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小説『蒼衣の末姫』

 以前アップしました短編『Too Short Notice』で作者の門田充宏(もんでんみつひろ)先生のお名前を初めて知り、2022年4月16、17日のSFカーニバルにも参加されるということで、ぜひご尊顔を拝したい、と行ってきました。そこで門田先生にご挨拶させて頂くことができ、御著作『蒼衣の末姫』にサインまで頂戴してしまいました \(^o^)/ 

『蒼衣の末姫』表紙と門田先生のサイン

 冥凮(みょうふ)と呼ばれる、無作為に人間を襲う怪物が跳梁跋扈する世界。冥凮・人間いずれにも毒となる水が流れる川、凬川(ふうちゅあん)を冥凮からの防衛線とし、人類は6つの「宮」を築いて分業体制を敷いていた。冥凮との戦いに専念する「一ノ宮」。工業に特化した「二ノ宮」。宮間の交易を担う「三ノ宮」……。
 冥凮を倒す能力を有する「蒼衣」の家系に生まれながら、「蒼衣の末姫」キサはごく低い能力しか発揮できず、陰で「捨姫」とさえ呼ばれていた。
 一方、三ノ宮では赤ん坊に「異能」と呼ばれる特殊能力を付与することが行われていたが、十分な異能を持ちえず、役立たずの烙印を押された少年、(いくる)がいた。
 冥凮廃滅に失敗し、凬川に落ちたキサは、流れ着いた先で生に助けられる。生をはじめその地で出会った仲間たちとともに、キサは自らを追ってきた冥凮の群れに立ち向かう……。

      *      *      *

 本作では「冥凮(みょうふ)」、「紅条(ほんちゃお)」、「飛信(ふぇいしん)」といった独特の漢字と読み方の言葉が頻出し、東洋的で独特の雰囲気を醸し出しています。それだけに分かりにくい面もありますが、そのうち読み方の把握にはこだわらず、雰囲気を楽しむ感じで読み進めました。
 主人公はいずれも無能呼ばわりされ自分に自信のない少女・キサと少年・生の二人。ということで、ネット上の本作の感想は「ボーイ・ミーツ・ガール」的な作品として捉えたものが多いように見受けられます。
 実は、Web東京創元社マガジンの「ここだけのあとがき」でも、門田先生は「原形となる物語を書いたのは1996年のこと」であり、「頭にあったのは、少年少女を主人公とした冒険活劇を描く、ということ」とお書きになっておられます。
 つまりこの作品はまさしく「ボーイ・ミーツ・ガール」のスタイルであり、ハンディキャップや負い目を持つ二人がそれを克服し、他者を理解していく「成長物語」といえるのですが……

 私個人としては、主人公たるキサと生もいいんだけど、それよりも二人の周りを彩る登場人物にとてもひかれました。
 腕力だけでなく統率力や人格も備えたサイ、口達者で頭の回転も速いトー朱炉(しゅろ。彼女はついでに足も速い、というかそれが彼女の本領 ^^)、本来の役目以上にひたむきにキサを護るノエ、無口な剛力男だけどたぶん人のよさそうな亦駈(またく)、そして出番は少ないけど「知恵」という異能から重職を担う少女、護峰(ごほう)……。
(ちなみにカタカナの名前は一ノ宮側、漢字の名前は三ノ宮側の人物。これって「宮」が成立していく過程で国や民族による分業や人種差など「何か」があったのでは、と勝手に推察 ^^;)
 こうした魅力的な登場人物による「群像劇」としての魅力、をとても感じました。

 ものすごく単純・安易な例え方をしますと、スタイルとしては『風の谷のナウシカ』ワールドでパズーとシータが出会うような感じなのですが、私としては例えば『宇宙戦艦ヤマト』で古代進や森雪よりも真田技師長とか藤堂長官が好きだとか、『銀河英雄伝説』でヤン・ウェンリーやユリアンもいいけどアッテンボローやムライ参謀長が好き、みたいな感じ? 余計分かりにくいですかね(^^;)

 そしてこの世界では冥凮は間違いなく敵として、人間側には明確な「敵」役がいないところが特徴的と感じます。敢えて言えば、冥凮に対抗するため合目的的に硬直化した人類社会全体が、主人公たちにとっての「敵」となるでしょうか。
 だからこそ、そこからはみ出した者、変わり者としての登場人物たちがより活きるのだと感じます。

