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「下町ロケット」最終回はいつ?(笑)

へろんです。
「下町ロケット」、2018年も話題になってましたね。作品の存在は知っていたのですが、原作小説、2015年のテレビドラマともチェックしていませんでした。
ロケットネタは昔から好きだったのですが、この作品はロケットそのものよりも、企業や「サラリーマン技術者」の物語、というイメージがあり、あまり見る気にならなかったんですね。

大阪・難波「ロケット広場」のロケット
余談ですが、ロケットといえばかつて大阪の難波にはこんなロケットがそびえ立っていました。
1977年(昭和52年)に日本初の静止衛星《きく2号》を打ち上げた《N-Iロケット》の実物大模型で、1978年(昭和53年)に設置されました。

大阪・難波「ロケット広場」のロケット
高さ33メートル、こうして人と比べるとその大きさが分かります。
「ロケット広場」として大阪では有名な待ち合わせ場所でしたが、2007年(平成19年)に撤去されてしまいました。なぜなくなってしまったんでしょうね。今もあったら「下町ロケット」と何かコラボしても面白かったのでは?(^^)

2018年10月より放送された「下町ロケット」のテレビドラマは時々妻が見ていたため、終わりの方は何となく一緒に見ていました。
「これ誰?」「何でこうなってるの?」と妻に訊きながら、だいたいの内容を把握できたのは12月16日放送回。とはいっても妻いわく「今回で最終回」。
「へー、でもあと10分ぐらいだね。これで話まとまるのかな?」
「ほんまやねえ……」
「……あと5分ぐらい。話終わりそうにないぞ。ほんとに最終回?」
「だって新聞に最終回スペシャルって出てたもん」
「ふーん……」と放送終了時間を確認すべく、新聞のテレビ欄に目をやりました。
「……おいおい、よく見なよ! 最終回SPってなってるぞ!!」(爆)
どっひゃー、とずっこける背後で流れる最終回予告……。

「下町ロケット」はもともと中小企業の佃製作所と巨大企業帝国重工との闘いだったと思うのですが、今回はロケットは登場せず、無人トラクターを開発するということで曲がりなりにも両者が手を組んだところに、下町の中小企業が結集したという“下町トラクター”ダーウィンプロジェクトが立ちはだかります。タイトルの「下町」を敵さんが持っていってしまうという図式が凝ってますね。
そして12月23日、最終回
(※以下ネタバレもありますのでご了承ください)

北海道北見沢市で行われる、佃・帝国のトラクター《アルファ1》と、“下町トラクター”《ダーウィン》のデモンストレーション対決。
そこへ首相が直々に視察に訪れるのですが……なんかパフォーマンスのためだけに行動してますね、この首相。

駄目だこりゃ。

でも現実もそんなもんですかね。何かこのあたり、現実の「下町ボブスレー」問題への皮肉ですかねえ。

で、世間の人気だけを見てなのでしょう、ダーウィン側に味方する首相は「下請けをいじめちゃダメ」と帝国重工に言い放ちます。

ならば我々も声を大にして言おう。

「首相、お願いだから庶民をいじめないで! 消費税で!!」


デモンストレーションの結果は互角、というよりむしろ《アルファ1》の方がタイムに勝っていた……にも関わらず、世間は《ダーウィン》ばかりを持ち上げます。
本当に大切な性能で評価せず、流行や人気ばかりで評価し、世論操作にホイホイ乗せられてしまう世の中って……現実がそうなだけにイヤなもんですね。

大人気の《ダーウィン》発売が7月と知り、遅れを取ってはならんと《アルファ1》発売も7月とする帝国重工。ところがダーウィンサイドはさらに前倒しして4月発売を発表!
おそらく最初から4月を目標に、先に7月という情報をリークしたのでしょう。やるなあ、ダーウィン。
焦る帝国重工はさらに前倒しを画策しますが、佃製作所は性能を犠牲にしてまで前倒しはできない、と回答。

