へろんです。
2020年12月6日、小惑星探査機《はやぶさ2》から分離されたカプセルが午前4時47分頃(日本時間)にオーストラリアの砂漠で確認されました。
報道によれば、《はやぶさ2》は5日午後2時半に高度22万キロでカプセルを分離。午前2時28分頃にカプセルは大気圏に突入し、オーストラリア上空では火球が観測されたそうです。
何かと暗い世の中で久々の明るいニュースです。

《はやぶさ2》模型
《はやぶさ2》模型。岐阜かがみがはら航空宇宙博物館、2019年5月2日撮影。

《はやぶさ2》は2014年12月3日、H-IIAロケット26号機に搭載され、種子島宇宙センターより打ち上げられました。

H-ⅡA 204型ロケット1/10スケール模型
H-ⅡA 204型ロケット1/10スケール模型。岐阜市科学館、2019年6月30日撮影。

2018年6月には小惑星リュウグウ近傍に到着し、2019年2月22日に第1回目の着陸成功。各種活動の後、2019年11月にリュウグウから離脱しました。
そして2020年12月、6年ぶりに地球へと帰ってきたのです。

ところで行きは3年半もかかって帰りは1年って? って思いますよね。
理由としては、

①地球とリュウグウの位置関係(ともに公転しているので、互いの位置と距離は変わっていく)
②最初の1年は太陽の周りをぐるっと回っていったん地球に近づき、地球の引力を利用して加速するスイングバイに費やした(燃料が大幅に節約できる)
③リュウグウ接近には同じスピードに減速調整するのに時間がかかるが、地球にはカプセル分離だけなのでそこまで厳密な調整は必要ない

といったことが挙げられるそうです。

      *      *      *

2010年6月に地球に帰還、探査機ごと大気圏に突入して燃え尽きた初代《はやぶさ》の時に比べて、どうでしょう? 最近はTVをほとんど観なくなってしまっていますので定かではないですが、あの時と同じように盛り上がってほしいものです。

《はやぶさ2》は初代《はやぶさ》に比べれば比較的順調な行程でしたが、初代《はやぶさ》の場合はトラブル続きで行方不明にまでなってしまったにも関わらず、それを乗り越えてミッションを成功させたところ、何となく日本人の「判官びいき」(ちょっと用法が違う?)的な部分で盛り上がったのかも知れません。
また初代《はやぶさ》は大気圏で燃え尽きましたが、《はやぶさ2》はカプセル分離後、11年かけて小惑星1998KY26へと次のミッションへのスタートを切っています。初代《はやぶさ》だけで盛り上がるのであれば、なんかこう自己犠牲を美談と捉えてしまう日本人の悪癖に通じるような気もします。
どうも日本人は苦労するやつほどエライ、みたいな感じがあって、トラブルなく進んでしまうと軽んじてしまう傾向があるような気がします。

初代《はやぶさ》(と携わった人々)は確かに偉い。素晴らしい。
「はじめて」の記録、実績を打ち立てたものに対しては、どれほどの称賛が送られても多過ぎるということはない。
初代《はやぶさ》が偉いのは、むろんトラブルがあったからでも燃え尽きたからでもない。
初代《はやぶさ》の成果があったからこそ《はやぶさ2》の成功があったわけで、初代《はやぶさ》最大の偉業は《はやぶさ2》を成功へと導いたことでしょう。
そして大きなトラブルなく《はやぶさ2》が無事帰還したことについても、同じだけの称賛が送られるべきでしょう。

初代《はやぶさ》で有名なエピソードの一つ、2010年6月13日に地球への大気圏再突入をする直前、最後のミッションとして地球を撮影しています。数枚撮影されたうち、地球が写っていたのは最後の1枚だけ。しかも写真の下部が欠けており、それは写真を送信中に大気圏突入で通信途絶となったためでした。

《はやぶさ》最後の写真のクリアフォルダ
《はやぶさ》最後の写真のクリアフォルダ。

こういうエピソードはやはりマスメディアの取り上げ方が大きいでしょうね。こういうエピソードも交えつつ、《はやぶさ2》無事帰還を称賛し、盛り上がっていってほしいものです。


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山梨の「ヨゲンノトリ」

へろんです。
2020年9月に山梨県へ出かけた際、山梨では「ヨゲンノトリ」というものが話題になっているという情報を見かけました。

山梨県広報誌「ふれあい」第65号表紙
山梨県広報誌「ふれあい」第65号表紙に掲載された「ヨゲンノトリ」。

1858年(安政5年)に長崎でコレラが発生し、7月には江戸にも到達、さらには甲斐国(山梨県)でも感染が拡大していったそうです。
喜左衛門(きざえもん)という名主が記した「暴瀉病流行日記(ぼうしゃびょうりゅうこうにっき)」にはこの病気の甲斐国での流行の様子が記録されていますが、8月初頭の記述の中に、この頭が2つある不思議な鳥の絵が描かれているそうです。絵に付された説明によると……

      *      *      *

如図なる烏、去年十二月、加賀国白山ニあらわれ出て、申て云、今午年八・九月の比、世の人九分通死ル難有、依テ我等か姿ヲ朝夕共ニ仰、信心者ハかならず其難の(が)るべしと云々

(現代語訳:図のような烏が、去年の12月に加賀国(現在の石川県)に現れて言うことには、「来年の8月・9月のころ、世の中の人が9割方死ぬという難が起こる。それについて、我らの姿を朝夕に仰ぎ、信心するものは必ずその難を逃れることができるであろう」。)

(以上、山梨県立博物館ヨゲンノトリコーナーのページより引用)

      *      *      *

おお、なんだか最近流行のアマビエとよく似た話ですね。
この鳥の話で特徴的なのは本当に疫病が流行したこと(とはいっても流行した後から書かれたことではありますが……)、一方でこの鳥については「暴瀉病流行日記」の一ヶ所にあるのみで、他には一切の記録がないことです。
ですから「ほんとか!?」と言われれば「まぁまぁそこは……」ですし、「ヨゲンノトリ」という何だかひねりもないなあ、という名前は、実は山梨県立博物館で付けた名前なのだそうです。
たとえそうであっても、こうした逸話というか伝説というかが後世まで残り、新たな疫病が発生した時代に再び注目される、というのも面白いものです。

