麒麟がくる・・・!?

2020年閉園した大阪・みさき公園のキリン。2019年9月14日撮影。
このタイトルでこの写真を載せると、「いやそっちじゃなくて」と思われるでしょうけど、あながち無関係ではないのですよ。
このキリン、なぜ「キリン」という名前かと言いますと、一説によると1907年(明治40年)、石川千代松・上野動物園館長がキリンを買い付けた際、予算よりもはるかに高かったため、「伝説の麒麟が手に入った!」みたいな感じで説得したのだ、とも言われているようで……。
そうしますと当時の上野はまさに「麒麟がくる」!という状況だったのかも(^^)
ただし、世界史で有名な鄭和の大航海のうち、1417~1419年の第5次航海で連れ帰られたキリンが「麒麟」と呼ばれたり、日本でも江戸時代に複数の博物学者がキリンを「麒麟」と著しており、石川館長が「キリン」と名付けた、という俗説は否定されているようです(「ジラフがキリンと呼ばれた理由 -中国の場合、日本の場合(麒麟を巡る名物学 その一)」(湯城吉信,2008)
鄭和の大航海といえば、それを描いた星野之宣先生の『海帝』が2018年から『ビッグコミック』に連載中ですが、いずれキリンも登場するかな?(^^)
* * *
さて。
もう出遅れた話題になってしまいましたが、2021年2月7日、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が最終回を迎えました。
『麒麟がくる』は最初の数回でいろいろと違和感を感じてその後観ていなかったのですが、もともと明智光秀には何となくシンパシーを感じるので、かの本能寺の変をどのように描くのか、という興味から、最終回だけを観ていました。

岐阜駅前の織田信長像。2019年7月24日撮影。
織田信長は確かに戦国大名の中でもずば抜けて有名で、人気もあります。世の中を変える変革の力、能力主義の人材登用はすごいと思うし、理想の上司なんかのアンケートでも上位にランキングしています。でもわたしゃヤだよ、あんな気性が激しくて気まぐれで一方的なのは(どこまで史実かはもちろん分かりませんが)。
織田信長に対する明智光秀の乱を、変革に対する保守派としての抵抗とみるか、あまりに横暴な独裁者へのやむなき抵抗とみるかで、光秀の評価は分かれるところだと思います。
たぶん、どちらの要素もあったのでしょう。
個人的には、光秀自身は後者の気持ちがあり、そこに周りの前者の思惑が乗っかって引き起こされてしまったのだろうと思っています。
もしもタイムマシンにでも乗っていって、どちらだったのか訊くことが出来たら、たぶんこう言うでしょう。
「是非もなし」
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実際のところ、「是非もなし」(是非に及ばず)というセリフや弓矢をつがえて応戦するシーン、『麒麟がくる』でも描かれていたものの、創作であって史実ではないという説もみられます。
いずれにせよ日本史の中でもずば抜けて有名な場面であり、だからこそ私同様、この場面だけでも観た、という方も多いでしょうね。
NHK大河ドラマはそれほど熱心に観た作品はあまりないのですが、『軍師官兵衛』は珍しくほとんど観ていました。
黒田官兵衛は自身がトップになるよりも参謀タイプだったのが、関ヶ原の合戦時に九州で挙兵し、初めて天下を目指したものの、関ヶ原の戦いが予想よりもはるかに早く終結したため、兵を引きあげた……というところにものすごく惹かれます。『麒麟がくる』でもかの「中国大返し」で黒田官兵衛が登場しないか、期待しながら観ていました。
……が、『麒麟がくる』ではすごくあっさりと、羽柴秀吉がさらっと決断していましたね。残念(T_T)
* * *
本能寺の変の一因としてかねてより取り上げられる、徳川家康の饗応の場で光秀に対し理不尽にブチ切れる信長。かと思うと、その後で「気にするな」と何食わぬ顔で言い放ったり。
史実かどうかはともかく、実際いるよなあ、こういう困ったヤツ……。
と思ってたら、セリフの中だけですが、四国の長宗我部元親の名前が挙げられます。

高知・若宮八幡宮の長宗我部元親公銅像。2019年1月2日撮影。
近年は本能寺の変の原因として、この四国にまつわる戦略変更が原因ではないか、とも言われているそうで。
その後の本能寺の変に至る過程を観ていると、何だか誰もかれもが寄ってたかって光秀を「本能寺の変」へと駆り立てていくようにも見受けられました。
ところがいざ起こってしまうと、光秀に味方するはずだった誰もかれもが沈黙。
何でやねん。
極めつけは、正親町天皇の「見守るだけぞ、見守るだけぞ……」というセリフ(本能寺の変より前の場面ですが)。
何だかね。極めて日本的な悪いところを見せつけられたような気がします。
ずうっと昔、まだ若い頃(学生時代だったかな?)に観た、もはやタイトルもストーリーも覚えていないドラマでの、こんな一シーンが記憶に残っています。
「彼」(何かの容疑者?)について警察から問われた女性が、「彼」のことをこんな風に語ります。
会社(たぶん今でいうブラック企業だったんでしょう)への問題解決要求のために労働組合を立ち上げる、そのために決起しよう、とみんなで言っていたくせに、いざ集会の日となると、やって来たのは彼一人だった。
たった一人でやって来た彼は会社に目をつけられて……
覚えているのはこれだけで、その他には何一つ覚えていないのですが、強烈な印象となって記憶に残っています。
たぶん、悔しいけどそんなこともあるよなあ、世の中そんなもんだよなあ、と当時から思っていたのでしょう。
歴史に「もしも」があったら……織田信長が本能寺の変で討たれていなかったら、というSFは結構多いですね。でも私は明智光秀や黒田官兵衛にシンパシーを感じますので、光秀が「三日天下」に終わらず天下を取っていたら、黒田官兵衛が九州挙兵をきっかけに天下を取っていたら……そんなストーリーを見たいし、できればいつか書いてみたいものです。
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