そして帝国重工の黒幕会議(笑。いや単に重役会議でしょうが、描き方がまるでダークサイドの総本山みたいで)。
そこで提案されたのが、前倒しに応じない佃製作所は切り捨てて、内製化で完成させてしまおうというダークな手段。

「はたして内製化で佃製作所に勝るものは造れるのか?」
「性能は劣るかも知れないが、東南アジアなど海外に活路を求めれば良い!」

……なるほどそう来ましたか。
確かにね、遅れを取らないためにとにかくまずは発売して、その後で改良の努力を続けよう、という手段も100%間違いではないと思います。ただそれには後の改良体制もしっかり整えた上でないと、大失敗しますが……(ある意味経験者)

そこへ帝国のお偉いさんトップが決断を下します。

「内製化を進めるには、条件がある。佃の製品と内製化の製品、両者を第三者機関で客観的に評価して、内製化が勝つこと」

おお、それはものすごく納得できる条件です!
これで悪役一辺倒の帝国重工をちょっと見直しました。

そして第三者機関によるテストに向けて、製品の不具合改良を目指す佃製作所。テストまでもう時間がない。そこで沸き上がる「残業だぁ~」の歓声。
おいおい、この人病気の娘さんの送り迎えで定時帰りしてたんだけど、もういいの?
この人、以前の回で定時帰りを非難されながら、実は後でこっそり出てきて一人で実験やってるところが美談っぽく描かれてたけど……

その昔、今とは別の部署にいた時、どうしても間に合わない仕事があって、始業前に1時間以上早く出てきたり、休みの日にも出てきてやりましたよ。で、間に合わせましたよ。
その結果、勝手にサービス残業すんなって、しっかり怒られましたよ。
でも間に合わなかったら間に合わなかったで、やっぱり怒られるんでっせ。
ならば間に合わないからってあらかじめ相談したとしても、間に合わないのはお前の能力が低いからだって怒られるんでっせ。

どないせえっちゅうねん!!ヽ(`Д´)ノ

仲間たちが一丸となり、前向きな姿勢で残業に臨む姿は、否定する気持ちはまったくありません。いやむしろ羨ましい。こうした状況では無理もないことでしょう。
一方で現在押し進められている「働き方改革」はこうした姿勢すら押しつぶそうとしています。またその一方で、昔の「残業は美徳」的考えを利用して都合よく社員を搾取する輩が存在してきたことも、紛れもない事実です。
以前も書きましたが、どちらか一方に偏り過ぎるのではなく、残業を全肯定でも全否定でもなく、個人の都合や裁量も認めながら、柔軟に、バランスよくやっていくことが必要ではないでしょうか。

そして送られてくる、第三者機関の評価結果。「A」とか「C」の評価は良いとして、コメントがものすごい。ここまでズバッと指摘してしまうのは痛快ではありますが、第三者評価のレベルを超えてしまわないかヒヤヒヤします。
いい気になって他部署批判ばっかりする連中が身近にいるんですけどね。第三者の批判は重みがありますが、社内の人間がいい気になって他部署を批判するのは、自分の喉元に刃物を向けるのとそんなに変わらない気がします。

第三者評価で敗北し、「このままでは終わらん」とつぶやく帝国のお偉いさん。
もう放送時間も残りわずか。最終回っていっても、お話そのものがまだまだ終わってないじゃん。
これってどう見ても第2部とか続編へいくよね~、と顔を見合わせます。

走る無人トラクターを見ながら、今回の不具合改良について特許を申請しておこう、と話す佃の面々。どうやら《ダーウィン》も同じシステムを使っていて、同様の不具合が発生しうるらしい。おお、そこで佃が特許を握っていたら……それが第2部の伏線になるな~。

ラスト、パソコン画面に表示される《ダーウィン》動作停止の連絡。

ほらほら、やっぱり第2部に続くよ~。

そしてエンディングの後で……

えっ、1月2日に新春ドラマ特別篇!?

