「太陽の塔」内部公開
へろんです。
1970年の日本万博博覧会はものごころがつくかつかないかの頃に両親に連れられていったことがあり、大いに混雑した会場のワンシーンだけが記憶にあります。これが私にとってもっとも古い記憶で、大阪万博は非常に思い入れの強いものになっています。
太陽の塔内部が実に48年ぶりに公開される! ということで、平日の休みが取れた2018年6月29日に予約を入れることができ、行ってきました。

当日は時折雨の降るあいにくの天気だったため、2008年11月、天気が良かった時の、太陽の塔の写真です(2008年……10年前! 当時はまだ希望があったなあ……)。
エキスポシティの駐車場に車を停め、万博記念公園中央口へ渡る橋へ向かうと……何と18日の地震の影響で橋は通行止め、中央口は閉鎖中!

こんなところにも被害が出ていたんですね。ということで万博記念公園を左回りにぐるりと回り、東口ゲートから入園。
太陽の塔まで歩き、塔の裏側に内部への入り口があるので、ここで並びます。

プリントアウトしたQRコードを見せて購入した入館券。

入館してまず入るのは〈地底の太陽〉ゾーン。
内部は残念ながら撮影禁止、ということでミュージアムショップで購入した絵葉書です。
太陽の塔の第4の顔である「地底の太陽」は、万博終了後に兵庫県が美術館に展示する計画があったものの、うやむやになって行方不明になってしまっているのだとか。こちらの記事によると2000年頃までは確認されていたようですが、どこへ行ってしまったんでしょうね。
この「地底の太陽」は内部公開に合わせて2017年から復元され、かの海洋堂も協力したそうです。

そして太陽の塔の中心にそびえる「生命の樹」。これも絵葉書です。高さ41メートル、五大陸を意味する五色に塗り分けられた樹に、単細胞生物からクロマニヨン人まで33種類の生き物がとまっています。万博当時は292体あったそうですが、当時からそのままのもの及び復元されたものを合わせて現在は183体あるそうです。
左側上方にいる首長竜は解説員の方が「ブロントサウルス」と説明されていました。ブロントサウルスってそれより前に発見されていたアパトサウルスと同一種であるということになって使われなくなったんだけど、当時の展示の呼び方ということでブロントサウルスと呼ばれているんですよね……と思っていたのですが……何と、あとから調べると2015年にブロントサウルスとアパトサウルスはやはり別種であるという説が出されているのだとか!……口にしてたら大恥をかくところでした(--;)
いちばん上にいるのはクロマニヨン人。ふと気づいたのは、この樹には現代人がいないこと。動物園によくある、ヒトという生き物、それはあなたです、みたいな意図でしょうか。それとも問題の多い人類を、単純に万物の霊長として頂点に据えることを避けたのでしょうか。
撮影できなかったのは本当に残念でしたが、「生命の樹」の迫力はすばらしいものでした。BGMに流れていた交響曲「生命の賛歌」(作曲: 黛敏郎)も当時と同じもので、「生命の樹」とよくマッチしていたと思います。
太陽の塔といえば岡本太郎ばかりが取り上げられますが、私がもっとも敬愛するSF作家、小松左京(1931~2011)は、大阪万博ではテーマ館サブプロデューサーを務めておられました。
こちらのmixiの記事によると、万博の際の国際SFシンポジウムで、シンポジウム参加者は小松さんに案内されて、太陽の塔内部の「生命の樹」は自分のアイデアなんだよ、と小松さんが言ったと記憶する、のだそうです。
他に資料がないので真偽のほどは分かりませんが、万博に深くかかわった小松左京なら十分にありそうなことです。本当にそうならSF作家の面目躍如といったところですね。
また有名な逸話としては「太陽の塔」命名は小松左京の言葉がきっかけになったというもの。下記の本の中でご自身がこのようにおっしゃっています。
「丹下健三が大屋根をつくって、岡本太郎は「なんだこんな近代的な建造物」と言って、不釣り合いなぐちゃぐちゃなものをつくってやるということで、大屋根を(太陽の塔で)突き破ったからね。それで、僕は文学青年だった時期もあったから、石原慎太郎の「太陽の季節」みたいやと。そしたら岡本太郎は「何、太陽? それは良い名前だ」と」
(2010年8月23日のインタビューより)

大阪大学21世紀懐徳堂・編「なつかしき未来「大阪万博」-人類は進歩したのか調和したのか-」2011年、創元社
現在の「生命の樹」には万博当時のままの生物模型も取り付けられていますが、そのうちの一部は2011年の「岡本太郎 地底の太陽展」で公開されたことがあります。岡本太郎の生誕100周年を記念して、万博記念公園内 EXPO'70パビリオンで開催されたものです。


