手塚治虫「来るべき世界」
へろんです。
今の若い人たちにとっては歴史上の出来事でしょうが、かつて世界はアメリカ合衆国とソヴィエト連邦という二超大国によって二分され、睨み合いを続ける東西冷戦下にありました。
手塚治虫先生の「来るべき世界」はそんな中、1951年(昭和26年)に単行本書き下ろしで刊行されました。「ロストワールド」「メトロポリス」と並んで、「手塚治虫の初期SF3部作」と呼ばれています。

* * *
本作では明らかに米ソを模した、スター国とウラン連邦という二超大国が対立を続けています。日本の山田野博士は、スター国の核実験場である馬蹄島で、生物相が突然変異(作中ではムタチオンと表記。たぶん今でいうmutation ミューテーション)により異常な進化を遂げていることを発見し、国際原子力会議で発表しますが、スター国のノタリアン、ウラン連邦のレドノフの激しい対立の中で誰も耳を貸しません。
両国は軍拡競争に血道をあげ、ウ連邦のウイスキー科学省長官は記者団に「わが地下工場ではいよいよ例の太陽爆弾の連鎖反応を行うことになった」と発表。ついに両国は戦争状態に突入します。
その一方、突然変異により(と作中で推測されているものの、実際のところは不明瞭)人類にとって代わるものとして現れた存在、「フウムーン」が活動を始めます。小さな小人のような存在で、テレパシーや念動力のような能力を駆使します。同胞同士で争いを続けていた人類は、やがてフウムーンに侵攻されていきます。
ところが宇宙ではさらに大きな事件が起こっていました。10年前に新星の爆発でできた暗黒ガス雲がどんどん広がっており、2年後には太陽系に到達し、地球も呑み込まれて全生物は窒息してしまうであろう、というのです。
フウムーンの活動の目的は、この宇宙規模の災害から地球の生物種を救うことでした。フウムーンは集会で指示します。
「動物係は世界中の動物を5万種類、植物係は草や木を3万種類集めるのだ。人間係はいちばんおとなしい人間を500人だけ連れてくる……」
そしてサハラ砂漠に無数の円盤が並び、様々な動植物が運び込まれます。
主人公たちの活躍でかろうじて一機の円盤を入手し、人類はこれをもとに脱出船を建造しますが……欲に目のくらんだ成り上がり者が脱出船の乗船権利を独占し、これに対する暴動で脱出船も破壊されてしまいます。
動植物を満載したフウムーンの大船団が飛び立っていく一方、人類は地球最期の日を迎えようとしていました……。
* * *
現実のアメリカとソ連は直接戦火を交えることはありませんでしたが、本作のスター国とウ連は全面戦争に突入しています。ただしその戦いは、現実で心配されていた全面核戦争ではなく、馬蹄島沖海戦で戦艦ネコイラーズが奮闘し、爆撃機が敵国首都に爆弾を降り注がせるという通常兵器が中心になっています。
本作が発表されたのは1951年。有事の際には核兵器で徹底的に叩きのめしてやるぞ、という「大量報復戦略」をアメリカが宣言したのは1954年です。そして核戦争の象徴的存在ともいわれるICBM(大陸間弾道ミサイル)をソ連が成功させたのが1957年。まさに核兵器の暗雲が世界を覆い尽くしていく直前に描かれた作品としては、実にリアリティのある戦争描写だったのでしょう。
またウ連が開発する「太陽爆弾」というのは水素爆弾を連想させます。人類初の水爆実験は1952年、アメリカによってマーシャル諸島のエニウェトク環礁で行われています。
この他にも突然変異による人類にとって代わるものの出現、テレパシーによる意思疎通、星間ガスによる地球の危機など、物珍しくはないといった感想も散見されますが、なんといっても1951年の作品です。日本の戦後からわずか6年後に描かれた、とんでもなく先見性のあった作品といえるでしょう。
実のところ、これらのネタの中には、本作よりもさらに遡った元ネタがあるものもあるようです。ただ私の敬愛する小松左京先生は角川文庫版(1995年)に書かれた解説で、フウムーンの円盤の大群が一斉に飛び立っていくシーンは「それまで漫画でも小説でも、むろん映画でも見たことはなく、圧巻というほかなかった」と述べておられます。
私がもっとも好きなシーンは、いよいよ地球の最期という時、それまでいがみ合いを続けていたノタリアンとレドノフが手を取り合うシーンです。
「わしの国とあなたの国はいつも争っていたが……思えばバカなことでした」
「なぜもっと仲良くつきあっていけなかったんだろう」
「これが我々が望んでいたものだったんだ」
「そうだ、レドノフくん、まだ遅くない」
「平和だ、平和だ! 地球に戦争はなくなった!」
「人間バンザイ! 世界の文化バンザァイ!!」
隕石が降り注ぐ中、二人が肩を組んで叫ぶシーンには泣かされます。
戦争を体験した手塚治虫先生が、朝鮮戦争の暗雲の中で描いたこの作品で描きたかったことの一つは、正にこのシーンではないでしょうか。
このシーンは手塚治虫オフィシャルサイトの中にある「手塚治虫と戦争」の一ページでも見ることができます。
Wikipediaによれば、1980年には24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスペシャルアニメとして、「フウムーン」のタイトルでアニメ化されたそうです。
ただし……原作との相違の一つとして、「結末でのスター国・ウラン連邦両首脳の和解シーンが無い」そうな。もしかして、ノタリアンとレドノフが「平和だ、平和だ!」と抱き合うシーンがないということですか!? だとしたら、それはいかんだろう!! ここを削ってどうする!!!
