映画「宇宙戦艦ヤマト2202 第五章 煉獄篇」感想

へろんです。
昨年10月に旧友と一緒にヤマト2202の第三章を観に行ったものの、第四章は友人との予定が合わず、結局観に行きませんでした。この度、久しぶりに予定が合ったため、第五章を一緒に観てきました。

第四章を観なかったのでネット上で情報を漁っていると、おお、第四章までのダイジェストがアップされているではありませんか。
ふむふむ、やっぱりデスラーが登場したのね。えー、第三章でも揉めてた波動砲問題、まだ引きずってたのか……。で、テレサが登場……って何だかお目々がパッチリすぎてどうも違和感が……
とか何とか思いながら、映画館へと赴きました。 

「宇宙戦艦ヤマト2202 第五章 煉獄篇」より
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第五章 煉獄篇 本予告(60秒ver)より拝借。以下キャプチャ画面同様。

日曜日の午後、大阪は梅田のど真ん中の映画館。日曜日の割にはかなり空いてました。
オープニングに続く舞台は、意外にも28年前(地球年??)の惑星ガミラス。何と、前半はデスラー立志伝とは。これは驚きました。
若かりし頃のデスラー(いやあの28年前とかが地球年だとすると、今でもデスラーは総統、違う相当……(このシャレを言うとデスラーに抹殺されますな@ヤマトオリジナル版第一作)…相当若いことになりますね)を見て思い出したのは、山田高明「宇宙戦艦ヤマト解体新書」(三一書房、1997)

「宇宙戦艦ヤマト解体新書」表紙
この本はツッコミどころ満載のヤマトキャラに鋭いツッコミを入れまくる楽しい本で、その中にある「推理・デスラー伝」では、デスラーが権力を握り地球侵攻を開始するまでの人生を推理(あくまでも著者の個人的想像のようですが)しています。また終章「こんなヤマトが見たい!」でも、そんなストーリーの一つとして「ヤマト外伝・デスラー自伝」を挙げています。
そうした希望を、このリメイクが実現してしまったのですね!

そして後半ではガトランティス艦隊と地球防衛艦隊の「土星沖海戦」(宇宙なんだから「土星宙域会戦」ぐらいが良いようにも思いますが)にかなりの時間が割り当てられています。

「宇宙戦艦ヤマト2202 第五章 煉獄篇」より

ヤマト一隻だけが活躍してその他の艦艇はほとんど注目されないのはオリジナル版以来のヤマト作品の不満点でしたが、それを払拭するかのように両艦隊とも多くの種類の艦艇が登場するのは嬉しい限りです。

「宇宙戦艦ヤマト2202 第五章 煉獄篇」より


「宇宙戦艦ヤマト2202 第五章 煉獄篇」より

……ってどこまで増えるんだ、地球艦隊!?
第三章感想では、ガトランティスの文明スケールは違いすぎて地球と同列では論じられない、と書きましたが、ここでは圧倒的物量を誇るガトランティスに、それと匹敵する物量で対抗しようとしています。いくら時間断層工場があるからって……たとえ時間はあっても、艦体を造る資源は?(かつて第十一番惑星で放棄された250万隻のガトランティス艦隊を使ったとか?) 操艦する人員は?(AIという単語がちらちらと出てたし、動きものっぺりしていたので、ほとんどは無人艦かもしれませんが……)

「宇宙戦艦ヤマト2202 第五章 煉獄篇」より

第二章感想でも触れた、昔のHPにも載せた邦画「ローレライ」感想文に書きましたように、 「アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ」 (池田憲章・編、徳間書店,1982年) に掲載された中谷達也氏の文章には「ヤマトはついに現実に銃をとることができなかった、かつての愛国少年の夢の実現なのだ」という文章があります。

「アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ」表紙

第二次世界大戦において、日本はアメリカの物量の前に敗れ去りました(それだけが理由ではありませんが……)。だから今度は、こちらも物量で押し返してやるんだ!! ……この壮大な物量戦は、もしかしてそんな意識もあったのではないでしょうか?

