大阪市北区・露天神社
へろんです。
大阪は梅田に鎮座する露天神社(つゆのてんじんしゃ、通称:お初天神)は、御朱印がこれほどのブームになる前から、大阪で御朱印の頂ける代表的な神社の一つとして紹介されていました。
とはいっても梅田は当時の私にとって通勤経路の一部、「いつでも行けるわい」と思って、行ったことが無かったんですね。これっていわゆる「地元民あるある」ですかね(^^;)
2020年3月26日、大阪を離れることになって、今更ながらようやくお詣りさせて頂きました。

大阪・梅田の、御堂筋と国道1号線が交わる梅田新道交差点。その北東に建つ梅新第一生命ビルは、1階部分がトンネルのようになっています。その先に鳥居が……

交差点の歩道橋から見ると、ビルの向こうに神社が鎮座しているのが分かります。
かつては200メートルほどの参道があったものの、今世紀には30メートルほどを残すのみとなっており、2005年に参道を挟んで東西に分かれてたビルを一体にして建て替えることになった際、「参道は残してほしい」という地元の要請に応じて、参道をまたぐ形で建設されたのだそうです。


三月下旬、新型コロナ騒動もまだ拡大する前で、手水舎も普通に利用できました。

創建年代は定かではないものの、6世紀頃と推察されるそうです。
901年(昌泰4年)、菅原道真公が九州・太宰府へ左遷配流される途中、この地で
「露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 思い出ずれば」
という歌を詠んだことにちなんで、「露天神社」と称するようになったと伝えられています(ただし諸説あるようです)。
通称の「お初天神」は、近松門左衛門の『曽根崎心中』に由来することは有名ですね。1703年(元禄16年)4月7日、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」がこの地で心中するという実際の事件を題材に劇化したのが『曽根崎心中』なのだそうです。
現在では最強の縁結びスポットって言われていますが……
創作の部分も多いのかも知れませんが、結構ひどい話ですわな。私だったら、死んだら真っ先に九平次を憑り殺すぞ(『曽根崎心中』あらすじなどで検索ください)。
「美談」としてよく紹介されますが、それよりもあってはならない「悲劇」の側面が強いように感じます。「お願い」もいいのですが、「供養」の気持ちもあわせてもった方がいいかもしれません。

二人の300回忌(!)というと2003年ですね。その時の100万円の寄付をきっかけに、2004年に建立されたブロンズ像。

とっても今風のキャラが。……と思ってたら、2007年に「お初と徳兵衛キャラ化」で募集され、グランプリに選ばれたキャラなのだそうです。
応募作品を見ると、なるほどその中から無難なところを選んだな、という感じ(特に男性)。

「曽根崎道祖神」。こういう可愛らしいのも良いですね。

お初・徳兵衛でちょっとかすんでしまってますが、菅原道真公ゆかりということで、撫で牛様もいらっしゃいます。

難転八徳石。どうやら最近設置されたもののようです。

社務所近くの眠り狐。

御朱印はいろいろと種類があるようです。

頂いた御朱印。浄瑠璃風?の二人の印が良いですね。

御朱印に挟んで頂ける紙。
お詣りした時には気付きませんでしたが、境内の石柱には、太平洋戦争末期、米軍機の機銃掃射による弾痕が残されているそうです。
なんでこんなところに機銃掃射をするのか……何も見てなかったのか、それともわざと民間人を狙ったのでしょうか。先日読んだ記事でも、《大和》に追随していて攻撃され、沈没した軽巡洋艦《矢矧》から脱出して漂流する生存者に対し、米軍機が機銃掃射を行ったそうです(その記事はこちら)。どんな理由があろうと、戦争はいけません、絶対に。

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大阪は梅田に鎮座する露天神社(つゆのてんじんしゃ、通称:お初天神)は、御朱印がこれほどのブームになる前から、大阪で御朱印の頂ける代表的な神社の一つとして紹介されていました。
とはいっても梅田は当時の私にとって通勤経路の一部、「いつでも行けるわい」と思って、行ったことが無かったんですね。これっていわゆる「地元民あるある」ですかね(^^;)
2020年3月26日、大阪を離れることになって、今更ながらようやくお詣りさせて頂きました。

大阪・梅田の、御堂筋と国道1号線が交わる梅田新道交差点。その北東に建つ梅新第一生命ビルは、1階部分がトンネルのようになっています。その先に鳥居が……

交差点の歩道橋から見ると、ビルの向こうに神社が鎮座しているのが分かります。
かつては200メートルほどの参道があったものの、今世紀には30メートルほどを残すのみとなっており、2005年に参道を挟んで東西に分かれてたビルを一体にして建て替えることになった際、「参道は残してほしい」という地元の要請に応じて、参道をまたぐ形で建設されたのだそうです。


三月下旬、新型コロナ騒動もまだ拡大する前で、手水舎も普通に利用できました。

創建年代は定かではないものの、6世紀頃と推察されるそうです。
901年(昌泰4年)、菅原道真公が九州・太宰府へ左遷配流される途中、この地で
「露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 思い出ずれば」
という歌を詠んだことにちなんで、「露天神社」と称するようになったと伝えられています(ただし諸説あるようです)。
通称の「お初天神」は、近松門左衛門の『曽根崎心中』に由来することは有名ですね。1703年(元禄16年)4月7日、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」がこの地で心中するという実際の事件を題材に劇化したのが『曽根崎心中』なのだそうです。
現在では最強の縁結びスポットって言われていますが……
創作の部分も多いのかも知れませんが、結構ひどい話ですわな。私だったら、死んだら真っ先に九平次を憑り殺すぞ(『曽根崎心中』あらすじなどで検索ください)。
「美談」としてよく紹介されますが、それよりもあってはならない「悲劇」の側面が強いように感じます。「お願い」もいいのですが、「供養」の気持ちもあわせてもった方がいいかもしれません。

二人の300回忌(!)というと2003年ですね。その時の100万円の寄付をきっかけに、2004年に建立されたブロンズ像。

とっても今風のキャラが。……と思ってたら、2007年に「お初と徳兵衛キャラ化」で募集され、グランプリに選ばれたキャラなのだそうです。
応募作品を見ると、なるほどその中から無難なところを選んだな、という感じ(特に男性)。

「曽根崎道祖神」。こういう可愛らしいのも良いですね。

お初・徳兵衛でちょっとかすんでしまってますが、菅原道真公ゆかりということで、撫で牛様もいらっしゃいます。

難転八徳石。どうやら最近設置されたもののようです。

社務所近くの眠り狐。

御朱印はいろいろと種類があるようです。

頂いた御朱印。浄瑠璃風?の二人の印が良いですね。

御朱印に挟んで頂ける紙。
お詣りした時には気付きませんでしたが、境内の石柱には、太平洋戦争末期、米軍機の機銃掃射による弾痕が残されているそうです。
なんでこんなところに機銃掃射をするのか……何も見てなかったのか、それともわざと民間人を狙ったのでしょうか。先日読んだ記事でも、《大和》に追随していて攻撃され、沈没した軽巡洋艦《矢矧》から脱出して漂流する生存者に対し、米軍機が機銃掃射を行ったそうです(その記事はこちら)。どんな理由があろうと、戦争はいけません、絶対に。

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