「命の価値には歴然とした差がある。その者が生き残ることで、これからあとどれだけ多くのひとを護り、救うことができるのか。それが唯一にして絶対の尺度だ」

というノエの言葉は単純に肯定し切れないところですが、「この世界」下ではやむを得ない部分もあるでしょう。一方でノエの

「ないものを嘆いてもなんの役にも立たない。今この手の中にあるもの、それらのすべてを使い切る覚悟で立ち向かうのみ」

というのは現代でも通じるものであり、主人公二人の「成長」にも大きく係わります。
 そしてサイの

「なんでもかんでも自分の手柄じゃと思い上がるのも大概じゃが、逆に自分はなにもしとらんと卑下するのもつまらんことじゃぞ」

という言葉、主人公たちの活躍を認め、硬直化した人類社会にさえ風穴を開けるものであり、さらには現代社会にも通じる重要なスタンスと感じます(だからサイってシブいんですよ~ *^^*)

 冥凮の行動変容と、主人公も含めた様々なはみ出し者たちの活躍は、おそらく硬直化した人類社会の変化の前兆ではないかとも思えます。
 本作品には続編を期待する声も多いようです。もしも人類社会が変化し、「宮」間でこれまでにはなかった協調関係が発展するならば、彼らが重要な役を担うのではないか、などと夢想してしまいます。


関連記事:
 短編『Too Short Notice』
 Twitter迷宮?

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宮城県仙台市・宮城縣護國神社

 仙台市は2017年(平成29年)、仙台東照宮に出張がてらお詣りさせて頂いた際の記事を掲載しましたが、関西にいるとなかなか訪れる機会がありませんでした。しかし転職で東京に来てからは、年に1回ほどは仕事や旅行で仙台やその先を訪れています。
 伊達政宗公騎馬像でも有名な仙台城(雅称「青葉城」)、その本丸跡に創建された宮城縣護國神社にもお詣りしたいとかねてから思っていましたが、毎回時間などの関係でなかなか行けず、実際にお詣りできたのは2022年4月でした。

宮城縣護國神社鳥居


宮城縣護國神社拝殿


宮城縣護國神社の八重桜
 ちょうど八重桜がきれいでした。

宮城縣護國神社の厄難消除御守ひょうたん
 厄難消除御守ひょうたん。初穂料1500円。
 このひょうたんに氏名、年齢を書いて身体中の悪いものを出すように息を吹き入れ、しっかり蓋を閉じて……

宮城縣護國神社のひょうたん掛所
こちらの「ひょうたん掛所」に吊るして納めるのだそうです。

宮城縣護國神社のおみくじ
 こちらにもひょうたん。初穂料400円のおみくじです。こちらのひょうたんを頂きました。
 ちなみにおみくじは小吉でした(^^;)

宮城縣護國神社御朱印
 頂いた御朱印。この時点ではすべて書き置き対応でした。

 御朱印を頂くため並んでいますと、私の前にいた若い男性、「御城印はありますか?」と……。
 おいおい、御朱印と御城印は根本的にまったく別物なのに何てことを…… (((( ;゚Д゚))) とハラハラしながら見ておりますと、訊かれた巫女さん「それでしたらあちらを下って、出た先を曲がった売店に……」とあくまでにこやかに対応されていました。
 何しろ城址に鎮座する神社ですから、そこらへんごっちゃにする人が出てきてもやむを得ないかとは思うのですが……

浦安宮御朱印
 もう一種類、別宮・浦安宮の御朱印も頂きました。伊達家の家紋・竹に雀紋と、伊達政宗公の兜に輝く三日月があしらわれていてカッコいいですね。
 この御朱印、「奥州仙臺城」とありますのでパッと見は御城印のようにも見えなくもないな……と思っていましたら、ネットで調べているうちに「浦安宮の御朱印は、仙台城址の御城印でもあるそうです」という記載を見つけてしまいました。

 御城印をかねた御朱印……!?

 うーむ……ただし公式HPなどにはあくまでも「御朱印」としか記載されていません。御城印をかねた御朱印、というものはないと思うのですが……。
 「御城印」なども定着するにつれ、いろんな部分で境界があいまいになってきているかも知れません。それもやむを得ないとは思いつつ、複雑な気分。

 さて。
 仙台城(青葉城)といえば、伊達政宗公騎馬像。

修復中の伊達政宗公騎馬像
……しかしこの時は足組が組まれ、修復中でした。2022年3月16日の震度6強の地震で、左に10度ほど傾いてしまったのだそうです。地震では他にも色々な影響があったかと思います。今更ながらお見舞い申し上げます。

修復中の伊達政宗公騎馬像
 上からかろうじて政宗公の兜が……。

伊達政宗公騎馬像
 こちらは2020年11月訪問時の騎馬像。この時はかろうじてここまで行ったものの、位置関係も分からず、時間もなくてお詣りまではできなかったんですね……。

仙台駅では外せないずんだシェイク
 仙台駅に来ると個人的に外せない、ずんだシェイク(^^)
 政宗公騎馬像が復活したら、また訪れたいものです。


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GW日本どこへ行く

 二宮金次郎像。多くの小学校にはこうした銅像があったと思います。

二宮金次郎銅像

 ところが最近は歩きながら本を読む姿ではなく、座って本を読む姿の像が登場しているのだとか。
 何で? と思ったら……

「歩きスマホを助長するから」

 ……だ、大丈夫か、日本!?
 GWでどこへ行くか、よりもこの日本、どこへ行くんでしょう……!? はたして日本は二宮尊徳の歩んだ道を、今も歩いているでしょうか??

