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旅行に行ってきました・・・!?

へろんです。
うちの会社では、プライベートで旅行に行ったり、業務出張の場合でも時々、ささやかなお土産を買ってきて昼休みに配ったりしています(もちろん任意)。
お土産をもらうと
「へー、○○へ行ってこられたんですか! 良いですね~」
「あ、○○は私も行ったことがありますよ」
なんてコミュニケーションの良いきっかけになります(^^)

ある日、部長が配っていたお土産が……
「旅行に行ってきました」個包装
「旅行に行ってきました。」

………ど、どこへ!?

「いや~、外側の包装紙にはちゃんと○○温泉って書いてあったんだけどね~」と部長も苦笑しながら一人一人に言い訳(?)していました。

しばらく前から、観光地では「○○に行ってきました」という名前のお菓子をよく見かけるようになりましたが、何となく軽い感じがして、買ったことはありませんでした。
その正体は、地名すら書いていない、包装さえ変えれば全国どこでも使えるような、とんでもなく汎用性の高いものだったということでしょうか!?

「旅行に行ってきました」の中身
個包装を開けた中身のお菓子には、「MILK」とどんと書かれています。これも昔からあるような、どこかで見かけたようなクッキーでした。
ネタとしてはなかなか良いインパクトでしたが、このネタに2匹目のドジョウはいません。外包装だけ見て買った中身がこれだったら、ちょっと配りにくい。

そこでネット上で調べてみると、やはり同様のお土産が各地にあるようですね。今回のように個包装には地名がないものも、個包装にも地名があるものも、両方あるようです。
どうやら、1枚目の写真にあります、探検帽のような帽子をかぶった男の子が箱を差し出しているイラストが外包装にも書かれているものもあるようで、この場合は個包装に地名がない可能性が高そうです。
また、個包装に地名はあっても、中身はやはり「MILK」クッキーというものもあるようです。

そうして調べている時に気付いたのが、こうしたお土産を調べているとすぐ広告やネット通販が出てくるのに、この手の「○○に行ってきました」系はそうしたものがない。
もう一つ、個包装を裏返したりしてしげしげと眺めますが、製造業者の名前が一切ない(たぶん外包装には書いてあったのだろうと思います)。
製造業者もいくつもの会社が参入して、各地で生産されてるんでしょうか。ライセンス契約とかどっかが仕切ってるとか……???

もうすこし調べてみると、「○○に行ってきました」の〇○がイベントだったり施設だったりアニメネタだったり、結構いろんなバージョンが出ているようですね。しまいには「医学会に行ってきました」なんてのも出たようで(学会会場のみの限定かと思ったら、新神戸駅限定なんだとか)、これは笑った(^^)

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京都市東山区・清水寺

へろんです。
「清水の舞台」で非常に有名で、ユネスコ世界遺産にも登録されている清水寺。
2008年から2020年までかけて行われている「平成の大改修」が続いており、あの舞台も見られないことは知っていましたが、「見られる時に行っておこう」と思い立ち、まだ紅葉が見られそうな11月30日に行ってきました。
妻は人混みが苦手なので一人ではありますが(^^;)

清水寺仁王門
参道を上がってきて最初にくぐる「仁王門」。16世紀初めに再建され、2003年に解体修理されているそうです。どっしりとした立派な門です。

仁王門を通り過ぎて望む京都市街
振り返ると、結構高台になっています。

清水寺のすごい人出


改修中の枠組みから見る紅葉
清水の舞台を囲む枠組みから望む紅葉。というのもある意味今しか見られない珍しい光景なのかも。

平成の大改修中の清水寺
改修中の本堂を外から見るとこんな具合。

清水寺本堂の納経所
本堂を少し通り過ぎたところに納経所がありました。しかしやはり結構な列が……。

清水寺本堂御朱印
頂いた御朱印。

清水寺阿弥陀堂の納経所
もう少し行ったところにあります阿弥陀堂でも、見ると御朱印を頂けるとのこと。こちらはずっと空いていました。

清水寺阿弥陀堂御朱印
阿弥陀堂で頂いた御朱印。独特の字体が素敵ですね。本堂の御朱印も良いのですが、こちらがよりお気に入りです。

年末恒例「今年の漢字」募集
年末恒例の「今年の漢字」が募集されていました。選出された「今年の漢字」が12月12日に報道されていましたね。

ちょうど雲がかかって紅葉が暗くなっています
奥の院を過ぎて横を見ると、三重塔と京都市街が一望できます。この風景は有名ですよね。
……でも、たまたま上空に雲がかかってしまい、遠くの街並みや山々に比べて紅葉が暗く沈んでしまいました。

