映画「ジュラシック・ワールド/炎の王国」感想
へろんです。
いつも映画を一緒に観に行く旧友と、「ジュラシック・ワールド/炎の王国」を観てきました。
ネタバレにつながる可能性もありますので、ご了承の上お読みください。

映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』日本独占!【最終予告】 より拝借しました。以下キャプチャ画面同様。
これまでのジュラシックシリーズの舞台となってきたイスラ・ヌブラル島では、テーマパーク「ジュラシック・ワールド」閉園後も蘇らされた恐竜が生息していましたが、休火山が活発な活動を開始し、大噴火によって恐竜たちの絶滅が懸念されることとなります。
はたして自然の摂理に背いて生み出された恐竜は滅ぶべきか、それとも生まれてきたからにはやはり生命の一つとして尊重されるべきか……。政府は恐竜を保護しない(絶滅に任せる)と決定しますが、恐竜保護団体は旧「ジュラシック・パーク」に関わったロックウッドの支援で、恐竜の救出活動を開始します。
「恐竜にとって必要なのは保護ではない。人間がいないことだ」
そう語るロックウッドは、自身の持つ広大な土地に、人間と接触せず恐竜を生かしていくことを考えていたようですが……
ところがやはりというべきか、恐竜救出計画には恐竜で金儲けをしようという輩が深く関わっていました。

噴火の始まったイスラ・ヌブラル島からの恐竜救出シーン。これを観て思いだしたのが、星野之宣「ブルーホール」。

1991~1992年と、第一作「ジュラシック・パーク」(1993年)よりも前に連載された、ワタクシ的には恐竜漫画の最高傑作の一つ。6500万年前の巨大隕石落下から恐竜を救おうとする、壮大な作品です。ここには、ヘリコプターで恐竜を吊り下げて救出していくシーンがすでに描かれています。

ちなみにジュラシックシリーズでは首長竜ブラキオサウルスがこんな風に象徴的に登場しますが……

「ブルーホール」第2巻表紙。こちらでは首長竜の仲間アラモサウルス・フィデーが象徴的に描かれています。
もしかしてジュラシックの関係者は「ブルーホール」を見てるのでは!? (そういえばあのヴェロキラプトルの名前が「ブルー」というのも……!?)

そしてついに火山は破滅的な大噴火を起こします。そんな中、主人公たちが溶岩がくっつくぐらいすぐそばまで迫ってくる状況から逃げるシーンがありますが、それは溶岩を甘く見過ぎでしょう。身体を押し包む噴煙から逃げるシーンも、かつての雲仙普賢岳噴火の現実の報道映像を思い出し、気分の良いものではありません。
昔HPに載せた文章にも書きましたが、「デイ・アフター・トゥモロー」や「インディペンデンス・デイ」などアメリカ映画では人物アクションを盛り上げるためか、どうも自然現象を甘く見過ぎている嫌いがあります。こういう表現は勘弁してほしいものです。
ジュラシックシリーズでは時々、罪のない(もしくは登場人物の中では罪の少ないはずの)人物が結構えげつない食われ方をされるシーンがあって、その点あまり好きではないのですが、今回はそういったシーンはなく、代わりに悪役連中のほとんどが恐竜に食われます。それはザマミロで良いのですが、たとえ悪者でも子供向けのシーンではないですね……。恐竜好きには子供が多いはずですが、難しいものです。

悪役連中の目的の一つは、“救出”した恐竜をオークションで売りさばくことでした。どうせならこのオークション会場にもっと凶暴な恐竜を乱入させてやれば良かったのに、とも思いますが、乱入したのがパキケファロサウルスだったのはご愛嬌というかちょっとした優しさなんでしょうか。
逃げ出した恐竜による混乱ですべてが破壊されていき、ついには地下の研究所にあった有毒ガス、シアン化水素が漏れ出すという事態になります。
それにしても、ここにはなぜそんなに大量のシアン化水素があったのでしょうか? 細菌兵器の恐怖を描いた小松左京「復活の日」には、細菌兵器の研究をしている研究所では、万が一細菌が漏れた時にはすべてを焼き尽くす火薬が備えられているという描写があります。このシアン化水素もそうした目的があったのでしょうか。
シアン化水素が漏れ出すという展開になった時、「ああ、これですべてを元の鞘に収める、一種の神の御手のようなものとしてこうしたんだな」と予測しました。
ところが……本作はそうした「予定調和」をぶち壊す、まったく正反対の展開へとなだれ込んで行きました。
ロックウッドの孫娘メイシーの正体の明かし方があまりにも唐突で、ここはどうにかならなかったのかと思いますが、それにしてもその正体が「予定調和」をぶち壊す大きな理由になるとは、これは驚きました。
(ちなみにメイシーにとってロックウッドは祖父ということになっており、字幕でも「おじいさん」と呼んでいたと思いますが、英語では「パパ」と呼んでいました。これもある種の伏線?)
そして世界は新たな局面に突入し、イアン・マルコムの「ようこそ、ジュラシック・ワールドへ」という皮肉たっぷりな言葉で締めくくられます。
次回作は2021年公開予定だそうです。そこに描かれる世界はどうなっていくでしょうか。
「恐竜にとって必要なのは保護ではない。人間がいないことだ」
ロックウッドが本作中で発した言葉。この言葉が、また違った意味で意味を持ってくるような気がしてなりません。
いつも映画を一緒に観に行く旧友と、「ジュラシック・ワールド/炎の王国」を観てきました。
ネタバレにつながる可能性もありますので、ご了承の上お読みください。

