靖國神社・遊就館の “特攻”兵器
8月15日、「終戦の日」。
この季節だからというわけではありませんが、境内で見たい絵画展が開催されていたため、7月下旬に靖国神社にお詣りしてきました。靖国神社については御朱印テーマで別記事にて紹介させていただくとして、今回は境内の「遊就館」で見学した内容です。
「戦没船艦、鉛筆画の遺影 靖国神社などで作品展」という記事で紹介されていましたが、大阪の「鉛筆艦船画家」菅野泰紀さんによる、鉛筆一本で描き出された艦船画。撮影・SNS掲載OKということでした。


作品名「憧憬-われは海の子-戦艦 長門 2588」

作品名「わだつみの駿馬-戦艦 霧島 2602」

作品名「地中海遠征-一等巡洋艦 出雲 2577」
さてこの遊就館、大きな神社によくある宝物館的な意味合いからスタートしたようですが、現在は近代日本の戦史博物館のような感じになっています。
展示の大半は撮影禁止ですが、最後の「大展示室」は撮影可。展示されているのは主に第二次世界大戦の頃の兵器類。



機首が特徴的な艦上攻撃機《彗星》は空母のプラモデルに並べた思い出があります。展示されているのは1972年(昭和47年)にカロリン諸島ヤップ島で発見、復元された機体だそうです。
その上にある小さな白い機体(こちらは模型)……

《桜花》というロケット搭載の一人乗り小型機で、一式陸攻という大型機の下にコバンザメのように搭載され、敵艦にできるだけ接近して切り離されると、操縦者はロケットを噴射して一直線に敵艦へ突入……つまり操縦者はまず助からない「自殺兵器」です。
《桜花》といえば、松本零士先生の漫画『音速雷撃隊』が思い出されます。週刊少年サンデーに1974年掲載されたもので、アニメ化もされているようですがそちらは観ていません。以下は昔読んだ漫画から、セリフもほぼそのまま書いています。
* * *
《桜花》で出撃する、すなわち戦死することが決定づけられている若い主人公は、ロケット技師の卵でした。出撃の前日、彼は月を見上げて言います。
「せめて、あと三十年生かしてくれたら……俺はあの月までロケットを打ち上げてみせる。それが俺の夢だった……。
二十年でもいい。それだけあれば、必ず人間の役に立つことをしてみせたのに……」
基地のそばでは、涙を流しながら琴を奏でる若い女性。主人公の彼女か何かだと推察されますが、そこは一切描かれません。
基地上官もつぶやきます。
「この戦争で死んだ世界中の若いのがあと三十年生きていたら……みんないろんなことをやったろうになあ。せっかく生まれてきたのに……」
一方、米軍でもやはり戦死者を悼む言葉が交わされていました。
「ロバートも死んだのか?」
「ロバートはディズニーの向こうをはる大漫画家になると言ってたのになあ……」
「あいつは天才だった。あと三十年生かしといたら、ディズニーを失業させたかも知れんなあ」
米軍は撮影した日本機の写真を分析し、敵機が《桜花》を搭載していたことを知ります。これが「自殺兵器」であることをすでに知っている彼らは、その行為を「きちがいめ!」とののしります。
翌日。主人公を乗せた一式陸攻を含む編隊が、再び米艦隊を襲います。
空中戦の末、自らを犠牲にしつつも、一式陸攻は《桜花》を分離。主人公はロケットを噴射して米空母を目指します。
そして主人公の乗る《桜花》が艦体を直撃。
爆風で倒れる艦長のもとに、主人公が持っていた(たぶん)彼女の写真が舞い落ちます。その写真を一瞥した艦長(なぜそれが《桜花》パイロットの物だと分かったのか、は置いといて)、
「琴を背にした女の写真!? きちがいめ……!」
「艦長! 今、広島へB-29が原爆を投下したそうです」
「……俺たちも、きちがいか……敵も味方も、みんなきちがいだ……」
そして爆沈する空母……。
* * *
「あと30年生きていたら」というこの言葉。しかもそれは敵も味方も同じ。
最後の「敵も味方も、みんなきちがいだ」という言葉。
戦争というものの問題点、愚かさを見事に描かれていると感じます。
(ところで「きちがい」って不適切用語らしいですが、作中表現のままです。第一、ここでの用法が不適切だと思います? なんて言い換えします?)
ただ、どこで読んだか失念してしまいましたが、松本零士先生は《桜花》を描いたことを後悔されていたそうです。その真意は分かりませんが……もしかしたら、必要以上に美化してしまうように取られるから、ではないでしょうか……?
遊就館展示物の一つに「挺進爆雷艇〇レ」(〇の中にレ)の説明がありました。以下はその解説パンフの図ですが……