さて物語のラスト、あるどんでん返しで地球滅亡は回避され、大団円を迎えます。
「アンハッピーエンドにするつもりだった。が、翌年朝鮮がいったん休戦に入り、まがりなりにも日本が講和条約に調印したので、「来るべき世界」のラストも大団円にし、「もし人類が再び過ちを繰り返すならば、危機はまたやってくるだろう」といった意味の、きざな警告を付け加えた」(角川文庫「ぼくはマンガ家」,1979)
(世界破滅テーマで)「まだ一度も破滅に終わったものを描けないのは、私の生来の気の弱さのためかも知れない」(講談社版手塚治虫漫画全集「手塚治虫エッセイ集3」)と手塚先生は書いていますが、これはやはり手塚先生の優しさ、人類に対してまだ希望を持っていること、を示しているのだと思います。
冷戦終結により世界大戦の危機は遠のいたものの、現代でも世界に争いの種はつきません。それでもやはり、人類の未来に希望を持ち続けていきたいものです。ノタリアンとレドノフが「まだ遅くない」と手を取り合ったように、皆が手を取り合う時代が来ると信じたいものです。
今の若い人たちにとっては歴史上の出来事でしょうが、かつて世界はアメリカ合衆国とソヴィエト連邦という二超大国によって二分され、睨み合いを続ける東西冷戦下にありました。
手塚治虫先生の「来るべき世界」はそんな中、1951年(昭和26年)に単行本書き下ろしで刊行されました。「ロストワールド」「メトロポリス」と並んで、「手塚治虫の初期SF3部作」と呼ばれています。

* * *
本作では明らかに米ソを模した、スター国とウラン連邦という二超大国が対立を続けています。日本の山田野博士は、スター国の核実験場である馬蹄島で、生物相が突然変異(作中ではムタチオンと表記。たぶん今でいうmutation ミューテーション)により異常な進化を遂げていることを発見し、国際原子力会議で発表しますが、スター国のノタリアン、ウラン連邦のレドノフの激しい対立の中で誰も耳を貸しません。
両国は軍拡競争に血道をあげ、ウ連邦のウイスキー科学省長官は記者団に「わが地下工場ではいよいよ例の太陽爆弾の連鎖反応を行うことになった」と発表。ついに両国は戦争状態に突入します。
その一方、突然変異により(と作中で推測されているものの、実際のところは不明瞭)人類にとって代わるものとして現れた存在、「フウムーン」が活動を始めます。小さな小人のような存在で、テレパシーや念動力のような能力を駆使します。同胞同士で争いを続けていた人類は、やがてフウムーンに侵攻されていきます。
ところが宇宙ではさらに大きな事件が起こっていました。10年前に新星の爆発でできた暗黒ガス雲がどんどん広がっており、2年後には太陽系に到達し、地球も呑み込まれて全生物は窒息してしまうであろう、というのです。
フウムーンの活動の目的は、この宇宙規模の災害から地球の生物種を救うことでした。フウムーンは集会で指示します。
「動物係は世界中の動物を5万種類、植物係は草や木を3万種類集めるのだ。人間係はいちばんおとなしい人間を500人だけ連れてくる……」
そしてサハラ砂漠に無数の円盤が並び、様々な動植物が運び込まれます。
主人公たちの活躍でかろうじて一機の円盤を入手し、人類はこれをもとに脱出船を建造しますが……欲に目のくらんだ成り上がり者が脱出船の乗船権利を独占し、これに対する暴動で脱出船も破壊されてしまいます。
動植物を満載したフウムーンの大船団が飛び立っていく一方、人類は地球最期の日を迎えようとしていました……。
* * *
現実のアメリカとソ連は直接戦火を交えることはありませんでしたが、本作のスター国とウ連は全面戦争に突入しています。ただしその戦いは、現実で心配されていた全面核戦争ではなく、馬蹄島沖海戦で戦艦ネコイラーズが奮闘し、爆撃機が敵国首都に爆弾を降り注がせるという通常兵器が中心になっています。
