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岐阜・金の御朱印めぐり その1

へろんです。
以前の記事にも書きましたように、2019年のGWに岐阜旅行へ行った際、岐阜市の金(こがね)神社では毎月最終金曜日を「Premium金Day」として、金文字の限定御朱印を授与していることを知りました。5月1日も改元記念ということで特別に授与されていたものの、とんでもない混雑で諦めましたが……。

うちの会社では数年前から有休消化率の向上という名目で、年数日は強制的に「計画年休」を取ることになっています。ただしそれは半年も先までの予定を決め、決めたら何があろうと、たとえ仕事の予定が入ろうと変更できない(休みの取り消しができない)、意味不明に融通の利かない制度なのですが……。
数ヶ月先の予定なんて公私ともに分かるわけないですから、もうエイヤッと適当な日を指定するしかありません。そうして決めた日の一つが、2019年6月28日。
この日が近づいてきて、妻も仕事だし、さてどうしよう、と考えた時……ふとこの日が6月の最終金曜日であることに気付きました。

金神社の限定御朱印の日じゃん。しかもGWと違って平日だから、まだ空いてるんじゃなかろうか。たまたまこの日が休みなんて二度とチャンスがないかもしれん! 他にも岐阜で見逃したところもあるし……。
というわけで、妻に言いました。

「28日やけど、岐阜に車で日帰りで行ってくるわ」
「え! 岐阜はお気に入りだから私も行く!」
「……いいけど仕事休めるの?」
「仕事終わってから出ちゃだめ?」
「おいおい、それじゃ限定御朱印の授与時間終わってるって」
「じゃあ後から電車で行く!」

……というわけで、一人で日帰りのつもりが、またも泊りがけの小旅行になったのでした。

      *      *      *

6月28日早朝に一人で出発、岐阜市に到着したのは午前8時過ぎ。GWの時は、この時間すでに金神社が面している金華橋通りには駐車場待ちの渋滞が出来ていました。
さて今日は……渋滞はできていない。ここを曲がると無料駐車場だけど、空いてるか……おお、一つだけ空いてた!
無事に車を停め、まずはお詣り。

金神社の金色の鳥居
有名な金色の鳥居。

金神社社務所
この時はまだそれほどの列ではありませんでした。

金神社限定御朱印
無事頂きました、金文字の限定御朱印。
うーん、金文字の御朱印は画像の調節が難しいですね。いつものように明るくすると、金文字も薄れてしまいます。コントラスト調節にも限界が。というわけで、いつも載せている御朱印よりも暗めです。

金の御朱印案内チラシ
御朱印を頂くまでに並んでいた時、壁に貼られたチラシが目に留まりました。
ん? 最終金曜日限定の「金の御朱印」って他でもやってるの?

妻と二人だと、御朱印だけに連れまわすわけにはいかないけど、今日のうちなら気兼ねなく回れる……。
今日他に行こうと思ってたところは他の日でも行けるけど、最終金曜日に休めるチャンスは二度とないかもしれない……。

よし、全部でなくても良いから行けるところに行ってみよう!

というわけで、図らずも「金の御朱印」巡りを始めることになったのでした。

      *      *      *

まずはGWにもお詣りしました伊奈波神社

伊奈波神社社務所
こちらはまだ空いていました。

伊奈波神社限定御朱印
伊奈波神社の限定御朱印。

続いては初めてお詣りさせて頂く橿森神社。この中の岐阜信長神社(建勲神社)にて限定御朱印が頂けるとのこと。ちなみに有名な楽市楽座はこの地で開かれたのだそうです。

橿森神社鳥居

案内板には、橿森神社の通常御朱印は一の鳥居をくぐってすぐの授与所にて、岐阜信長神社の金の御朱印は奥の拝殿にて、と別々の場所で頂けるとありました。
まずは奥の拝殿へ進みます。