この鳥、「頭が2つある」と言われているのですが、最初に見た時は失礼ながら「2羽の鳥が重なって見えてるだけじゃないの!?」と思ってしまったことは白状します(^^;)

博物館受付のヨゲンノトリ
山梨県立博物館の受付に飾られていたヨゲンノトリ。
やっぱり2羽が重なっているだけ、に見えないこともない……。

ヨゲンノトリコーナー
山梨県立博物館のヨゲンノトリコーナー。
このエリアは写真撮影OKでした。

ヨゲンノトリコーナーの御朱印など
ヨゲンノトリコーナーの御朱印など。

ヨゲンノトリグッズいろいろ
ヨゲンノトリグッズいろいろ。

山梨県立博物館(正面玄関閉鎖中)
この時、山梨県立博物館は新型コロナ対策で正面玄関は閉鎖中、横の通用門から入館して検温や住所氏名などを記録していました。

大月市観光案内所
さてこの後、JR大月駅前の大月市観光案内所にも寄ったのですが。

大月市観光案内所のヨゲンノトリ
いました、ヨゲンノトリ。うかがってみると、近くの方が個人で作製され、近々山梨県立博物館に寄贈される予定なんだとか。おそらくヨゲンノトリコーナーに一緒に展示されることになるんでしょうね。

大月市観光案内所のヨゲンノトリ
おお、このヨゲンノトリはまさしく頭が2つ!
これを見た瞬間、脳裏にはワーグナーの「双頭の鷲の旗のもとに」が鳴り渡っていました(笑)

岩殿城跡御城印
観光案内所で見つけた、岩殿城跡の御城印。ヨゲンノトリの姿があったので買ってしまいました。
岩殿城は武田氏の家臣だった小山田氏の居城で、1582年(天正10年)、織田・徳川連合軍が武田領に侵攻した際に武田勝頼がここ岩殿城に向かったものの、小山田信茂の離反で武田勝頼は自害。かの武田家は滅亡へ……。
うーん、戦国時代にはありがちとはいえ、ちょっとなぁ……。

御城印に付属の領主肖像
御城印に付属していた、領主・小山田佐兵衛尉信茂の肖像。
御城印ってあまり手は出していませんが、あくまでも神社仏閣の御朱印とはまったくの別ものとして、土産物、記念品としては良いものだと思います。明確に区別した上で、たまに買っていますが、こうした「おまけ」があるのも良い点ですね。

      *      *      *

さて。
この秋は新型コロナに加えてインフルエンザも、とか何とか相変わらず世間の恐怖を煽るだけの専門家やマスコミが跳梁跋扈しているようです。むろん絶対こう、ということは専門家も含め誰も言えませんが、個人的には両方のウイルスがある状態でどちらかが例年程度に流行ることはあっても、それ以上はひどくならないだろう、と考えています。
(免疫的交差というものがあって、一つのウイルスが流行すると、別のウイルスが終息する。例えば例年、秋にはRSウイルスが流行するが、これが減ってきてからインフルエンザが流行する)
絶対こう、とは言えないにしても、過度に恐れるでもなく油断しすぎるでもなく、世の中ほどほどのバランスで乗り切っていきたいものです。「アマビエ」や「ヨゲンノトリ」もそのバランスを取るための拠り所の一助になれば、本人(?)たちも喜ぶのではないでしょうか。


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岐阜県大垣市・金生山化石館

へろんです。
岐阜旅行に行った際、行ってみたかった博物館の一つが金生山化石館
岐阜行きを決めてから調べて初めて知った施設で、旅行誌などにはあまり紹介されていませんが、博物館好きとしてはこういう施設こそ特徴的な面白さがあることも多く、期待してしまいます。

カーナビに化石館の住所を入れて向かったのですが……県道216号線から右折の指示で曲がってみると、なんだこの狭い道は!! 一方通行でもないのに、車一台がやっと通れるほどの道幅で、すれ違いなどまったく不可能。しかも軽自動車がパワー不足を感じるほどの急勾配。万が一対向車が来たらいったいどうすれば……。
たぶん数十メートルの短い道とはいえ、冷や汗をかきながら登ると、やや開けて神社がありました。その右手をさらに登っていきます。
やっとたどり着いた高台には駐車場があり、そこへ車を停めました。

金生山化石館前駐車場からの景色
化石館前の駐車場からは良い景色が望めます。

金生山化石館
金生山化石館はもともと1964年に金生山の山腹に建設され、1985年に現在地に新築移転しており、化石など約200種8000点以上を収蔵、約100種600点を常設展示しているそうです。
ちなみに「金生山」は正式名称「かなぶやま」、通称としては「きんしょうざん」なのだとか。

ここからは古生代ペルム紀(だいたい2億9900万年から2億5000万年ほど前。最初期の恐竜が誕生したころで、恐竜の繁栄はこれより後の時代)のサンゴや貝類の化石が豊富に産出し、「日本の古生物学発祥の地」「古生物のメッカ」として知られるそうですが、なかでも有名なのが「シカマイア」

史上最大の二枚貝 Shikamaia akasakaensis
1968年(昭和43年)に金生山より発見された時には動物か植物かも分からない所属不明の生物として記載されましたが、1980年代に史上最大の二枚貝 Shikamaia akasakaensis として認められたそうです。
属名(学名の前部分)は古生物学者の鹿間時夫博士(1912~1978)、種小名(学名の後ろ部分)は発見地の赤坂にちなむそうです。

史上最大の二枚貝 Shikamaia akasakaensis
独特の流線型をしており、その長さは120センチメートル。確かにでかい。
二枚貝といっても、現代の我々が知る種類とはだいぶ異なっているようです。

史上最大の二枚貝 Shikamaia akasakaensis
実際の化石の一部。
「~」の形になっている化石が、船形のシカマイアの中央部分(赤くなっているところ)だそうです。
巨大貝といっても化石ではバラバラになったり変形しているわけで、こうした断片から復元するのは大変な作業なのでしょうね。

金生山化石館のジオラマ
こういうジオラマも展示されていたのですが……

ボタンの文字が……読めません
たぶん赤いボタンは「ウミユリ」、白いボタンは「サンゴ」、後は……読めません(^^;)