おいおいおい! 普通はそっちを最終回と呼ぶのではないでしょうか!!??
といいつつ、また観てしまうでしょうね(笑)

「下町ロケット」コラボ商品「下町コロッケ」
おまけ。
「下町ロケット」とのコラボ商品、「下町コロッケ」!(≧∇≦)

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京都市西京区・紅葉の善峯寺と三鈷寺

へろんです。
京都の善峯寺には以前も掲載しましたように紫陽花の季節に初めてお参りしましたが、紅葉の名所でもあります。
光明寺にお参りした後、そこからほど近い善峯寺にも行ってきました。

紅葉の善峯寺
今年は善峯寺も色づき具合がよく報道されていました。

紅葉の善峯寺


紅葉の善峯寺


紅葉の善峯寺


善峯寺奥の院からの眺め
高い位置にある奥の院からは京都市街が望めます。

善峯寺は妻の希望でしたが、ならばそこからすぐの三鈷寺にも行ってみたい、とお願いしていました。
三鈷寺は善峯寺と境内つづきの山腹にあり、善峯寺の北門を出てすぐにあります。

善峯寺北門
北門は無人で、回転扉を押して出ることが出来ます。

善峯寺北門の掲示
戻ってくる時はインターホンで通話して開けてもらうようです。

三鈷寺西門
北門を出てすぐ現れる、三鈷寺の西門。

ちなみに今回は善峯寺に車を停めて北門から出ておうかがいした訳ですが、この三鈷寺には直接車ででも行けるそうです。しかしこちらの記事によると途中の山道が車幅ぎりぎりだったりして、対向車でも来ようものならえらいことになりそうで、タクシーですら「もう二度と行かない」という人も出るのだとか (((( ;゚Д゚)))
やはり私のような不器用な人間はこちらからおうかがいするに限ります。

三鈷寺納経所
入って左手の納経所には誰もおられず、呼び鈴を押してもしばらく反応がなかったのですが、諦めかけた頃にお寺の方が出てきてくださいました。そこで、お参りしたいことと御朱印をお願いしたいことを伝えました。

拝観料、といいますか観光案内などでは「本堂・客殿入館料」となっている金額は500円。中に入らず境内から景色を見るだけなら無料のようですが、それだけで帰ってしまうのは厚かましいしもったいないです。後述のように上がらせて頂いた方が絶対お得です。

三鈷寺の御朱印
この時は御朱印は書き置きのみで、「この中から選んでください」とこちらを示されました。もみじやイチョウのバリエーションも含めて8種類。

三鈷寺御朱印
しばし迷いましたが、こちらの御朱印を頂きました。
実は三鈷寺を初めて知ったのは、近くの十輪寺とコラボしたアサギマダラ限定御朱印があるとの記事からですが、この時にはもうありませんでした。アサギマダラは渡りをすることで有名な大型の美しい蝶で、このあたりも渡りのルートに入っているようです。十輪寺ではアサギマダラの入った御朱印も過去にあったようで、これはほしかったですね。

三鈷寺本堂
本堂へ案内され、しかも「お参りが終わったら客殿へどうぞ。お茶を用意しておきますので」とおっしゃって頂きました。

三鈷寺境内からの絶景
本堂でお参りさせて頂き、庭に出ます。

紅葉越しの京都市街
紅葉越しに眺める京都市街。まさに絶景です。
この眺めは関西屈指といわれ、江戸時代の「都名所図会」にも「二大仏七城俯瞰の地」と記されているのだとか。「二大仏」とは京都の方広寺と奈良の東大寺。「七城」とは二条城、伏見城、淀城、高槻城、大坂城などだそうです。これで五つ。あと二つはどこだろう、と調べましたが、分かりませんでした。
まあさすがに東大寺や大坂城までは見えないと思いますが、それほど眺めが良いと讃えられたということですね。