岐阜信長神社
境内を入ってすぐ左手に見えてくるのが建勲神社、通称「岐阜信長神社」。かの織田信長を御祭神としています。

橿森神社拝殿
岐阜信長神社にお詣りしてから奥へ進み、二の鳥居をくぐって登ったところにある拝殿。

岐阜信長神社限定御朱印
この拝殿内で、岐阜信長神社の金の御朱印を頂きました。
左下にある織田信長の花押が良いですね。

橿森神社御朱印
授与所まで戻り、頂いた橿森神社の御朱印。

金神社で撮影したチラシをデジカメの画面で確認し、残る行き先を確認。橿森神社から近いところとして、岩戸弘法弘峰寺に向かいます。

岩戸弘法弘峰寺
色鮮やかな拝殿。

金の御朱印ののぼり
こちらにも金の御朱印ののぼりが。

弘峰寺限定御朱印
弘峰寺の金の限定御朱印。

弘峰寺限定御朱印
台紙に千日草が描かれた月替わりの書き置き御朱印も頂きました。

続いてJR岐阜駅の南にある玉性院へ。

玉性院
住宅街のただ中にあります。

玉性院の御朱印案内
限定御朱印の案内板。

玉性院限定御朱印
金のお多福さまの限定御朱印。

いよいよ最後、岐阜市の西側にある鏡島弘法乙津寺へ。

鏡島弘法乙津寺
弘法大師様の命日にあたる毎月21日を縁日としており、どうやらその日にも限定御朱印があるようです。

乙津寺限定御朱印
こちらは弘法大師様のお姿が金色になっているようですね。

昔からコンプリートとか完収とかにほとんど興味のなかった私が、今回はこれにて珍しくコンプリート達成
ちょっとした達成感(笑)に浸りながら、寺務所でふと見ると、金神社で貼りだしてあったあの「金の御朱印」案内チラシがありました。

「すみません、このチラシも一枚頂いていいですか?」
「どうぞどうぞ。あ、こちらに新しいチラシがあるので、これもどうぞ。限定御朱印を頂けるところがもっと増えてるんですよ

・・・・・はい!?

To be continued ……


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明日は選挙!

へろんです。
明日はいよいよ第25回参院選投票日ですね。

選挙にまつわるSF関連作品として、以前こちらの記事『泣き婆伝説』を紹介させて頂きましたが、もう一つ思い出される選挙にまつわる作品として、小松左京先生の『公明選挙』があります。7ページのショートショートで、角川文庫版『明日の明日の夢の果て』(1980年)に収録されていました。

      *      *      *

ある国政選挙で異常な関心の低さが取り沙汰されていたが、いざ投票日になると、投票率は何とぎりぎり10%。しかも開票してみると、全候補者それぞれについてただ一票、つまり自分で自分にいれた一票を除いて、すべて無効票!
これは果たして選挙として有効なのか!?
大慌ての政治家たちを尻目に、実は大衆が新たな動きを……。

      *      *      *

投票率が低い選挙は有効か、というのは、私も昔から疑問に感じています。個人的には投票率50%を切ったらその選挙は無効、ぐらいでも良いと思うんですけどね。棄権も権利の一つ、などとしたり顔で言う人もいますが、棄権するということは当選者にすべて白紙委任する、ということですから、棄権した人は増税されようが戦争になろうが文句を言う権利は一切ありません
現実には政治家たちに愛想を尽かせたとしても、この作品のように裏で大衆が何か新たな動きを、というのは今の日本では難しそうです。結局今できること、確実なこと、というのは投票しかない、ということになりますね。

田中芳樹先生の『銀河英雄伝説』は、1600年未来の恒星間宇宙に広がった人類社会を描いています。
昔のHPの紹介文にも書きましたが、一般的に専制主義民主主義が対峙した場合、十中八、九は、前者が悪で後者が善として描かれます。が、本作はそんなに単純ではなく、「最良の専制君主に支配された専制国家と、堕落しきった政治家による衆愚政治へと陥った民主主義国家とでは、どちらが良いか」という難しい問題が提起されています。
登場する政治家の一人、ヨブ・トリューニヒトは、政治手腕はないくせに権力志向が強く、汚い手も平然と使う人物ですが、国民の人気取りがうまいため、民主主義陣営の最高権力者にまで登りつめます。こうした人物に票が集まる民主主義というのもどうなんだろうな、とは思いますが、一方で作中では「さしあたりトリューニヒトよりマシであれば良い」という言葉も出てきます。ベストはなくともベターで選べばよい、そういう考え方もありではないでしょうか。

