大阪・生國魂神社
へろんです。
自分で御朱印を頂くことを始めてみると、御朱印を頂きながら神社仏閣をめぐる企画ものも目に付くようになります。通勤帰りに地下鉄の駅でふと目に留まったのが「オオサカご利益めぐり」のチラシ。露 天神社、大阪天満宮、豊國神社、今宮戎神社、生國魂神社、住吉大社が御朱印とともに紹介されていました。中でも生國魂神社の御朱印は、酉年にちなんだ立派な鶏です。ネットで調べてみると、干支にちなんだ御朱印は1月限定とのこと。動物好きとしてはこれはぜひ頂きたい、と1月28日にお詣りしてきました。

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)、通称「いくたまさん」と呼ばれて親しまれているそうです。



福豆の授与も行われており、頂いてまいりました。節分が近いからでしょうか。宝船を模した袋が素敵です。


御朱印には通常のものと干支御朱印の2種類があるとのこと。初のお詣りなので、2種類頂くことにしました。

通常版御朱印。

一月限定の干支御朱印。

頂いた御朱印の頁に挟んであったあて紙に、干支朱印の説明がありました。
「干支朱印は60年の歳月をかけて一巡りします。」
!!!……なるほど、確かに干支は十干と十二支を組み合わせた60で一回りします。同じ酉年でも、今年の丁酉(ひのととり)と12年前の乙酉(きのととり)では鶏の絵が変わってますね。やはり60種類全部違うようです。私の歳ではもう60種類を集めることは不可能です(泣)
ところでこのあて紙では「平成十七年 己酉」となっていますが、己酉(つちのととり)になるのは1969年、2029年だそうなので、乙酉の誤植ではないかと思われます。

「奉納 タイプカプセル 大阪天王寺ライオンズクラブ」……この場所にはそれ以上の情報は書かれていませんでしたが、大阪天王寺ライオンズクラブのHPによれば、1996年11月12日、35周年記念にタイムカプセル収納式を執り行ったそうです。何が埋まっていて、いつ開ける予定なんでしょうね? 60年一回りの干支御朱印といい、時間の流れを感じさせる場所です。

小説家・織田作之助(1913~1947)の像。このすぐ近くの生まれだそうで、生誕100年を記念して2013年に寄贈されたもののようです。粋なスタイルですね。

江戸時代の作家・俳諧師、井原西鶴(1642~1693)の像もありました。1673年、32歳の時にこの生國魂神社で俳人200人を集めた万句俳諧の興行を催したそうです。(参考:Wikipedia他)
自分で御朱印を頂くことを始めてみると、御朱印を頂きながら神社仏閣をめぐる企画ものも目に付くようになります。通勤帰りに地下鉄の駅でふと目に留まったのが「オオサカご利益めぐり」のチラシ。露 天神社、大阪天満宮、豊國神社、今宮戎神社、生國魂神社、住吉大社が御朱印とともに紹介されていました。中でも生國魂神社の御朱印は、酉年にちなんだ立派な鶏です。ネットで調べてみると、干支にちなんだ御朱印は1月限定とのこと。動物好きとしてはこれはぜひ頂きたい、と1月28日にお詣りしてきました。

生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)、通称「いくたまさん」と呼ばれて親しまれているそうです。



福豆の授与も行われており、頂いてまいりました。節分が近いからでしょうか。宝船を模した袋が素敵です。


御朱印には通常のものと干支御朱印の2種類があるとのこと。初のお詣りなので、2種類頂くことにしました。

通常版御朱印。

一月限定の干支御朱印。

頂いた御朱印の頁に挟んであったあて紙に、干支朱印の説明がありました。
「干支朱印は60年の歳月をかけて一巡りします。」
!!!……なるほど、確かに干支は十干と十二支を組み合わせた60で一回りします。同じ酉年でも、今年の丁酉(ひのととり)と12年前の乙酉(きのととり)では鶏の絵が変わってますね。やはり60種類全部違うようです。私の歳ではもう60種類を集めることは不可能です(泣)
ところでこのあて紙では「平成十七年 己酉」となっていますが、己酉(つちのととり)になるのは1969年、2029年だそうなので、乙酉の誤植ではないかと思われます。

「奉納 タイプカプセル 大阪天王寺ライオンズクラブ」……この場所にはそれ以上の情報は書かれていませんでしたが、大阪天王寺ライオンズクラブのHPによれば、1996年11月12日、35周年記念にタイムカプセル収納式を執り行ったそうです。何が埋まっていて、いつ開ける予定なんでしょうね? 60年一回りの干支御朱印といい、時間の流れを感じさせる場所です。

小説家・織田作之助(1913~1947)の像。このすぐ近くの生まれだそうで、生誕100年を記念して2013年に寄贈されたもののようです。粋なスタイルですね。

江戸時代の作家・俳諧師、井原西鶴(1642~1693)の像もありました。1673年、32歳の時にこの生國魂神社で俳人200人を集めた万句俳諧の興行を催したそうです。(参考:Wikipedia他)
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