三鈷寺境内からの絶景

しばらく絶景に見とれているとお寺の方が出てきて、客殿へ案内して頂きました。

三鈷寺客殿からの紅葉
客殿からも見事な紅葉と絶景が堪能できます。

三鈷寺客殿からの紅葉


紅葉越しの京都タワー
紅葉越しの京都タワー。

三鈷寺客殿で頂いたお茶菓子
そして用意して頂いていたお茶とお菓子。恐縮です m(_ _)m

三鈷寺を失礼して、再び善峯寺へ。北門でインターホンに戻ってきた旨を伝え、カメラに拝観券を示して開けて頂きます。

紅葉の善峯寺
上から見る善峯寺境内も色づいています。

善峯寺境内の紅葉


善峯寺から見る山の紅葉
駐車場から見える山々も美しく彩られていました。

例年ですと紅葉は見頃を外してしまったり天気に恵まれなかったりすることも多いのですが、2018年は見頃が比較的長く、天気にも恵まれて、充分楽しむことができました。
来年もまた紅葉の絶景に出会えるよう、頑張って生き延びたいものです(^^)


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京都市東山区・東福寺

へろんです。
京都の東福寺といえば、その昔職場の後輩と一度だけ行ったことがあるのですが、雨が降っていて紅葉もまだまばらで、その割には知名度のおかげで人だけは多く、あまり楽しめた記憶はありませんでした。
その時の後輩はやがて他の地方に転勤して、後に退職。今後の人生の中でもう二度と会うことはないんだろうなあ……と遠い目で懐かしむ思い出とセットになっています(苦笑)

東福寺といえば、かねてより京都で1、2位を争う紅葉の名所として有名です。ちなみに東福寺という名前は、奈良の東大寺と興福寺から、一文字ずつ取って名付けられたと言われているのだとか。これまで大混雑を忌避して有名どころは避けていたのですが……今年は光明寺に行って感動し、有名どころも行ってみる価値はあるものだと思い、よく聞く東福寺も気になっていました。
2018年12月2日、前日の報道でまだ見頃だ、ということを聞き、天気も良かったため、思い切って拝観開始直後を狙って飛んでいきました。

JR東福寺駅から徒歩約10分、人の流れに従っていくと、まず臥雲橋という屋根付きの橋に差し掛かります。
東福寺境内には洗玉澗(せんぎょくかん)という谷があり、三本の橋が架けられています。臥雲橋はその一番西側にあり、ここではまだ拝観料はかかりません。この橋から東福寺の境内を望むことが出来ます。

2011年当時の臥雲橋からの光景
かつて11月中旬に職場の後輩と来たときは、臥雲橋からの景色はこんな様子でした。

今年の臥雲橋からの景色は……見事に真っ赤!! 晴天の下、見渡す木々が一面に赤や黄に色づいていました。橋の上はすでにかなり混雑していましたが、納得です。

なお2016年以降は、紅葉時期にはこの臥雲橋や通天橋の上からの撮影は禁止とされてしまっています。
この日・この時間は人が多いといってもまだまだゆったりとしていましたが、混む時は橋の上が満員電車かという大混雑になってしまうのだとか。残念ですがやむを得ないですかね……。

東福寺参道の紅葉
参道の途中でも左右から紅葉した木々が覆いかぶさってきます。

東福寺境内の紅葉

最大の名所、通天橋を渡るには、拝観料400円が必要になります。
拝観料を払って入ると、すぐに通天橋を渡るのではなく、その下に広がる洗玉澗へと降ります。

東福寺洗玉澗の紅葉
見事に真っ赤!!

