兵庫県豊岡市・沢庵寺と総持寺
へろんです。
友人が以前から「出石(いずし)そばが食べたい!」と言っていたので、休みが一緒になった2018年4月15日、日帰りドライブで行ってきました。
このあたりはかつては兵庫県出石郡出石町でしたが、2005年に豊岡市に吸収合併されてしまっています。

出石そば。そば5皿と卵、山芋で880円。皿の追加は一皿145円。

豊岡市役所出石庁舎前広場では、ちょうど第46回出石そば喰い大会が開かれていました。大食いの友人は「出れるものなら出たかった!」と言ってましたが、後で調べると出場者は事前申込制で、個人戦なら一人1500円。単純計算すると9皿食べれば元を取れるということですかね。“ブラックホールの胃”を持つ友人なら余裕綽々でしょうが、私にはきついっす。

ちょうど八重桜がきれいな季節でした。

出石のシンボル「辰鼓楼(しんころう)」。1871年(明治4年)に時刻を知らせる太鼓を叩くための櫓として建設され、1881年(明治14年)には大時計が寄付されて時計台となったそうです。同じ1881年に時計が設置された札幌時計台とともに、日本最古の時計台なのだとか(もっと厳密にどっちが古いか、となるとはっきりしないようです。まぁそこまでうるさく言わなくても、とは思いますね)。
あの有名な札幌時計台と並び立つとはすごい。西日本陣営はもっと自慢しても良いのではないでしょうか。

出石城跡からの眺め。典型的な「城下町」といった雰囲気です。高層建築が目立たない城下町の風景って貴重かもしれません。
出石そばを食べに行く、と決めた時に「じゃあこちらの趣味にも付き合ってくれ」ということで立ち寄ったのが、圓覚山宗鏡寺(すきょうじ)、通称沢庵寺。
1392年に創建され、山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、織田信長の但馬征伐で荒廃したそうです。1616年(元和2年)に沢庵和尚を招いて再興。沢庵和尚は1573年(天正元年)、出石の生まれ。漬物のたくあん漬けを考案したとか広めたと言われますが、一方では「諸説ある」ともされているようです。

沢庵寺山門。

山門をくぐってすぐに、拝観料300円をお納めする受付?があります。御朱印もここということで、拝観前にお願いしました。見ると貼り紙に「本日 沢庵漬ございます」。おお、さすがは沢庵寺です。

沢庵寺本堂。

本堂裏には沢庵和尚の作庭と伝えられる「鶴亀の庭」があります。池の形または傍の木を鶴に見立て(庭にあった説明板では「池の形」、宗鏡寺HPによれば「傍の木」)、池の中の島を亀に見立てています。鶴の方はよく分かりませんでしたが、亀はこの写真に写っている島だと思います(たぶん左に頭、右にしっぽ、下に左前肢・後肢)。

「沢庵和尚塔所」。お墓、というわけではないようですが……? 沢庵和尚は現在の東京品川で73歳で亡くなったそうです。

沢庵寺で頂いた御朱印。沢庵にちなんで大根の絵が描かれている、すてきな御朱印です♪
もう一ヶ所、出石町北部の山裾にある総持寺にもお参りしました。奈良時代前半、かの行基が開いたとされる真言宗の古刹です。

総持寺本堂。

総持寺の鐘楼門。

徳利・杯(盃)塚。
「般若湯(酒)、徳利、杯に対し感謝の気持ちを注ぎ供養をいたし、人々の円満を祈願する」ために、1980年(昭和55年)建立されたそうです。
いくつか建物はあったのですが受付や寺務所のようなものは分からず、人気もなくてどうしたものか、と思っていたのですが、お寺のすぐ外で話していた人たちが帰り、戻ってきた一人の人に話しかけてみると、お寺の関係の方でした。そこで拝観して来たこと、御朱印を頂けるものなら頂きたい旨を伝えると、快くご了解いただけました。

建物の一つに案内され、しばらくお待ち下さい、ということで入り口で待っていると、何とお茶とお菓子を出して頂きました。しかも外で離れて待っていた連れの分まで……。恐縮です m(_ _)m

頂いた御朱印。
いかにも観光地化したところでもそれはそれで良いのですが、それほど有名でないところでも、親切にご対応いただき、しっかり書いていただいた御朱印を頂けると、本当に有り難く、うれしいものですね。

