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小説 『狛犬ジョンの軌跡』


『狛犬ジョンの軌跡』表紙

かねてより神社仏閣めぐりが好きなため、図書館で「狛犬」という文字を見つけて、手に取ってみました。狛犬という純和風のものに、ジョンという純洋風な名前? 表紙には狛犬のような格好で座る、黒い大型犬。ジョンという名の犬が、狛犬に例えられるような何かをした話? などと想像しながら読み始めたのですが。
以下、Amazon商品説明より引用のあらすじです。

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太刀川要が深夜に遭遇した異様な大きさの黒犬は、半死半生の状態だった。動物病院へ駆け込むと、不可解なことに判別不能の犬種で、獣医も戸惑うばかり。やがて始まった共同生活は、かたくなに孤独を貫く男の見慣れた風景を変えていく。そして湧き起こる、ある疑惑の真相とは―。ジョンの眼差しを通じて見つめる人の営み、滑稽さ、哀しみ。淡く胸に迫る大人のファンタジー。

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ジョンと狛犬との関係は、かなり早い時期から推察できます。といいますか、作者さんのホームページでネタバレしちゃってるし!
ネタバレを防ごうとするとなかなか分かりにくい書き方になってしまいますが、そこはご了承いただければ幸いです。

主人公の太刀川要は、夜中に出会った大怪我をした黒犬をジョンと名付けて飼うことになりますが、ジョンには不可解な点が山ほどあり、いったいジョンは何ものなのか? 主人公と出会うまでに、いったい何があったのか? が物語の中心となります。
謎を追いかけていく過程は細かいところまで綿密に伏線回収されていくあたり、見事ではあるけれども、逆に整いすぎているかなあ……という感じも。

主人公は一級建築士で、サラリーマン的な生活パターンではないため、ジョンにいろいろと構ってやれる「飼い主」となりました。出会ったのが普通のサラリーマンだったら、このお話そのものが成り立ちませんわな(^^;)
ただこの主人公、端々でお金で解決する姿勢が垣間見えて、ちょっと抵抗あるんですね。そのためワタクシ的には感情移入しにくい主人公でした。
何人か登場するメインキャラもイマイチ感情移入できるタイプじゃないし(唯一獣医さんは気に入ってます)、作中で発生する事件の「被害者」である3人の少年に至っては、被害者であるにも係らず、警察からはロクデナシ呼ばわりされ、近所からは罰当たりと後ろ指さされる存在として描かれています。普通、どんな人間でも少しは同情されるとかあると思うのですが、彼らについては同情の余地なしの全否定。
結局、いちばんシンパシーを感じ、感情移入しやすい存在がジョンだったりするわけなんですよね。
うーん、ストーリーが整い過ぎている感じと、登場人物が善悪にきっぱりと二分されてしまってるあたり、この作者さんの特徴でしょうか?

ただとても惹かれたのは、随所に挿入される「何ものか」の独白です。それは客観的で達観していて、それゆえ苦笑させられます。時にはものすごく辛辣でもあり。


 信じる者は、救われる。
 大昔であればあるほど、人間はそう思っていたようだ。
 しかし私が思うに、その願い事が叶えられることはない。
 例えば、豊作を祈る。例えば、安産祈願をする。
 だが、いくら祈ろうと、凶作の年もあれば、子宝に恵まれないことも、流産することもある。仮に願いが叶うことがあったとしても、単に偶然の一致に過ぎないということに、やがて気づいた。


 私は、幾度も見てきた……。
 赤子の犬や猫を、境内の隅にダンボールごと置き去りにする人間たちを。たいがいの場合、彼ら人間は泣きながら走り去っていく。
 しかし私は、そんな人間たちの涙に同情などできない。
 残された子犬、あるいは子猫こそ、その末路は悲惨極まりなかった。徐々に飢え、鳴き声も弱々しくなり、やがては一日か二日で静かになる。
 蠅がたかり、カラスがその死骸をつつく。
 奥に鎮座する神も、その行為を赦している……。