東福寺洗玉澗の紅葉
奥に見えるのが通天橋。

東福寺開山堂
通天橋の先にある開山堂。1819年(文政2年)に焼失した後、1826年(文政9年)までに再建され、金閣寺などとともに「京の五閣」に数えられるのだとか。

東福寺の御朱印所
御朱印は混雑期にはこのような御朱印所で授与のようです。
貼り紙によると、御朱印帳への直書きは11月1日~12月9日までは中止し書置きのみ。「秋の看楓期間」中(11月1日~12月2日)は紅葉印を押した限定御朱印を授与、とのこと。(たぶん年によって変わります)

東福寺「秋の看楓期間」御朱印
左上が秋限定の紅葉印ですね。今日までだったんですね!
後から調べてみますと、書き置きは「スタンプ」と紹介されている記事をよく見かけました。スタンプ? うーん……。
スタンプは「大佛宝殿」と書かれていて、300円。どちらにせよこの時はありませんでしたが、直書きの場合は「大佛寳殿」と書かれて、500円なのだそうです。
これほど大混雑する名所ですから、書き置きもスタンプもやむを得ないことですし、ありがたさは変わらないものだと思います。ただそれなら、御朱印料が違っていて、直書きの方が難しい漢字、というのも……うーん……。

境内ほぼ中央の「方丈」には「八相の庭」と呼ばれる庭が配され、2014年には「国指定名勝 東福寺本坊庭園」となっています。ここの拝観も別途400円かかるので一瞬躊躇したのですが……せっかくここまで来たんだから、と入ることにしました。

東福寺本坊庭園南庭
入って間もなく左手に現れるのが、南庭
広さ210坪の枯山水庭園で、渦巻く砂紋で「八海」を表し、18尺の長石を中心に剛健に配された石々で「四仙島」を表しているそうです。足場のある石の周りならともかく、庭のただ中で足場のなさそうな砂紋はどうやって描いているんでしょうね?

東福寺本坊庭園南庭
「四仙島」は古代中国の蓬莱神仙思想で、東の大海の彼方にある仙人が住む島「蓬莱」「方丈」「瀛州(えいしゅう)」「壷梁(こりょう)」を表しているのだそうです。中国から見て東の彼方……それって日本列島!?(実際「瀛州」は日本を指す場合もあるそうです)

東福寺本坊庭園東庭
東庭にはこのように円柱の石が配されていたのですが……後から調べると、この石は7個あって北斗七星を表しているのだそうです。しまった、あらかじめ知っていれば、そのつもりで見て写真もそんな構図で撮ったのに……(o_ _)ノ彡☆

東福寺本坊庭園西庭
西庭はさつきの刈り込みと葛石で方形に区切った市松模様に図案化されています。

東福寺本坊庭園通天台からの紅葉
西庭から北庭へまわる途中に「通天台」という舞台があり、ここから通天橋を望めます。通天橋からその向こうの紅葉の樹海が垣間見えます。

東福寺本坊庭園北庭
北庭には敷石とウマスギゴケの緑の対比が美しい小市松模様が見られます。

東福寺三門
方丈を後にして南の出口へ下ると現れる立派な門は、1952年に国宝に指定された「三門」。室町時代初期の再建で、現存最大最古なのだとか。

東福寺参道の紅葉
東福寺の周りでもあちこちで美しく色づく樹々を見ることができました。

午後から所用があったため駆け足でしたが、久しぶりに訪れた東福寺の紅葉は文字通り息をのむほどの絶景で、京都で1、2位を争う紅葉の名所というのはダテじゃないと感じました。

一方でいちばんの絶景スポットが撮影禁止になっているのは残念ですが、ネット上では混雑期には受付で2時間もの行列になるとか、橋上でも人がびっしりで、紅葉を見ようと思うと満員電車で降りようとする時のように人をかき分けていかないと駄目だとか……すごい話が掲載されています。
ものすごく極端な話かも知れませんが、あまりに観光客が増えすぎると、観光客排斥運動まで起こるのではないかというすごい記事まで見かけることがあります。
そこまでいくかどうかはともかく、市民生活に迷惑をかけないような観光とか、混雑緩和につながるような計画など、何かできることはないか心がけたいものですね。