にほんブログ村
友人が以前から「出石(いずし)そばが食べたい!」と言っていたので、休みが一緒になった2018年4月15日、日帰りドライブで行ってきました。
このあたりはかつては兵庫県出石郡出石町でしたが、2005年に豊岡市に吸収合併されてしまっています。

出石そば。そば5皿と卵、山芋で880円。皿の追加は一皿145円。

豊岡市役所出石庁舎前広場では、ちょうど第46回出石そば喰い大会が開かれていました。大食いの友人は「出れるものなら出たかった!」と言ってましたが、後で調べると出場者は事前申込制で、個人戦なら一人1500円。単純計算すると9皿食べれば元を取れるということですかね。“ブラックホールの胃”を持つ友人なら余裕綽々でしょうが、私にはきついっす。

ちょうど八重桜がきれいな季節でした。

出石のシンボル「辰鼓楼(しんころう)」。1871年(明治4年)に時刻を知らせる太鼓を叩くための櫓として建設され、1881年(明治14年)には大時計が寄付されて時計台となったそうです。同じ1881年に時計が設置された札幌時計台とともに、日本最古の時計台なのだとか(もっと厳密にどっちが古いか、となるとはっきりしないようです。まぁそこまでうるさく言わなくても、とは思いますね)。
あの有名な札幌時計台と並び立つとはすごい。西日本陣営はもっと自慢しても良いのではないでしょうか。

出石城跡からの眺め。典型的な「城下町」といった雰囲気です。高層建築が目立たない城下町の風景って貴重かもしれません。
出石そばを食べに行く、と決めた時に「じゃあこちらの趣味にも付き合ってくれ」ということで立ち寄ったのが、圓覚山宗鏡寺(すきょうじ)、通称沢庵寺。
1392年に創建され、山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、織田信長の但馬征伐で荒廃したそうです。1616年(元和2年)に沢庵和尚を招いて再興。沢庵和尚は1573年(天正元年)、出石の生まれ。漬物のたくあん漬けを考案したとか広めたと言われますが、一方では「諸説ある」ともされているようです。

沢庵寺山門。

山門をくぐってすぐに、拝観料300円をお納めする受付?があります。御朱印もここということで、拝観前にお願いしました。見ると貼り紙に「本日 沢庵漬ございます」。おお、さすがは沢庵寺です。

沢庵寺本堂。

本堂裏には沢庵和尚の作庭と伝えられる「鶴亀の庭」があります。池の形または傍の木を鶴に見立て(庭にあった説明板では「池の形」、宗鏡寺HPによれば「傍の木」)、池の中の島を亀に見立てています。鶴の方はよく分かりませんでしたが、亀はこの写真に写っている島だと思います(たぶん左に頭、右にしっぽ、下に左前肢・後肢)。

「沢庵和尚塔所」。お墓、というわけではないようですが……? 沢庵和尚は現在の東京品川で73歳で亡くなったそうです。

沢庵寺で頂いた御朱印。沢庵にちなんで大根の絵が描かれている、すてきな御朱印です♪
もう一ヶ所、出石町北部の山裾にある総持寺にもお参りしました。奈良時代前半、かの行基が開いたとされる真言宗の古刹です。

総持寺本堂。

総持寺の鐘楼門。

徳利・杯(盃)塚。
「般若湯(酒)、徳利、杯に対し感謝の気持ちを注ぎ供養をいたし、人々の円満を祈願する」ために、1980年(昭和55年)建立されたそうです。
いくつか建物はあったのですが受付や寺務所のようなものは分からず、人気もなくてどうしたものか、と思っていたのですが、お寺のすぐ外で話していた人たちが帰り、戻ってきた一人の人に話しかけてみると、お寺の関係の方でした。そこで拝観して来たこと、御朱印を頂けるものなら頂きたい旨を伝えると、快くご了解いただけました。

建物の一つに案内され、しばらくお待ち下さい、ということで入り口で待っていると、何とお茶とお菓子を出して頂きました。しかも外で離れて待っていた連れの分まで……。恐縮です m(_ _)m

頂いた御朱印。
いかにも観光地化したところでもそれはそれで良いのですが、それほど有名でないところでも、親切にご対応いただき、しっかり書いていただいた御朱印を頂けると、本当に有り難く、うれしいものですね。

にほんブログ村
スポンサーサイト