『ふるさとは時遠く』と小松左京ワールド
『ふるさとは時遠く』。
大西科学、というペンネームの方が書かれた短編SFで、本作が収録された年刊日本SF傑作選 『拡張幻想』(創元SF文庫,2012)の編者前書きには「タイトルは『時遠く』と書いて『とおく』と読む」とあります。

本作の収録されている『拡張幻想』を図書館で手に取ってみた時、最初に有名なあるSF作品のタイトルを明らかにもじったと思われるタイトルが目に付きました。実はそのSF作品はその作家さんの作品の中ではあまり面白いとは思わなかったのですが、それをどんな風に使ってるんだろう、と思って借りてみたのですが……
……その作品、申し訳ないけど面白くなかった。SFネタは面白いのに、なんでそんな「形」をしているのか。世間的に見ると敬遠されそうなタイプの異性の方を好きだと言い出す、ありがちだけど唐突でよく分からない展開。その作品については、残念ながらその他断片的感想しか心に残りませんでした。
* * *
10代の頃、敬愛する小松左京先生の作品を片端から読み漁り、描き出される壮大な世界と人間模様に心から感動し、「ああ、ええもん読んだ」と思う作品がいくつもありました。近年は「ああ、ええもん読んだ」と感じる作品になかなか出会えず、未だに小松左京先生を超えるSF作家さんには出会えていません。
『拡張幻想』の他の収録作品も「ちょっとなぁ」というのがいくつかあり、やっぱり期待外れか、と思っていたのですが……
『ふるさとは時遠く』を読んだ時、感じたのです。「これは小松左京ワールドと同じだ!」と。
* * *
この作品では、人類がうかがい知れないような宇宙の根本的変化が起こり、ある条件の違いによって同じ地球上でも場所により時間の進み方が違うようになってしまった世界が描かれます。
人類がその異変に立ち向かい、新たな社会を構築していく様は、さらっと描かれてはいますが、SFならではのセンス・オヴ・ワンダーの興奮を呼び覚ましてくれます。
この作品では、そんな世界にあって「時間の進み方が違う」ことで縁遠くなっていく、「都会」と「田舎」の狭間で悩む主人公が描かれます。ただ静かに、ゆったりと時間が流れる「田舎」の親族に想いを寄せつつ、せわしなくすさまじい勢いで時間が飛び去っていく「都会」をも捨てられず……
ただ、この作品では物理条件の違いで縁遠くなっていくのですが、これは20世紀以降の「都会」と「田舎」で現実に起こってきたことではないでしょうか……? 進歩的ではあってもせわしなくガチャガチャした都会と、良くも悪くものんびりした田舎と……物理的な意味ではありませんが、都会と田舎で「時間の進み方が違う」というのは実際に言われていることではないでしょうか。
新たな世界、変化した世界へと適応しようとする世代。一方で取り残されていく世界。それでもなお、一人一人の登場人物に、そして作中の人類社会そのものに、「しっかりやれ、うまくやれ」と呼びかけたくなります。
それはまさしく小松左京『神への長い道』での主人公の言葉です。
ある物理条件の差による社会への影響は『見知らぬ明日』を思い出しますが、それにより社会が否応なく選択を迫られる様は、『見知らぬ明日』だけでなく『日本沈没』『復活の日』『さよならジュピター』など数々の小松作品で描き出されています。
そして個人的な悩み、悲哀を抱えながら、それでも立ち向かっていく姿は、それら長編や、小松左京代表作『果しなき流れの果に』などの大勢の登場人物とも重なります。
『果しなき流れの果に』のラストでは、主人公は形を変えてではありますがある意味、「ふるさと」に帰ってきます。『ふるさとは時遠く』ではこの先どうなっていくか……ある物理条件が「もっとひどくなる可能性」も触れられており、主人公はますます縁遠くなってしまうのかも知れません。それでも、続編を望むわけではありませんが、『ふるさとは時遠く』の主人公も、最後には「ふるさと」に帰ってきてほしいものです。
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本作の収録されている『拡張幻想』を図書館で手に取ってみた時、最初に有名なあるSF作品のタイトルを明らかにもじったと思われるタイトルが目に付きました。実はそのSF作品はその作家さんの作品の中ではあまり面白いとは思わなかったのですが、それをどんな風に使ってるんだろう、と思って借りてみたのですが……
……その作品、申し訳ないけど面白くなかった。SFネタは面白いのに、なんでそんな「形」をしているのか。世間的に見ると敬遠されそうなタイプの異性の方を好きだと言い出す、ありがちだけど唐突でよく分からない展開。その作品については、残念ながらその他断片的感想しか心に残りませんでした。
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10代の頃、敬愛する小松左京先生の作品を片端から読み漁り、描き出される壮大な世界と人間模様に心から感動し、「ああ、ええもん読んだ」と思う作品がいくつもありました。近年は「ああ、ええもん読んだ」と感じる作品になかなか出会えず、未だに小松左京先生を超えるSF作家さんには出会えていません。
『拡張幻想』の他の収録作品も「ちょっとなぁ」というのがいくつかあり、やっぱり期待外れか、と思っていたのですが……
『ふるさとは時遠く』を読んだ時、感じたのです。「これは小松左京ワールドと同じだ!」と。
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この作品では、人類がうかがい知れないような宇宙の根本的変化が起こり、ある条件の違いによって同じ地球上でも場所により時間の進み方が違うようになってしまった世界が描かれます。
人類がその異変に立ち向かい、新たな社会を構築していく様は、さらっと描かれてはいますが、SFならではのセンス・オヴ・ワンダーの興奮を呼び覚ましてくれます。
この作品では、そんな世界にあって「時間の進み方が違う」ことで縁遠くなっていく、「都会」と「田舎」の狭間で悩む主人公が描かれます。ただ静かに、ゆったりと時間が流れる「田舎」の親族に想いを寄せつつ、せわしなくすさまじい勢いで時間が飛び去っていく「都会」をも捨てられず……
ただ、この作品では物理条件の違いで縁遠くなっていくのですが、これは20世紀以降の「都会」と「田舎」で現実に起こってきたことではないでしょうか……? 進歩的ではあってもせわしなくガチャガチャした都会と、良くも悪くものんびりした田舎と……物理的な意味ではありませんが、都会と田舎で「時間の進み方が違う」というのは実際に言われていることではないでしょうか。
新たな世界、変化した世界へと適応しようとする世代。一方で取り残されていく世界。それでもなお、一人一人の登場人物に、そして作中の人類社会そのものに、「しっかりやれ、うまくやれ」と呼びかけたくなります。
それはまさしく小松左京『神への長い道』での主人公の言葉です。
ある物理条件の差による社会への影響は『見知らぬ明日』を思い出しますが、それにより社会が否応なく選択を迫られる様は、『見知らぬ明日』だけでなく『日本沈没』『復活の日』『さよならジュピター』など数々の小松作品で描き出されています。
そして個人的な悩み、悲哀を抱えながら、それでも立ち向かっていく姿は、それら長編や、小松左京代表作『果しなき流れの果に』などの大勢の登場人物とも重なります。
『果しなき流れの果に』のラストでは、主人公は形を変えてではありますがある意味、「ふるさと」に帰ってきます。『ふるさとは時遠く』ではこの先どうなっていくか……ある物理条件が「もっとひどくなる可能性」も触れられており、主人公はますます縁遠くなってしまうのかも知れません。それでも、続編を望むわけではありませんが、『ふるさとは時遠く』の主人公も、最後には「ふるさと」に帰ってきてほしいものです。
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