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国立科学博物館・特別展「昆虫」

へろんです。
東京・上野の国立科学博物館はこれまで何回も訪れていますが、2018年は同博物館の大規模特別展では初となる、昆虫をテーマとした特別展「昆虫」が開催ということで、東京で用事のあった8月13日に行ってきました。

特別展「昆虫」チラシ
……何なんですかね、このぶっ飛んだチラシは?
と思って調べてみると、このおじさんはNHKで不定期放送している「昆虫すごいぜ!」という番組に「カマキリ先生」というキャラで出演している香川照之氏なんだとか。歌舞伎役者で、昆虫好きなんだそうです。
うーん、こういうノリはあまり好きではないので、昆虫以外だったら見に行かなかっただろうな……。

行く前にネットで調べるとすでに大人気で、連日かなり混雑しているそうです。混雑する時間帯は整理券を配布する時もあるとか(@o@;)
そこで9時の開場時間よりも前を目指して博物館へ向かうと……

特別展「昆虫」入場待機列
お゛お゛お゛、すでにかなりの入場待機列が……!!
それでも整理券配布にまでならなかったのはまだ幸い、30分ぐらいの待機で入場することができました。

特別展入り口の洒落た影絵
入場してすぐ、壁に舞う蝶の影絵と、額に入った蝶も飛び去っていくという洒落た演出。

ニホンミツバチの約200倍模型
そして登場する巨大昆虫。ニホンミツバチの約200倍模型です。二ホンミツバチはスズメバチなどと比べると可愛らしいですね。

オオムラサキの約30倍模型
こちらは国蝶オオムラサキの約30倍模型。その他にもオオクワガタやミンミンゼミの巨大模型がありましたが、縮尺はバラバラのようですね。

美しい蝶と蛾
「チョウとガの違い」についても解説されています。蝶と蛾の区別点はいろいろと言われてますが(昼飛ぶか夜飛ぶか、触角の違い、止まり方、etc……)、実際には蝶と蛾に明確な区別はなく、鱗翅目(りんしもく)というつながった一つのグループです。
写真の左側は蛾の仲間ですが、ここにも展示されているニシキオオツバメガ Chrysiridia rhipheus は、蝶と蛾を合わせた鱗翅目の中でもっとも美しいとも言われます。

ちなみにここでも鱗翅目のことをチョウ目と書いており、どうも難しい漢字は使わないといったような誤った配慮で、最近はこう呼んでいるようです。しかし鱗翅目は蝶と蛾を足したグループであり、「チョウ目」という名では片手落ちです。さらに「鱗翅目」という名前は、鱗粉を持つ翅のあるグループ、という特徴を明確に表した素晴らしい単語です。それを安易な簡略化で「チョウ目」などという味もそっけもない呼び方をしてしまうのは、日本語の破壊に他なりません。

中もすごい混雑・・・
会場の中もすごい混雑……。

子供たちは遠慮なく写り込んできます
夏休みなので当然子供が多く、その小さな体を活かしてちょっとの隙間でも入り込んでくるので、手や頭がよく写り込んでしまいます。それは構わないのだけど、展示品を触るのはやめましょうね……。

美しい海外の蝶
オオルリアゲハやトリバネアゲハなど、海外の美しい蝶がいっぱいです。

小さな蛾から大きな蛾まで
小さな蛾からだんだんと大きな蛾までをぐるりと一周して配置した、凝った展示になっています。いちばん上は小さな蛾と大きな蛾が隣り合っていて大きさを比較できます。蚊よりも小さな蛾もいるのだとか。

希少種、ヒャクメトラフヒトリ
ヒャクメトラフヒトリ Sebastia argus
標本は世界でもごくわずかな数しか知られていないという大珍品。ヒトリガ科の中でも最大の種類で、インドから中国にかけて分布。

バリエーションに富んだ世界のカブトムシ
カブトムシも小さなものから大きなものまでぐるりと配置されています。大きさもさることながら、カブトムシは頭の角の形がバリエーションに富んでいますね。

