大阪市中央区・鵲森宮
へろんです。
大阪市中央区にあります、JR森ノ宮駅近くの鵲森宮(かささぎもりのみや、通称:森之宮神社)にお詣りしました。
あの聖徳太子(574~622)が建立された唯一の神社だとか。
主祭神として聖徳太子、その父親である第31代天皇・用明天皇(生年不詳~587?)、母親の穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう;生年不詳~622)。

鵲森宮鳥居。

鵲森宮手水舎。

鵲森宮拝殿。

社務所はちょっと事務所っぽい感じ。

社務所にはこんな貼り紙が。
鵲(かささぎ)は朝鮮半島に生息するカラスの仲間ですが、真っ黒というわけではなく、羽根の先や腹部が白く、見る方向によっては黒い羽根が青く光る、なかなか美しい鳥です。

たぶん、これもカササギだと思います。2011年8月にソウル動物園で撮影。
鵲森宮ホームページの御由緒によりますと、新羅に派遣された使者が持ち帰った鵲を、この森で飼ったことに由来するようです。1942年に旧日本帝国海軍の水雷艇《鵲》より鵲の剥製が献上され、現存しているのだとか。それはぜひ拝見したいものです。期間限定ででも公開して頂けないものでしょうかね。

大伴家持(おおとものやかもち)の歌碑。
鵲森宮ホームページの解説によりますと、
鵲之(かささぎの)
渡瀬瑠橋迩(わたせるはしに)
置久霜乃(おくしもの)
白気乎見者(しろきをみれば)
夜曽更仁来(よぞふけにける)
ほほう……大体読みの方ばかりを見聞きして、昔の人の言葉もあまり変わらんなあ、と感じていましたが、漢字で書くと、本当に昔からそう読んでいたのだろうか、という気もしないでもありません。実際、どう読んでいたんでしょうね?

「亀井水」と書かれた碑があり、横に蓋をされた井戸のようなものが。
掲示されていた説明によると、聖徳太子が鵲森宮を創建する際に温泉が湧いているのを発見、霊験あらたかな水だったとか。今のJR森ノ宮駅あたりにありましたが、工事にあたって井戸枠だけを移した、とありました。……ううむ、井戸枠だけ、ですか……。

頂いた御朱印。
街中の小さな神社ですが、あの聖徳太子建立というのは大きなポイントですね。
そういえば、正月に道後温泉で見かけた火の鳥 “道後温泉編”という観光PR作品にも聖徳太子が登場していましたので、それを見た後でこちらにお詣りしたのも、何だかちょっとしたご縁があるような気がしましたね(^^)

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大阪市中央区にあります、JR森ノ宮駅近くの鵲森宮(かささぎもりのみや、通称:森之宮神社)にお詣りしました。
あの聖徳太子(574~622)が建立された唯一の神社だとか。
主祭神として聖徳太子、その父親である第31代天皇・用明天皇(生年不詳~587?)、母親の穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう;生年不詳~622)。

鵲森宮鳥居。

鵲森宮手水舎。

鵲森宮拝殿。

社務所はちょっと事務所っぽい感じ。

社務所にはこんな貼り紙が。
鵲(かささぎ)は朝鮮半島に生息するカラスの仲間ですが、真っ黒というわけではなく、羽根の先や腹部が白く、見る方向によっては黒い羽根が青く光る、なかなか美しい鳥です。

たぶん、これもカササギだと思います。2011年8月にソウル動物園で撮影。
鵲森宮ホームページの御由緒によりますと、新羅に派遣された使者が持ち帰った鵲を、この森で飼ったことに由来するようです。1942年に旧日本帝国海軍の水雷艇《鵲》より鵲の剥製が献上され、現存しているのだとか。それはぜひ拝見したいものです。期間限定ででも公開して頂けないものでしょうかね。

大伴家持(おおとものやかもち)の歌碑。
鵲森宮ホームページの解説によりますと、
鵲之(かささぎの)
渡瀬瑠橋迩(わたせるはしに)
置久霜乃(おくしもの)
白気乎見者(しろきをみれば)
夜曽更仁来(よぞふけにける)
ほほう……大体読みの方ばかりを見聞きして、昔の人の言葉もあまり変わらんなあ、と感じていましたが、漢字で書くと、本当に昔からそう読んでいたのだろうか、という気もしないでもありません。実際、どう読んでいたんでしょうね?

「亀井水」と書かれた碑があり、横に蓋をされた井戸のようなものが。
掲示されていた説明によると、聖徳太子が鵲森宮を創建する際に温泉が湧いているのを発見、霊験あらたかな水だったとか。今のJR森ノ宮駅あたりにありましたが、工事にあたって井戸枠だけを移した、とありました。……ううむ、井戸枠だけ、ですか……。

頂いた御朱印。
街中の小さな神社ですが、あの聖徳太子建立というのは大きなポイントですね。
そういえば、正月に道後温泉で見かけた火の鳥 “道後温泉編”という観光PR作品にも聖徳太子が登場していましたので、それを見た後でこちらにお詣りしたのも、何だかちょっとしたご縁があるような気がしましたね(^^)

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