金生山から産出するオウムガイ Coelogasteroceras giganteum
アンモナイトやオウムガイも産出するそうで、Coelogasteroceras giganteum と名付けられたオウムガイはその種小名の通り、古生代のものとしては大型なのだそうです。

金生山から産出する、突起のあるオウムガイ
オウムガイの中にもこうした突起のある種類があり、金生山でも数個だけ見つかっているものの、正確には同定されていないそうです。

金生山化石館の化石展示
この他にもフズリナやウミユリや、古生代の化石がほぼ網羅されているようで、ハイレベルな展示でした。

博物館を出る時に、行きに登ってきた道とは反対側に抜けられないか化石館の方に訊いてみたのですが、反対側はどんどん山の上に登っていくだけなのだとか。ただし、登ってきた道の途中、あの神社のあたりに横へそれる道があり、そちらだとあの狭い道を通らなくても済むとのこと!
うかがった通りに行くと、ずっと楽に山を下りることが出来ました。

金生山化石館へのルート
ものすごくラフな図ですが、大体こういう感じかと。
行きはカーナビの言うがままに「狭い急勾配の道」を登りましたが(勝手にXをつけて申し訳ございません。通れないわけではありませんが、車ではお勧めできないという意味です。徒歩なら問題ないと思います)、金生山産業道路側から回れば比較的楽に化石館へと行けます。

場所的にもちょっと不利かと思いますが、せっかくの「古生物のメッカ」、知名度が上がって人気になってほしいものです。


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科学博物館
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写真展「放散虫」

へろんです。
2019年8月15日、実はさる所用があって東京にいました。所用は午前中で終了し、浜松町で昼食を摂った後、駅でふと目に留まったチラシ。

写真展「放散虫」チラシ

おお、放散虫の写真展!? しかも入場無料♪ 場所は……六本木? ってよく聞くけどどこ? ふむ、地下鉄で3駅だと近いではないですか。
予約していた新幹線の時間までまだだいぶ時間があったので、行ってみることにしました。

以前、東北大学理学部自然史標本館の紹介記事でも書きましたが、放散虫はごくごく小さな原生生物ですが、その形の多様さ、面白さから注目される生き物です。

放散虫模型
東北大学理学部自然史標本館で展示されている、放散虫の拡大模型

写真展「放散虫」入口
夏休み特別イベント【生物がつくる形のふしぎ】 写真展「放散虫」~ 小さな ふしぎな 生き物の 形 ~は六本木のFUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)で、2019年8月9日から22日まで開催されています。

階段にも放散虫が
振り返ると階段にも放散虫が。

写真展「放散虫」入口
FUJIFILM SQUAREの中は撮影不可が多いようですが、この写真展の様子は、撮影及びネット掲載OKということでした。

写真展「放散虫」
この不思議なまでの多様性は引き込まれます。

写真展「放散虫」
新潟大学理学部の松岡篤教授の調査によると、放散虫をテーマにした写真展は世界初なのだとか!

写真展「放散虫」トークイベント
ちょうどトークイベントが開催されていました。マイクを持っておられるのは放散虫造形作家・横山隼氏。左も専門家の先生だそうです。

放散虫拡大模型
横山隼氏の作成された放散虫模型。

写真展「放散虫」トークイベント
トークイベントも大勢の人で盛況でした。

Crococapsa sp.
Crococapsa sp.
クロコカブサの仲間。なんかファンタジーの舞台に出てきそうな不思議な形です。

Mirifusus dianae
Mirifusus dianae
段ボールの断面のような構造は「トラス構造」という軽くて丈夫な形だそうです。目に見えないような微小な生き物にそういう構造があるというのも不思議なものです。

Hexastylus sp.
Hexastylus sp.
「Hexa」は6という意味ですが、8方向に角が生えています。Hexastylus属の中の別種なのか、同じ種類の中でも角の数に多様性があるのでしょうか?

硫酸ストロンチウムの殻を持つ放散虫
放散虫の殻はガラス質の他に、硫酸ストロンチウムの骨格を持つものもいるのだとか。死ぬとすぐに溶けてしまうため、化石としては残らないそうです。

写真絵本「ほうさんちゅう ちいさな ふしぎな 生きものの かたち」
会場で写真絵本「ほうさんちゅう ちいさな ふしぎな 生きものの かたち」が販売されていたのですが……

pantanellium sp.のフィギュア
会場限定の放散虫フィギュア付き! ということでかなり迷いましたが、買おうとすると……
よく見ますと絵本は1500円、フィギュア付きは2500円でした。でもせっかくだから、とフィギュア付きにしました(^^;)


フィギュアはpantanellium sp.。パンタネリウム属を調べてみますと、三畳紀から白亜紀の化石が見つかる絶滅種のようです。

帰宅してからよく見ますと、絵本の裏表紙には「定価1400円+税」とありました。
1400×1.08=1512円。
会場特価で12円お得のようですね?

なお後から調べますと、本写真展は9月13日~19日には「富士フイルムフォトサロン 大阪」でも開催されるそうです。
あっ、それなら大阪で見られたかも……とは思いましたが、新幹線に乗るまでの時間を有意義に使うことができました。


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岐阜市・名和昆虫博物館

へろんです。
2019年GW岐阜旅行の最後に立ち寄ったのが、名和昆虫博物館

名和昆虫博物館
1919年(大正8年)に開館、現存する昆虫博物館としては日本最古です。

名和昆虫博物館
博物館の建物は開館当初からのもので、岐阜県第1号としての登録有形文化財、岐阜市の都市景観重要建築物に指定されているそうです。
右の柱の看板には「昆蟲博物館」とあります。もしかするとこれも開館当初からの看板かも知れませんね。

岐阜といえばギフチョウ
岐阜といえばギフチョウ。そのものずばり、岐阜蝶です。
本州だけに生息する日本固有種で、私がギフチョウに初めて出会ったのは、1980年代後半、鳥取市の久松山(きゅうしょうざん)でした。