爆雷を積んだモーターボートで敵艦に突っ込むという《桜花》と同じ「自殺兵器」で、海軍の《震洋》の陸軍版のようです。この図を見ると、起爆スイッチが艇首にあり、爆雷は操縦者のすぐ後ろ、背負っていると言っていい位置にあります。
解説パンフには「青春のすべてを擲って鬼神のごとき攻撃を敢行し、再び帰らざるもの1636名の多きに及んだ。陸軍海上挺進戦隊の業績は、その家族と国を憂う純粋な心とともに、永く青史にとどめなければならない」とありますが……
敵艦への突入は自らの手で起爆スイッチを入れることであり、頭のすぐ後ろにある爆雷が爆発するという状況、ちょっと想像してみて頂きたい。単純に「敢行」とか「業績」といった言葉で「称賛」していいのでしょうか。一方で他に選択肢のなかった状況であり、安易に「自殺行為」と「批判」するのもよろしくない。個人レベルでは「称賛」も「批判」も適切ではないのでは、と感じられます。
一方で、“特攻”を拒否したり、「逃げた」という人の話も伝わっています。例えば対談マンガ「絶望に効くクスリ -ONE ON ONE-」(山田玲司、2005)では、著者の山田玲司氏と絵本作家の五味太郎氏との対談で、こんな箇所があります。
五味:「あの戦争で“特攻隊”って……逃げた人がいっぱいいるんだよ。ガソリンを何ガロンか積んでおいて、雲間に隠れて、八重山諸島あたりで終戦までじーっと待ってたんだ」
山田:「ある意味、勇気ある『個人』ですね!」
“特攻”で亡くなった人も生き延びた人も、極めて限られた選択肢の中で、それぞれ様々な考えや事情のもと下した決断の結果であることは間違いありません。どちらが良い悪いはもちろんない。どちらの選択も同等の重みを持って尊重されるべきものであり、また個々人の様々な事情を考えれば、十把一絡げに論じるものでもありません。
個人レベルではそうですが、社会レベルでは、かくも残虐な死を個人に「選ばせる」に至った原因、責任、繰り返さないための総括、反省は必要でしょう。しかしながらこのような問題となると、得てして「個人」を英雄視することにより、「社会」は逃げてきたように思われます。
日本人はなぜか「個人」と「社会」を区別することが苦手のようです(不祥事を起こした社員がいたら全社員が悪い、のような)。しかし「個人の選択」と「社会の責任」を区別したうえで「社会の責任」に向き合わない限り、日本は先へ進めないのではないか、そんな気がしています。
この季節だからというわけではありませんが、境内で見たい絵画展が開催されていたため、7月下旬に靖国神社にお詣りしてきました。靖国神社については御朱印テーマで別記事にて紹介させていただくとして、今回は境内の「遊就館」で見学した内容です。
「戦没船艦、鉛筆画の遺影 靖国神社などで作品展」という記事で紹介されていましたが、大阪の「鉛筆艦船画家」菅野泰紀さんによる、鉛筆一本で描き出された艦船画。撮影・SNS掲載OKということでした。


作品名「憧憬-われは海の子-戦艦 長門 2588」

作品名「わだつみの駿馬-戦艦 霧島 2602」

作品名「地中海遠征-一等巡洋艦 出雲 2577」
さてこの遊就館、大きな神社によくある宝物館的な意味合いからスタートしたようですが、現在は近代日本の戦史博物館のような感じになっています。
展示の大半は撮影禁止ですが、最後の「大展示室」は撮影可。展示されているのは主に第二次世界大戦の頃の兵器類。



機首が特徴的な艦上攻撃機《彗星》は空母のプラモデルに並べた思い出があります。展示されているのは1972年(昭和47年)にカロリン諸島ヤップ島で発見、復元された機体だそうです。
その上にある小さな白い機体(こちらは模型)……

