京都市伏見区・藤森神社
京都市でも京阪本線に沿って南の方に鎮座する、藤森神社。「ふじのもり」と読みます。京都へは阪急やJRを利用することが多かったのでこの辺りは縁が無かったのですが、2019年6月20日にこちらのエリアで所用があったため、帰りにお詣りさせて頂きました。
なぜこちらを選ばせて頂いたかというと、6月といえば紫陽花。3500株もの紫陽花苑で有名なんですね。

参道入り口には「勝運 馬の社」とあります。
御由緒によりますと「毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭と言われ、菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている」「藤森祭に奉納される駈馬神事(かけうま)が馬の神事であることから馬の神として信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの祭典が毎年行われて多くの人々の参拝がある」とのことです。
創建は諸説あるものの、203年(神功皇后摂政3年)……ええと、この頃って弥生時代ですよね。かの卑弥呼が台頭する前の時代ですよね!?(@o@)

がっしりとした石造りの鳥居です。……が、この鳥居には扁額がありません。
傍らの看板の説明によりますと、もともとこの鳥居には後水尾天皇宸筆の額がかけてあり、江戸時代に大名が参勤交代で藤森神社の前を通行する際には、駕籠から下りて拝礼し、槍などを倒して通行しなければならなかったそうです。ところが幕末の動乱期、かの新選組の近藤勇が、このような悠長なことでは時代にそぐわない、と外してしまったのだとか。
大胆不敵というか何というかすごい逸話ですが、あるいは時代の転換期を象徴する「伝説」なのかも知れませんね。
そういえば以前の記事でも書きましたが、高知市の若宮八幡宮では、1586年(天正14年)、長宗我部元親が出陣の際に軍旗が鳥居に引っかかって落ち、その後負け戦となったので、憤慨して鳥居を解体して海に流してしまったのだとか…… (((( ;゚Д゚)))
時代を象徴する人物と鳥居って、結構いろいろな「因縁」があるような気がします。

藤森神社手水舎。ここにも結構すごい逸話が。
この手水舎の台石は、何と、かの石川五右衛門が宇治浮島にある十三重の石塔の、上から5番目の石を盗んできたものだとか。現在その石塔を見ると、その部分だけ色が異なっているのが分かる、と説明書きされていました。
へぇー、そこだけ色が違うことから後から作られた逸話かも知れないな、と思ってちょっと調べてみたのですが、現在浮島にある十三重の石塔は、1908年(明治41年)に再建されたものだそうです。とすると今では分からないようですね……。

藤森神社拝殿。

「御旗塚」。神功皇后が「聖地として選び、そこに『纛旗』を立て、『兵具』を納め、『塚』を造り、神を祀を行った」その場所がここ、ということのようです。
お詣りすると腰痛が治ると伝えられているそうで、近藤勇も参拝して腰痛を治したのだとか……んん? それは鳥居の扁額を外す前かな? 後かな?

藤森神社の境内に湧き出る「不二の水」。「二つとないおいしい水という意味で、武運長久・学問向上、特に勝運を授ける水として信仰されています」とのこと。

宝物殿内は撮影禁止でしたが、参拝者から奉納されたというアニメか何かのグッズが大量に展示されており、これは撮影可でした。
もしかして上記のように縁のある近藤勇とかかな? と思ったのですが、後から調べてみると「鶴丸国永」というゲームキャラのようです。
どうやら「鶴丸」という名前の日本刀があって、かつて藤森神社の神事でも使われたことがあり、その「鶴丸」の「写し」(たぶん再現品のようなもの?)が奉納されているそうです。で、おそらく日本刀の擬人化ゲームで「鶴丸」を擬人化したのが「鶴丸国永」で、「鶴丸」つながりでグッズも奉納されている……ということのようです。

競馬ファンもよくお詣りするから、ということですかね。自販機にも馬の絵柄が。

さて、お目当ての紫陽花苑です。2019年当時の「入苑初穂料」は300円でした。

しかしこの日はすでにピークを過ぎていたようで、やや寂しい感じでした。

紫陽花の話題ではよく出てくる、ハート形の紫陽花も♪

そして藤森神社御朱印です。独特の字体がとっても素敵です。

この季節限定の紫陽花御朱印。先ほど見たハート形の紫陽花ですね。

もう一種類、季節限定御朱印がありました。色違いというのも紫陽花らしいです。
弥生時代からの歴史を誇り、石川五右衛門や近藤勇にまつわる逸話のある一方、自分は日本刀もゲームも競馬も縁がないので意外なぐらい、えらく大衆的(?)やな、という気もしました。歴史が長い分、取り込む懐も大きいということでしょうかね。