ギフチョウ解説
初代館長・名和靖(1857~1926)が1883年(明治16年)に岐阜県郡上郡祖師野村(現・下呂市金山町祖師野)で初めて採集。一般に名和靖がギフチョウの発見者であり命名者、とされていますが、博物館の展示によると、新種と同定される前から誰ともなく「岐阜蝶」と呼び始め、「その名を取り入れ使うようになった」とあります。
またWikipediaの名和靖のページには、江戸時代の昆虫図録に「錦蝶」という名前でギフチョウの絵が記載されていることから、発見者ではなく「再発見者」とする意見もあるようです。

採集されたギフチョウは東京大学の石川千代松(1860~1935)に送られ、新種と同定。イギリス人博物学者プライヤー(Henry James Stovin Pryer)は北海道から本州中部の他に海外にも生息するヒメギフチョウLuehdorfia puziloi と同定しましたが、1889年にイギリス人昆虫学者リーチ(John Henry Leech)によりギフチョウLuehdorfia japonica と訂正、新種として確立されたそうです。

明治26年に岐阜市で採集された標本
1893年(明治26年)、即ち126年前に岐阜市で採集された標本。

明治時代、新聞紙で折った三角紙
採集した蝶を入れておく三角紙は、現代ではパラフィン紙で出来ていますが、当時はこういう新聞紙も使われていたんですかね。折り方が今と変わらないのが驚きです。

名和昆虫博物館の展示


名和昆虫博物館の展示


モーレンカンプオオカブトの個体変異
蝶の他にもトンボや甲虫なども展示されています。
ちなみに上の写真はボルネオ島のモーレンカンプオオカブトChalcosoma moellenkanpi の個体変異。3本角で有名な大型カブトムシですが、角が大きな個体から小さな個体までいろいろいます。

ゴライアストリバネアゲハ
ゴライアストリバネアゲハOrnithoptera goliath のセラム島亜種。緑色に光るのはオスで、メスは地味ですが世界最大の蝶の一つに数えられます。

蛾はどれでしょう?
よく紹介される話で、この中に一種類だけ蛾がいますがどれでしょう? というやつ。

最も美しい鱗翅目ニシキオオツバメガ
右の下から二段目にいる6頭、これがです。上段の3頭が表面、下段の上下が反対になっている3頭が裏面です。
このニシキオオツバメガChrysiridia rhipheus はマダガスカル島固有の蛾で、世界で最も美しい鱗翅目(りんしもく、蝶と蛾を合わせたグループ名)と称されます。
一般的に蝶は美しく蛾は地味、みたいな偏見がありますが、蝶と蛾に明確な境界線はなく、鱗翅目というつながった一つのグループです。

名和昆虫博物館の展示
展示方法もなかなか凝ってます。

青く輝くモルフォチョウ
主に南米に生息し、青い金属光沢に輝くモルフォチョウの仲間。
昔はこうした蝶の翅を大量に使った絵などを見かけましたが、今では無理でしょうね。

後翅が輝くブルキシタアゲハ
この蝶を見た瞬間は「えっ、左右で翅の色が違う!?」と思ったのですが……

後翅が輝くブルキシタアゲハ
真正面から見ると、左右同じ黄色の後翅です。

後翅が輝くブルキシタアゲハ
インドネシアのブル島にのみ生息するこのブルキシタアゲハTroides prattorum は、斜めから見ると後翅の黄色い部分が真珠色に輝く、非常に珍しい蝶です。

名和昆虫博物館の展示


名和昆虫博物館の展示


名和昆虫博物館の展示


奈良県唐招提寺で使用されていたヒノキ材
この柱を含む3本の円柱は、奈良県の唐招提寺で使用されていた1200年以上前のヒノキ材で、ヤマトシロアリの被害による修理で取り換えられ、廃材となったものを防虫して再利用したものだそうです。シロアリ被害の重要な研究材料という意味合いのようですね。

その昔、昆虫にハマったことのある身にはお馴染みの種類も多数いましたが、ブルキシタアゲハのようにはじめての種類にもお目にかかることができました。
昔ホームページにこんな文章を載せたことがあるのですが、今でもこうした博物館にたくさんの子供たちが訪れているのを見ると、まだまだ未来にも希望はありそうな気がしますね。


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岐阜かがみがはら航空宇宙博物館

へろんです。
前回の更新で、御朱印ブームの前から四国お遍路さんの納経帳を盗むなどというとんでもない輩がいたという話題に触れましたが、現代のブーム下でも他人の御朱印帳を持ち去るという事件が発生していると記事になっていました。記事の通りならあまりにひどい話ですね。

記事の通りなら、そんなことした犯人にもバチが総出で当たりまくらにゃウソでっせ
o(*≧д≦)o″


       *      *      *

さて。
2019年GWの岐阜旅行でアクア・トトぎふの他に行きたかったのが、岐阜かがみがはら航空宇宙博物館、愛称「空宙博」(そらはく)。
これは「博物館」カテゴリにも「乗り物」カテゴリにも入りそうですが、一つの記事にカテゴリが一つしか指定できないので、とりあえず「博物館」カテゴリへ(このブログで一つの記事に複数のカテゴリを指定するっていろいろ試して出来なかったんですが、やっぱりダメですかね?)。

岐阜かがみがはら航空宇宙博物館
博物館に向かう途中でも、屋外展示されている飛行機が並んでいます。

川﨑V-107A ヘリコプター
川﨑V-107A ヘリコプター。
なぜか飛行機の中でもヘリコプターが好き。これ、小さい頃にミニカーで持ってました。「バートル」という名前だったと記憶していたのですが、説明を読むと、ボーイング・バートル社が開発した機体を、ライセンス契約に基づいて川崎航空機工業(現・川崎重工業)が国産化したものだそうです。この機体は沖縄で救援機として活躍していたそうです。

空宙博の屋外展示
屋外展示の機体は、数年~10年おきに塗り直ししているのだとか。

《ライトフライヤー》実物大模型
飛行機といえば、たぶんまずはこれでしょう。
1903年、ライト兄弟が世界で初めて人が乗った動力飛行に成功した《ライトフライヤー》の実物大模型。

陸軍乙式一型偵察機(サルムソン2A2)実物大模型
各務原で最初に量産された飛行機、陸軍乙式一型偵察機(サルムソン2A2)のレプリカ。1922年に1号機が初飛行、1927年までに300機が生産されたそうです。「地域活性化に役立つ近代化産業遺産」の認定証も展示されていました。