最後に、銀英伝の中で述べられる政治に関する名言を一つ。
民主主義陣営の政治家、ホワン・ルイの台詞です。

「政治家とはそれほど偉いものかね? 私たちは社会の生産に何ら寄与しているわけではない。市民が納める税金を公正に、且つ効率よく再分配するという任務を託されて、それに従事しているだけの存在だよ。(中略)それが偉そうに見えるのは、宣伝の結果としての錯覚に過ぎんよ」

『時間花火(タイム・ワーク)』

へろんです。
今月のNHKの『100分de名著』では私のもっとも敬愛する小松左京先生が取り上げられてますね。拍手喝采ものです。一回目は見逃してしまいましたが……。早くテキストを買いに行かないと。

       *      *      *

以前こちらで、あまり知られていないけどもっと知られてほしい名作SFとして、北崎拓先生の『冬のセリカ』を紹介させて頂きました。

少年ビッグコミック 1986年1月17日増刊号「SF BOX」

1986年(昭和61年)、「SF BOX」と銘打って発売された、小学館の少年ビッグコミック 1月17日増刊号に掲載された作品でしたが、もう一つ、同じ本に掲載されていた名作SFを紹介させて頂きたいと思います。

『時間花火(タイム・ワーク)』(原作・生野悟郎、作画・かづさひろし)。30ページの短編です。

       *      *      *

おそらく人類が恒星間宇宙に広がった時代の、とある惑星。
主人公の少年タキは、宇宙空間の事故で両親を失う。葬儀の夜、家の前に見知らぬ老人が倒れていた。
老人は記憶を失っていたが、「時間花火(タイム・ワーク)」の職人だったらしい、ということは分かった。
「時間花火(タイム・ワーク)」はちょうど打ち上げ花火のように打ち上げると、空に花開く花火の代わりに、光芒の中に映像が映し出される。

「あの花火に映る光景は、時空を超えた過去の景色」
「過去……? じゃあ夏祭りに打ち上げられる花火に映る人たちは……」
「ああ……もうこの世にいない人々だ。生前の、それも一番華やかな頃を映し、供養する。そのための時間花火なんだ」


老人とタキは時間花火を作る「花火屋」を始めた。この惑星の夏祭りでは時間花火が盛大に打ち上げられるが、老人の作る時間花火は映像が次々と移り変わる、人の一生を映し出すような高度なものであった。
タキの幼馴染みである少女ミリィは別の惑星(全然描かれないけど地球のような気も……)に住んでいるが、この惑星の観光シーズンである夏には、亜空間通路を通る船に乗って(つまり恒星間航行ということですね)タキのところにやってくる。
しかしある年の夏、重大事故が発生してしまった。

それから50年。自分自身も花火職人となったタキは、過去を映し出す時間花火は一種のタイムマシン、という老人の言葉を思い出し、50年前の重大事故を回避すべく、ある決断をくだす……。

       *      *      *

この作品で描かれる「時間花火(タイム・ワーク)」という独創的な仕掛けは、過去の映像を空に映し出すというものですが、その映像は故人を供養するためのもの。これが使われる夏祭りは、まさに日本のお盆を想起させます。
舞台となる惑星はどれほどの文明規模なのかは分かりません。絵柄からするとどちらかというと洋風のスタイルですが、何となく田舎のような雰囲気を連想させます。
夏祭りは観光シーズンということで、恒星間航行してでも観光客がやってきます。
ちなみに亜空間通路を通ってくる宇宙船の舷側には「KLM」とか「PANAM」と書いてあって、にやりとさせられます。あ、でもPANAMはその後無くなってしまいましたね……(パンアメリカン航空、アメリカのフラッグキャリアでしたが、1991年に破産)。未来を描くSFで現在も存在するものがちらちら出てくるのも楽しい演出ですが、それが現実ではなくなってしまうと寂しいものです。

田舎のような惑星で、故人を供養する夏祭りに観光客がやってくる……。
これはお盆に帰省客が田舎へと帰ってくる、日本の夏そのものです。「観光客」というより「帰省客」と思えてしまうがために、幼馴染みのミリィも両親の都合でこの惑星から出て行ったものの、地球のような「都会」から「帰省」してくるように感じられます。

お盆は迎え火や送り火、灯籠流し、京都の大文字焼など、「火」や「光」と関連した風習が多くあります。そして夏の花火さえも、故人の霊を弔うという側面もあるそうです。だからこそ、「時間花火」も同じ意味合いを持っているのでしょう。

