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恐怖の? “真空崩壊”

 今より138億年ほど前に誕生し、膨張を続けているといわれるこの大宇宙。果たしてこの宇宙に終わりはあるのか、どのような終焉となるのか……宇宙の誕生と同様、興味をそそられます。

 昔から様々なモデルが提唱されてきましたが、一昔前は大雑把にいって、主に次の2つだったと思います。
 膨張を続けた結果、何もかも果てしなく希釈され、荒漠たる熱的平衡死を迎える。古典的名作SF、光瀬龍『百億の昼と千億の夜』がこれを扱っていました。
 あるいは膨張していた宇宙が収縮に転じ、すべてが押しつぶされて一点に収縮してしまう(ビッグクランチ)。また一点に収縮した後再びビッグバンが起こり、新たな宇宙が誕生する(脈動宇宙論)というのもありました。
 そのどちらかになるかは宇宙の質量の総量による……と言われていましたが、近年は違った可能性も複数注目されているようです。

 未来に起こるかも知れない宇宙の終わりの一つとして、「真空崩壊」という言葉もよく聞くようになりました。
 この宇宙空間は、エネルギーが最も低い(=安定した)真空ではない「偽の真空」であり、何かの拍子に最も低い状態である「真の真空」に変わるかもしれない、その時には今のこの宇宙は崩壊してしまう、というものです。例えていえば、今の宇宙は坂道の途中で引っかかっている状態で、これが坂道の底まで転がり落ちてしまうイメージでしょうか。
 宇宙のどこかで真空崩壊が始まると、そこから「真の真空」が光速で泡のように広がっていき、泡の壁にぶつかるとこの宇宙にあるもの(「偽の真空」の物理法則によるもの)は崩壊してしまう……イメージとしては、風船の一ヶ所に穴が開くと、そこから急激に破れが広がって風船全体が破裂してしまう光景を想像して頂ければいいようです。破滅の「壁」は光速で広がるので「壁」が向かって来ることも観測できず、気付いた時は崩壊の瞬間。何も気付かないまま、一瞬で消滅するかも知れません。これはコワい。

 ただしこれは正しいかどうか確定されておらず、また「真空崩壊」が起こったとしてもまず心配することはない(心配しても仕方がない)そうです。理由としては、

・そもそも真空崩壊が発生する確率そのものが低い(宇宙の年齢よりも桁違いに長い時間の中でしか起こらない)。
・真空崩壊の発生確率が宇宙のどこでも同じだとすると、数百億光年はあろうかという広大な宇宙空間の中で、地球近傍の空間で発生する確率はごくわずかである。
・真空崩壊が発生し、光速で広がっていくとしても、宇宙そのものが光速以上で膨張しているため、地球まで到達しない可能性もある。

 というわけで日常まず気にすることもないのですが、可能性は「ゼロ」ではないので、ある日突然……ということもあるかも知れません。
 ただこの話で私が「コワい」と思ったのは、「真の真空」宇宙では我々のこの宇宙とは物理法則が異なっており、仮に人類が真空崩壊から脱出して「真の真空」に避難したとしても、そこでは物質として存在できない(!)可能性がある、という点です。
 私の好きなSFでは、この宇宙が何らかの終焉を迎えたとしても、せっかく生まれた知性がその「成果」を次の宇宙や他の宇宙へ伝えていく、というモチーフがあります。以前も書きましたが、その例として長谷川裕一『マップス』小松左京『あなろぐ・らう゛』があります。
 しかし「成果」を伝えるべき新たな宇宙が、物理法則がまったく異なる世界だったら……?

「宇宙はなぜこんなにうまくできているのか」表紙

 村山斉『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』(集英社,2012)では、最新宇宙論がとても分かりやすく述べられています。この中で解説されていますが、もしもエネルギーや重力や素粒子の重さなどが今とはほんのちょっとだけ違ったとしたら……人間や地球や銀河を構成する星々が、つまり物質そのものが存在できなくなってしまうのだそうです。不思議なことにこの宇宙は、物質が ー つまりは人間が存在できるように、あらゆる物理的条件が絶妙に揃っているのです。
 ということは……この宇宙が終焉を迎えた時、その宇宙に生まれた「知性」がその「成果」を別の宇宙に伝えようとしても、その宇宙の物理的条件が異なれば、かなわないことになってしまう!

 そもそもなぜ、この宇宙はまるで人間のために生まれたかのように、人間に都合よくできているのか? 『宇宙はなぜこんなにうまくできているのか』では可能性の一つとして「マルチバース」を紹介しています。これも最近のSFなどでよく出てきますが、素粒子理論の一つとして提唱されている「超ひも理論」、これを解くと10の500乗(1の後ろに0が500個並ぶ!)もの可能性が出てきてしまうそうです。それが一つ一つ実現していて、10の500乗個もの宇宙があるとすると、その中に一つぐらい人間に都合の良い物理条件を備えた宇宙が誕生していてもおかしくない。人間に都合が良いというより、その宇宙の物理条件に合わせて人間が誕生してきた、というわけです。
 この考え方は非常に感動的でした。よく「地球は一つ」とか言われますが、地球だけではなく宇宙そのものが人間にとっては唯一無二の、とても貴重なものかも知れないのです。

 この宇宙が他に代えがたい大切な愛おしいものであるという可能性は分かりましたが、それではこの宇宙が終焉を迎えた時は、この宇宙の「成果」も失われるしかないのでしょうか。そこから先は、10の500乗個もの宇宙の中からできるだけ条件の近い宇宙を探すか、物理条件の整った新たな宇宙を生成するか、でしょうか……
 実は。
 またかと思われるでしょうが、私の敬愛する小松左京先生の『果しなき流れの果に』『神への長い道』では、クライマックスで「新たな宇宙の創造」への壮大な道筋が描かれています。これなら(人類ではないかもしれませんが)「知性」の「成果」を新たな宇宙へ引き継いでいくことができるかも知れません。最新宇宙論にも通じる壮大なモチーフを描き出した作品には改めて感動させられます。