《桜花》というロケット搭載の一人乗り小型機で、一式陸攻という大型機の下にコバンザメのように搭載され、敵艦にできるだけ接近して切り離されると、操縦者はロケットを噴射して一直線に敵艦へ突入……つまり操縦者はまず助からない「自殺兵器」です。
《桜花》といえば、松本零士先生の漫画『音速雷撃隊』が思い出されます。週刊少年サンデーに1974年掲載されたもので、アニメ化もされているようですがそちらは観ていません。以下は昔読んだ漫画から、セリフもほぼそのまま書いています。
* * *
《桜花》で出撃する、すなわち戦死することが決定づけられている若い主人公は、ロケット技師の卵でした。出撃の前日、彼は月を見上げて言います。
「せめて、あと三十年生かしてくれたら……俺はあの月までロケットを打ち上げてみせる。それが俺の夢だった……。
二十年でもいい。それだけあれば、必ず人間の役に立つことをしてみせたのに……」
基地のそばでは、涙を流しながら琴を奏でる若い女性。主人公の彼女か何かだと推察されますが、そこは一切描かれません。
基地上官もつぶやきます。
「この戦争で死んだ世界中の若いのがあと三十年生きていたら……みんないろんなことをやったろうになあ。せっかく生まれてきたのに……」
一方、米軍でもやはり戦死者を悼む言葉が交わされていました。
「ロバートも死んだのか?」
「ロバートはディズニーの向こうをはる大漫画家になると言ってたのになあ……」
「あいつは天才だった。あと三十年生かしといたら、ディズニーを失業させたかも知れんなあ」
米軍は撮影した日本機の写真を分析し、敵機が《桜花》を搭載していたことを知ります。これが「自殺兵器」であることをすでに知っている彼らは、その行為を「きちがいめ!」とののしります。
翌日。主人公を乗せた一式陸攻を含む編隊が、再び米艦隊を襲います。
空中戦の末、自らを犠牲にしつつも、一式陸攻は《桜花》を分離。主人公はロケットを噴射して米空母を目指します。
そして主人公の乗る《桜花》が艦体を直撃。
爆風で倒れる艦長のもとに、主人公が持っていた(たぶん)彼女の写真が舞い落ちます。その写真を一瞥した艦長(なぜそれが《桜花》パイロットの物だと分かったのか、は置いといて)、
「琴を背にした女の写真!? きちがいめ……!」
「艦長! 今、広島へB-29が原爆を投下したそうです」
「……俺たちも、きちがいか……敵も味方も、みんなきちがいだ……」
そして爆沈する空母……。
* * *
「あと30年生きていたら」というこの言葉。しかもそれは敵も味方も同じ。
最後の「敵も味方も、みんなきちがいだ」という言葉。
戦争というものの問題点、愚かさを見事に描かれていると感じます。
(ところで「きちがい」って不適切用語らしいですが、作中表現のままです。第一、ここでの用法が不適切だと思います? なんて言い換えします?)
ただ、どこで読んだか失念してしまいましたが、松本零士先生は《桜花》を描いたことを後悔されていたそうです。その真意は分かりませんが……もしかしたら、必要以上に美化してしまうように取られるから、ではないでしょうか……?
遊就館展示物の一つに「挺進爆雷艇〇レ」(〇の中にレ)の説明がありました。以下はその解説パンフの図ですが……

爆雷を積んだモーターボートで敵艦に突っ込むという《桜花》と同じ「自殺兵器」で、海軍の《震洋》の陸軍版のようです。この図を見ると、起爆スイッチが艇首にあり、爆雷は操縦者のすぐ後ろ、背負っていると言っていい位置にあります。
解説パンフには「青春のすべてを擲って鬼神のごとき攻撃を敢行し、再び帰らざるもの1636名の多きに及んだ。陸軍海上挺進戦隊の業績は、その家族と国を憂う純粋な心とともに、永く青史にとどめなければならない」とありますが……
敵艦への突入は自らの手で起爆スイッチを入れることであり、頭のすぐ後ろにある爆雷が爆発するという状況、ちょっと想像してみて頂きたい。単純に「敢行」とか「業績」といった言葉で「称賛」していいのでしょうか。一方で他に選択肢のなかった状況であり、安易に「自殺行為」と「批判」するのもよろしくない。個人レベルでは「称賛」も「批判」も適切ではないのでは、と感じられます。
一方で、“特攻”を拒否したり、「逃げた」という人の話も伝わっています。例えば対談マンガ「絶望に効くクスリ -ONE ON ONE-」(山田玲司、2005)では、著者の山田玲司氏と絵本作家の五味太郎氏との対談で、こんな箇所があります。
五味:「あの戦争で“特攻隊”って……逃げた人がいっぱいいるんだよ。ガソリンを何ガロンか積んでおいて、雲間に隠れて、八重山諸島あたりで終戦までじーっと待ってたんだ」
山田:「ある意味、勇気ある『個人』ですね!」
“特攻”で亡くなった人も生き延びた人も、極めて限られた選択肢の中で、それぞれ様々な考えや事情のもと下した決断の結果であることは間違いありません。どちらが良い悪いはもちろんない。どちらの選択も同等の重みを持って尊重されるべきものであり、また個々人の様々な事情を考えれば、十把一絡げに論じるものでもありません。
個人レベルではそうですが、社会レベルでは、かくも残虐な死を個人に「選ばせる」に至った原因、責任、繰り返さないための総括、反省は必要でしょう。しかしながらこのような問題となると、得てして「個人」を英雄視することにより、「社会」は逃げてきたように思われます。
日本人はなぜか「個人」と「社会」を区別することが苦手のようです(不祥事を起こした社員がいたら全社員が悪い、のような)。しかし「個人の選択」と「社会の責任」を区別したうえで「社会の責任」に向き合わない限り、日本は先へ進めないのではないか、そんな気がしています。
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