「宇宙戦艦ヤマト2202 第五章 煉獄篇」より
ガトランティスの大型空母、艦体の上面と下面に滑走路がある(宇宙でそれが要るかどうかは置いといて)斬新なデザインですが、上下のない宇宙なのにわざわざ回転させて下面も上面にしてから発進させたのはオリジナル版でもツッコミどころでした。それが今回は回転させながら発進させてる! 遠心力を利用するにしても、それなら遠心力の向きと滑走路の方向が合わないのでは……。

「宇宙戦艦ヤマト2202 第五章 煉獄篇」より
それにしても、もともとは最強の切り札で、取り扱いには慎重を要したはずの波動砲……もう大安売りの通常兵器扱いですね。
ここまで艦隊戦に時間を割いたのは、ある意味「銀河英雄伝説」の影響でしょうか? でもそれならもう少し戦術面をしっかり描き込んでほしかったですね……。

今回出番の少なかったヤマトでは、第三章から怪しさ全開だった桂木透子、スパイだとばれて独房に収監されてるんですね。……って隣と会話できたり、自由に人が出入りする独房ってありですか??
そして加藤が迫られる選択って……従ったら結局ヤマトも地球も滅びるわけで、助けることはできないんですが……。何か裏で策があったのかも知れませんが、見てる方に分からなかったら仕方ないですね。

第五章ではデスラー立志伝や土星沖海戦など、オリジナルでは描き切れなかったところにスポットを当てたのは嬉しいところですね。これらは同人活動や二次創作などでも結構取り上げられています。
やはり、第二章感想にも書きましたように「リメイクとは壮大な同人活動である」と思っていますが、それを地で行っているようですね。
ただ一緒に行った友人は「キャラの描き方が荒い」と言ってましたし、私としてもストーリーや登場人物の行動にこれまで書いたようなツッコミどころが結構ありましたので、あと一歩頑張って頂きたいところですね。

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北九州市漫画ミュージアム

へろんです。
九州ツアーの最後、小倉駅から新幹線に乗るまでに少々自由時間があったため、小倉駅からすぐに行けるところとして、北九州市漫画ミュージアムに行くことにしました。

小倉駅そばのあるあるCity
小倉駅からすぐ目と鼻の先、「あるあるCity」という商業施設の5、6階にあります。

なぜこの小倉に漫画ミュージアムか、というと「松本零士氏、わたせせいぞう氏、畑中純氏、北条司氏など北九州ゆかりの著名な漫画家が数多く誕生」していることにちなんでいるようです。この中でSFファンとしてよく存じているのは「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の松本零士氏ぐらいなのですが、松本零士氏は福岡県久留米市のお生まれだそうです。

宇宙海賊キャプテンハーロック
常設展入り口には、撮影可の海賊戦艦《アルカディア》をバックにしたハーロックが。
「宇宙海賊キャプテンハーロック」は1977~1979年に連載された漫画の単行本を持ってましたが、マゾーンとの闘いに決着がつかないまま「第一部完」として未完の状態なのが残念ですね。1978~1979年のTVアニメはほぼリアルタイムで見ていましたが、こちらは妙にあっけなく決着がついてしまったような記憶があります。2013年公開のCGアニメ版映画も観ましたが、これはちょっとなあ……。ハーロックはむしろその後の他の作品に登場する姿が有名ですね。

受付のお姉さまとハーロック
常設展受付の方はメーテルのコスプレのお姿。写真を撮らせて頂けないか伺ったところ、「ここでならいいですよ」と快く応じてくださいました。ハーロックとのツーショットです♪

ハーロックのトリさん
漫画閲覧室にいた「トリさん」。これも松本キャラの中で結構好きです。

さてこの日行ってみて催されていることを知ったのが、「萩尾望都SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」
実は去年は神戸で催されていたのですが、この時は行くことができなかったのですよ。
「日本の少女漫画史におけるSFの黎明期を担った萩尾望都のカラーイラストレーション、コミック生原稿など、約400点のSF原画が大集合」とのこと。ちなみに萩尾望都氏は福岡県大牟田市のご出身だそうで。やはり福岡ゆかりなんですね。

「萩尾望都SF原画展」ポスター
私にとっての萩尾望都作品は「百億の昼と千億の夜」(原作:光瀬龍(1965~1966)、漫画1977~1978)、「スター・レッド」(1978~1979)、「11人いる!」(1975)。
これは左が「百億の昼と千億の夜」の阿修羅王、右が「スター・レッド」の徳永星(セイ)ですね。
その昔、ホームページに書いた拙文でも触れましたが、「スター・レッド」は火星を舞台にしたSFの最高傑作の一つだと思います。