角川文庫版「果てしなき流れの果に」表紙

 しかしまぁ、いうまでもなく宇宙の終焉はおそらく何十億年も先のことであり、いがみ合いを続ける人類やその後裔がそれまで存在しているか、ということの方が大きな問題かもしれませんが……。


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テーマ : SF・ホラー・ファンタジー
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『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』-半世紀の想い出その5

 かの「ヤマト」を継ぐ、とも謡われた『銀河英雄伝説』と出会ったのは、大学時代でした。
 大学時代の友人の一人は、下宿の壁一面にマンガやVHSテープ(なにしろ1980年代終わり頃の話ですから)が並ぶ、今で言う典型的「オタク」でした。そんな彼の下宿には友人たちが集まり、彼に敬意を表しつつ、コレクションを観たり読んだりさせてもらっていました。
 そんなある日、彼の下宿にたむろしていた皆に彼が披露してくれたのが『銀河英雄伝説』石黒版アニメでした。
 予備知識なく見始めたのですが、すぐに「何だこのすごいアニメは!!」と引き込まれてしまいました。1話見終えたらまたその次、それが終わったらまたその次、とあるだけ次から次へと……彼のストックが尽きた時には夜がしらじらと明け始めていました。普段は徹夜なんてできないのに、この時は苦にもなりませんでした(徹夜はその後大学院の研究室でちょくちょくするようになりましたが ^^;)
 内容には触れませんが、一点、ちょうどかの天安門事件(1989年)が起こった頃であり、作中の「スタジアムの虐殺」は「まるで(当時報道されていた)天安門事件そのものじゃないか!」と驚いたものです。
 アニメで使われたマーラーの交響曲第一番、ドヴォルザークの第九番『新世界より』、チャイコフスキーの『悲壮』、ショスタコーヴィチの第5番『革命』……数多くのクラシックがアニメ映像と切り離せない形で記憶に刻まれています。

 そして時は巡り、『ヤマト』も『銀英伝』もリメイク版が登場しましたが……これまでにもこのブログ内でも触れたように、やっぱりなんか違うんですよね。リメイク版『ヤマト』では交響組曲も新たに発売されましたが……

『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』ジャケット

 左は本連載の初めにもお示ししている、1977年版の交響組曲ジャケット。対する右は、リメイク版にあわせて2021年に発売されたジャケット。
 1977年版は松本零士先生による描き下ろしで、あまりにも有名な松本美女の妖艶な美しさ、芸術的な飾り文字によるタイトルロゴ、このジャケットだけで一枚の芸術的絵画と言っても過言ではありません。
 右は……どうですかね。
 なんかアニメ調のお目々ぱっちりな、子供のような……これはスターシャ? いやテレサ??

……これは違う!!

大変申し訳ないけど、このジャケットでもリメイク版は……あくまで個人の感想ですが、オリジナルに触れてしまった世代としては、到底及ばないな、と思ってしまうのですよ。
 リメイク版しか見ていない、あるいは先に見た方には申し訳ないですが、半世紀前にそれほど巨大なインパクトを世の中に与えたものだった、ということでご理解ください。

 ちなみにまだアルファベットに慣れていなかった小学生時代、この芸術的ロゴに魅せられ、真似て書いてみたものでした。それから十数年後、社会人となって海外の医療機器メーカーと英語でFAX(当時はまだメールなんて一般的じゃなかったのよ!!)をやり取りした際、自筆サインはこのタイトルロゴを参考にしたスタイルになっていました。

 それから『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978)。
 これも内容は触れませんが、実は父に連れて行ってもらったほぼ唯一の映画でした。普段テレビチャンネルを独占してプロ野球ばかり観ていた(だから私は今もプロ野球嫌いですが)父が、どういう風の吹きまわしか、連れて行ってくれたのです。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」(1978年)パンフ

 そして私は気の弱い子供だったので、自分からあれが欲しいこれが欲しいとは言わなかったのですが、どういうわけか父は映画の後、売店で『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集』を買ってくれました。話した記憶はありませんが、ヤマトの交響組曲を聴き込んでいたのを知っていたのかも知れません。

 今この歳になっても、ヤマトの音楽やクラシックに触れると、小学校時代の友人、亡き父との数少ない思い出、大学時代の友人たち、社会人になってからも『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』を紹介してその後振られた女性のこととか(爆)、ジャケットを参考にした自筆サインでやり取りした仕事、高校時代から今現在でも付き合いの続く友人とのヤマトや銀英伝の会話……直接関係ないことまで芋づる式に、まるで走馬灯のように……

 っておい、俺死ぬのか?