「生命の樹」は1/20模型。岡本太郎記念現代芸術振興財団が所蔵しているものだそうです。


左が直角貝オルトセラス・ペルキドゥムと右がオウムガイのキルトセラス・ステグリオ、お椀から毛が生えているようなべん毛虫、壁には三葉虫。
今回の見学で、べん毛虫は5体が当時のままです、と解説員の方がおっしゃってました。その5体がこれだったんですね。

こちらもオウムガイの仲間。

「巻貝」とだけ記載されており、特定の種を模したものではないようです。

恐竜時代にいた海生爬虫類、クリプトクレドゥス。

当時の展覧会で再現されていた「地底の太陽」。
2011年当時は太陽の塔内部でこれらが再現されるとは夢にも思いませんでした。実際に塔の内部で見ると迫力が格段に違うものですね。
さて太陽の塔を後にしてエキスポシティへと戻り、ここへ来たら一度は入りたいと思っていた万博食堂に向かいました。

2015年11月にオープンしたお店で、万博当時のメニューが再現されています。

懐かしさあふれるメニュー表紙。

この「万博プレート」にも惹かれたのですが、あらかじめネットで調べてみると、セットについてくる太陽の塔フィギュアはお持ち帰りできないとのこと。よく見るとこのメニューにも値段の下に「太陽の塔フィギュアは演出用です。お持ち帰りはご遠慮ください」と記されていました。

で、選んだのはアメリカ館の月の石ハンバーグ。
やって来たハンバーグはころっと丸い形をしていたので、持ってきてくださった店員さんに「へえ、丸い形なんですね。月の石ってこんな風に丸かったんですか?」と訊いてみたのですが、「いや、私も知らないんですけど……」(ちなみに後から調べてみると、こんな形だったそうです)
見た目よりもずっとボリュームのあるメニューでした。

ちなみに妻はすぐ近くにあるラスカルのコラボベーカリーがお気に召したようで。

……ゴンズイラスカル!?(笑)
大阪万博の総入場者数6421万人、2010年の上海万博に抜かれるまでは万博史上最多であった(とはいえ単純計算では日本人の二人に一人が入場したことになり、人口比からみればなお不動の一位でしょう)という記録から見ても、大阪万博は日本史に永遠に残る一大イベントだったと言えるでしょう。
せっかくこの時代に生まれてきたのだから、もう少し記憶に残るような年齢だったら良かったのに、と悔やまれます。
現在大阪は2025年の万博開催を目指しています。いろいろ問題もあるようですし、さすがに時代が違うので同じように論じることはできないかも知れませんが、1970年に憧れる者としては2025年にもちょっと期待してしまいますね。

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1970年の日本万博博覧会はものごころがつくかつかないかの頃に両親に連れられていったことがあり、大いに混雑した会場のワンシーンだけが記憶にあります。これが私にとってもっとも古い記憶で、大阪万博は非常に思い入れの強いものになっています。
太陽の塔内部が実に48年ぶりに公開される! ということで、平日の休みが取れた2018年6月29日に予約を入れることができ、行ってきました。

当日は時折雨の降るあいにくの天気だったため、2008年11月、天気が良かった時の、太陽の塔の写真です(2008年……10年前! 当時はまだ希望があったなあ……)。
エキスポシティの駐車場に車を停め、万博記念公園中央口へ渡る橋へ向かうと……何と18日の地震の影響で橋は通行止め、中央口は閉鎖中!

こんなところにも被害が出ていたんですね。ということで万博記念公園を左回りにぐるりと回り、東口ゲートから入園。
太陽の塔まで歩き、塔の裏側に内部への入り口があるので、ここで並びます。

プリントアウトしたQRコードを見せて購入した入館券。

入館してまず入るのは〈地底の太陽〉ゾーン。
内部は残念ながら撮影禁止、ということでミュージアムショップで購入した絵葉書です。
太陽の塔の第4の顔である「地底の太陽」は、万博終了後に兵庫県が美術館に展示する計画があったものの、うやむやになって行方不明になってしまっているのだとか。こちらの記事によると2000年頃までは確認されていたようですが、どこへ行ってしまったんでしょうね。
この「地底の太陽」は内部公開に合わせて2017年から復元され、かの海洋堂も協力したそうです。