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京都府長岡京市・光明寺

へろんです。
京都府長岡京市の光明寺は1175年(承安5年)に浄土宗を開いた法然上人が初めて「念仏」の教えを説いた地で、また長岡京市ではトップクラスの紅葉の名所です。
例年大混雑が伝えられるのでこれまで躊躇していましたが、2018年11月25日に思い切って行ってみました。

普段は入山無料ですが、紅葉期(2018年は11月10日~12月2日)のみ500円。お寺として駐車場はないとされています(観光バスは総門前に停まっていました)が、付近の臨時駐車場に案内されました。1回1000円、時間は関係ないので納得できる価格かと思います。

光明寺開門前の大行列
拝観時間は9時から……ということで、混雑を予想して8時45分ぐらいには到着しました。が、すでに長い列が!!

光明寺総門
総門は1845年(天保16年)に建てられたそうです。

光明寺表参道の出店
表参道を登ると、紅葉のきれいな広場に、いくつもの出店が並んでいました。「一方通行で帰りはここを通らないので、今のうちに寄っていってください~」という声に、お店に立ち寄ります。

光明寺表参道の出店で見つけたフクロウ箸置き
そして連れて帰ることにしたのが、このフクロウの箸置き。足の位置にへこみが付けられており、お箸を置くとフクロウが樹に止まっているように見えるという逸品です♪

手水舎から望む紅葉
手水舎の向こうには美しい紅葉が。

手水舎近くの見事な紅葉


光明寺御影堂
通常の寺院様式では本堂に相当する建物は御影堂(みえどう)と呼ばれています。現在の建物は1754年(宝暦4年)に完成したものだそうです。

御影堂からの紅葉
御影堂の右にある阿弥陀堂から靴を脱いで上がり、御影堂、釈迦堂と参拝していきます。

光明寺の美しい庭園


光明寺の御朱印案内


光明寺御朱印
御影堂で頂いた御朱印。中央は「浄土門根元地」と書かれているようです。芸術的な筆運びですね。


光明寺境内の紅葉
真っ赤に染まった紅葉も良いのですが、このように赤、橙、黄、緑のグラデーションも美しいものです。

光明寺境内の紅葉
そして陽の光を透かして見る紅葉。やはり紅葉は晴天の下がいちばんですね。

順路に従っていくと「もみじ参道 こちらから」という看板が。その通りに進むと……

もみじ参道へ抜ける道も大渋滞
げげっ、大渋滞!

光明寺のにぎやかな出店
細い道を抜けると、行きとは別の場所に、さらにたくさんの売店が並んでいてにぎわっていました。

光明寺もみじ参道の紅葉
そして名高い、光明寺のもみじ参道。

光明寺もみじ参道の紅葉

光明寺前で観光バスが大渋滞
もみじ参道を抜けて再び総門前に戻ってくると……観光バスがひっきりなしに出入りして、バスがすぐ脇を通過するので歩道を歩くのも怖く感じる混雑ぶり (((( ;゚Д゚)))

普段は有名で混雑が予想されるところはあまり行かないのですが、思い切って行ってみると、やはり行って良かったと感じました。さすが名所と呼ばれるだけのことはありますね。


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「太陽の塔」三部作

へろんです。
2018年11月24日早朝、2025年の万博が大阪に決定したことが伝えられました。
以前も書きましたように、1970年の大阪万博には個人的に非常に強い思い入れがありますので、2025年に再び万博が来る、というのはとても嬉しく思います。辛くとも2025年まで頑張って生き延びよう、という目標ができました(^^;)。一方では批判や問題もあるのでしょうが、これから盛り上がっていってほしいですね。