 いやいや死ぬ気はもちろんありませんが、この半世紀、いかに大きな影響を受けてきたか、考え方や好みのベースの一つになっているか、あらためて思い知らされます。ヤマトワールドとその音楽に出会えたことは、大きな幸運であったと感じます。
 途中間があいてしまいましたが、ヤマトワールドとその音楽に係った方々に感謝しつつ、集中掲載を終了したいと思います。


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『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』-半世紀の想い出その4


テーマ : 宇宙戦艦ヤマト
ジャンル : アニメ・コミック

『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』-半世紀の想い出その4

 前回、ヤマトから『銀河英雄伝説』(略称:銀英伝)につながると書きましたが、銀英伝に出会ったのは大学時代でして、その前、中学から高校の頃に『合唱』にまつわる思い出がいくつかありましたので、そちらを先に。
 ああ、やっぱりまだ最終回には至らないか……(笑)

『第九』の歌詞解説

 『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』と同じ頃に出会い、初めて真面目に全曲を通して聴いたクラシック、ベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』。
 あの合唱がある第4楽章は、クラシックのいちばんのお気に入りとして何度も何度も聴いていましたが、その歌詞は興味を持ちつつもなかなか把握できませんでした。
 前回書いた、中学の頃に思い切って買った第九のカセットテープ。その解説にドイツ語の歌詞と訳がついていたのですが、途中からは合唱として歌われている順番通りではなく、書かれている歌詞と歌われている合唱とがどう対応するのか、いまいち分からずじまいでした。

『第九』の歌詞解説

 高校時代、一年生の担任は音楽の先生(男性)でした。
 それまで音楽の基礎知識が皆無で楽譜の読み方もきちんと分かっていなかったのが、この先生のおかげである程度分かるようになりました(でも今はその内容をまた忘れてしまった……T▽T)

 ある時、その先生が顧問を務める音楽系のクラブが文化祭で第九を歌う、希望すれば部員でなくとも参加できる、ということを知りました。
 ここで参加したら「よくある話」なのでしょうが、結局参加はしませんでした。
 いやね、それより何年か前の中学時代、クラスみんなで歌を歌う時「あんたは(音痴だから)声は出さずに口だけ動かしてなさい」とその時の音楽教師から言われたのが、音楽関係で最大のトラウマになってるんですよ。名前は忘れたけどまだ若い女の先生やったなぁ。
 第九を歌うと知った時、歌うのは無理だけど第九は大好き、ということを担任の先生にお話ししました。参加を勧められたものの結局参加する勇気は出ませんでしたが、本来は参加者に配られる、第4楽章の楽譜と歌詞をつづった、お手製の冊子を頂きました。

 わら半紙に印刷された楽譜と歌詞。楽譜を見ればメロディぐらいは追える、つまり聴いている曲のどこかは分かります。その楽譜と並行して書かれた歌詞。これを見て初めて、曲と歌詞が完全に一致しました。二重フーガの部分は、曲と歌詞が単純な一対一対応でないことも理解しました。
 曲を見ながらこの冊子を何度も見返し、カタカナドイツ語(笑)ではありますが

「フロイデ、シェーネルギュッテルフンケン……」

と合唱部分のほとんどをそらんじられるぐらいになりました(今は後半だいぶ忘れましたが ^^;)。
 第4楽章でオーケストラが演奏し、バリトンが高らかに歌い、続く合唱でも歌われる

 Freude, schöner Götterfunken …

 の部分のメロディ、おそらく第九と言えばだれもが思い浮かべるあの旋律。楽譜を見ると、アルトとかテノールといった声域によっては誰もが同じ旋律を歌っているのではなく、異なるメロディを歌っていることも分かりました。
 そう、『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』の『明日への希望 ~夢・ロマン・冒険心~』で、男声と女声が異なるメロディを歌っているのと同じです。このあたりに気が付いたのも、『合唱』と『明日への希望』は同じカテゴリーだと思った所以です。
 『明日への希望』に比べて『合唱』はあまりにも主旋律が有名すぎて、正直なところ主旋律以外はあまり耳に残らないのですが……それでも、『明日への希望』を知っていた、この曲を聴き込んでいたからこそ、『合唱』を含む交響曲や合唱曲などのクラシックをも気に入り、熱中することができたのだと思います。
 高校以来の親友(このブログでもたまに触れる、映画を一緒に観に行ったりした友人です)も「ヤマト」ファンであると同時にクラシックも聴いていたため、生のクラシックコンサートにも何度か一緒に行きました。
 そうして、いよいよ「ヤマト」のようなSFとクラシック、両方の要素を兼ね備えた『銀河英雄伝説』へつながっていきます。


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『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』-半世紀の想い出その3


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ジャンル : アニメ・コミック

『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』-半世紀の想い出その3

 『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』に出会う前だったか後だったか、いつ頃だったかは記憶が定かではないのですが、ある時テレビCMで流れていた音楽が気に入り、母親に
「これ何て曲?」
と訊きました。その答えは
「第九。ええ曲でしょ?」
「うん!」

『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』とベートーヴェン『合唱』

 「ダイク」というのがベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』であることを認識したのはもう少し後だったと思います。
 何のCMだったのかもさっぱり覚えていませんが、たぶん年末だったのでしょう。
 ともあれあの有名な

 Freude, schöner Götterfunken …

 おそらくほとんどの人が知っているであろうあの合唱部分が大いに気に入り、いつか全曲を聞いてみたいと思っていました。

 子供にとっては大きな買い物だった『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』以降、当時500円程度だったシングルレコードはいくつか買っていましたが、それから数年後、音楽関係で二つ目の「大きな買い物」となったのが、ベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』でした。
 なぜレコードではなくカセットテープにしたのかはよく覚えていませんが、お値段的にはヤマトと同じぐらいで、中学生としてもやはり「大きな買い物」には違いありませんでした。
 のちに割と詳しい友人から聞いたところでは、録音が良いからそれなりのお値段ということでした。安物のレコードプレーヤーやラジカセしかなかった我が家には宝の持ち腐れではありましたが(^^;)
 買って初めて聴いた時には、気に入っていた合唱が第4楽章であることも知らず、初めから聴いていたため、第2楽章で寝てしまったりもしましたが……(苦笑) 