巨大ナナフシ「メガスティック」
ボルネオに生息する巨大ナナフシ「メガスティック」が世界最大の昆虫として紹介されていました。説明によると、類似種の中には前脚を含む最大体長が624mmという記録もあるのだとか。一方で世界最小級の昆虫は、チャタテムシの卵に寄生するホソハネコバチの一種で、体長0.139mmとされるのだそうです。

マルヨツコブツノゼミの35倍拡大模
ツノゼミもいろいろと展示されてました。実物は非常に小さなものですが、マルヨツコブツノゼミの35倍拡大模型がありました。すぐ横でこれを見ていた人が「こうして見るとやっぱりセミなんだな~」と感心しきり。
ツノゼミは種類によっていろいろバリエーションに富んだ特徴的な形のコブが頭にありますが、このコブの意味は専門家でも分からないそうです。

Gの部屋・・・Gってあの・・・?
Gの部屋……Gといっても国際的に有名なかのスナイパー、ではありません(笑)
「観覧注意」とありますが、まー確かにあまりうれしくはないですな(~_~)

トリカヘチャタテの標本・・・写ってなかった(泣)
トリカヘチャタテの標本……ああっ、小さくて撮るのに苦労したのに、結局ちゃんと写ってない(>_<)
トリカヘチャタテは性の役割と生殖器の形状が他の生物と逆転しているという変わった昆虫で、2017年には北大の吉澤和徳先生らが、ユニークな研究に対して贈られる「イグノーベル賞」生物学賞を受賞しています。

イグノーベル賞の賞状のレプリカ
イグノーベル賞の賞状のレプリカ。「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られる、ノーベル賞のパロディーなだけに、図案もユニークです。ちなみに本物の賞状もコピー用紙にプリントされたものなんだとか。

この賞、単にユニークな研究というだけでなく、1996年にはフランスのシラク大統領(当時)が「ヒロシマ50周年を記念して太平洋上で核実験を行った」ことに対して平和賞を贈るなど、痛烈な皮肉や風刺が込められることもあるようです。

昆虫採集についての展示
昆虫採集についてもいろいろ展示されていました。
昔、ホームページにもこんな文章を載せたことがありますが、子供たちには自然と触れ合うためにも、もっともっと昆虫採集に親しんでほしいと思っています。

昆虫採集用トラップ「ノムラホイホイ」
これは知りませんでしたが、「ノムラホイホイ」という驚くほどよく採れる昆虫採集用トラップだそうです。国立科学博物館の甲虫研究家、野村周平氏が開発されたのだとか。

100年ほど前の昆虫標本
100年ほど前の昆虫標本。これは一見の価値があります。大正時代に神戸で貿易商を営んでいた英国人 J.E.A.Lewis氏が日本各地で採集した甲虫のコレクションだそうです。

圧巻の昆虫標本コレクション
そして圧巻だったのが、壁一杯に展示された昆虫標本コレクション。個人によって収集された膨大な量のコレクションには圧倒されます。写真では迫力が伝わりにくいですが、これはほんと見て良かったですね。

圧巻の昆虫標本コレクション

圧巻の昆虫標本コレクション


ヤンバルテナガコガネのホロタイプ標本
ヤンバルテナガコガネ Cheirotonus jambar
沖縄本島北端部の山原(やんばる)のみに生息する、日本最大の甲虫のホロタイプ標本(学名の拠り所となる、絶対的な基準の標本)。これまで一切公開されていなかったものが、セキュリティ環境の完備によって今回一時的に公開されたそうです。

懐かしいジャポニカ学習帳の表紙
これは懐かしい! ジャポニカ学習帳で1978年から2012年まで表紙を飾った昆虫写真が60点展示されていました。アカエリトリバネアゲハ(国語)、持ってたなあ。

紫外線ライトを当てると光る「蛍光シルク」
昆虫を利用したモノづくりもいろいろ紹介されていました。オワンクラゲの緑色蛍光たんぱく質遺伝子を組み込んだ蚕が作る、紫外線ライトを当てると緑色に光って見える「蛍光シルク」です。