      *      *      *

 最近のニュースを見ていますと、新型コロナに関する記事はどんどん減少し、やはりロシアのウクライナ侵攻をはじめとする世界情勢が……と思っていましたが、当初に比べるとウクライナ情勢の報道も熱気が少しばかり減少しているのではないか? と感じます。「withコロナ」で久方ぶりの制限なしGWに報道も注目しているためでしょうか。
 「withコロナ」はやむを得ない一方で「with war」は何としても避けなければならない、と考えていますが、残念ながら戦争の長期化・泥沼化の懸念が現実となりつつあるせいかもしれません。だからといって報道が減るのは日本のマスコミの極めて悪い癖ですが……。

 3月のゼレンスキー大統領の演説では、アメリカで真珠湾攻撃など盛り込んで「大丈夫か?」と思った割には日本での演説はずいぶんソフトにこなし、おそらく相手国ごとにそれぞれ練ったんだろうな、ブレーンはなかなかやり手だな、と思ったものです。
 しかし、最近はTwitterでヒトラー、ムッソリーニに昭和天皇を並べてみたり、感謝の31ヵ国に日本が入っていなかったりと、「まぁ海外から見たらそんなもんか?」と思いながらも、最初の頃に比べるとブレーンの「練り具合」も緩んできたか……
 いやいや要するに、海外から見たら日本はいろんな意味でそれほど重要視されていないということなんでしょうね。どんどん進行する円安も、要するにそういうことだと思われます。
 ならばどうすれば良いか?

 ロシアの軍事侵攻が100%非難されるのは当然として、必要なのは単純な勧善懲悪論でも感情論や理想論でもなく、いかに日本の「国益」を守るか、は避けられないでしょう。「戦後」-それがどんな形になるかはともかく-を見据え、ウクライナ及びロシア、さらには欧米を含む全世界とどのように付き合っていくか……。
 ロシアも様々な案件を抱える隣国の一つであるからには単純に「絶対悪」と言うだけではすまないでしょうし、ありていな言い方をしてしまえば、各国に「良い顔」をしつつ、この情勢からいかに「国益」を守るか、せめて「被害」を少なくするか……(もちろんやり過ぎると非難されますが、しかし好むと好まざるとににかかわらず、すでに世界中がやっていることですよね)。

「国家に真の友人はいない」……アニメ映画『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993)でのセリフとしてご存知の方も多いと思います。これ、シャルル・ド・ゴール仏元大統領やキッシンジャー米元大統領補佐官の言葉とする資料もありますし、さらに古来より同様の言葉は言われ続けているようです。
 一方で「国家間の友情を信じます。人々の友情を信じるように」(オードリー・ヘップバーン)という言葉も信じたいし、大切にしたい国家や地域間のつながりも確かにあります。そうした理想はもちろん掲げつつ、理想に至るまでの現実にも目を向けなければ、理想の実現も維持も困難でしょう。

 現状で行けば、おそらく次の選挙で野党は大敗するでしょう。あまりに一方的・画一的な傾向は良くないという同情論・バランス論で少しは票が入るかも知れませんが(私もある意味そう思いますが)、それしか理由が見当たらないというのはあまりにも、あまりにも不甲斐ない。
 そしておそらくは改憲への道も大きく進むでしょう。
 ならば野党も、改憲するならどう変えるか、あるいは改憲しないならその理論武装、そのあたりを今から詰めていかないと、もはや存在意義すら失ってしまいます。

 そして現実として「国益」が大切と書いてきましたが、そう言いつつも与党やお上は結局「金持ち・大企業のため」が優先でしょう(つまり金持ちが潤えば下々にもおこぼれがあるだろうという感覚ですね)。
 それに対して「一般庶民・中小企業のため」にどうするか、も野党の存在意義の一つ。これまで「国益」と「庶民のため」は何となく分断されていましたが、この整合性を与党に任せず「庶民の視点で」とっていく、そこがこれからより重要なポイントと感じます。
 そんなことは分かってる、もうやってる、と言われることを切に希望しますが……。

テーマ : 憲法改正論議
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へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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