2007年の淀川花火大会

花火は夜空に美しく花開いたと思ったら、瞬く間に消えていきます。美しくも儚いその様子は、まるで人生のようです。
そして「時間花火」も、おそらくその映像はパッと現れて数秒で消えていくのだと思われます。人の一生を映し出す老人の「時間花火」でさえ、おそらく儚く消え去っていくことに変わりはありません。

そしてこの『時間花火』という作品そのものが、主人公タキの、そして花火職人であった老人の人生を一瞬で描き切った、一つの「花火」なのかもしれません。
しかし、50年前の重大事故を回避しようとする最後の抵抗は、儚く消え去っていくだけの人生に対する抵抗になっています(本当は「ああすればもっと確実に回避できるだろうに……」と思うポイントはあるのですが)。
人生は花火のように短く儚い。しかしそれでもなお抵抗するのもまた人間。主人公の抵抗には切なさとともに希望も垣間見えます。

       *      *      *

この短編を読んでから三十年以上経った今。内容は感動のあまりはっきりと覚えていましたが、改めて読み返すと、また違った気持ちも強くなってきました。
昔読んだ時は、主人公の抵抗に(主人公と同じように)望みをかける気持ちが強かったものです。
しかし三十数年後、自分自身の現実世界では、矢折れ力尽き、ささやかな抵抗も潰え去るかも知れないという状況の今……やはり人生というものは儚いものか、と感じてしまいます。

そして「時間花火」が「生前の、それも一番華やかな頃を映し、供養する」ということを思い起こしたとき……

あ゙っ……自分がいなくなった未来、自分を供養してくれそうな人って……いない……(≧Д≦)

そして、もしも仮に、誰かが自分を「時間花火」で供養しようと思ってくれたとしたら……自分の「一番華やかな頃」って、そんな時期あった!? いつ!? 「時間花火」を打ち上げてもらっても、そんなのがなかった自分の場合は映像が映らなかったりして……!?(T▽T)


まぁ自分の場合は置いといて……。
この『時間花火』は夏祭りやお盆の故人の供養といった日本人の心に染み付いた郷愁に訴えかけ、かつ人生の儚さ、しかしそれでもなお抵抗しようとする姿を描いた名作です。
この作品もインターネットで調べてもほとんど情報が出てきませんが、ぜひ知られてほしい作品です。

岐阜市・名和昆虫博物館

へろんです。
2019年GW岐阜旅行の最後に立ち寄ったのが、名和昆虫博物館

名和昆虫博物館
1919年(大正8年)に開館、現存する昆虫博物館としては日本最古です。

名和昆虫博物館
博物館の建物は開館当初からのもので、岐阜県第1号としての登録有形文化財、岐阜市の都市景観重要建築物に指定されているそうです。
右の柱の看板には「昆蟲博物館」とあります。もしかするとこれも開館当初からの看板かも知れませんね。

岐阜といえばギフチョウ
岐阜といえばギフチョウ。そのものずばり、岐阜蝶です。
本州だけに生息する日本固有種で、私がギフチョウに初めて出会ったのは、1980年代後半、鳥取市の久松山(きゅうしょうざん)でした。

ギフチョウ解説
初代館長・名和靖(1857~1926)が1883年(明治16年)に岐阜県郡上郡祖師野村(現・下呂市金山町祖師野)で初めて採集。一般に名和靖がギフチョウの発見者であり命名者、とされていますが、博物館の展示によると、新種と同定される前から誰ともなく「岐阜蝶」と呼び始め、「その名を取り入れ使うようになった」とあります。
またWikipediaの名和靖のページには、江戸時代の昆虫図録に「錦蝶」という名前でギフチョウの絵が記載されていることから、発見者ではなく「再発見者」とする意見もあるようです。

採集されたギフチョウは東京大学の石川千代松(1860~1935)に送られ、新種と同定。イギリス人博物学者プライヤー(Henry James Stovin Pryer)は北海道から本州中部の他に海外にも生息するヒメギフチョウLuehdorfia puziloi と同定しましたが、1889年にイギリス人昆虫学者リーチ(John Henry Leech)によりギフチョウLuehdorfia japonica と訂正、新種として確立されたそうです。