紅葉を明るく撮ると遠方の市街が白飛びします
紅葉が明るく映るようにカメラの露出を変えてみますが、そうすると当然遠くの街並みや山々は白くなってしまい、全体的に不自然です。

……今太陽を隠しているあの雲がどいてさえくれれば良い。一人なんだし、かくなる上は……雲が移動するまで待とう!

人々の流れの邪魔にならない隅っこで、待つことおよそ20分。

待望の日光が!!

清水寺の有名な構図
これです、これが有名な風景ですね\(≧∇≦)/
まぁ観光案内やネット上などで見る紹介写真にははるかに及びませんが、紅葉と市街が一望できる光景は一見の価値がありますね。
誰かと一緒だったら寒空の下で太陽が顔を出すまで待つなんてワガママに付き合わせることは出来ませんが、一人だとこういう時にはメリットがありますね。
(もちろん邪魔にならないことが前提であり、この時はピークが過ぎて奥の院辺りはだいぶ人がばらけてました。邪魔になりそうだったら諦めますが)

清水寺の紅葉


清水寺の紅葉

「見られる時に見ておこう」と思い立って行きましたが、やはり行って良かったと思います。紅葉とか桜とか、あと何回見られるだろう、なんてふと思うこともあります。無理のない範囲で、行けるところには行っておきたいものですね。


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沖田艦長の名言は・・・

へろんです。
いつどこで設定されたのかは分かりませんが、12月8日は『宇宙戦艦ヤマト』シリーズのメインキャラ、沖田十三艦長の誕生日だそうです。というわけで今日はこのネタを。
ちなみに沖田艦長の生まれは2147年……ええっ、とすると2199年当時は52歳……。(ちなみにリメイク版では別の設定もあるようです)

沖田艦長の名言はいくつかありますが、やはりあの冥王星宙域での会戦における一言が非常に有名ですね。
このシーンは松本零士先生の絵柄とともに、強烈な印象に残っています。

沖田十三司令

ところで沖田さんの肩書ですが、明確にヤマトに乗り込む前は「艦長」なのか「司令」なのか「提督」なのか(あるいは兼任!?)いまいち分からず、観てる方も意識していませんでした。『銀河英雄伝説』などを読むようになってやっと「艦長」と「提督」って違うんだ……などと理解したり(^^;)
以下に紹介するシーンでは「地球艦隊司令」という言葉があるので、《ヤマト》に乗り込む前は「沖田司令」が正しいようです。
では松本零士先生の漫画版より、以下に件のシーンを。

      *      *      *

「敵艦より通信」
「何ていってる」
「ムダナテイコウハヤメテタダチニコウフクセヨ」
「………」
「何と返事しますか?」
「バカメ!」
「は?」
「バカメ、といえ」
「は! 地球艦隊司令よりガミラス艦隊司令へ。返信、バカメ、バカメ。終わりどうぞ。………うわー、怒った怒った!」

      *      *      *

この場面をよく見返してみますと、通信内容を聞いた沖田司令は
「………」
といったんは沈黙を持って応えています。そこに通信士が返信内容を訊く言葉を発したため、思わず
「バカメ!」
と感情的な一言を返したのかも知れませんね。
決め台詞としてはカッコいいのですが、それを相手に送ってしまうと
「明日のために、今日の屈辱 に耐えるんだ。それが男だ!」
という名言も残る沖田司令にしては、戦術的にはあまり良い対応とは言えなかったような気もします。