蛍光シルクを使ったドレス
蛍光シルクを使ったドレスも展示されていました。たぶん右側が蛍光で光ってるのだと思います。

食用コオロギを練り込んだ?スナック
昆虫の利用といっても……これはちょっと抵抗ありますね。確かに国際的には昆虫食が注目されているのですが……

夏休みでかつお盆ということもあり、ものすごい混雑でしたが、昆虫好きとしてはこのような特別展にこれほどの人々が訪れてくれるのは嬉しい限りです。展示はどれも迫力があり、一見の価値があるものばかりでした。開催は10月8日(月・祝)まで、もっともっと大勢の人に見てほしいですね。


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「アメリカ本土を爆撃した唯一の日本人」

へろんです。
1945年に第二次世界大戦が終結し、日本が敗戦してから73年。もちろんリアルタイムで知っていることではありませんが、その延長線上に今の日常がある、ごく当たり前の知識として心の中に記憶されています。
ところがもう十何年も前のテレビ番組で、最近の若い人にインタビューすると、かつて日米が戦っていたことを知らない、という答えが返ってきたのを見て仰天したものです。
とはいえ、第二次世界大戦で何があったか、そしてその後の世の中にどんな影響を与えてきたか、まだまだ知られていないことが多数あるのも事実です。

毎週木曜日の20時から放送されているフジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」はずっと前から好きでちょくちょく見ていますが、2018年8月9日は「アメリカ本土を爆撃した唯一の日本人」という内容が放送されました。
1942年9月9日、アメリカのオレゴン州沖に浮上した潜水艦《伊25》から発進した水上偵察機が、小都市ブルッキングス市の森林地帯に焼夷爆弾を投下したというものです。世界中に軍隊を派遣して様々な国や組織と戦争を行ってきたアメリカですが、その本土を爆撃されたというのは後にも先にもこの時だけです。小さい頃に戦記物か何かで見たような気もするのですが、詳しいことは知りませんでした。
良し悪しはともかく、そういうことがあったということを日本人にもっと知られていても良いのではないかと思いますが、もっと知っておくべきと思ったのは、この偵察機を操縦していた藤田信雄氏のその後の人生です。

戦後、一市民として苦労しながら金物業を営んでいた藤田氏は、1962年4月、突然赤坂の料亭に呼び出されます。そこにいたのは、当時官房長官だった大平正芳。
官房長官が言うところでは、藤田氏が爆撃したあのブルッキングス市から、藤田氏を市に招待したいと連絡があったというのです。その真意は(少なくとも番組内では)分かりませんが、まだ終戦から17年、アメリカでも日本に良い感情を持ってない人々が多かった時代です。万が一爆撃の報復などがあったとしても、日本政府は一切関知しないという……

なんちゅう情けない国家や! 誰だこの時の総理は!!(と思って調べたら池田勇人でした)

行くかどうかは藤田氏次第、ということでしたが、藤田氏は招待を受けることを決意。1962年5月23日、家族とともにブルッキングス市に降り立った藤田氏を待っていたのは、予想外の大歓迎でした。
ブルッキングス市では毎年恒例の祭りに毎回特別ゲストを招いていましたが、この年、アメリカ本土爆撃を覚えていた人がおり、たった一機で実行した日本人の勇気を称える声が上がったのだそうです。無論退役軍人などからは反対もありましたが、憎むべきはフジタではなく、戦争そのものだ、と説得したのだとか。ちなみにあの爆撃の被害は、樹がたった一本燃えただけだったとうことも明かされます。
「なぜ、こんなに人情味の溢れる人たちと戦争しなければならなかったか。お互いをもっとよく知っていれば、戦争は起こらなかったのではないか」。そう思った藤田氏は、日本のことを知ってもらうために、いつの日か必ずブルッキングス市の子供たちを日本に招待したい、と述べました。