 その頃、テレビでは『題名のない音楽会』のような音楽番組がいくつかあり、こういう番組も見るようになって、他のクラシックも知るようになります。そのうち、テレビではCMや番組の中でBGMで結構クラシックが使われていることにも気付きました。
 そうして知った曲、気に入った曲のテープをぽつりぽつりと買い集めていきました。

 ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』。
 ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』。
 チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番……。

 別にクラシックが高尚だとか敷居が高いとか、そんなことは露とも思わず(今だって思ってません)、廉価版のカセットの存在を知ってからは、さらにクラシックのテープを買うようになりました。
 まぁ小学生の頃からアイドルとかにはあまり興味はなく、これもテレビCMでサビが流れていた谷村新司『昴』を気に入ったりしていましたから、もともと他の子よりもだいぶシブめの好みではあったのかも知れませんが。

 そんなこんなで当時から今まで、もし好きな音楽のジャンルは? と訊かれたなら「クラシック」となるのですが……これまでの経緯を見ていただければご理解いただけるかと思いますが、「クラシック」も好きとはいえ、一番好きなのは「交響曲」というのが本音です。ただそれでは通じにくいので、便宜的に「クラシック」という答えになりますが……。
 専門家からは何一つ同意されないでしょうが、私から見れば、ベートーヴェンの『合唱』とヤマトの『明日への希望 ~夢・ロマン・冒険心~』は、与えうる感動の種類からみて同じカテゴリーの曲と考えることができる、と思っています。

 ちなみに『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』に付いていた解説には、一曲ごとに作曲・編曲の宮川秦氏とプロデューサーの西崎義展氏の対談が載っており、クラシックに触れた内容がたくさんあります。

「ぼく(西崎)はこの曲(『序曲』)をきいたとたん、思い出したのが『白鳥の湖』なんですよ。少年時代に初めてあの『白鳥の湖』の序曲をきいた時、限りなく広がる夢と切なさを感じた記憶があるけど、それを思い出しました」
「現代の子供たちはシンフォニーの良さを知りませんよね、メロディとかリズムばっかり追って……。こうした曲を通じて、シンフォニックサウンドのすばらしい質感、スケールの大きさを感じ取ってもらいたいな」

「これ(『決戦』)もチャイコフスキーを思い出させるね」
「そうなの。これもチャイコフスキーなの」
『1812年』という序曲で、ナポレオンが進撃するときはラ・マルセーユは勢いよく響くけど、雪に阻まれてとぼとぼと敗走するときには、ラ・マルセーユが次第に消えていくのね。あのイメージを思わせる」
「今の若い人たちはあまりクラシックを受け入れないけど、クラシックの中にもチャイコフスキーとかベートーヴェンとかロマン派の音楽の中には、ストーリー性のある楽しいものもあるわけで、そういう要素を現代のシンフォニーとして受け入れてほしいですね」

「クラシック音楽はなにも知性と教養で聞くものじゃなくて、肌で感じればそれでいいんだ。今の若い人たちにも大編成のシンフォニーの楽しさを味わってほしいな。(中略)楽器の本質から出る迫力はやはりシンフォニーですよ」

別にこの解説に乗せられたわけではないのですが、後から読むとまるで乗せられたみたいですな(^^;)
 それにしてもこの解説は45年ほど前の文章ですが、今読んでもまったくそのままあてはまる内容だと思います。

 そして『銀河英雄伝説』。
 なぜヤマトの音楽の話から『銀河英雄伝説』につながるかと言えば、石黒版と呼ばれるアニメではBGMにクラシック、しかも交響曲がふんだんに使われていたからです。
 次回、クラシックとSFにまつわる半世紀の思い出の振り返り、たぶん最終回(笑)。


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『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』-半世紀の想い出その2

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ジャンル : アニメ・コミック

『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』-半世紀の想い出その2

 小学生の頃、生まれて初めて買ったLPレコード『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』

 親友の家で初めて聴いた時はとんでもなく感動したものですが、親戚のお兄ちゃんにレコードから録音してもらったカセットテープを聴いた時は、同等の感動は得られませんでした。
 もちろんどの曲も素晴らしい曲で、『序曲』の壮大な盛り上がりの部分や『誕生』でヤマトのテーマに至るまでの軽快なメロディなど、何度も繰り返し聴き続けていました。
 ただ、初めて聴いた時のあの衝撃的な感動がどの部分だったのかも忘れていたある時。

 それまでイヤホンといえば片耳だけの安物でしたが、何かの機会に初めて両耳のイヤホンを経験しました。
 そうかそうか、両耳だと左右から音が分かれて聞こえるのか……と気づき(この時初めてモノラルとステレオの違いを知った)、あの『明日への希望 ~夢・ロマン・冒険心~』後半を聴いた時……

「これだ!!」と飛び上がらんばかりの衝撃が甦ったのです。

      *      *      *

『明日への希望 ~夢・ロマン・冒険心~』の後半は、

 ララーラララー、ラララララー……♪

というコーラスが何度か繰り返されます。
 さてここからは音楽的知識もないのであまりうまく説明できませんが、ステレオイヤホンによって改めて気づいたのは……

 後半部分、「ララーラララー……」のコーラスはやや控えめな男声で始まります。
 このパートの最後、

 ララーララ ラララララー♪

は男声コーラスによる旋律が下がって終わります。
 モノラルでは男声コーラスに紛れて聞き取りにくいのですが、バックではポーン、ポーンとエレキギターでメロディが奏でられています。このメロディ、男声コーラスが下がって終わるのに対して、上がって終わるんですね。
 こういう書き方でお分かりいただけるかどうか……
男声が

