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大阪府箕面市・為那都比古神社

 大阪に住んでいた頃、よく通る道沿いに鎮座していた神社の一つです。神社巡りをするようになって、一度お詣りさせて頂こうと初めて立ち寄ったのは、2018年の12月8日でした。

爲那都比古神社鳥居
 社号は「いなつひこじんじゃ」と読むそうです。
 おそらく「いな」は大阪府と兵庫県の境界付近を流れている猪名川と同じ由来かと思われます。かの『日本書紀』には「猪名県」(県は「あがた」、大化の改新以前の地方組織)という地名が見られるそうです。
 社記によると「今を去る1700年以前にあった部族国家「為那国」の中心地で為那国を統括した為那氏族の守護神として祀られたと伝承され」るのだそうです。

爲那都比古神社手水舎


爲那都比古神社拝殿
意外と奥行きのある広い境内。

爲那都比古神社の撫で牛
撫で牛さんも親子です(たぶん)。

八代将軍吉宗奉献社号碑
 この社号碑ですが、解説を読むと……

「徳川八代将軍吉宗ガ寺社奉行大岡越前守忠相ニ命ジテ元文元年ニ奉献ス」

将軍吉宗!? 大岡越前!? これって何気にすごくないですかね!?


爲那都比古神社に奉献された砲弾
 境内にはこのような砲弾が並んでいます。その下の説明によると……

「日露戦役ノ旅順港攻撃ニ使用セルモノヲ陸軍省ヨリ下賜サレ奉献ス」

 日露戦争って、これもまたすごいじゃないですかね!? 「旅順港」なので艦砲かと思いましたが、「陸軍省から下賜された」ということは自走砲とかそういった兵器の砲弾でしょうか。
 第二次大戦中は金属類はお寺の鐘でさえ供出させられたと言いますが、これは免れたということですかね。それもまたその歴史の証人ですね。


爲那都比古神社社務所
 社務所には誰もおられない……ようでしたが、奥の様子をうかがうと奥の方に神職さんがおられ、目があったので頭を下げると出てきてくださり、快く対応くださいました。

爲那都比古神社御朱印
 頂いた御朱印。達筆でらっしゃいます。ネットで見ても、最近の御朱印も基本的に変わっていないようです。今のご時世、こうしたオーソドックスなスタイルもかえって好感が持てますね。

爲那都比古神社の紅葉
 12月でしたが、境内の紅葉がまだまだきれいでした。

 為那都比古神社はかつて祭神を一時的に牛頭天王とし、神社自体も「天王」と称されていた時期があるそうです。というのも、織田信長が一帯の寺社を焼き払おうとした際、信長の信仰する牛頭天王を称することで難を逃れたのだとか。
 皮肉でも何でもなく、そういう逞しさは大好きです。

 全国的にはおそらく知名度は低く、私も実際にお詣りするまでは知らなかったのですが、後から調べますと、初詣などではかなり混みあう、地元に密着した神社のようです。
 おまけにかなり古い創建、将軍吉宗や大岡越前、織田信長、日露戦争と、ここまで歴史の話題が多いのもすごいですね。


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テーマ : 御朱印めぐり
ジャンル : 旅行

5周年!…記念日は「風邪の日」!?


5周年!

 2017年1月9日より始めましたこのブログも本日で5周年
 これまでお越しいただきました皆様、誠にありがとうございます。心よりお礼申し上げます。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。

      *      *      *

 さて……ネット上でたまたま発見したのですが、この1月9日というのは「風邪の日」なんだとか。

風邪引いてまんねん
 えー、記念日にするにはネガティブなネタだと思うのですが、何で? と思って調べてみると、1795年(寛政7年)の1月9日(ただし旧暦)に、大相撲横綱の谷風梶之助がインフルエンザ(当時は御猪狩風と呼ばれていた)で亡くなったことに由来するそうです。
 今では風邪とインフルエンザは別の病気であると認識されていますが、当時としては区別はできなかったでしょうね。流行り病に対する戒め、ということでしょうか。

 折しも世間では、新型コロナの新顔「オミクロン株」の流行が始まっています。新型コロナについては個人的には当初から「対策としてインフルエンザと同程度に恐れるべき」(インフルと違いがあるのは当然で、同じとは一言も言っていない。さらに言えば、これまではインフルを甘く見過ぎていた)と考えています。
 新型コロナに限りませんが、何事も恐れ過ぎず油断し過ぎず「正しく恐れる」ことが必要と思うのですが、オミクロン陽性者増加を受けて、またぞろ「オミクロンはただの風邪」派と「新型コロナはいつまでもコワい」派の両極端がそれぞれ盛り返してきて、平行線の言い争いを続けているようです。
 だいたいがお上の対策も世論を気にしつつこれまで通りという感じで……つまりはこれまで何も学んでないってことやん。今まで世界に比べて日本の状況が比較的マシだったのは、お上の対策が良かったのではなく、「理由が分からん」というのが一般的な認識だと思います(むしろお上の無為無策たまたま良かった、という説が当たっている気が……。個人的にはいわゆる「集団免疫獲得説」ではないかと思ってまして、無為無策が集団免疫獲得の一助になった面があると思います)。
 無症状者を拾い上げて医療逼迫を招くより、陽性者は増えても重症者をこそしっかり対応するべきではないでしょうか。そのために感染症分類を見直して重症者に注力できるよう医療体制を整え、経済と医療体制整備を車の両輪として、どちらも回していくことが必要と考えています。

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

謹賀新年 - 2022年 『華氏451度』まであと何度?