丸二式重爆撃機(キ20)
日本の航空機産業を支えた各務ヶ原飛行場では60種以上の航空機が初飛行を行い、うち10機の模型が展示されていました。
その一つがこの見るからに大きな「丸二式重爆撃機(キ20)」
最初に見た時、《ギガント》か!? と思いました(笑)。
1930年(昭和6年)に各務原で初飛行した、戦前の日本航空史上最大の国産機。完成までに時間がかかり過ぎて時代遅れとなり、6機で製造が打ち切られたのだとか。たとえ6機でも製造されていたことに驚きました。

海軍十二試艦上戦闘機「零戦」試作機実物大模型
海軍十二試艦上戦闘機「零戦」試作機(三菱A6M1)の実物大模型。いわゆる「ゼロ戦」ですね。1939年(昭和14年)に各務原で初飛行を行い、翌1940年に制式採用。1945年までに1万機以上が生産され、日本の飛行機としては最多だそうです。

空宙博の屋内展示
体育館のように広い展示場にも飛行機がずらりと。

UF-XS実験飛行艇
よく目立っていた飛行艇は、防衛庁技術研究本部と新明和工業によるUF-XS実験飛行艇。日本初のコンピュータによる自動飛行安定装置を搭載していたそうです。

ロッキード/三菱F-104J要撃戦闘機
ロッキード/三菱F-104J要撃戦闘機。
最も速く、最も高く飛べる超音速戦闘機としてアメリカで開発され、三菱重工業が1961~1967年に230機をライセンス生産。前部胴体と尾部が各務原で製造されたそうです。
その昔、特撮映画に登場する戦闘機は大体こんなスタイルだったような記憶があります(^^)

低騒音STOL実験機《飛鳥》
もう一つ独特のスタイルで目立っていたのが、低騒音STOL実験機《飛鳥》。

低騒音STOL実験機《飛鳥》
ターボファンエンジンが主翼の上にあるのが特徴的ですが、このエンジンの排気をフラップに沿って下向きに曲げ、強い揚力を発生させることでSTOL(短距離離着陸)を目指したものだそうです。1985年から3年半ほど、岐阜飛行場で飛行実験を行ったそうです。

展示は大きく「航空エリア」と「宇宙エリア」に分かれ、宇宙エリアの宇宙開発関連の展示も充実していました。

《H-Ⅱ》ロケットのフェアリング
日本の人工衛星打ち上げ用液体燃料ロケットとしては初めて主要技術の全てが国内開発された《H-Ⅱ》ロケットのフェアリング(先端カバー)。内側にあるのは軌道再突入実験機《りゅうせい》とロケット性能確認用ペイロード(実験観測機)《みょうじょう》の実物大模型。

火星探査機《オポテュニティ》
火星探査機《オポテュニティ》
2004年1月に火星に着陸、当初は短時間しか活動できないと思われていたにも関わらず、2019年2月まで15年も活動。火星で活動した探査車の最長記録を打ち立てました。

火星探査機《キュリオシティ》
こちらは記憶に新しい、2012年に火星に着陸した《キュリオシティ》。

《はやぶさ2》模型
日本が世界に誇るべきはやはり《はやぶさ》とこの《はやぶさ2》ですね。

日本人宇宙飛行士の紹介
日本人宇宙飛行士を紹介する時、民間がやったことだからということなのか、秋山豊寛氏を無視することがありましたが、ちゃんと秋山氏を同格に紹介しているところは好感が持てます。ただ二番目の毛利衛氏から01と数字が振られている意味は分かりませんでしたが。

スペースシャトル模型
スペースシャトルはかつて宇宙開発のシンボル的存在でしたが、これが引退する時代が来るとは思いませんでした。

アニメ「ひそねとまそたん」パネル
出口近くにあったパネル。……ひ、ひねそと……ひそね? とまそん?? 何かのアニメ???
あとから調べると、2018年制作のテレビアニメだそうです。呪文のようなタイトルも「ひそね」と「まそたん」、だそうで。航空自衛隊岐阜基地(!)を舞台に、戦闘機に擬態するドラゴンが活躍するのだとか……!? 
舞鶴で見かけた「艦コレ」パネルといい、こういう実在組織とのコラボ(?)って流行りなんですかね。もっともこの絵柄は、いわゆる萌え系とは一線を画しているようですが……?

アクア・トトぎふ近くの空宙博顔出しパネル
ちょっと面白かったのが、ここへ来る前にアクア・トトぎふ近くで見かけた空宙博の顔出しパネル。文字が逆さまになっていますが、撮影した後で逆さまにして見ることで、アクロバット飛行や宇宙遊泳の気分を出そう、ということのようですね。


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岐阜県七宗町・日本最古の石博物館

へろんです。
4月にめちゃくちゃ不安定になったパソコンが、5月に入ってから急に安定しました。バックアップやらチェックやらした他は何もしてないのに……。たまに勝手に強制される「更新」が関係あるのでしょうか。不思議です……。

       *      *      *

2019年5月1日、岐阜市で御朱印を頂いた後で向かったのは、七宗町(ひちそうちょう、と読むそうです)の日本最古の石博物館
今回岐阜に行くと決めてから調べて知ったのですが、1970年(昭和45年)に発見された日本最古の石を展示する、1996年(平成8年)開館の町立博物館です。

日本最古の石博物館
UFOのような?丸っこい建物。

レッキー君とレッキーちゃん
入り口ではゆるキャラのレッキー君とレッキーちゃんがお出迎え。……って同じ名前ですか。

入館すると最初に、お子様向けの紹介映像が映し出される映像室に案内されます(すみません、最後まで観ませんでした……汗)。
映像室を出るとエレベータで下の階へ。
と、天井がチカチカ光り、壁に現れるレッキー君が語りだします。どうやら20億年前に時間遡行するというコンセプトのようで、エレベータが下がり始めると壁の数字も遡っていきます。

降下していくエレベータ
あ、慌てて撮ったのでイマイチですが……。
レッキー君の説明で「光速を超えると時間をさかのぼる」?とか何とか言ってたようで「ん?」と首を傾げた記憶があるのですが、すみません、うろ覚えです(^^;)