 ララーララ ラララララー

に対して、バックのエレキギターは

 ララーララ ラララララー

と上がり調子で終わるのです。(エレキギターは当然「ラララ―」ではないですが比較ということで ^^;)
 この後は女声コーラスがメインとなり、最後は下がって終わりますが、そのバックではオーケストラの演奏が、先ほどのエレキギターと同じ旋律を奏で、上がって終わります。
 続くパートではバックに男声コーラスも加わりますが、メインの女声コーラスが下がって終わる時、今度はバックの男声コーラスが上がって終わっています。これもステレオイヤホンでないと気付きませんでした。

 単に同じメロディが繰り返されているのではなく、高低の異なる旋律をコーラスや楽器がそれぞれ奏で、それらが組み合わされることによって生み出される美しさ。そしてパートごとにその組み合わせが変わりながらも、繰り返しながら盛り上がっていく壮大さ。

 親友の家で初めて聴いた時は、たまたまバックの音が聞こえやすい方のスピーカーの前にいたのだと思います。
 親戚のお兄ちゃんに録音してもらったカセットテープは確かにステレオだったのですが、当時自宅で持っていたラジカセはスピーカーが一つしかありませんでした。モノラルだとメインの主旋律の方が大きく、バックの音はあまり聴き取れません(当時だけでなく今でも、PCの外部スピーカーで聴くと同じことで、ステレオイヤホンでないと聴き取れませんね)。だからステレオイヤホンを手にするまで、バックの旋律まで意識した組み合わせの美しさに気付かなかったのです。

 このような技法というか表現というか、何か呼び方があるのか、あるなら何と呼ぶのかは分かりません。ただ子供心に、音楽といえば主旋律だけを追っていたのが、複数の旋律や演奏の重なりによって生み出される美しさ、壮大さに圧倒されたのでした。
 繰り返されるに伴ってだんだん盛り上がっていく過程はラベルの『ボレロ』のような力強さがあり、さらに男声が「ラララララー⤴」と上がって終わるのが、文字通り「高らかに歌い上げる」といった感じでものすごく気に入り、この個所も何度も繰り返し聞いていました。
 男声コーラスと女声コーラスのハーモニーは、ベートーヴェン『合唱』の二重フーガにも似た荘厳ささえ感じます。

 そんなこんなで、もし「すべての音楽の中でいちばん好きな曲は何か?」と聞かれれば、まずこの『明日への希望 ~夢・ロマン・冒険心~』を挙げたい……のですが、なかなか知っている方がおられないので、詳しく説明できる場合に限られますが(^^;)

交響組曲 宇宙戦艦ヤマト(1977)

 そしてこの曲を含む『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』が、その後の音楽の好み全体を決定づけることになります。
 さらに続きます。

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『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』-半世紀の想い出 その1

 このタイトルから若い方はリメイク版の『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト2202』のことと思うかもしれませんが、そちらではなくてオリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』から1977年に生まれたアルバムです。
Wikipediaによれば、「『宇宙戦艦ヤマト』のBGMをオーケストラ向けに再編曲・再編成したインストゥルメンタル・アルバム。1977年12月25日にLPレコード、カセットで、日本コロムビアより発売」

交響組曲 宇宙戦艦ヤマト(1977)

 このアルバムは小学校の5年か6年の頃、友人の家で聴いて初めて知りました。

 当時(1970年代後半、昭和でいうと50年前後)は同級生どうしで遊ぶ時、結構お互いの家を行き来していました。
 同級生の家は豪勢な一軒家もあれば一軒家なんだけど明らかにボロ家(失礼!)だったり、公団住宅だったり、安アパートだったりといろいろでした。思い起こせば、明らかに現代と同等以上の格差が存在していました。しかしこれだけは強調しておきたいのですが、子供たちはそんなことは一切気にせず、自分の家を自慢したり人の家を蔑むことなどなく、分け隔てなく交流していました。
 細かい経緯は忘れましたが、なぜだか同級生数名でY君の自宅(たしか公団住宅)に集まり、子供たちだけで袋入りのインスタントラーメンを作って食べたことがあります。私はこの時が袋入りインスタントラーメン初体験で、美味しいと感動したものです。イマドキは子供たちだけで危ないだのなんだの言われそうですが、こういう経験というのは大事なんじゃないかと思っています。
 (突然ですが、はっきり言ってドラえもんワールドの方が(少なくともメインキャラ間では)はるかに格差が無いというか上流家庭ばっかりで、そのくせ差別や暴力的いじめが結構多い。陰険さは少ないのがせめてもの救いか…?)

 そんな友人の一人、H君の家は広い二階建ての一軒家で、たぶんお金持ちだったのでしょう。しかしH君はそんなことはまったく意識する様子もなく、貧乏人の私らとつるんで遊んでいました。
 同級生数名で彼の家に遊びに行った時、たぶん高級だったのでしょう、大きなオーディオセットがあり、それで初めてこのアルバムを聴かせてくれたのです。

 広い部屋で皆は音楽を聴き流しながらマンガを読んだりだべったりしていましたが、たまたま私はスピーカーのそばにおり、このアルバムの『明日への希望 ~夢・ロマン・冒険心~』が耳に入りました。
 前半は有名なあのスキャット。
 そして後半、主旋律のメロディと一緒に、それとは違うメロディが並行して奏でられていることに気付きました。思わずスピーカーに耳をつけんばかりに顔を近づけ、そのメロディを聞き取ろうとしました。
 皆はそんなことは気づきませんから何をしてるんだろう、と思ったことでしょう。ただこの時、それまで音楽といえば主旋律ばかりを追っていたのが、異なる旋律のメロディの集合、その美しさに気付いたのです。