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なぜこちらを選ばせて頂いたかというと、6月といえば紫陽花。3500株もの紫陽花苑で有名なんですね。

参道入り口には「勝運 馬の社」とあります。
御由緒によりますと「毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭と言われ、菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている」「藤森祭に奉納される駈馬神事(かけうま)が馬の神事であることから馬の神として信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの祭典が毎年行われて多くの人々の参拝がある」とのことです。
創建は諸説あるものの、203年(神功皇后摂政3年)……ええと、この頃って弥生時代ですよね。かの卑弥呼が台頭する前の時代ですよね!?(@o@)

がっしりとした石造りの鳥居です。……が、この鳥居には扁額がありません。
傍らの看板の説明によりますと、もともとこの鳥居には後水尾天皇宸筆の額がかけてあり、江戸時代に大名が参勤交代で藤森神社の前を通行する際には、駕籠から下りて拝礼し、槍などを倒して通行しなければならなかったそうです。ところが幕末の動乱期、かの新選組の近藤勇が、このような悠長なことでは時代にそぐわない、と外してしまったのだとか。
大胆不敵というか何というかすごい逸話ですが、あるいは時代の転換期を象徴する「伝説」なのかも知れませんね。
そういえば以前の記事でも書きましたが、高知市の若宮八幡宮では、1586年(天正14年)、長宗我部元親が出陣の際に軍旗が鳥居に引っかかって落ち、その後負け戦となったので、憤慨して鳥居を解体して海に流してしまったのだとか…… (((( ;゚Д゚)))
時代を象徴する人物と鳥居って、結構いろいろな「因縁」があるような気がします。

藤森神社手水舎。ここにも結構すごい逸話が。
この手水舎の台石は、何と、かの石川五右衛門が宇治浮島にある十三重の石塔の、上から5番目の石を盗んできたものだとか。現在その石塔を見ると、その部分だけ色が異なっているのが分かる、と説明書きされていました。
へぇー、そこだけ色が違うことから後から作られた逸話かも知れないな、と思ってちょっと調べてみたのですが、現在浮島にある十三重の石塔は、1908年(明治41年)に再建されたものだそうです。とすると今では分からないようですね……。

藤森神社拝殿。

「御旗塚」。神功皇后が「聖地として選び、そこに『纛旗』を立て、『兵具』を納め、『塚』を造り、神を祀を行った」その場所がここ、ということのようです。
お詣りすると腰痛が治ると伝えられているそうで、近藤勇も参拝して腰痛を治したのだとか……んん? それは鳥居の扁額を外す前かな? 後かな?

藤森神社の境内に湧き出る「不二の水」。「二つとないおいしい水という意味で、武運長久・学問向上、特に勝運を授ける水として信仰されています」とのこと。

宝物殿内は撮影禁止でしたが、参拝者から奉納されたというアニメか何かのグッズが大量に展示されており、これは撮影可でした。
もしかして上記のように縁のある近藤勇とかかな? と思ったのですが、後から調べてみると「鶴丸国永」というゲームキャラのようです。
どうやら「鶴丸」という名前の日本刀があって、かつて藤森神社の神事でも使われたことがあり、その「鶴丸」の「写し」(たぶん再現品のようなもの?)が奉納されているそうです。で、おそらく日本刀の擬人化ゲームで「鶴丸」を擬人化したのが「鶴丸国永」で、「鶴丸」つながりでグッズも奉納されている……ということのようです。

競馬ファンもよくお詣りするから、ということですかね。自販機にも馬の絵柄が。

さて、お目当ての紫陽花苑です。2019年当時の「入苑初穂料」は300円でした。

しかしこの日はすでにピークを過ぎていたようで、やや寂しい感じでした。

紫陽花の話題ではよく出てくる、ハート形の紫陽花も♪

そして藤森神社御朱印です。独特の字体がとっても素敵です。

この季節限定の紫陽花御朱印。先ほど見たハート形の紫陽花ですね。

もう一種類、季節限定御朱印がありました。色違いというのも紫陽花らしいです。
弥生時代からの歴史を誇り、石川五右衛門や近藤勇にまつわる逸話のある一方、自分は日本刀もゲームも競馬も縁がないので意外なぐらい、えらく大衆的(?)やな、という気もしました。歴史が長い分、取り込む懐も大きいということでしょうかね。

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