そして太陽の塔の中心にそびえる「生命の樹」。これも絵葉書です。高さ41メートル、五大陸を意味する五色に塗り分けられた樹に、単細胞生物からクロマニヨン人まで33種類の生き物がとまっています。万博当時は292体あったそうですが、当時からそのままのもの及び復元されたものを合わせて現在は183体あるそうです。
左側上方にいる首長竜は解説員の方が「ブロントサウルス」と説明されていました。ブロントサウルスってそれより前に発見されていたアパトサウルスと同一種であるということになって使われなくなったんだけど、当時の展示の呼び方ということでブロントサウルスと呼ばれているんですよね……と思っていたのですが……何と、あとから調べると2015年にブロントサウルスとアパトサウルスはやはり別種であるという説が出されているのだとか!……口にしてたら大恥をかくところでした(--;)
いちばん上にいるのはクロマニヨン人。ふと気づいたのは、この樹には現代人がいないこと。動物園によくある、ヒトという生き物、それはあなたです、みたいな意図でしょうか。それとも問題の多い人類を、単純に万物の霊長として頂点に据えることを避けたのでしょうか。
撮影できなかったのは本当に残念でしたが、「生命の樹」の迫力はすばらしいものでした。BGMに流れていた交響曲「生命の賛歌」(作曲: 黛敏郎)も当時と同じもので、「生命の樹」とよくマッチしていたと思います。
太陽の塔といえば岡本太郎ばかりが取り上げられますが、私がもっとも敬愛するSF作家、小松左京(1931~2011)は、大阪万博ではテーマ館サブプロデューサーを務めておられました。
こちらのmixiの記事によると、万博の際の国際SFシンポジウムで、シンポジウム参加者は小松さんに案内されて、太陽の塔内部の「生命の樹」は自分のアイデアなんだよ、と小松さんが言ったと記憶する、のだそうです。
他に資料がないので真偽のほどは分かりませんが、万博に深くかかわった小松左京なら十分にありそうなことです。本当にそうならSF作家の面目躍如といったところですね。
また有名な逸話としては「太陽の塔」命名は小松左京の言葉がきっかけになったというもの。下記の本の中でご自身がこのようにおっしゃっています。
「丹下健三が大屋根をつくって、岡本太郎は「なんだこんな近代的な建造物」と言って、不釣り合いなぐちゃぐちゃなものをつくってやるということで、大屋根を(太陽の塔で)突き破ったからね。それで、僕は文学青年だった時期もあったから、石原慎太郎の「太陽の季節」みたいやと。そしたら岡本太郎は「何、太陽? それは良い名前だ」と」
(2010年8月23日のインタビューより)

大阪大学21世紀懐徳堂・編「なつかしき未来「大阪万博」-人類は進歩したのか調和したのか-」2011年、創元社
現在の「生命の樹」には万博当時のままの生物模型も取り付けられていますが、そのうちの一部は2011年の「岡本太郎 地底の太陽展」で公開されたことがあります。岡本太郎の生誕100周年を記念して、万博記念公園内 EXPO'70パビリオンで開催されたものです。


「生命の樹」は1/20模型。岡本太郎記念現代芸術振興財団が所蔵しているものだそうです。


左が直角貝オルトセラス・ペルキドゥムと右がオウムガイのキルトセラス・ステグリオ、お椀から毛が生えているようなべん毛虫、壁には三葉虫。
今回の見学で、べん毛虫は5体が当時のままです、と解説員の方がおっしゃってました。その5体がこれだったんですね。

こちらもオウムガイの仲間。

「巻貝」とだけ記載されており、特定の種を模したものではないようです。

恐竜時代にいた海生爬虫類、クリプトクレドゥス。

当時の展覧会で再現されていた「地底の太陽」。
2011年当時は太陽の塔内部でこれらが再現されるとは夢にも思いませんでした。実際に塔の内部で見ると迫力が格段に違うものですね。
さて太陽の塔を後にしてエキスポシティへと戻り、ここへ来たら一度は入りたいと思っていた万博食堂に向かいました。

2015年11月にオープンしたお店で、万博当時のメニューが再現されています。

懐かしさあふれるメニュー表紙。

この「万博プレート」にも惹かれたのですが、あらかじめネットで調べてみると、セットについてくる太陽の塔フィギュアはお持ち帰りできないとのこと。よく見るとこのメニューにも値段の下に「太陽の塔フィギュアは演出用です。お持ち帰りはご遠慮ください」と記されていました。

で、選んだのはアメリカ館の月の石ハンバーグ。
やって来たハンバーグはころっと丸い形をしていたので、持ってきてくださった店員さんに「へえ、丸い形なんですね。月の石ってこんな風に丸かったんですか?」と訊いてみたのですが、「いや、私も知らないんですけど……」(ちなみに後から調べてみると、こんな形だったそうです)
見た目よりもずっとボリュームのあるメニューでした。

ちなみに妻はすぐ近くにあるラスカルのコラボベーカリーがお気に召したようで。

……ゴンズイラスカル!?(笑)
大阪万博の総入場者数6421万人、2010年の上海万博に抜かれるまでは万博史上最多であった(とはいえ単純計算では日本人の二人に一人が入場したことになり、人口比からみればなお不動の一位でしょう)という記録から見ても、大阪万博は日本史に永遠に残る一大イベントだったと言えるでしょう。
せっかくこの時代に生まれてきたのだから、もう少し記憶に残るような年齢だったら良かったのに、と悔やまれます。
現在大阪は2025年の万博開催を目指しています。いろいろ問題もあるようですし、さすがに時代が違うので同じように論じることはできないかも知れませんが、1970年に憧れる者としては2025年にもちょっと期待してしまいますね。

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