地下1階の展示室
エレベータから出ると、いたってオーソドックスな展示室。やっぱりこういうスタイルが落ち着きます。
世界各地から集められた先カンブリア時代の岩石など、なかなか豪華です。

地球最古の岩石
カナダ北部のスレイブ地域から見つかった、地球最古の岩石とされる39億6千万年前アキャスタ片麻岩(写真上)。
そして左下の小さめの岩石の説明を読むと……「地球最古の鉱物(約43億年前)を含む礫岩(ジャックヒルズ礫岩)」。
あれっ、上が39億6千万年前で左下が43億年前? 左下のジャックヒルズ礫岩の方が古いじゃん。この博物館の資料をはじめ、大抵アキャスタ片麻岩が最古と紹介されているのですが……。
「岩石」と「鉱物」の違い?? Wikipediaの「岩石」のページによると、「鉱物は化学組成の均質な純物質であり、岩石はその混合物である」。
うーん、アキャスタ片麻岩はその全体が39億6千万年前であり、ジャックヒルズ礫岩は含まれる一部だけが43億年前で、全体はもっと新しい、ということでしょうか?
いずれにせよ地球の年齢46億年を考えると、ものすごい話です。

21億年前の化石、グリパニア・スピラリス
21億年前と最古の多細胞生物ではないかと考えられる、グリパニア・スピラリス Gripania spiralis 。肉眼で確認できる、大型の藻類の化石ということで、矢印の先を見ると……

21億年前の化石、グリパニア・スピラリス
どうやらこの渦巻きのようです。古代の化石って小さいものが多いですが、これは確かに大きい。

日本最古の石、を含む礫岩
そしてメイン展示、ここ「七宗町で発見された20億年前の石」
……ただしこの大きな石全体が20億年前、というわけではなくて、ラベルによると「日本最古の石(約20億年前の片麻岩礫:矢印で示した礫)を含む礫岩」。
岩の上にある赤い矢印をよく見ると……

日本最古の石、は、ここ?
うーん、矢印先端の、周りより少し白い部分でしょうか??

日本最古の石、は、ここ?
この石の裏にまわると、もう一つ赤い矢印がありました。はじめは白っぽく四角い部分全体が20億年前かと思ったのですが、そんなに広い範囲ならこちらを前面に展示するのでは? もしかすると矢印先端のもっと狭い部分なのかも……。
すみません、分かりません。矢印だけではなくて、この部分を拡大写真に撮って、ここが20億年前、と分かるように枠で囲った写真パネルなどを展示されてみてはいかがでしょうか。

回転する地球儀
見上げると内部構造が分かるように切り取られた大きな地球儀が回っています。直径3.15メートル、動くものとしては、世界最大級の大きさなのだとか。

これで思い出したのが、兵庫県加西市の加西丸山総合公園にある地球儀時計。

兵庫県加西市の地球儀時計
2012年6月17日撮影。直径は5メートル。

地球儀時計のギネス出版社認証文
1998年に世界一と認定された「ギネス出版社認証文」のパネルも掲示されていました。当初は地球と同じく24時間で一回転自転していたそうですが……

地球儀時計は故障中・・・(2012年当時)
2012年当時は故障中でした……。あれから7年経ちましたが、今は修理されているのでしょうか? もしも修復されていたら、こちらが最大になるのでしょうか??

岐阜大学隕石コレクション
月起源隕石や火星起源隕石、ベスタ(小惑星帯では3番目に大きい小惑星)起源隕石など、隕石の展示が充実していました。どこから飛来したかが分かるというのもすごいものです。
「岐阜大学隕石コレクション2012」とありましたので、岐阜大学の所蔵品でしょうか?

入り口では化石探しが人気
お子様には化石探しが人気のようです。
小さい博物館ですが、思ったよりも充実した博物館でした。

ところで。
後からこの博物館関連の記事を調べていると、こんな記事を発見しました。
2019年3月25日、島根県で25億年前の岩石が発見されたというのです。
何とさらに5億年古い!

日本最古の石発見50周年の横断幕
来年2020年は日本最古の石発見から50周年として盛り上げていきたかっただろうに、七宗町も心中穏やかならざること、お察しいたします。
1970年に七宗町の岩石を発見された足立守・名古屋大学名誉教授(発見当時は大学院生)は「新しい発見は学問としては当然。それが出て来たことは、むしろうれしい」とおっしゃっています。ご立派です。
これが25億年前と確定されると、七宗町は「日本最古」と名乗れなくなるのかどうか……「博物館の名前を変更するかなどについては今後検討していくとしています」と記載されていますが……。

さらに調べてみると、こちらの記事では発見者の広島大学大学院・早坂康隆准教授が「あそこ(七宗町)には立派な博物館がありますので、津和野町の教育委員会に、七宗町のほうに津和野の石を寄贈していただくようにとお願いをしまして。ちゃんと日本最古の石を展示する博物館として継続して頑張っていただきたいと思っています」と述べておられました。

なるほど。
七宗町と津和野、両方の石が並んで展示されているのも良いですね。複数あれば、津和野でも展示すれば双方のメリットになりますし。ぜひ実現してほしいものです。
津和野では2019年4月27日より、津和野町郷土館で展示されているそうです……

ところが!
29日に展示されていたこの岩の一つがなくなっていたのだとか!!
うーん、これからどうなるか気になるニュースです。


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高知県・鯨館、アクアファーム、ジオパークセンター

へろんです。
高知旅行3日目、今回は比較的知名度が低いと思われる室戸の博物館施設、3ヶ所を一気に行きます。

道の駅キラメッセ室戸の「鯨館」
まずは室戸岬の西側、道の駅キラメッセ室戸にある「鯨館」

「鯨館」入館券
入館券にも見られる、クジラのシルエットを描いたイラストが随所に使われていて素敵です。

「鯨館」中央のメイン展示
入ってすぐ、館内中央には勢子舟(古式捕鯨に用いられた手漕ぎの舟)とクジラの模型が。
このメイン展示を見て、和歌山県の太地町立くじらの博物館を思い出しました。