「萩尾望都SF原画展」ポスター
こちらのポスターは「11人いる!」ですね。この作品は11人の登場人物が個性豊かで魅力的でした。誰が11人目か? という謎解きも面白かったですが、Wikipediaでは完全にネタバレしちゃってるなあ……。

「萩尾望都SF原画展」ポスター
こちらは「百億の昼と千億の夜」のクライマックス近く、阿修羅王が帝釈天の軍勢(の幻影)と戦う場面ですね。
「百億の昼と千億の夜」は最初に光瀬龍氏の小説を読んだのですが、十分ついていけず、初めはあまり理解できませんでした。その後萩尾望都氏の漫画版を読んで内容を把握でき、その上で改めて小説を読み直して、原作のすごさに気付かされたものです。

物語の最初の方、国を捨ててシッタータが出家しようとする場面で、「この世のすべてのことは梵天、天の意思による」と説く波羅門に対し、老ウッダカが叫ぶ言葉……

「不幸もか! 人の世の不幸もか! 釈迦国の難儀もか! 貧しさや病気も苦しみもか! それ一切も天の意思か! あなたの出家もか! それではいったい何のための天ぞ!」 

この言葉にすでに作品のテーマが凝集されているように感じます。

「私は相手がなにものであろうと戦ってやる! この私の住む世界を滅ぼそうとする者があるのなら、それが神であろうと戦ってやる!」

そして阿修羅王は戦いを挑み続けますが、物語のラスト、戦いの相手は突き詰めれば「この宇宙の外側の存在」という絶望的なまでに圧倒的な存在であるらしいことが示唆されます。

元旦に書いた記事で紹介した小松左京「果しなき流れの果に」ではこの宇宙を管理する時間管理者に対して戦いを挑みますが、これは「百億の昼と千億の夜」における神との戦いと通じるものがあります。圧倒的な支配者に対して戦いを挑むという姿は、普段抗いがたい様々なものに抑圧されている庶民にとって、とても惹かれる姿といえるのかも知れません。

また「果しなき流れの果に」は「この宇宙の進化を外側から垣間見る」という点で世界でもっともスケールの大きな作品の一つではないか、と書きましたが、「百億の昼と千億の夜」も「この宇宙の外側の存在」を示唆するあたり、やはり世界でもっともスケールの大きな作品の一つだと思います。

そういえば「果しなき流れの果に」「百億の昼と千億の夜」は同じ年の作品でもあるんですね。日本SF史の中でも特筆すべき時代だったといえるかも知れませんね。

メーテルと阿修羅王のコラボ
売店で見つけた、「百億の昼と千億の夜」の阿修羅王と「銀河鉄道999」のメーテルが一緒に描かれたクリアファイル。二人の組み合わせが何とも不思議な感じがして購入しました。時の彼方をめぐるメーテルと、時の果てまで戦い続ける阿修羅王がもしも出会ったら、どんな物語が紡ぎだされるのでしょうか。想像が膨らみます(^^)

手塚治虫「来るべき世界」

へろんです。
今の若い人たちにとっては歴史上の出来事でしょうが、かつて世界はアメリカ合衆国ソヴィエト連邦という二超大国によって二分され、睨み合いを続ける東西冷戦下にありました。
手塚治虫先生の「来るべき世界」はそんな中、1951年(昭和26年)に単行本書き下ろしで刊行されました。「ロストワールド」「メトロポリス」と並んで、「手塚治虫の初期SF3部作」と呼ばれています。

角川文庫版「来るべき世界」表紙

       *       *       *

本作では明らかに米ソを模した、スター国ウラン連邦という二超大国が対立を続けています。日本の山田野博士は、スター国の核実験場である馬蹄島で、生物相が突然変異(作中ではムタチオンと表記。たぶん今でいうmutation ミューテーション)により異常な進化を遂げていることを発見し、国際原子力会議で発表しますが、スター国のノタリアン、ウラン連邦のレドノフの激しい対立の中で誰も耳を貸しません。
両国は軍拡競争に血道をあげ、ウ連邦のウイスキー科学省長官は記者団に「わが地下工場ではいよいよ例の太陽爆弾の連鎖反応を行うことになった」と発表。ついに両国は戦争状態に突入します。
その一方、突然変異により(と作中で推測されているものの、実際のところは不明瞭)人類にとって代わるものとして現れた存在、「フウムーン」が活動を始めます。小さな小人のような存在で、テレパシーや念動力のような能力を駆使します。同胞同士で争いを続けていた人類は、やがてフウムーンに侵攻されていきます。
ところが宇宙ではさらに大きな事件が起こっていました。10年前に新星の爆発でできた暗黒ガス雲がどんどん広がっており、2年後には太陽系に到達し、地球も呑み込まれて全生物は窒息してしまうであろう、というのです。
フウムーンの活動の目的は、この宇宙規模の災害から地球の生物種を救うことでした。フウムーンは集会で指示します。