 神に祈る人間。神に縋る人間。神を信じる人間。
 だが神を信奉する人間が、必ずしも良性とは限らない。
 神に祈りながら、平気で動物を生殺しにする。その同じ手で、自分の幸せだけは神に柏手を打つ。人を裏切り、痛めつけ、その同じ顔で懺悔を捧げる。

 人間の良性あるいは悪性は、その属性 - 社会的身分、教養、職業、貧富 - とは一切関わりがない、と。



一部で神社を舞台にしながらも、神様と人間に対して抱く疑問は、その通りかどうかは別にして、考えさせられます。
極めつけは、舞台となる神社での神主さんの言葉。


「長年連れ添った相方が台座から無理やり引きずり降ろされ破壊されて、泥にまみれる姿をその目で拝んだとしたら、しかも長年守ってきた八幡様からも、何の救いの手も差し伸べられなかったとしたら、あなた、どうです?」


こんな酷い世の中で、神様なんかいるものか、というのは昔からよく言われますわな。で、宗教は「現世の苦労は修行のうち」とか「来世で報われる」とかいうわけですが……修行というのは首肯しかねる部分が多いとはいえ100%否定はできないし、死後の世界はあるともないとも証明不可能ですから、ある意味「安全圏」に逃げ込んでしまってそこで思考停止になってしまっているわけですが。
幾度も「神様は助けてくれない」と述べられる一方で、ジョンという存在の出現は、やはり神の御業なのでしょうか?


以下、完全なネタバレとなります。ご了承のうえで、下の「続きを読む」から、または以下の文章にお進み頂きますよう、お願いいたします。

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新型コロナは感染症分類の見直しを

あーあ、首都圏の緊急事態宣言を2週間延長って……
科学的な基準もなしに宣言を出してしまったら解除が難しくなるのだから、そもそも宣言発出自身に反対していたんですけどねぇ(始めてしまったら終わらせるのが難しい。いわば戦争と同じですね)。それに「発症日」ベースでみた東京の感染者数のピークは1月4日、潜伏期間を含めると昨年末にはピークアウトしていたわけで、緊急事態宣言そのものが必要なかったとも言われているのですが……。

宇宙科学博物館コスモアイル羽咋のポスター

こういう宣言だったら良かったのにね~、というと不謹慎とか言われますかね? でもこのご時世、こういう遊び心はこれまで以上に大切になってくると思いますよ。ちなみにこの写真は2020年3月15日に石川県で撮ったもので、宇宙科学博物館コスモアイル羽咋の遊び心あふれるポスターです。

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新型コロナが問題になり始めて以降、新型コロナとバランス感覚(2020年3月22日)や「東京五輪」改め「全日本五輪」どうでしょう?(2020年7月10日)などに書きましたように、極端な締め付けでもなく無制限な自由でもなく、適切な指標をもってほどほどのバランスをとっていくことが肝要だ、とかねてより考えています。
GoTo政策は批判する輩も多いですが、経済を回すために必要な政策だったと今でも思っています。ただしそれは感染者が増えることも想定した上で、増えても対応できるように医療体制の整備を並行して進めないと意味がありません。ところがいわゆる第3波が来た時、政府はここまで増えるとは予想していなかったって……それはあまりにも無策すぎるでしょう。

そこを突くべき野党は、何とかの一つ覚えみたいにPCR検査の拡充ばかり。むやみにPCR検査を増やしても無症状者を拾い上げて医療体制を圧迫するだけです。新型コロナの感染症分類を実情に応じた5類(季節性インフル相当)に見直せば、圧迫を緩和することができます。
しばらく前に共産党支持者の方がPCR拡充のビラを配っていたので、PCRだけでは意味ない、感染症分類の見直しが必要だ、と申し上げたのですが、聞く耳持ってくれませんでした。立憲民主党は「zeroコロナ」と打ち上げたようですが、「withコロナ」の斜め上を行こうとしたんですかね? インフルがゼロにならないのと同様(魔女狩りのようにPCR検査をしなかっただけで、夏場でも測ればありました)、新型コロナを意図的にゼロにするのは非現実的です。と、ホームページから申し上げましたが、なしのつぶて。