あ、でもカジノは絶対いりませんよ。

さて、表題は妻の命名なのですが、今年は「太陽の塔」にまつわる“イベント”が3つもありました。
まず一つ目は以前にも掲載しました「太陽の塔」内部公開
それから映画「カメラを止めるな!」を観に行った時に上映前の紹介で知ったのですが、映画「太陽の塔」というのも公開されると知り、2018年10月7日に行ってきました。これが二つ目。
そして天王寺のあべのハルカス美術館での、太陽の塔にまつわる特別展示(2018年9月15日~11月4日)には、終了直前の11月3日に行ってきました。
以上、名付けて「太陽の塔」三部作(^^)。

映画「太陽の塔」

さて、映画「太陽の塔」なのですが……(以下3枚の画像は映画「太陽の塔」予告編より拝借しました)

映画「太陽の塔」

最初の頃こそ当時の映像とかがちらちらと出てきてフンフンと見ていたのですが(大阪万博、太陽の塔といえば、世間的には岡本太郎ばかり注目されますが、ワタクシ的にはSF作家でテーマ館サブ・プロデューサーを務めた小松左京です。名前だけでも出てこないかとずっと見ていましたが、出なかった……。ただし最初の頃の映像にワンカットだけ映っていたと思います)、結局はいろんな人のインタビュー映像がほとんどでした。
しかも時々挿入される、走り回る女の子や、壁画の前で踊るダンサーや、謎の映像……

映画「太陽の塔」

ここは大阪やったんやー! 誰や、地球をこんなんにしてもうたんはー!!

……えっ、違うの? そういう映画じゃないの!?(爆)

映画「太陽の塔」

しかも原子力や3.11の話が絡みだして、だんだん妙な方向へと進んでいきます。
「人類は第二の太陽を手に入れた」というナレーションを聞いた瞬間、「これは危ない!」と思いました。思想が、では決してありません。原発反対は自由なことですし、私もどちらかといえば反対派です。
しかしこれは「太陽の塔」の映画です。
こういう描き方をすると、じゃあ「太陽の塔」の太陽は原子力をも意味してたんじゃないか、というトンデモない勘違いをする人が出てくる恐れはないでしょうか!?

まぁ確かに調べてみると、そんなことを言う人はいるようです。あくまでも後付けとして、そういう見方もできるんじゃないか、という意見なら良いでしょう。
しかしもしも岡本太郎がそういう意図をもって名付けた、などと言ったとすれば、それは間違いです。なぜなら、「太陽の塔」内部公開でも書きましたように、「太陽の塔」の名前は小松左京が「太陽の季節みたいだ」と言った言葉に岡本太郎がノッた、というのが真相なのですから。
この映画は太陽の塔の「ドキュメンタリー映画」とされているようです。しかし制作サイドの思想があまりにも前面に出過ぎていて、ドキュメンタリー映画ではなく、一種のプロパガンダ映画のような気がして、どうも釈然としませんでした。

続いて、大阪は天王寺のあべのハルカス美術館で催された「太陽の塔」展です。

あべのハルカス美術館「太陽の塔展」
開館時間より前に到着したのですが、すでにかなりの人が並んでいました。

「太陽の塔」の顔の親戚?
入るとさっそく、「太陽の塔」の親戚のようなオブジェが出迎えます。

「地底の太陽」保存用原型
「地底の太陽」保存用原型。地下展示にあった第4の顔は行方不明になり、2018年に復元されました。その復元の際の原型だそうです。

地下展示の様子
地下展示の様子。「地底の太陽」はこの奥にあるように、左右にコロナを放射し、全長13メートルもあったそうです。

ジオラマ風に再現された地下展示
こちらはジオラマ風に再現された地下展示。

太陽の塔の石膏原型を制作する岡本太郎
太陽の塔の石膏原型を制作する岡本太郎。
岡本太郎は1967年10月9日にアトリエの庭で「太陽の塔」の原型制作に着手。高さ1.5mほどの石膏原型で、上の「黄金の顔」は鍋のフタだったのだとか。ほとんど試行錯誤が見られないことから、頭の中でほぼ完全な立体造形がイメージできていたと考えられるそうです。