少々コミカルな部分もあるので、そのまま送ってしまう通信士の間抜けさをあげつらう本やコメントも見かけるのですが……
ちょっと待ってほしい。

この通信士の立場にもなってみてほしい。

雲の上の存在である司令から、普通では考えられない、まぁ常識的には考えられないようなことを命じられたのです。
あなたが彼の立場だったら、どう対応しますか?
(なおリメイク版の『宇宙戦艦ヤマト2199』は見ていませんので、この場面がどんな風に描かれていたかはまったく知りません)
彼(通信士)の立場になってこの場面をノベライズするとしたら、私だったら、と書いてみますと……

      *      *      *

「バカメ、といえ」
「は……よ、よろしいのですか?」
 通信士はとまどって傍らの幕僚に目を向けた。
 視線を受け止めた幕僚は、ややあって黙って頷いた。
(司令は何を言ってもお聞きにはならんさ。それに……これ以上事態が悪くなることもないだろう)
 そう言っているようだった。
「わ……分かりました」
 通信士は意を決して、回線を開いた。

      *      *      *

「幕僚」ってもちろん原作版には登場しませんが、「司令」なら何らかのスタッフが傍にいるはずだと考えて書いてます。

田中芳樹先生の『銀河英雄伝説』では、艦隊戦の終結時に銀河帝国軍を指揮するラインハルト上級大将から自由惑星同盟の司令代理ヤン准将に向けて
「貴官の勇戦に敬意を表す、再戦の日まで壮健なれ」と、どうとるべきか悩ましい電文が送られてきます。返信をどうするか訊かれますが、ヤンは
「先方もそんなものは期待してないのじゃないかな。いいさ、放っておいて」
と一見つれない?返答をします。
この時はまだお互いをよく知らず、すでに登りつめつつあって余裕綽々のラインハルトに対して、まだまだ組織の末端に過ぎないと自認しているヤンとしては、戦術的にこれがいちばん無難な対応といえるでしょうね。
(もっとも後々に「あのとき私は返信をもらえなかった」なんてチクリと言われるんですけどね(^^;)

ところで。
米軍人アンソニー・クレメント・マコーリフ(1898~1975)は第二次世界大戦中の1944年12月、バジルの戦いでドイツ軍に完全包囲された時、降伏勧告を伝えに来た軍使に対して「Nuts!」(バカめ!)と答え、さらに公式回答としてドイツ軍に送ったのだとか。

ええっ、現実にもあったのか……。軍使に口で言うだけならともかく、送ってしまうところがすごい。
一般論として、「戦争」というものは結局は感情的で幼稚な面があることも確かであり、だからこそ現実でもこうした逸話が生まれてくるのだと思います。
でも仕事やビジネスだって「戦争」に例えられますし、俗にいう「企業戦士」(あまり好きな言葉ではないですが)だって様々な不合理と「戦い」続けてますよね。
日々の仕事でも「バカメ!」と叫びたくなることはよくありますが、戦局全体に係ることもなく、自分自身もバカの一員でしかない一兵卒に過ぎないことを思い知らされることも多々あります。
いつの時代も組織の末端は辛いですね(*´Д`)=3

2019年映画その2『僕のワンダフル・ジャーニー』

へろんです。
2019年に観て非常に良かった映画、『アルキメデスの大戦』に続きまして、2本目『僕のワンダフル・ジャーニー』です。

『僕のワンダフル・ジャーニー』チラシ

2017年に公開された『僕のワンダフル・ライフ』では、ベイリーと名付けられたゴールデン・レトリバーがイーサンという男の子の家に飼われることになり、以後何度も別の犬(犬種は様々)に生まれ変わりながら、50年後に再びイーサンと再会します。イーサンを慕うベイリーが無事彼の元に戻り、不器用なイーサンもまたベイリーの出現によって、犬だけではなく他人とのつながりも取り戻す、素敵なハッピーエンドの作品でした。
その続編である『僕のワンダフル・ジャーニー』では、開始から間もなくベイリーは天寿を全うして生涯を終えます。しかしイーサンの「僕を幸せにしてくれたように、CJ(イーサンの義理の孫娘)を幸せにしてやってくれ」という言葉を受けて、再び生まれ変わりの旅に出ることになります。

孫娘の「CJ」って吹き替えでも全部「CJ」とだけ言ってて、何でこう呼ばれてるんだろう、と不思議だったのですが、どうやら「クラリティ・ジューン」という名前のようです。欧米ではこのようにイニシャルで呼ぶことも多いんですかね?