「動物係は世界中の動物を5万種類、植物係は草や木を3万種類集めるのだ。人間係はいちばんおとなしい人間を500人だけ連れてくる……」

そしてサハラ砂漠に無数の円盤が並び、様々な動植物が運び込まれます。
主人公たちの活躍でかろうじて一機の円盤を入手し、人類はこれをもとに脱出船を建造しますが……欲に目のくらんだ成り上がり者が脱出船の乗船権利を独占し、これに対する暴動で脱出船も破壊されてしまいます。
動植物を満載したフウムーンの大船団が飛び立っていく一方、人類は地球最期の日を迎えようとしていました……。

       *       *       *

現実のアメリカとソ連は直接戦火を交えることはありませんでしたが、本作のスター国とウ連は全面戦争に突入しています。ただしその戦いは、現実で心配されていた全面核戦争ではなく、馬蹄島沖海戦で戦艦ネコイラーズが奮闘し、爆撃機が敵国首都に爆弾を降り注がせるという通常兵器が中心になっています。
本作が発表されたのは1951年。有事の際には核兵器で徹底的に叩きのめしてやるぞ、という「大量報復戦略」をアメリカが宣言したのは1954年です。そして核戦争の象徴的存在ともいわれるICBM(大陸間弾道ミサイル)をソ連が成功させたのが1957年。まさに核兵器の暗雲が世界を覆い尽くしていく直前に描かれた作品としては、実にリアリティのある戦争描写だったのでしょう。
またウ連が開発する「太陽爆弾」というのは水素爆弾を連想させます。人類初の水爆実験は1952年、アメリカによってマーシャル諸島のエニウェトク環礁で行われています。
この他にも突然変異による人類にとって代わるものの出現、テレパシーによる意思疎通、星間ガスによる地球の危機など、物珍しくはないといった感想も散見されますが、なんといっても1951年の作品です。日本の戦後からわずか6年後に描かれた、とんでもなく先見性のあった作品といえるでしょう。

実のところ、これらのネタの中には、本作よりもさらに遡った元ネタがあるものもあるようです。ただ私の敬愛する小松左京先生は角川文庫版(1995年)に書かれた解説で、フウムーンの円盤の大群が一斉に飛び立っていくシーンは「それまで漫画でも小説でも、むろん映画でも見たことはなく、圧巻というほかなかった」と述べておられます。

私がもっとも好きなシーンは、いよいよ地球の最期という時、それまでいがみ合いを続けていたノタリアンとレドノフが手を取り合うシーンです。

「わしの国とあなたの国はいつも争っていたが……思えばバカなことでした」
「なぜもっと仲良くつきあっていけなかったんだろう」
「これが我々が望んでいたものだったんだ」
「そうだ、レドノフくん、まだ遅くない」

「平和だ、平和だ! 地球に戦争はなくなった!」
「人間バンザイ! 世界の文化バンザァイ!!」


隕石が降り注ぐ中、二人が肩を組んで叫ぶシーンには泣かされます。
戦争を体験した手塚治虫先生が、朝鮮戦争の暗雲の中で描いたこの作品で描きたかったことの一つは、正にこのシーンではないでしょうか。
このシーンは手塚治虫オフィシャルサイトの中にある「手塚治虫と戦争」の一ページでも見ることができます。

Wikipediaによれば、1980年には24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスペシャルアニメとして、「フウムーン」のタイトルでアニメ化されたそうです。
ただし……原作との相違の一つとして、「結末でのスター国・ウラン連邦両首脳の和解シーンが無い」そうな。もしかして、ノタリアンとレドノフが「平和だ、平和だ!」と抱き合うシーンがないということですか!? だとしたら、それはいかんだろう!! ここを削ってどうする!!!

