恐怖の? “真空崩壊”
今より138億年ほど前に誕生し、膨張を続けているといわれるこの大宇宙。果たしてこの宇宙に終わりはあるのか、どのような終焉となるのか……宇宙の誕生と同様、興味をそそられます。
昔から様々なモデルが提唱されてきましたが、一昔前は大雑把にいって、主に次の2つだったと思います。
膨張を続けた結果、何もかも果てしなく希釈され、荒漠たる熱的平衡死を迎える。古典的名作SF、光瀬龍『百億の昼と千億の夜』がこれを扱っていました。
あるいは膨張していた宇宙が収縮に転じ、すべてが押しつぶされて一点に収縮してしまう(ビッグクランチ)。また一点に収縮した後再びビッグバンが起こり、新たな宇宙が誕生する(脈動宇宙論)というのもありました。
そのどちらかになるかは宇宙の質量の総量による……と言われていましたが、近年は違った可能性も複数注目されているようです。
未来に起こるかも知れない宇宙の終わりの一つとして、「真空崩壊」という言葉もよく聞くようになりました。
この宇宙空間は、エネルギーが最も低い(=安定した)真空ではない「偽の真空」であり、何かの拍子に最も低い状態である「真の真空」に変わるかもしれない、その時には今のこの宇宙は崩壊してしまう、というものです。例えていえば、今の宇宙は坂道の途中で引っかかっている状態で、これが坂道の底まで転がり落ちてしまうイメージでしょうか。
宇宙のどこかで真空崩壊が始まると、そこから「真の真空」が光速で泡のように広がっていき、泡の壁にぶつかるとこの宇宙にあるもの(「偽の真空」の物理法則によるもの)は崩壊してしまう……イメージとしては、風船の一ヶ所に穴が開くと、そこから急激に破れが広がって風船全体が破裂してしまう光景を想像して頂ければいいようです。破滅の「壁」は光速で広がるので「壁」が向かって来ることも観測できず、気付いた時は崩壊の瞬間。何も気付かないまま、一瞬で消滅するかも知れません。これはコワい。
ただしこれは正しいかどうか確定されておらず、また「真空崩壊」が起こったとしてもまず心配することはない(心配しても仕方がない)そうです。理由としては、
・そもそも真空崩壊が発生する確率そのものが低い(宇宙の年齢よりも桁違いに長い時間の中でしか起こらない)。
・真空崩壊の発生確率が宇宙のどこでも同じだとすると、数百億光年はあろうかという広大な宇宙空間の中で、地球近傍の空間で発生する確率はごくわずかである。
・真空崩壊が発生し、光速で広がっていくとしても、宇宙そのものが光速以上で膨張しているため、地球まで到達しない可能性もある。
というわけで日常まず気にすることもないのですが、可能性は「ゼロ」ではないので、ある日突然……ということもあるかも知れません。
ただこの話で私が「コワい」と思ったのは、「真の真空」宇宙では我々のこの宇宙とは物理法則が異なっており、仮に人類が真空崩壊から脱出して「真の真空」に避難したとしても、そこでは物質として存在できない(!)可能性がある、という点です。
私の好きなSFでは、この宇宙が何らかの終焉を迎えたとしても、せっかく生まれた知性がその「成果」を次の宇宙や他の宇宙へ伝えていく、というモチーフがあります。以前も書きましたが、その例として長谷川裕一『マップス』や小松左京『あなろぐ・らう゛』があります。
しかし「成果」を伝えるべき新たな宇宙が、物理法則がまったく異なる世界だったら……?

村山斉『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』(集英社,2012)では、最新宇宙論がとても分かりやすく述べられています。この中で解説されていますが、もしもエネルギーや重力や素粒子の重さなどが今とはほんのちょっとだけ違ったとしたら……人間や地球や銀河を構成する星々が、つまり物質そのものが存在できなくなってしまうのだそうです。不思議なことにこの宇宙は、物質が ー つまりは人間が存在できるように、あらゆる物理的条件が絶妙に揃っているのです。
ということは……この宇宙が終焉を迎えた時、その宇宙に生まれた「知性」がその「成果」を別の宇宙に伝えようとしても、その宇宙の物理的条件が異なれば、かなわないことになってしまう!
そもそもなぜ、この宇宙はまるで人間のために生まれたかのように、人間に都合よくできているのか? 『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』では可能性の一つとして「マルチバース」を紹介しています。これも最近のSFなどでよく出てきますが、素粒子理論の一つとして提唱されている「超ひも理論」、これを解くと10の500乗(1の後ろに0が500個並ぶ!)もの可能性が出てきてしまうそうです。それが一つ一つ実現していて、10の500乗個もの宇宙があるとすると、その中に一つぐらい人間に都合の良い物理条件を備えた宇宙が誕生していてもおかしくない。人間に都合が良いというより、その宇宙の物理条件に合わせて人間が誕生してきた、というわけです。
この考え方は非常に感動的でした。よく「地球は一つ」とか言われますが、地球だけではなく宇宙そのものが人間にとっては唯一無二の、とても貴重なものかも知れないのです。
この宇宙が他に代えがたい大切な愛おしいものであるという可能性は分かりましたが、それではこの宇宙が終焉を迎えた時は、この宇宙の「成果」も失われるしかないのでしょうか。そこから先は、10の500乗個もの宇宙の中からできるだけ条件の近い宇宙を探すか、物理条件の整った新たな宇宙を生成するか、でしょうか……
実は。
またかと思われるでしょうが、私の敬愛する小松左京先生の『果しなき流れの果に』や『神への長い道』では、クライマックスで「新たな宇宙の創造」への壮大な道筋が描かれています。これなら(人類ではないかもしれませんが)「知性」の「成果」を新たな宇宙へ引き継いでいくことができるかも知れません。最新宇宙論にも通じる壮大なモチーフを描き出した作品には改めて感動させられます。