どういうわけか専門家もマスコミも恐怖を煽る方へ書きたてるばかり。そういえば秋口には新型コロナとインフルエンザが両方流行る、みたいなことを騒いでいましたが、山梨の「ヨゲンノトリ」(2020年10月10日)の中で「どちらかが例年程度に流行ることはあっても、それ以上はひどくならないだろう」と書きましたように、かねてよりあるウイルスが流行すると別のウイルスが収束するという現象が見られてきました。例えば秋にRSウイルスが流行し、これが終息していくとインフルエンザの流行が始まる、といった具合に。(「免疫的交差」と書いてしまいましたが、「免疫的干渉」の誤りでした。謹んで訂正いたします。また、この現象は今では「ウイルス干渉」というのだそうです)
専門家でも予測が外れるのは仕方ありませんが、ウイルス干渉は無視して、次の恐怖を煽ることに熱中してばかり。
感染者数は一律に変化するものではないから上下しても何ら不思議はないのに、ちょっと増えたとか下げ止まったとか言い続けて、ついに緊急事態宣言の延長まで実現させてしまいました。これ以上自殺者を増やして、満足ですか?

宣言の有無に関係なく、いずれはインフルと同様に現在の第3波は収束するでしょうが、どこかで第4派も来るでしょう。ただそれは季節性流行になっていく過程にすぎないのですが、するとまた形式だけの宣言を出せとか、魔女狩りみたいにPCR検査を増やせとか、何とか警察みたいな連中が跳梁跋扈して、社会は分断され壊滅するでしょう。

そうならないためには、これまでの感染者数に一喜一憂するような無意味なことはやめて、無症状者や軽症者に医療資源を食いつぶすのではなく、ハイリスク患者や重症者を重点的に救命できるよう、感染症分類の5類への見直ししかありません。しかしこれまで新型コロナは「指定感染症」でしたが、どうもより厳しい「新型インフルエンザ等感染症」に分類変更されたようです。

前職でインフルエンザ検査に係った者として折に触れて申し上げているのですが、新型コロナを必要以上に恐れて経済を停滞させ、自殺者を増やす必要はないと思われます。インフルと同等に恐れるべきです(インフルが安全と言っているのではない)。推定年1万人が亡くなる季節性インフルでは医療崩壊せず、海外より重症者や死者が少ないのになぜ? 感染症分類を季節性インフルと同等の5類として、インフルと同等に恐れ、対策するべきです。
なお分類変更されたらしい「新型インフルエンザ等感染症」というのは「指定感染症」よりさらに厳しい対応になるようです。おいおい、これ以上世の中を締め上げてどうするんだよ……。何か言われても責任を取りたくない、だから厳しい方にしておこう、という逃げの姿勢なのでしょうか。それともオリンピックを強行するためになり振り構わずということなのでしょうか。
そんな姿勢の御仁に、逼迫する最前線の医療従事者や生活困窮者や自殺者の声は届かないのでしょうか。

すいません、長々と書いてしまいましたが、私なんぞの戯言よりも以下のような記事がご参考になるかと思います。ぜひ以下の記事をご覧いただければ幸いです。もちろんこれらと反対の意見を集めることも可能でしょうが、少なくともこうした意見を知って頂く価値はあると思っています。


肺がんで余命2年と宣告された医師の告白 「コロナは5類に。報道には虚しさを感じる」

現役医師「これからは『コロナは風邪』と割り切る視点も必要だ」

現役医師が断言「緩い日本のコロナ対策はむしろ多くの命を救った」

2類への固執が医療崩壊を招く 新コロを5類にする以外に医療崩壊を回避する道があるというのならそれを示せ!!

コロナ脳のマスコミが無視する「自殺率急増」という不都合な真実

日本の国民はどこの国民よりもがんばっている。「ゼロコロナ」はムチャクチャだし、もう緊急事態宣言は解除すべきだ 厚労省の元医系技官・木村盛世氏

※3月9日、いちばん下の記事を追記しました。最新記事で読みやすく分かり易いと思います。

テーマ : コロナウイルス感染症
ジャンル : ニュース

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へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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