本作が発表されたのは1951年。有事の際には核兵器で徹底的に叩きのめしてやるぞ、という「大量報復戦略」をアメリカが宣言したのは1954年です。そして核戦争の象徴的存在ともいわれるICBM(大陸間弾道ミサイル)をソ連が成功させたのが1957年。まさに核兵器の暗雲が世界を覆い尽くしていく直前に描かれた作品としては、実にリアリティのある戦争描写だったのでしょう。
またウ連が開発する「太陽爆弾」というのは水素爆弾を連想させます。人類初の水爆実験は1952年、アメリカによってマーシャル諸島のエニウェトク環礁で行われています。
この他にも突然変異による人類にとって代わるものの出現、テレパシーによる意思疎通、星間ガスによる地球の危機など、物珍しくはないといった感想も散見されますが、なんといっても1951年の作品です。日本の戦後からわずか6年後に描かれた、とんでもなく先見性のあった作品といえるでしょう。
実のところ、これらのネタの中には、本作よりもさらに遡った元ネタがあるものもあるようです。ただ私の敬愛する小松左京先生は角川文庫版(1995年)に書かれた解説で、フウムーンの円盤の大群が一斉に飛び立っていくシーンは「それまで漫画でも小説でも、むろん映画でも見たことはなく、圧巻というほかなかった」と述べておられます。
私がもっとも好きなシーンは、いよいよ地球の最期という時、それまでいがみ合いを続けていたノタリアンとレドノフが手を取り合うシーンです。
「わしの国とあなたの国はいつも争っていたが……思えばバカなことでした」
「なぜもっと仲良くつきあっていけなかったんだろう」
「これが我々が望んでいたものだったんだ」
「そうだ、レドノフくん、まだ遅くない」
「平和だ、平和だ! 地球に戦争はなくなった!」
「人間バンザイ! 世界の文化バンザァイ!!」
隕石が降り注ぐ中、二人が肩を組んで叫ぶシーンには泣かされます。
戦争を体験した手塚治虫先生が、朝鮮戦争の暗雲の中で描いたこの作品で描きたかったことの一つは、正にこのシーンではないでしょうか。
このシーンは手塚治虫オフィシャルサイトの中にある「手塚治虫と戦争」の一ページでも見ることができます。
Wikipediaによれば、1980年には24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスペシャルアニメとして、「フウムーン」のタイトルでアニメ化されたそうです。
ただし……原作との相違の一つとして、「結末でのスター国・ウラン連邦両首脳の和解シーンが無い」そうな。もしかして、ノタリアンとレドノフが「平和だ、平和だ!」と抱き合うシーンがないということですか!? だとしたら、それはいかんだろう!! ここを削ってどうする!!!
さて物語のラスト、あるどんでん返しで地球滅亡は回避され、大団円を迎えます。
「アンハッピーエンドにするつもりだった。が、翌年朝鮮がいったん休戦に入り、まがりなりにも日本が講和条約に調印したので、「来るべき世界」のラストも大団円にし、「もし人類が再び過ちを繰り返すならば、危機はまたやってくるだろう」といった意味の、きざな警告を付け加えた」(角川文庫「ぼくはマンガ家」,1979)
(世界破滅テーマで)「まだ一度も破滅に終わったものを描けないのは、私の生来の気の弱さのためかも知れない」(講談社版手塚治虫漫画全集「手塚治虫エッセイ集3」)と手塚先生は書いていますが、これはやはり手塚先生の優しさ、人類に対してまだ希望を持っていること、を示しているのだと思います。
冷戦終結により世界大戦の危機は遠のいたものの、現代でも世界に争いの種はつきません。それでもやはり、人類の未来に希望を持ち続けていきたいものです。ノタリアンとレドノフが「まだ遅くない」と手を取り合ったように、皆が手を取り合う時代が来ると信じたいものです。
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