太地町立くじらの博物館の展示
太地町立くじらの博物館の展示。2014年1月3日撮影。
決して似てるのが悪いというわけではないですよ。同じテーマの博物館で展示が似てくるのは、ごく自然なことです。ちなみに捕鯨自身も室戸と太地で深いつながりがあるそうです。
和歌山の博物館では、クジラも勢子舟も宙に浮いており、実際の位置関係も近いですよね。
室戸では勢子舟は下にいて、クジラが宙を飛んでいますが、これにはちゃんと理由があります。

「鯨館」入館時に渡されるヘッドセット
入館した時に渡されたヘッドセット。勢子舟に乗ってこれを装着すれば、360°パノラマオーシャンビューのVR(仮想現実)を見ることが出来ます。

VR(仮想現実)イメージ画像
その画像は当然写真に撮ることはできませんので、パンフレットに掲載されているイメージ画像です。
船上に乗った視点から、下を向けば海中の光景まで見ることができ、これは面白かったです。実は勢子舟に乗らずとも、どこでもこれを装着すれば見れるのですが、人の行き来する通路などでこれを装着してうろうろすると危険ですので、勢子舟に乗って装着する、と決められているようですね。

もう一つ見所??とされているのが、何やらアプリをダウンロードして展望デッキで写真を撮ると、合成写真が撮れるらしい。

「鯨館」でできる合成写真のイメージ画像
これもパンフレットに掲載されている写真。
上の勢子舟はいかにも「絵」なので何ですが、クジラは上手く撮れるのなら良いかもしれませんね。でもスマホの操作がまだまだ分からんですので、今回は挑戦しませんでしたが(^^;)

クジラ一千頭の位牌
室戸市の中道寺に祀られる「クジラ一千頭の位牌」
正徳年間のある夜、クジラの化身であるという娘が寺を訪れ、自分は捕獲される運命にあるので来世で浮かばれるよう祈ってほしい、と嘆願したそうです。この大位牌は1837年(天保8年)、クジラ捕獲数が千頭に達したのを機に祀られたものそうです。事前に中道寺にお願いすれば位牌を拝見できる、とのこと。いつかお参りしてみたいものです。

アクアファームに掲げられたC.W.ニコルの言葉
かのC.W.ニコルが名誉館長を務めているそうです(このパネルは後述のアクアファームのもの)。
この鯨館は2017年にリニューアルオープンしたそうで、そのため今時のデジタル展示に力を入れいているようですね。

室戸岬で見られるタービダイト
海岸沿いでは、黒っぽい縞々の岩をところどころで見かけました。タービダイト(turbidite;砂岩泥岩互層)と呼ばれる、深海底で重い砂と軽い泥が交互に堆積してできあがったものだそうです。
この黒い岩というのも、和歌山の南端付近ととてもよく似てるんですよね。

続いて、室戸岬の西側にある室戸海洋深層水アクアファーム。ちょっと地味な感じで一度通り過ぎてしまい、引き返して入ったのですが(^^;)

室戸海洋深層水アクアファーム
海洋深層水の研究と事業化を目指して、2000年4月に設立。室戸岬沖から海洋深層水を取水している施設で、パネル展示やビデオ、取水管のジオラマなどが展示されています。
室戸岬沖は急激に深くなっていることから海洋深層水を採取しやすいとされ、水深374メートルの深海から1日に4000トンもの海洋深層水を取水しているそうです。その取水過程で深海の生物を吸い込んできてしまうこともあるようで、そうして採取されたらしい生物が展示されていました。

アクアファームのユメカサゴ
ユメカサゴ
水深100~500メートルに棲む深海魚。胸鰭が何だか手のように見えます。じっと動かない魚ですが、もしかするとこの“手”を使って海底を歩いているのかもしれませんね。

アクアファームのユメカサゴ
別名「ノドグロ」と呼ばれますが、いわゆるノドグロ(アカムツ)とは別種。しかしこのユメカサゴも食べると美味しい、のだそうです。

アクアファームのコツノガニ
コツノガニ
水深200~820メートルに棲む小型のカニ。「タカアシガニを小型化したような姿」と説明されていました。

ミニ水族館入り口……ではありません
吊るされた札に「海洋深層水 ミニ水族館」とあったので開けようとしましたが、開きませんでした。すると係員さんが飛んできて「そっちには何もありませんよ」。どうやら今見ていたユメカサゴなどの水槽が「ミニ水族館」だったようです。

アクアファームで展示されている海洋深層水関連商品
海洋深層水関連商品もいっぱい展示されていました。

  
そして3つ目、アクアファームから北へ数キロのところにある室戸世界ジオパークセンター

室戸世界ジオパークセンター


日本ジオパーク再認定の横断幕
2018年9月に日本ジオパーク再認定審査で「再認定」、2019年には世界認定の審査があるそうです。「再認定」というと一度ダメだったのが返り咲いた、という意味かと思ったのですが、どうやら前回に引き続きOKだった、という意味のようです。

室戸で確認されている迷蝶の標本
個人的には蝶が好きなので、これがいちばん興味をひかれた展示だったりします。
室戸は日本でも有数の迷蝶(本来はその土地にいない蝶が、台風や偏西風に乗って飛来するもの)が多い場所とされているそうで、沖縄以南に生息する蝶がこうして採集されることがあります。

室戸世界ジオパークセンターのプレートテクトニクス解説
ジオパークだけあって、プレートテクトニクスの解説なども充実していましたが、さすがにゆっくり読む時間と余力がありませんでした。
プレートテクトニクスは私のもっとも敬愛するSF作家、小松左京先生の『日本沈没』で重要なキーワードになっています。

高知コア研究所の説明
2005年(平成17年)10月に設立された高知コア研究所の解説。
「コア」とは地中や海底から採取された地層サンプルで、西太平洋とインド洋から採取された深海掘削コア試料はここで保管されているそうです。アメリカのテキサスM&A大学、ドイツのブレーメン大学と並ぶ「世界3大コア保管施設」の一つ。
こんな重要施設があったとは知りませんでした。もしも『日本沈没』現代版が描かれるとしたら、この施設も絶対登場するのでは。

室戸世界ジオパークセンターで食べた青のりアイス
休憩に売店で買って食べた「高知県室戸名産・青のりの香るアイス」。海苔とアイスって合うのかと思いましたが、塩味が程よく、予想以上に美味しかったです。