 翌年正月。
 H君の家で聴いた『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』の感動が忘れられず、思い切ってお年玉で買ってしまいました。レコードを買うというのはこの時が生まれて初めてで、小学生としては一大決心でしたねえ(^^;)
 当時家の近くに住んでいた親戚のお兄ちゃんも割とオーディオに凝っていたようで、LPレコードは傷がつくからカセットテープに落としてテープを聴き、レコードの方は大切にとっておくと良い、と言って、そのアルバムをカセットテープに落としてくれました。
 ただ、自宅にあったラジカセでは、H君の家で感じたほどの感動は得られませんでした。
 当時の感動がよみがえったのは数年後、モノラルとステレオの違いに気付いてからでした。

 若い方にはLPレコードとかカセットテープとか通じないだろうなあ……ゴメンm(_ _;)m
 次回に続きます。


テーマ : 宇宙戦艦ヤマト
ジャンル : アニメ・コミック

偉大なる半世紀の衆望

 今月に入ってからあまりブログに手を付けられていませんが、いろいろあって深く静かに沈没中……

      *      *      *

 沈没といえば。
 2023年2月13日、休憩時間にふと携帯からツイッター画面を見ると、「#日本沈没」がトレンドに上がっていました。
 さては誰かが日本の状況を「日本沈没」に例えたか!? と思いましたが、実はこの日の13時より、1973年版の映画『日本沈没』がBSで放送されていたそうです。といってもこの日は仕事だし、そもそもうちはBSなんて観られないのですが、それでも「日本沈没」が注目されるのは小松左京ファンとして非常に嬉しいものです。

小松左京ライブラリ

 そしてなぜこれが取り上げられたか……一つには、小説『日本沈没』が出版され、映画が公開されたのが1973年。上のツイッター画面にありますように、「日本沈没」は今年50周年を迎える、というわけです。
 ちなみに今年は1923年(大正12年)の関東大震災からも、ちょうど100年の年に当たります。

 半世紀!
 この半世紀の間に『日本沈没』は映画やドラマや漫画で何度も描かれ、様々な作品のモチーフに取り入れられ、さらには現実においても、地学的な意味ではない経済的・社会的な意味において「日本沈没」が唱えられています。
 実に半世紀もの間、これほどまで何度も取り上げられ、注目されるコンテンツはそれほど多くないのではないでしょうか。


 そして2月13日はもう一つ、松本零士先生が逝去されました。
 手塚治虫先生小松左京先生と同じぐらい、一つの時代の終わりを感じさせる、大きなニュースでした。
 松本ワールドの中でも特に話題となる、知名度の高い作品といえばおそらく『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』の2シリーズになるのではないでしょうか。もちろん他にも多数の作品やキャラがありますが、大雑把にみて『999』を中心にほとんどの松本ワールドが取り込まれた巨大世界が形作られる一方、『ヤマト』は一部重なりながらも独立した、一本の太い世界を構成しているように感じます。
 むろん現実には『ヤマト』について原作者問題などいろいろと複雑な問題があったことは確かですが、ほとんどの人にとって「松本零士」と『ヤマト』は切り離せないものであり、『ヤマト』も松本ワールドの一部であることに異存はないと思われます。

宇宙戦艦ヤマトオープニング

宇宙戦艦ヤマトオープニング

 『宇宙戦艦ヤマト』が最初に放送されたのは1974年。こちらもほぼ半世紀が経過しています。途中いろいろとありながらも、やはり半世紀もの間何度も取り上げられ、注目されてきたコンテンツの一つと言えるでしょう。

      *      *      *

 昨今話題になっているもので、人気の出たものの中で、半世紀未来でも多くの人々が多少なりとも知っている……そんなコンテンツはどれほどあるでしょうか。
 もちろん当時に比べて現代は価値観や趣味嗜好の多様化、世の中の複雑化、文字通り掃いて捨てるほどの情報過多の中にあり、誰もが目を向けるほどの共通の話題が生まれにくくなっていることもあるでしょう。
 どちらが良いかは一概に言えることではありませんが、多様化・複雑化から分断化に向かう懸念すらある現代から振り返ると、誰もが知っているほどの「ブーム」が世の中を席巻していた時代を、ある意味懐かしくも感じます。

 もちろん全員が同じ方向を向く必要はありません。むしろそんな画一化も決してよくない。
 かつて、男は誰でもタバコを吸って当たり前、野球ファンであることが当たり前、と言われた時代がありました。今でもオリンピックやサッカーには誰でも熱中して当たり前、誰でもディズニーランドが好きで当然、といった「全体主義的」嗜好は現存しており、その信奉者は他のものを排斥しようとします。
 小松左京や松本零士を知らない人がいても別に構わないのとまったく同様に、オリンピックに興味がなかったりディズニーランドが嫌いな人がいてももちろん良い。

「オリンピック? やってたの? 僕は見てないけどどうだったの? へえ、良かったね!」

「みんな見てるんだから見ようよ」などと言うような全体主義者は論外として、互いの興味の対象について、否定せずにこれぐらいの距離感で語り合うぐらいがちょうど良いのではないでしょうか。その中で、おそらく半世紀後も語り継がれるような出来事やコンテンツがこれからも生まれてくると期待したいものです。

 ただしオリンピックといえば、選手の頑張りとはまったく別の話として、オリンピック汚職は徹底的に追及することは切に、切に希望してますが(-_-;)