さて物語のラスト、あるどんでん返しで地球滅亡は回避され、大団円を迎えます。
「アンハッピーエンドにするつもりだった。が、翌年朝鮮がいったん休戦に入り、まがりなりにも日本が講和条約に調印したので、「来るべき世界」のラストも大団円にし、「もし人類が再び過ちを繰り返すならば、危機はまたやってくるだろう」といった意味の、きざな警告を付け加えた」(角川文庫「ぼくはマンガ家」,1979)
(世界破滅テーマで)「まだ一度も破滅に終わったものを描けないのは、私の生来の気の弱さのためかも知れない」(講談社版手塚治虫漫画全集「手塚治虫エッセイ集3」)と手塚先生は書いていますが、これはやはり手塚先生の優しさ、人類に対してまだ希望を持っていること、を示しているのだと思います。
冷戦終結により世界大戦の危機は遠のいたものの、現代でも世界に争いの種はつきません。それでもやはり、人類の未来に希望を持ち続けていきたいものです。ノタリアンとレドノフが「まだ遅くない」と手を取り合ったように、皆が手を取り合う時代が来ると信じたいものです。

謹賀新年 - 小松左京の描いた2018年

皆さま、あけましておめでとうございます。へろんです。本年もどうぞよろしくお願いいたします m(_ _)m

2018年! 21世紀に入ってからもう18年目です。私たちが小さい頃、21世紀といえばとんでもなく未来のことで、その頃の世の中はもっともっと進んでいるものと思っていましたが、現実の2018年はまだまだそんなに世の中変わってない気がしますね(もちろん変わったところもいっぱいあるのですが……)。

さて、2018年といえば思い出すSFに、小松左京(1931~2011)の「果しなき流れの果に」があります。

角川文庫版「果てしなき流れの果に」表紙

小松左京は星新一、筒井康隆と共に「御三家」と呼ばれる、日本SF界を代表するSF作家で、私にとってすべてのジャンルの中でも一番好きな作家です。そもそも私がSF好きなのも小松左京の影響が非常に大きく、理系に進んだきっかけの一つでもありました。
小松左京の数多くの作品の中でも特に好きなのが、この「果しなき流れの果に」。この作品は小松左京の最高傑作とも言われ、2001年の日本SF作家クラブ会員によるアンケートでは「オールタイム・オールジャンル・ベスト」国内作品1位、最近でも2014年の「SFマガジン」700号「オールタイム・ベストSF」国内長編2位と、日本SFの最高峰の一つとして強く支持されています。

概要や内容は長くなるのでWikipedia等にゆずるとして、この作品が描かれたのは1965年と実に半世紀以上前であるにも関わらず、今読んでもまったく古さを感じさせない、携帯電話がないことぐらいを除けば現代を舞台に描かれていると言ってもほとんど違和感がないことに驚かされます。

この中で、一人の女性が少しずつ年をとりながらも、作中の現在(つまり1965年頃)から半世紀にわたって大阪南部の変化を見つめ続ける場面があります。
彼女の見つめる世界では、テレビの世界中継が当たり前となり、アメリカへ3時間半で行けるジェット機が就航し、八尾空港が拡張されて第二大阪空港となり、葛城と生駒を結ぶハイウェイが開通し、多奈川に原子力発電所が建設され、モノレールやエアカー専用ハイウェイができ、国道26号線が10車線に拡張されてアメリカのホバークラフトが走り、広域行政で「近畿州」が誕生し、第二次市町村統合で南大阪市という大都会が誕生し、日本が月へ探検隊を送り……
そうした変遷を見ながら息を引き取るのですが、その年が2018年

関西空港は恐らくまだ計画もなく、原発事故もまだ起こっていなかったため八尾空港拡張や原発建設があるのでしょうが、それを抜きにしても、今から先の未来を描いたとしても、ほとんど違和感がありません。

この後、作中では主人公たちが恐竜時代から未来は45世紀まで、広大な時空間を駆け巡り、ついにはこの宇宙の進化を外側から垣間見るというクライマックスを迎えます。この場面、世界でも最もスケールの大きな作品の一つだと思います。

今年、2018年の50年後は2068年。いったいどんな世の中になっているのでしょうか。小松左京が1965年に生き生きと2018年までを描き出したように、2068年までの世の中を我々は思い描くことができるでしょうか。
せめて、2068年まで世界が平和で穏やかであり続けてくれますように、現在蓄積している環境問題や国際問題が少しでも好転してくれるよう、祈りたいものです。