明治26年に岐阜市で採集された標本
1893年(明治26年)、即ち126年前に岐阜市で採集された標本。

明治時代、新聞紙で折った三角紙
採集した蝶を入れておく三角紙は、現代ではパラフィン紙で出来ていますが、当時はこういう新聞紙も使われていたんですかね。折り方が今と変わらないのが驚きです。

名和昆虫博物館の展示


名和昆虫博物館の展示


モーレンカンプオオカブトの個体変異
蝶の他にもトンボや甲虫なども展示されています。
ちなみに上の写真はボルネオ島のモーレンカンプオオカブトChalcosoma moellenkanpi の個体変異。3本角で有名な大型カブトムシですが、角が大きな個体から小さな個体までいろいろいます。

ゴライアストリバネアゲハ
ゴライアストリバネアゲハOrnithoptera goliath のセラム島亜種。緑色に光るのはオスで、メスは地味ですが世界最大の蝶の一つに数えられます。

蛾はどれでしょう?
よく紹介される話で、この中に一種類だけ蛾がいますがどれでしょう? というやつ。

最も美しい鱗翅目ニシキオオツバメガ
右の下から二段目にいる6頭、これがです。上段の3頭が表面、下段の上下が反対になっている3頭が裏面です。
このニシキオオツバメガChrysiridia rhipheus はマダガスカル島固有の蛾で、世界で最も美しい鱗翅目(りんしもく、蝶と蛾を合わせたグループ名)と称されます。
一般的に蝶は美しく蛾は地味、みたいな偏見がありますが、蝶と蛾に明確な境界線はなく、鱗翅目というつながった一つのグループです。

名和昆虫博物館の展示
展示方法もなかなか凝ってます。

青く輝くモルフォチョウ
主に南米に生息し、青い金属光沢に輝くモルフォチョウの仲間。
昔はこうした蝶の翅を大量に使った絵などを見かけましたが、今では無理でしょうね。

後翅が輝くブルキシタアゲハ
この蝶を見た瞬間は「えっ、左右で翅の色が違う!?」と思ったのですが……

後翅が輝くブルキシタアゲハ
真正面から見ると、左右同じ黄色の後翅です。

後翅が輝くブルキシタアゲハ
インドネシアのブル島にのみ生息するこのブルキシタアゲハTroides prattorum は、斜めから見ると後翅の黄色い部分が真珠色に輝く、非常に珍しい蝶です。

名和昆虫博物館の展示


名和昆虫博物館の展示


名和昆虫博物館の展示


奈良県唐招提寺で使用されていたヒノキ材
この柱を含む3本の円柱は、奈良県の唐招提寺で使用されていた1200年以上前のヒノキ材で、ヤマトシロアリの被害による修理で取り換えられ、廃材となったものを防虫して再利用したものだそうです。シロアリ被害の重要な研究材料という意味合いのようですね。

その昔、昆虫にハマったことのある身にはお馴染みの種類も多数いましたが、ブルキシタアゲハのようにはじめての種類にもお目にかかることができました。
昔ホームページにこんな文章を載せたことがあるのですが、今でもこうした博物館にたくさんの子供たちが訪れているのを見ると、まだまだ未来にも希望はありそうな気がしますね。


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岐阜県・安養寺、華厳寺、正法寺

へろんです。
2019年GWの岐阜旅行では最初に郡上八幡に泊まりましたが、天気や時間に応じて岐阜県内の北部や東部にも足を延ばした後で泊まるのに都合の良さそうなエリア、ということで選んだため、実は郡上八幡そのものに優先的な目的があるわけではありませんでした。

郡上八幡の風景

しかし5月1日夕方に実際に訪れてみると、なかなか良い雰囲気で二人ともすぐ気に入りました。

郡上おどりののぼり

あちこちで目についたのが、「徹夜で祝う郡上おどり」。
そう、後から知ったのですが、2019年4月30日夜から5月1日未明にかけて、改元のお祝いということで全国ニュースにもなるほどの祭りが催されていたのです。
もしも今回の岐阜旅行が1日早かったら……この祭りに巻き込まれていたかも知れない。1日ずれていて良かった……と混雑の苦手な私らは顔を見合わせたのでした。

スマフォのニュースで見ていると、改元イベントに合わせて郡上市のいくつかのお寺でも御朱印を用意しているとの記事がありました。
郡上市に到着した時、せっかくなのでこの地のお寺にもお参りさせて頂こう、ということで向かったのが、観光駐車場からいちばん近くにあった安養寺