謹賀新年 - 2023年 AMPは警察の枠を超えるか

 皆様、あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします m(_ _)m

 2022年もいろいろとありましたが、最も大きな事件の一つとしてウクライナとロシアの戦争が挙げられると思います。未だ解決に至らず長期戦の様相を呈していますが、今年は平和に近づくよう祈りたいものです。
 またこちらにも書きましたように、2022年はツイッター上で「あと90年」という言葉も話題になりました。かのドラえもんの誕生日が2112年9月3日なので、ドラえもん誕生まであと90年。鉄腕アトムの2003年にも思いましたが、SFで描かれる遥かな未来が、それなりに実感の沸いてくるところまで近づいてきているのも不思議なものです。

      *      *      *

 さて。
 ここ数年、元旦にはその年にまつわるSFを掲載していますが(いつまで続くかなあ……ネタ切れにならないかなあ……2024年のネタ、今から募集しようかな ^^;)、タイトルの「AMP」というのは麻宮騎亜先生の『サイレントメビウス』に登場する、警察内の特殊部隊。これが設立されたのが2023年です。
 『サイレントメビウス』。1988~89年に連載、90年代にテレビアニメや劇場アニメが作られ、スピンオフ作品や続編もあるようですが、原作全12巻しか見ていなかったため、相違などありましたらご容赦ください。

 この作品では2000年頃から妖魔(ルシファーホーク)と呼ばれる邪界(ネメシス)からの存在が引き起こす事件が増加し、その対策として対妖魔用特殊警察(Attacked Mystification Police Department;AMP)が2023年に設立されます。
 物語の舞台はその3年後、2026年の東京。
 おそらく現在よりもはるかに高い、その壁は窓が並ぶビルというよりも巨大化したサーバーか何かのように見える超高層建築が幾層にもひしめき合う一方、街は雑多で荒廃した雰囲気が漂い、スクリーンをぶら下げた飛行船が「酸性雨注意報はただいま解除されました」と放送している光景……これは『ブレードランナー』(1982)で描かれたロサンゼルスとよく似ています。 
 原作者の麻宮先生自身、「『ブレードランナー』には、リスペクトがあります。舞台と同じ時代、日本はどうなっている……というところから設定を考えたところもある」と語っているそうです(サイレントメビウス:14年ぶり復活の裏側 マンガ・アニメ史変えた革新性に迫る)。
 妖魔の被害者が「兵器省職員」っていうぐらいだから、日本は再軍備・軍拡してるのかも知れません(何に対して、によっても話は変わりますが)。
 作中で20世紀の文化財として保護されている東京タワーが出てくるのですが、ここでの東京タワー、何と周りを自身よりもはるかに高い超高層ビルに囲まれています。これは「ええーっ」となったなあ(^^;)

2020年の東京タワー
2020年の東京タワー。これが小さく見えるぐらいの超々高層ビルが周りを囲むっていったい……(@_@)

 このAMPのメンバーは魔術や超能力、あるいはサイボーグなど様々な特異能力を持つ6人の女性。その特異能力で、通常の警察装備ではどうしようもない妖魔に対抗するというわけです。
 メンバー1人1人が違った特異能力をもって戦うのは『サイボーグ009』を彷彿とさせますし、警察内組織という点では『機動警察パトレイバー』も連想します。
 しかし特に際立っているのは、メンバー全員が若い女性という点。今でこそ珍しくないようにも思いますが、麻宮氏によれば「AMPのメンバーは全員女性。女性だらけのチームが戦うというのは(米ドラマの)『チャーリーズエンジェル』や(日本のドラマ)『プレイガール』ではあったけど、当時のマンガでは珍しかった。女性には生命を育む力があり、男性よりも強い。『サイレントメビウス』は女性賛歌でもあるんです」とのこと(出典はこちら)。

 AMPは上述のように警察内の一組織ですが、実はAMPのリーダーであるラリー・シャイアンが組織したもの、らしい……。一個人が警察内に組織を作れるのか? と思いますが、実際には事情を説明して警察を動かし作らせた、ということですかね?
 それにしても、彼女はいちばん年上とはいえ、1991年生まれの設定なので、2023年当時で若干32歳! うーむ、ただ者ではない(貫禄ありまくりなので絵的にはもっと年上に見えますが)。しかもですね、この世界では警察ですら民営化されており、警察組織がまともに機能しておらず妖魔と戦えないと見るや、警察を買収して自ら指揮を執るという……!!
 大抵の人はAMPメンバーの中でももっと若かったり可愛かったりカッコいいメンバーのファンが多いでしょうが、個人的にはラリーがいちばんカッコいいと思ってますよ。ちょうど『パトレイバー』の後藤隊長に似た、シブいカッコよさでしょうか。そういえば『ブラックジャック』でも患者を助けるために病院を丸ごと買い取る話がありましたが、あれもカッコよかったですね。

 後藤隊長の場合、現実の警察組織に近い様々な枠組みの中で悪戦苦闘したり、うまく立ち回ったり、諦観したりします。
 一方ラリーの場合は妖魔という日常を完全に超越した存在と相対するため、枠組みを超えて非常手段に打って出る必要に迫られます。
 警察組織や世の中の状況が違うだけで、割とよく似た指揮官ではないでしょうか。

 ネメシスからの侵攻が進むにつれ、人間界がどんどん邪悪になっていくのに対し、邪界(ネメシス)側は浄化が進んでいくというのは何とも皮肉な状況ですが、そもそも両世界の不穏分子を入れ替えることが目的にあった、らしい。
 AMPと妖魔との戦いは多大な犠牲を払いながらも、最終的には敵役一人が諸悪の元凶みたいになって、そいつを倒して人間界と邪界の間に和平が成立します。
 妖魔のような存在でも和平が成立するんだったら、現実世界の人間どうしでも一刻も早く和平が成立してほしいものです。いや、ほんとに。