万博当時の様子の模型
万博当時の様子の模型。

「世界を支える無名の人々」
「太陽の塔」の脇には「世界を支える無名の人々」というタイトルで619枚の写真が展示されていたそうです。こういう視点はすばらしいですね。どのような基準で選ばれた写真か分かりませんが、もしもご存命の方がいらっしゃったら2025年に招待してはどうでしょう。

「太陽の塔」内覧模型
「太陽の塔」内覧模型。
……なんかちょっと学校の理科室にあったような人体模型を連想してしまいます。

「生命の樹」の模型
「太陽の塔」内部にそびえる「生命の樹」の模型。2011年の岡本太郎生誕百年事業の一環として制作されたものだそうです。

「生命の樹」の直角貝
隣にいたカップルが「この貝がいっぱいいる部分が好き」と言ってました。確かにたくさんいる直角貝が踊っているような戯れているような、良い雰囲気です。

初代〈黄金の顔〉
初代〈黄金の顔〉。
1992年から93年にかけて太陽の塔は大規模な改修メンテナンス工事が行われており、その時この〈黄金の顔〉が交換されたそうです。交換され倉庫に保管されていた鉄板169枚を当時のままに組み立てたもので、直径10.6m。ほんと大きさを実感しました。

お茶目な「太陽の塔」
会場出入り口付近のお茶目な「太陽の塔」。

入館者ほぼ200万人達成
垂れ幕には「祝 入館者ほぼ200万人達成!!」……ほぼ? ほぼって??
調べてみますと、2018年10月11日に来館200万人達成記念セレモニーが行われたそうです。
10月には「ほぼ」ではなくてきっちり200万人目のセレモニーが行われているのに、なんで「ほぼ」となってるんでしょう? カウントに何か数え間違いでもあって、きっちり200万人目が分からなくなったとか……!?
いや特に何も書いてなかったですが、どうやらお遊びで「ほぼ200万人目」入館者の気分で記念撮影してください、という意図のようです。
まぁ逆に言えば、こうした○人目ってどうやって特定の一人を決めてるんだろうっていつも思いますものね……。

美術館の入っているあべのハルカスには、地上約300mの展望台もあります。その展望台でも「太陽の塔」展との連動企画でなにやら展示しているらしい、ということで、展望台にも上ってみました。

展望台の連動企画

〈黄金の顔〉見参? どこに?

ガラスに貼られた〈黄金の顔〉
……どうやらこれのことのようです。ガラスにシールのようなものを貼り付けた〈黄金の顔〉でした……。

展望台から望む大阪市街
まぁ企画はともかく、この日は天気も良く、地上約300メートルの眺めは絶景でした。

展望台から望む大阪市街
難波から梅田方向を望みます。

展望台のEXPO'70 グッズコレクション
展望台の一角には、万博グッズ収集家・万博ミュージアム館長の白井達郎氏の「EXPO'70 グッズコレクション」が展示されていました。これは見ごたえありました。

近鉄百貨店内での「EXPO'70 写真展」
もう一つの連動企画として、近鉄百貨店内で「EXPO'70 写真展」もやっていました。

近鉄百貨店内での「EXPO'70 写真展」
こじんまりとした展示でしたが、グッズや写真パネルなどこれもなかなか面白かったです。

2018年は「太陽の塔」に関するイベントが重なり、しかも最後には第二の大阪万博が決定されるという、特筆すべき年となりました。
2025年まであと7年、1970年の万博で活躍した岡本太郎や小松左京のような “大物” が今の世にいるだろうか? と考えるとちょっと心配な気もしないではないですが……。できるだけ環境に優しく、無駄遣いはせず、カジノなんぞは作らず、健全で明るい万博になってほしいものです。


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へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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