映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』日本独占!【最終予告】 より拝借しました。以下キャプチャ画面同様。
これまでのジュラシックシリーズの舞台となってきたイスラ・ヌブラル島では、テーマパーク「ジュラシック・ワールド」閉園後も蘇らされた恐竜が生息していましたが、休火山が活発な活動を開始し、大噴火によって恐竜たちの絶滅が懸念されることとなります。
はたして自然の摂理に背いて生み出された恐竜は滅ぶべきか、それとも生まれてきたからにはやはり生命の一つとして尊重されるべきか……。政府は恐竜を保護しない(絶滅に任せる)と決定しますが、恐竜保護団体は旧「ジュラシック・パーク」に関わったロックウッドの支援で、恐竜の救出活動を開始します。
「恐竜にとって必要なのは保護ではない。人間がいないことだ」
そう語るロックウッドは、自身の持つ広大な土地に、人間と接触せず恐竜を生かしていくことを考えていたようですが……
ところがやはりというべきか、恐竜救出計画には恐竜で金儲けをしようという輩が深く関わっていました。

噴火の始まったイスラ・ヌブラル島からの恐竜救出シーン。これを観て思いだしたのが、星野之宣「ブルーホール」。

1991~1992年と、第一作「ジュラシック・パーク」(1993年)よりも前に連載された、ワタクシ的には恐竜漫画の最高傑作の一つ。6500万年前の巨大隕石落下から恐竜を救おうとする、壮大な作品です。ここには、ヘリコプターで恐竜を吊り下げて救出していくシーンがすでに描かれています。

ちなみにジュラシックシリーズでは首長竜ブラキオサウルスがこんな風に象徴的に登場しますが……

「ブルーホール」第2巻表紙。こちらでは首長竜の仲間アラモサウルス・フィデーが象徴的に描かれています。
もしかしてジュラシックの関係者は「ブルーホール」を見てるのでは!? (そういえばあのヴェロキラプトルの名前が「ブルー」というのも……!?)

そしてついに火山は破滅的な大噴火を起こします。そんな中、主人公たちが溶岩がくっつくぐらいすぐそばまで迫ってくる状況から逃げるシーンがありますが、それは溶岩を甘く見過ぎでしょう。身体を押し包む噴煙から逃げるシーンも、かつての雲仙普賢岳噴火の現実の報道映像を思い出し、気分の良いものではありません。
昔HPに載せた文章にも書きましたが、「デイ・アフター・トゥモロー」や「インディペンデンス・デイ」などアメリカ映画では人物アクションを盛り上げるためか、どうも自然現象を甘く見過ぎている嫌いがあります。こういう表現は勘弁してほしいものです。
ジュラシックシリーズでは時々、罪のない(もしくは登場人物の中では罪の少ないはずの)人物が結構えげつない食われ方をされるシーンがあって、その点あまり好きではないのですが、今回はそういったシーンはなく、代わりに悪役連中のほとんどが恐竜に食われます。それはザマミロで良いのですが、たとえ悪者でも子供向けのシーンではないですね……。恐竜好きには子供が多いはずですが、難しいものです。

悪役連中の目的の一つは、“救出”した恐竜をオークションで売りさばくことでした。どうせならこのオークション会場にもっと凶暴な恐竜を乱入させてやれば良かったのに、とも思いますが、乱入したのがパキケファロサウルスだったのはご愛嬌というかちょっとした優しさなんでしょうか。
逃げ出した恐竜による混乱ですべてが破壊されていき、ついには地下の研究所にあった有毒ガス、シアン化水素が漏れ出すという事態になります。
それにしても、ここにはなぜそんなに大量のシアン化水素があったのでしょうか? 細菌兵器の恐怖を描いた小松左京「復活の日」には、細菌兵器の研究をしている研究所では、万が一細菌が漏れた時にはすべてを焼き尽くす火薬が備えられているという描写があります。このシアン化水素もそうした目的があったのでしょうか。
シアン化水素が漏れ出すという展開になった時、「ああ、これですべてを元の鞘に収める、一種の神の御手のようなものとしてこうしたんだな」と予測しました。
ところが……本作はそうした「予定調和」をぶち壊す、まったく正反対の展開へとなだれ込んで行きました。
ロックウッドの孫娘メイシーの正体の明かし方があまりにも唐突で、ここはどうにかならなかったのかと思いますが、それにしてもその正体が「予定調和」をぶち壊す大きな理由になるとは、これは驚きました。
(ちなみにメイシーにとってロックウッドは祖父ということになっており、字幕でも「おじいさん」と呼んでいたと思いますが、英語では「パパ」と呼んでいました。これもある種の伏線?)
そして世界は新たな局面に突入し、イアン・マルコムの「ようこそ、ジュラシック・ワールドへ」という皮肉たっぷりな言葉で締めくくられます。
次回作は2021年公開予定だそうです。そこに描かれる世界はどうなっていくでしょうか。
「恐竜にとって必要なのは保護ではない。人間がいないことだ」
ロックウッドが本作中で発した言葉。この言葉が、また違った意味で意味を持ってくるような気がしてなりません。
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