      *      *      *

 あ、AMPと『パトレイバー』の特車2課が共闘する話って思いついた。舞台は二十数年隔たってるけど、そういえば妖魔事件が起こり始めるのは2000年頃。ちょうど『パトレイバー』の舞台です。特車2課が対処しきれなかった妖魔事件を、タイムスリップか何かでAMPと共闘するとか、どうですかね? どなたか一緒にいかがですか?(^^;)


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テーマ : SF・ホラー・ファンタジー
ジャンル : 小説・文学

アニメ『夏へのトンネル、さよならの出口』

 2022年10月1日。
 この日は久しぶりに同じ日が休みとなったため、その前日に妻が「映画に行きたい」と言い出しました。
「何ていう映画?」と私。
「夏への扉」
「ん? ハインライン原作?」
「確か原作があるはずだから、そうじゃないかな」
「『夏への扉』はハインラインの古典的名作SFだけど、そういえば映画化されたんだっけ?……上映中作品には見当たらないけど」
「えっと……あ、これこれ」
「『夏へのトンネル』?……ってちゃうやん」(笑)

『夏へのトンネル、さよならの出口』入場者特典
 早い上映回を選んで新宿のバルト9で観ましたが、この日の入場者特典は「さよならのあと、いつもの入り口」と題された30ページほどの小冊子。原作者の別作品? と思ったら、本編の続編でした。こういう特典も面白いですね。

八目迷氏サイン(印刷)
最後のページには原作者のサイン(印刷ですよ、念のため)。

      *      *      *

 「ウラシマトンネルに入ると、欲しいものは何でも手に入る」という都市伝説。しかし、出てくると外では長い時間が過ぎ去っている、つまり代わりに時間を失ってしまう……(ちょうど亜光速宇宙船に乗って帰ってくると地球では膨大な時間が過ぎているような、いわゆるウラシマ効果ですね)。
 本作の紹介を見ると「ボーイ・ミーツ・ガール」ものだとか「ひと夏の物語」系だとか言われてますが、一言で言うなら「過去への決別と未来をつかみ取る物語」でした。
 「ウラシマトンネル」もなかなかうまく利用されていて、よく出来た短編SFだと思います。

 以下、完全なネタバレとなります。ご了承のうえで、下の「続きを読む」から、または以下の文章にお進み頂きますよう、お願いいたします。

続きを読む

テーマ : 特撮・SF・ファンタジー映画
ジャンル : 映画

あと90年

 2022年9月3日。何気なくツイッターを見ておりますと、「#あと90年」というワードがトレンドに上がっていました。
 何だろう、と見てみますと、ドラえもんの誕生日が2112年9月3日。ドラえもん誕生まであと90年、というわけです。

JR登戸駅のドラえもん
 JR登戸駅に描かれたドラえもん。

 『ドラえもん』は1969年に連載が始まっていますから、作品発表時からみると実に143年先の未来ということになります。確かにそれほど未来だと想像できないというか、「なんでもアリ」な気になってしまいますね。
 その遥か未来から来たドラえもん、 

「きみは年を取って死ぬまで、ろくなめにあわないのだ」


 などとのび太を脅します。ドラえもんの持ってきたアルバムを見てみると……

1979年 大学入試らくだいなぐさめパーティー
1988年 しゅうしょくできなくて自分で会社をはじめ
(フレームで切れてる)
1993年 会社丸焼け記念
1995年 会社つぶれ借金取りおしかけ記念


 会社丸焼けの横で花火持ってるのび太って……いささかおふざけが過ぎる気もしますが(苦笑)
 それにしてもこのエピソード、どれももはやはるか昔のことですよ! 現在の版でもこのままなのかな?

 そこでご存知のように、のび太の孫の孫であるセワシが過去(のび太にとっては未来)を変えるべく、ドラえもんを現代に遣わせたわけですが……

「ぼくの運命が変わったら、きみ(セワシ)は生まれてこないことになるぜ」
「心配はいらない。他でつりあいとるから。
 歴史の流れが変わっても、けっきょくぼくは生まれてくるよ。
 たとえば、きみが大阪へ行くとする。いろんな乗り物や道すじがある。だけどどれを選んでも、方角さえ正しければ大阪へ着けるんだ」


 のび太にしては鋭い指摘に対して、セワシの答えはどうでしょうか?
 確かにセワシに「相当する存在」は生まれるでしょうが、セワシそのものではないですよね……??
 柳田理科雄先生は、本当にそうならダブル不倫的なことがなければならなくなる(笑)なんてたしか『空想科学読本』で述べておられました。
 一方で『ドラえもんのひみつ』?だったかそうした本で、あれほど科学の進んだ道具がたくさん出てくる中で、くだんのアルバムだけは古色蒼然とした昔ながらのものだったので、実はあの中身はのび太を奮起させるための「創作」だったのだ、という説が展開されていたと記憶しています。
 理屈で言えばこれがしっくりくるのですが、また一方ではアルバムの未来を否定するのは作者の本意ではないとか、ファンタジーなんだからアルバムの未来もセワシの説明も「あり」でいい、という主張もみかけます。
 どれが正しいのか……いや、正解がないのが正解、と考えるべきでしょう。セワシの説明を受けたのび太は、何となく怪訝そうな表情をしています。おそらくそれは作者の藤子・F・不二雄先生自身の表情なのでしょう。

 あと90年! 私らは確実に生きていないでしょうが、今頃に生まれた子どもたちは、その時代を見ることができる可能性があるわけです。
 願わくば、平和で心豊かな世界となっていますように。


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へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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