帰国した藤田氏は懸命に働き続け、13年後には会社を息子に一任して、ブルッキングス市の子供たちを招こうと、準備に奔走します。しかしその会社が倒産し、70歳を過ぎてなお働き続けて貯金を続けます。
そして1985年7月8日、科学万博つくば85の開催に合わせ、ブルッキングス市の高校生3名が来日しました。さらに日本の高校も訪問し、筑波大学の学生に通訳も依頼しています。藤田氏は「日米の若者が相互理解と親善を繰り広げてもらえれば、再び悲惨な戦争も繰り返すことは避けられます。私の戦後は、これでやっと終わります」という言葉を残しています。
その後も藤田氏はブルッキングス市を3度訪問、また寄付金も募集して、その資金をもとにオレゴン州最大の図書館が設立されました。
1997年、ブルッキングス市は、藤田氏に名誉市民を授与することを決定。そのことを伝えるため、市長が訪日したその当日、藤田氏は85歳でこの世を去りました。その報はアメリカのニューヨークタイムズ紙でも大きく報じられたそうです。

       *       *       *

アメリカ本土爆撃というのは、たった一機で実行した個人の勇気は讃えられても良いとは思いますが、爆撃そのものが簡単な言葉でいえば「良いこと」かといえば、決して良いことではなく、戦争の愚行の一環として捉えられるべきことでしょう。しかしその愚行はあくまで国家、組織の命令によって行われたことであって、決して個人の責任ではありません(日本人は組織の責任を個人に押し付ける傾向が強く、この点どうしてもいただけません)。
一方、藤田氏が人生後半に奔走したブルッキングス市との交流は、個人の力で成し遂げられた偉業であり、いくら讃えても讃えすぎることはありません。日本のお上はアメリカに余計な気を使って藤田氏のことを取り上げるのを避けるのではないかと邪推されますが、爆撃のことではなく、日米交流を進めたという偉業を取り上げることに、遠慮が必要とは思えません。ニューヨークタイムズ紙でも大きく報じられるような日本人のことを、日本人はもっと知るべきではないかと思います。
近年の国民栄誉賞はどうでもいい有名人ばかりが受賞しているようですが、こういう人こそ受賞にふさわしいのではないか。そんな風に感じられます。

京都市西京区・善峯寺

しろです。
あじさいの季節に京都市西京区の善峯寺に行きました。1029年(長元2年)創建と伝えられるそうです。

善峯寺山門
山門。1716年(正徳6年)建立。威風堂々としています。

善峯寺手水舎
手水舎。

善峯寺本堂
観音堂(本堂)。1692年(元禄5年)建立。
御朱印はこちらで頂けます。

善峯寺御朱印


善峯寺御朱印
へろんが頂いていた御朱印。

1996年1月17日サンケイスポーツの新聞記事
1996年1月17日サンケイスポーツの新聞記事が貼りだされていました。1995年の阪神淡路大震災で阪神高速から落下せずに済んだバスの運転手さんが、善峯寺のお守りを持っていたそうです。以来受験生の間で、おちないお守りとして広まったんだそうです。

遊龍の松
「遊龍の松」という有名な松の木です。すごく横に伸びていて歴史を感じました。
樹齢600年以上、全長37m、国の天然記念物に指定されています。1857年(安政4年)、花山前右大臣家厚公により命名されたそうです。

遊龍の松
下からのぞいた写真。
Wikipediaによれば、もともと全長50数メートルもあったものの、松食い虫の被害によって1994年(平成6年)、10メートルあまり切断されたのだそうです。

善峯寺から見た京都市街
善峯寺から見た京都市街。

幸福地蔵の祀られた“展望台”


善峯寺の幸福地蔵
展望台のようになった台には「幸福地蔵」が祀られています。「自分以外の幸せを願いましょう」とあります。

善峯寺のあじさい
あじさいは斜面に沿って植えており、あじさいの滝という印象です。展望台が備わっており、見応えも十分。普通に写真を撮るだけで絵のようなきれいさと完成度の高さ。

善峯寺の稲荷社
正一位稲荷大明神をお祀りした稲荷社。

善峯寺のあじさい


善峯寺のあじさい
自然に感謝できる1日でした。


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へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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