 皆様、あけましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします m(_ _)m

徳島県大浜海岸の朝日

 毎年同じようなことを感じていますが、21世紀になってからすでに20年以上。つまり未成年の人は全員、20世紀を知らない(!)わけですね。私らが「19世紀」と聞いて感じるのと同じようなものなのかも……

      *      *      *

 さて、2022年が設定として登場するSFとしては、レイ・ブラッドベリ(1920~2012)の『華氏451度』(1953)があります。この作品では2022年以降に核戦争が勃発し、その後形成された超管理社会が描かれます。正月早々明るいとはいえない作品で申し訳ありませんが……。
 タイトルの「華氏」はアメリカなどでよく使われる温度単位で、「℉」と表記します。日本で一般的な「摂氏」(℃)は水の凝固点を0℃、沸点を100℃としているのに対し、華氏では水の凝固点32℉、沸点212℉、この差は180。日本人には分かりにくく感じますが、欧米では結構根強く使われているようです。
 華氏451度とは、摂氏では約233度。紙が自然発火するとされる温度です。

  「華氏」といえば『華氏451度』が挙げられるぐらい有名な作品なのでご存知の方も多いかと思いますが、作中の管理社会では本の所有が禁止され、見つかると(時には家や人ごと)燃やされてしまいます。まさに悪名高き「焚書坑儒」の未来版。
 NHKの「100分de名著」にも取り上げられたことがあり、その紹介記事「プロデューサーAのおもわく。6月の名著:華氏451度」を引用させて頂きます。

 この時代、本は有害な情報を市民にもたらすものとされ、所有が禁止。本が発見されると直ちにファイアマンが出動し全ての本を焼却、所有者も逮捕される。代わりに人々の思考を支配しているのは、参加型のテレビスクリーンとラジオ。彼の妻も中毒患者のようにその快楽に溺れている。人類の記憶ともいうべき本を焼却し去り、人間の思考力を奪う社会の恐怖。そこにはブラッドベリが同時代のアメリカで直面した「赤狩り」が影を落としているといわれる。

 またWikipediaによると、作者のブラッドベリは2007年のインタビューで、「この作品で描いたのは国家の検閲ではなく、テレビによる文化の破壊」と述べているそうです。

 本作はフランソワ・トリュフォー監督によって1966年に映画化されており、かなり昔、まだ子どもの頃、TVで観た記憶があります。
 さらに本作は2018年にも映画化されているそうです。これは知らなかったのでざっとネット上で調べてみたのですが……どうやらこちらではレジスタンスはDNAを用いた何やら複雑な技術を用いている模様。
 観たのが昔過ぎて記憶が不明瞭なのですが、1966年版では抵抗手段として一人一人が一冊ずつ本を暗記し、ある意味人間が本の代わりを成していました。映画のラスト、家族が亡くなる時、残された少女が家族の暗記していた本の内容を受け継いでいくシーンがありました。悲しくもなお、それでも人間は負けない、という力強さも感じる、抒情性のあふれるシーンでした。
 近年のDNAがどうしたとかいう理屈や小道具を振り回すのではなく、やはり人間を描くことこそ、SFの王道であり本筋ではないかと感じます。

 かつてブラッドベリ自身が懸念したように、テレビは世論を良くも悪くも誘導し、やろうと思えば他者を否定し、国民を統制しかねない力まで持っていました。
 21世紀に入り、ネット社会の隆盛によってテレビはすっかり力を失っているように感じます。SFでは後に実現する数多くのものが「予言」されてきましたが、インターネットそのものを正確に予測したものはほとんどないように思われます。ネット上では誰もが自分の言いたいことを主張し、少なくとも画一的な統制は難しくなっているような……

 本当に?

 もう一度「100分de名著」の記事を見ると……

 代わりに人々の思考を支配しているのは、参加型のテレビスクリーンとラジオ。

 参加型!? 何しろ古い記憶なのでどう参加型だったのかは覚えていません。しかし参加型のメディアというのは、まさに現代のネット社会ではないでしょうか? 誰もが参加しているつもりで、実はその外側、はるかに大きな枠組みの中では管理体制が進行している社会……。
 テレビは確かに力を失ったかもしれないけど、テレビ以外も含めた社会全体では……?

 埼玉純真短期大学の阿部峰雄先生が同大学のブログに載せておられる記事を引用させて頂きます。

 ただ面白ければ良いという、つけっぱなしのテレビ。テレビに子守をさせて何食わぬ顔の親。スマートフォンを片手に、ひたすら指を画面の上で滑らせ、一人ひとりの“幸福”に沈潜している人々。ブラッドベリの未来社会に似ていないか? 発表当時、彼はテレビ社会の萌芽期に直面し、活字を遠ざける社会風潮に警鐘を鳴らしたのであった。このSFは今でもメディア社会への警鐘を鳴らし続けている。

 正月早々何ですが、世の中が「華氏451度」に達するまでもう何度も残っていないのではないか……そんな心配が杞憂に終わるよう祈りたいものです。


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へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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