それはともかく、ベイリーは再び生まれ変わりながらCJに寄り添おうとします。そうとうダメダメな脇役が何人か出てきて紆余曲折を経ながらも、ベイリーの助け(?)を得て、CJも己の人生を掴んでいきます。
いちばんラストで、ベイリーがイーサンの元に駆け寄っていくシーンがいちばん感動的でしたね。イーサンという一人の人間の人生と、その飼い犬の「犬生」とを、2作に渡って描き切ったわけですが、普通に考えれば犬の寿命は人間に比べてはるかに短いため、同等に描くのは難しいですよね。そこを、生まれ変わりによってつないでいくことにより、人間と犬を同等の時間軸で描くことに成功したといえるかもしれません。
ただしイーサンやCJと一緒だった時以外の飼い主のエピソードが相対的に扱いが低くなって、その点難しいなあ、とも思わされます。

      *      *      *

この作品では犬の視点がコミカルに描かれていますが、犬の視点で思い出すのが、クリフォード・D・シマックの古典的名作SF『都市』(1952)。人類が滅亡した遥かな未来、犬がかつて存在した人間の伝説を語る、という壮大かつ奇想天外な物語です。
このSFで犬にまつわるシーンで気に入っているのは、遥かな未来よりも、まだ人類が存在していた時代の木星でのエピソード。木星のある存在に同化することにより、人間と犬との意思疎通も可能になります。そこで人間が飼い犬に「ようやく話せるようになったな」と言うと、犬は「俺はずっと前からあんたに呼びかけてたんだぜ」と応えるのです。

また生まれ変わり、「輪廻転生」ともいう考えを描いた作品は数多くありますが、私が真っ先に思い出すのは、手塚治虫先生の『火の鳥』

「ニュータイプ100%コレクション 火の鳥」

『火の鳥』各編の中でも輪廻転生に係るエピソードがよく出てきますが、ここで描かれる生まれ変わりは、また人間に生まれ変わるとは限らない(むしろ難しい)ことが特徴になっています。
『鳳凰編』では茜丸がいろんな動物に生まれ変わっていく幻を見、実際に死に直面した時、火の鳥から「二度と人間に生まれ変わることはない」と宣告されます。
『乱世編』では、平清盛が高僧の明雲に死後の世界について尋ねるシーンがあります。

「地獄、極楽はこの世にございます。例えばお上は奈良の神社仏閣をことごとく焼き尽くされました。もしお上がそのことでお悩みなら、お上は今、地獄におられます」

という明雲の言葉は『火の鳥』全編の中でも印象深い言葉の一つですが、これに続けて明雲は、「おそらく人間は生まれ変わる、ただしもう一度人間になれる保証はない」とも述べています。

これは人間だけが特別な存在ではない、命の重さはどの生き物も同等、という東洋的な思想に結びついているのでしょう。
『生命編』では瀕死の地球環境にあって、猿田博士が
「人間が何だというんじゃ。今はもう人間も虫も植物も区別は無い!」
「そうだ、生物家族だ。なにかひとつが生き残ればそれでいいのだ。例え人間は滅んでも」
という場面がありますし、『鳳凰編』の我王の悟りにも同様の内容があったと記憶しています。

      *      *      *

『僕のワンダフル・ジャーニー』でベイリーが犬以外に生まれ変わったらもっと大変だったろうなあ、と思いますし、これがもし人間にでも生まれ変わったらややこしい話になってしまいそうですが、人間との関係において犬が犬に生まれ変わる、そこはやはり西洋的な思想がベースになっているように感じます。
生まれ変わりや輪廻転生が本当にあるか……現代科学ではやや否定的のような気はしますが、まだ100%否定されたわけではありませんし、せっかく生まれた生命、せっかく生きた証というものは、何らかの形で受け継がれ、記憶されていってほしいものですね。

プロフィール

へろん

Author:へろん
へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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