しかしまぁ、いうまでもなく宇宙の終焉はおそらく何十億年も先のことであり、いがみ合いを続ける人類やその後裔がそれまで存在しているか、ということの方が大きな問題かもしれませんが……。
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膨張を続けた結果、何もかも果てしなく希釈され、荒漠たる熱的平衡死を迎える。古典的名作SF、光瀬龍『百億の昼と千億の夜』がこれを扱っていました。
あるいは膨張していた宇宙が収縮に転じ、すべてが押しつぶされて一点に収縮してしまう(ビッグクランチ)。また一点に収縮した後再びビッグバンが起こり、新たな宇宙が誕生する(脈動宇宙論)というのもありました。
そのどちらかになるかは宇宙の質量の総量による……と言われていましたが、近年は違った可能性も複数注目されているようです。
未来に起こるかも知れない宇宙の終わりの一つとして、「真空崩壊」という言葉もよく聞くようになりました。
この宇宙空間は、エネルギーが最も低い(=安定した)真空ではない「偽の真空」であり、何かの拍子に最も低い状態である「真の真空」に変わるかもしれない、その時には今のこの宇宙は崩壊してしまう、というものです。例えていえば、今の宇宙は坂道の途中で引っかかっている状態で、これが坂道の底まで転がり落ちてしまうイメージでしょうか。
宇宙のどこかで真空崩壊が始まると、そこから「真の真空」が光速で泡のように広がっていき、泡の壁にぶつかるとこの宇宙にあるもの(「偽の真空」の物理法則によるもの)は崩壊してしまう……イメージとしては、風船の一ヶ所に穴が開くと、そこから急激に破れが広がって風船全体が破裂してしまう光景を想像して頂ければいいようです。破滅の「壁」は光速で広がるので「壁」が向かって来ることも観測できず、気付いた時は崩壊の瞬間。何も気付かないまま、一瞬で消滅するかも知れません。これはコワい。
ただしこれは正しいかどうか確定されておらず、また「真空崩壊」が起こったとしてもまず心配することはない(心配しても仕方がない)そうです。理由としては、
・そもそも真空崩壊が発生する確率そのものが低い(宇宙の年齢よりも桁違いに長い時間の中でしか起こらない)。
・真空崩壊の発生確率が宇宙のどこでも同じだとすると、数百億光年はあろうかという広大な宇宙空間の中で、地球近傍の空間で発生する確率はごくわずかである。
・真空崩壊が発生し、光速で広がっていくとしても、宇宙そのものが光速以上で膨張しているため、地球まで到達しない可能性もある。
というわけで日常まず気にすることもないのですが、可能性は「ゼロ」ではないので、ある日突然……ということもあるかも知れません。
ただこの話で私が「コワい」と思ったのは、「真の真空」宇宙では我々のこの宇宙とは物理法則が異なっており、仮に人類が真空崩壊から脱出して「真の真空」に避難したとしても、そこでは物質として存在できない(!)可能性がある、という点です。
私の好きなSFでは、この宇宙が何らかの終焉を迎えたとしても、せっかく生まれた知性がその「成果」を次の宇宙や他の宇宙へ伝えていく、というモチーフがあります。以前も書きましたが、その例として長谷川裕一『マップス』や小松左京『あなろぐ・らう゛』があります。
しかし「成果」を伝えるべき新たな宇宙が、物理法則がまったく異なる世界だったら……?

村山斉『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』(集英社,2012)では、最新宇宙論がとても分かりやすく述べられています。この中で解説されていますが、もしもエネルギーや重力や素粒子の重さなどが今とはほんのちょっとだけ違ったとしたら……人間や地球や銀河を構成する星々が、つまり物質そのものが存在できなくなってしまうのだそうです。不思議なことにこの宇宙は、物質が ー つまりは人間が存在できるように、あらゆる物理的条件が絶妙に揃っているのです。
ということは……この宇宙が終焉を迎えた時、その宇宙に生まれた「知性」がその「成果」を別の宇宙に伝えようとしても、その宇宙の物理的条件が異なれば、かなわないことになってしまう!
そもそもなぜ、この宇宙はまるで人間のために生まれたかのように、人間に都合よくできているのか? 『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』では可能性の一つとして「マルチバース」を紹介しています。これも最近のSFなどでよく出てきますが、素粒子理論の一つとして提唱されている「超ひも理論」、これを解くと10の500乗(1の後ろに0が500個並ぶ!)もの可能性が出てきてしまうそうです。それが一つ一つ実現していて、10の500乗個もの宇宙があるとすると、その中に一つぐらい人間に都合の良い物理条件を備えた宇宙が誕生していてもおかしくない。人間に都合が良いというより、その宇宙の物理条件に合わせて人間が誕生してきた、というわけです。
この考え方は非常に感動的でした。よく「地球は一つ」とか言われますが、地球だけではなく宇宙そのものが人間にとっては唯一無二の、とても貴重なものかも知れないのです。
この宇宙が他に代えがたい大切な愛おしいものであるという可能性は分かりましたが、それではこの宇宙が終焉を迎えた時は、この宇宙の「成果」も失われるしかないのでしょうか。そこから先は、10の500乗個もの宇宙の中からできるだけ条件の近い宇宙を探すか、物理条件の整った新たな宇宙を生成するか、でしょうか……
実は。
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テーマ : SF・ホラー・ファンタジー
ジャンル : 小説・文学