映画「宇宙戦艦ヤマト2202 第三章 純愛編」感想

へろんです。
7月に第二章を観に行った旧友と、「宇宙戦艦ヤマト2202 第三章 純愛編」も一緒に行ってきました。

「宇宙戦艦ヤマト2202 第三章」タイトル
『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第三章 純愛篇 本予告60秒ver. より拝借しました。以下同様。

第二章の感想の最後でも書きました、ガトランティスの大戦艦(2202ワールドではカラクルム級と言うそうですね)による “いわしトルネード”(笑)。のっけからやってくれます。

「宇宙戦艦ヤマト2202 第三章」大戦艦の大群

こうして見ると、いわしだけでなく後部メインエンジンの青い光が熱帯魚のアフリカンランプアイを連想させます。艦体のデザインも含めていろんな意味でなんか魚っぽさを連想させますな(^^)
次々とワープアウトしてくる大戦艦、その数1万5000以上……! おお、これまでのヤマトワールドに比べて銀河英雄伝説の主力艦隊に匹敵するスケールですな……

「宇宙戦艦ヤマト2202 第三章」大戦艦の大群

と思ってたら、さらにどんどん増えて、250万隻!?
そこまで増えたらもう文明のスケールが違います。

そんなスケールの違い過ぎる敵に対して、波動砲を使うかどうか悩む古代。いやこういう状況では使わざるを得ないと思いますが、使うと決断するきっかけはいまいちピンときませんでした。
この波動砲問題、暗に核兵器や自衛問題の寓意ということはないかと危惧します。核兵器のような現実問題は、相手も同じメンタリティを持つ同じ人間であるという点を忘れてはなりません。一方、ガトランティスのようにスケールの違いすぎる相手というのは、逆に人間と同じと考えると危険なことになりかねません。
「波動砲使用もやむを得ない、とんでもない敵と戦うこと」と「話せば分かる余地のある、相互理解の可能性のある人間を相手に核兵器や軍事力を使うかどうか」はまったく別物です。これを同列に考えてしまうと、そこには危うさ、キナ臭さが感じられます。本作にはそんな意図はないと考えたいのですが……。

さて波動砲でガトランティスの攻撃を阻止した後、第11番惑星上に漂う250万隻の大艦隊。真田さんがガトランティス人には修理して再利用するといった概念がない、というようなことを言ってましたが……そうなるとこの大艦隊はそのまま放置!? 乗員はどうなるんでしょう? 実はほとんどは無人艦だったとすれば理解可能ですが。あるいは乗員も含めて使い捨て!? 本当にそうなら、やはりメンタリティが違いすぎます。それから250万隻を使い捨てにできるということは、全体ではその数倍以上の艦隊を有していることになります。やはりスケールが違いすぎる……。
ここはいっそのこと、ガトランティスの使い捨て文明に対抗して、エコリサイクルの地球文明が250万隻の大艦隊を再利用するという展開はどうでしょう(笑)

これほどスケールの大きなガトランティスを率いるズォーダー大帝ですが、古代に対して「お前の愛を選べ」と卑劣な選択を迫ることになります。何だかね……超大国の絶対的独裁者の割には、策を弄しすぎというか、やることが小物っぽい気がしてしまいます。神経質な側近辺りがやったこと、なら分かる気もするのですが。
それと、例え古代がどう選ぼうが、冷徹な暴君だったら最終的には3隻とも爆破するのではないかと思います。ただこの時は森雪の行動がたぶんズォーダーの予想を超えていたのでしょう。

そして飛び降りた森雪を助けにコクピットを飛び出す古代。落ちながらもう一度コクピットに戻れるのだろうか……。

この後波動砲をぶっ放して古代と雪も、ガミラス艦3隻も助かったようですが、どういう理屈で助かったのか、どうも分かりませんでした。理屈はともかく、土方さんの指揮は冴えてますね。これで第二代艦長就任かと期待したのですが。

それからキーマンは波動エンジンに何をしたのか? そもそもキーマンの正体は何ぞや!?

いろんな意味で謎の多い第三章でした。
そうそう、宇宙ホタルのエピソードも何だったんでしょうね。てっきり策略の一つかと思ってしまいました……。

「宇宙戦艦ヤマト2202 第三章」発進場面

『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち』第三章 純愛篇 本編冒頭10分【期間限定公開】 より拝借しました、ヤマトの発進シーン。おお、3年前にはガミラスの遊星爆弾で壊滅的打撃を受け、海まで干上がっていたのですが、しっかり日本列島の形が復活してるんですね。

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