高知旅行最終日ということで、室戸の施設を一気に回ったため(実はこの3ヶ所だけでなく、もう2ヶ所まわってます。次回にでもアップ予定)ほんとに急ぎ足でしたが、それぞれ小さいながらも頑張っておられる施設で、入って良かったです。願わくばもっと賑わって、充実していってほしいですね。


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祝・《はやぶさ2》着陸成功

へろんです。
2019年2月22日。探査機《はやぶさ2》が午前7時29分、地球より約3億4千万キロメートル離れた小惑星リュウグウに着陸したと発表されました。

《はやぶさ2》は2014年12月に鹿児島県の種子島宇宙センターより打ち上げられ、2018年6月にはリュウグウ周辺に到着。直径約900メートルのリュウグウ表面は予想以上に岩石が多く、着陸場所の選定も非常に困難でしたが、直径わずか6メートルの場所を狙って見事に着陸を果たしました。

地球から3億キロも離れた小惑星に送り込み、着陸させるなどどれほど困難なことか想像もつきませんが、こちらの記事によると「日本からブラジルにある6センチメートルの的を狙うくらいの精度が必要」なのだとか。いやそれ、普通に考えると「絶対ムリ!」と言ってしまいそうです。
小惑星への着陸は2005年の初代《はやぶさ》から世界でも2例目、世界的な偉業です。

《はやぶさ》デスクトップフィギュア
昔、イベントで購入した1/72スケールの《はやぶさ》デスクトップフィギュア。

初代《はやぶさ》は2003年5月9日に鹿児島宇宙空間観測所より打ち上げられ、途中通信途絶などのトラブルに見舞われながらも、小惑星イトカワのサンプル採取に成功。2010年6月13日、自らはオーストラリア上空で燃え尽きながらも、採取したサンプルを無事持ち帰ったその旅路は、大きな感動を呼びました。

《はやぶさ》帰還カプセル特別展示 in KOBE
2011年1月27日~31日、神戸市立青少年科学館で開催された「おかえり『はやぶさ』帰還カプセル特別展示 in KOBE」のチラシ。会場は撮影禁止だったため、「見た」という記憶はあるものの、残念ながらあやふやになりつつありますが……(^^;)

《はやぶさ》帰還バージョンプラネタリウム
また大阪市立科学館では「はやぶさ地球帰還1周年記念」として、2011年5月15日~29日にプラネタリウム「HAYABUSA BACK TO THE EARTH 帰還バージョン」が上映されました。これは泣けましたね。

ただこれと前後して《はやぶさ》にまつわる映画が立て続けに複数公開されましたが、映画の方はどうだろうな、という気がして観に行きませんでした。

国立科学博物館の《はやぶさ》実物大模型
東京・上野の国立科学博物館に展示されている《はやぶさ》実物大模型。2015年7月5日撮影。実はこの模型は映画『はやぶさ はるかなる帰還』の撮影用に製作されたものだそうです。

国立科学博物館で展示されている小惑星イトカワ微粒子
国立科学博物館では何と、《はやぶさ》が持ち帰った小惑星イトカワの微粒子が展示されていました。

国立科学博物館で展示されている小惑星イトカワ微粒子
といってもごく微小なもので、このようにモニターに映し出されるわけですが……うまく撮影できませんでしたね(T_T)

ラスカ平塚の「宇宙展」で展示された《はやぶさ》ジオラマ
人気の《はやぶさ》は各地のいろんなイベントにも展示されました。これは2015年8月10日、神奈川県平塚市のラスカ平塚で催された「宇宙展」に展示されていた、《はやぶさ》着陸のジオラマ。

《はやぶさ2》地球帰還までの総事業費は約289億円と見込まれているそうです。これが高いか安いか、いろんな意見があって一概には言えないと思います。私個人は、安くはないけど極めて有意義だと思っています。
ただ……2023年に民間人初の月旅行をぶち上げた某社長の払う費用って、これよりはるかに高額と推定されていますよね。単純比較はできないかも知れませんが、どっちが有意義かって言ったらやっぱり……。

月への飛行という同じ土俵で論じるなら、アポロ計画は10兆円以上の費用がかかったそうです。それこそ1960年代と現代とを単純比較しても無意味かもしれませんし、着陸と周回の違いもあれば、アポロは何度も打ち上げられ、しかもそのうち計6回、着陸に成功しているという大きな違いはありますが。
アポロ11号が人類史上初の月面着陸を果たしたのは1969年7月20日。それから50周年の今年、アポロ11号の船長を務めたニール・アームストロングにフォーカスした映画『ファースト・マン』が公開されました。

『ファースト・マン』チラシ
2月10日、いつも一緒に映画に行く旧友と観てきました……しかし勝手にかの『プロジェクトX』的なノリを予想していた私としては、ちょっと印象薄くなってしまいました。不覚ながら前半うとうとしてしまったし(爆)

ところであの時代は現場からの飛行士の通信を家族も受信して聞くことが出来たんですかね。アームストロングが船体が猛烈に回転するというアクシデントに見舞われた時、それを自宅で受信機?で聞いていた奥さんが、管制室に飛んできて責任者を問い詰めます。
「心配ない、我々は事態をコントロールしている」となだめようとする責任者に、奥さんが叫びます。
「あなたたちは手順や規定を守ってるだけでコントロールしているつもりになってる!」
……うちの部署に聞かせてやりたいわ。と思った、印象の強かったシーンの一つです。

クライマックスの月面着陸、着陸船のハッチが開いたその瞬間から、セリフはもちろん効果音もBGMも何もない、まったくの無音状態で描いたのは感動しました。それこそが月面、リアリティのある月世界でした。

さて。2019年に偉業を成し遂げた《はやぶさ2》は、2020年12月には地球に帰還予定だそうです。ただし、実は本体は地球には帰還せず(《はやぶさ》のように燃え尽きるわけでもなく)カプセルを分離した後、再び地球を離れていくのだとか。その後の次なる目標はまだ未定のようです。
《はやぶさ2》が地球近傍にまで帰ってきた時には、また盛り上がってほしいものですね。


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