安養寺本堂
本堂は岐阜県下で最大といわれるそうです。

安養寺宝物殿
御朱印は書き置きのみで、宝物殿入り口で受け付けていました。

安養寺御朱印
「寛恕」は「心が広くて思いやりのあること」だそうです。

チェックインまでの時間で街中を散策しましたが、郡上八幡は食品サンプルでも有名ということも初めて知りました。

郡上八幡の食品サンプル
食品サンプルの生みの親である岩崎瀧三氏の出身地であることがきっかけで、今では食品サンプルの約60%がここ郡上八幡で製造されているのだとか。

白龍稲荷神社
街中の大きな岩の上に鎮座するのが白龍稲荷神社。雨の中すでに暗くなり始めていたので今回お詣りは見送らせて頂きましたが、天気の良い日にはまたお詣りさせて頂きたいですね。
この写真の中央、よくよく見ると……

白龍稲荷神社の猫ちゃん
急な参道の途中で、猫ちゃんが街を睥睨していました。……もしかして神様の化身!?(^^)

岐阜旅行2日目、アクア・トトぎふ岐阜かがみがはら航空宇宙博物館の後で向かった宿泊先は、岐阜市の北西にある揖斐郡の民宿。その近くには谷汲山華厳寺がありました。

谷汲山華厳寺山門
民宿に泊まった翌朝、朝一番でお参り。
西国三十三ヶ所霊場の最後の札所で、満願寺とも云われるそうです。

ネットで調べると、こちらでいただける御朱印は本堂(大悲殿)、満願堂、笈摺堂の3種類があり、それぞれ現世・過去世・未来世を表しているのだそうです。
複数の御朱印を頂ける場合、2つぐらいなら一度に頂きますが、それ以上を一度に頂くことはあまりしません。次の楽しみ、ということもありますし、いわゆるコンプリートとか完集にはこだわってないんですね。
そのためこちらでは3種類あると知った時、どのような組み合わせで頂こうか、それとも現世・過去世・未来世ということはやはり3種類セットの方がいいだろうか、と迷ったのですが……

御朱印をお願いします、と御朱印帳を差し出すと、通常は「どれにしましょう」などと訊かれるのですが、そういった質問もなくさらさらと3種類の御朱印を書いてくださいました。こちらではどうやら自動的に3種セットということになるようです。迷うことなかった(^^;)

谷汲山華厳寺本堂御朱印

谷汲山華厳寺満願堂御朱印

谷汲山華厳寺笈摺堂御朱印

本堂の御朱印には日付が入りますが、あと2種には日付がありません。最初は単純な省略かとも思いましたが、過去及び未来を表しているのだから、ということなのかも知れませんね。

谷汲山華厳寺の花祭り
「花祭り」(お釈迦様の誕生日を祝って甘茶をかける仏教行事)ということで、甘茶を頂きました。

岐阜市内に戻りお参りしたのが、かの金華山の麓近くにある正法寺。こちらに祀られている岐阜大仏は、日本三大仏の一つに数えられるのだとか。

正法寺大仏殿
道路に面した建物は、そんなに大きくは見えません。こちらに日本三大仏の一つとも云われる大きな大仏様がいらっしゃるようには感じられませんが……

正法寺大仏殿
大仏殿正面。横の受付で拝観料と御朱印をお願いして入ります。

正法寺の岐阜大仏
おお! 写真では伝わりにくいと思いますが、思ったよりも大きな大仏様が!
こちらは釈迦如来像で、高さは13.7メートル、1832年(天保3年)完成。
ちなみに日本三大仏は奈良の大仏、鎌倉大仏、そしてあと一つはこの岐阜大仏の他、富山県の高岡大仏など諸説あるそうです。

岐阜大仏の説明図
説明によると、少しばかり首を前に傾けておられるのだとか。だから前に立つとちょうど顔が向き合うのかもしれませんね。

正法寺御朱印
頂いた御朱印。
街中でこれほど立派な大仏様にお会いできるとは感激です。大仏様の前には椅子もあり、ゆっくりと大仏様と向き合うこともできます。たまにはそういう時間も良いですね。……と言いつつ、セカセカと次の目的地に向かう私らでした(^^;)


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Author:へろん
へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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