『ジュラシック・ワールド』のカーテンコール
2022年8月上旬。映画『ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』を観てきました。
「恐竜映画の金字塔」とも言われる『ジュラシック・パーク』(1993)以降、各作品の出来にはかなりの波がありつつも、「シリーズの壮大なる終幕」とまで銘打たれたこの完結編にはそれなりに期待していました。
前作のラストで恐竜が解き放たれ、その後の世界がどうなったかも興味ありましたし。
今回は午後から所用のため、できるだけ朝早い上映回を検索。選んだのは、TOHOシネマズ新宿の8:30からの回でした。
こちらの映画館にもゴジラが屋上に顔を出しています。

『シン・ウルトラマン』観た時もTOHOシネマズ日比谷にゴジラがいましたが、東京に来てからはゴジラにもよく出会います。

JR新宿駅ではコラボ企画でラプトルの「ロボット」が。
* * *
さて、映画の内容ですが……
えっ、雪の降りしきる中で活動する恐竜?
近年は恐竜温血説も結構メジャーなようですから、そうした学説も取り入れたのでしょうか。あるいはそうした遺伝子を組み込んだのか?(そう言ってしまうとなんでもアリなのがこのシリーズの設定のすごいところ ^^;)
しかし本シリーズでは相変わらず登場人物が直情径行型というかムチャというかわがままというか……そのおかげでシリーズ第二作『ロスト・ワールド』(1997)では、ただ一人何も悪くないキャラが無残に恐竜に食われるという理不尽な展開があり、当時このシリーズが嫌いになった(こちらのにゃんにゃんさんのブログに、まったく同感の記事がありますのでぜひ)こともあったので不安を覚えつつ観続けると……
かなりでかいイナゴ(正確にはバッタでは?)の大群が登場。バイオシン社の畑だけ食い荒らされないというのは、農薬会社がやってきたと言われるあくどい手段と同じというのはすぐにピンときますが、このシリーズって大企業を悪者にするのが好きですねぇ。
バッタの大群による蝗害(こうがい)は、古来より飢饉を引き起こす重大な自然災害です。巨大化ではなく、猛烈な繁殖力とか薬剤耐性を悪徳企業や軍が組み込んだ、だったら確かにありそうですね。いや、本当にありそうでコワいですが……。
この巨大化昆虫ってよくあるSFネタですが、昔読んだ本によると、昆虫は気門で呼吸するため、巨大化すると台風並みの強風がないと呼吸できなくなるそうです。
えっ、作中では恐竜にもいろんな生物のDNAを組み込んでるから、別の生物のDNAを使ったのではって?
確かに古生代には巨大昆虫がいましたが、一説では当時は酸素分圧が高かったからとされています。現代の大気組成でも気門で呼吸できる巨大生物は、たぶん出現したことはないと思われます。まったく新しく創造しない限り……。
まぁマニアックなツッコミは置いときまして。それにしても「恐竜映画」で飛蝗を登場させるのは、唐突というか「取って付けた」感があります。
全体を通して感じたのは、味方の行動も敵の組織もちょっと雑すぎ。
そして都合よく絶妙のタイミングで再会するというのも、アメリカン映画のお約束。
個人の活劇が中心で、世に放たれた恐竜との共存がどうなったかは少なく、そもそもその個人の活劇を盛り上げるためだけに恐竜を使っているような気も。このあくまで「個人」メイン、ヒーロー中心というのもアメリカン映画的ですね。
他のモブキャラだと恐竜に食われてしまう状況でも、主要キャラだと助かったり。
過去作でも見たような場面があって、オマージュかも知れないけど、悪く言えば「二番煎じ」。
なんか散々言ってますが、恐竜をもっときっちり描くか、取って付けたような「恋愛」模様?よりも、人間や社会を詳しく描いてくれたら良かったと思うのですが……。
イアン・マルコム博士、前作ラストの「ジュラシック・ワールドへようこそ」という皮肉たっぷりのセリフが印象的なキャラですが……
バイオシン社で若い職員に向けて講演を行っていたシーン。
敵にバレて去る時、そこの職員に投げかけた弁舌。
こうした場面で、何か少しでも登場人物または観客の心に響く言葉が出てくるんじゃないか、と目を凝らしましたが(耳を澄ませた、じゃなくてスミマセン。吹替版じゃなく字幕版だったので ^^;)、なかったですね。ここで弁舌でキメるのがイアンだと思うのですが、結局彼も「個人の活劇」の一員になってるし。
これまでのシリーズ主要キャラ揃い踏みというのは豪華ではありますが、いささか詰め込み過ぎ。絶妙のタイミングで助けに来る新キャラも加わって、そこまで人数いるの? て感じでした。
ラスト、シャーロットが恐竜との共存を言ってましたが、その場面では角竜とゾウが一緒に歩いてたりするので、隔離した保護区ではなく、普通に自然界で共存のようです。しかも登場するのは主に草食恐竜。
キャパシティ問題(たとえ争わずとも、恐竜が増えた分、現生動物を圧迫しかねない)を除けば、草食恐竜とは共存できるかも知れません(ただ草食恐竜って中生代には裸子植物を食べてたはずですが、現代の被子植物も食べられるんですかね?)。
しかし肉食恐竜はどうでしょう?
現代において、たとえばクマが人を襲ったとなれば、たとえ人間が住処を奪ったのだとしても、残念なことですが人間はクマを狩り立て、射殺してしまいます。
凶暴な肉食恐竜が世に放たれたならば……おそらく世界中で軍隊が出動し、最後の一頭まで徹底的に狩り立てるでしょう。根絶できなくとも、それこそウルトラマンの「禍特対」みたいな組織が作られ、本作の主要キャラもそれに引っ張られるか、協力させられるでしょう。
そんな場面もあったような気もしますが、メインは「ヒーローと悪徳企業との対決」に終始してしまった。恐竜は世界中に広まったというのに舞台はこれまで通り、そのため相対的に矮小化してしまったように思います。タイトルの「新たなる支配者」って誰なん?
これまでの枠にとらわれたまま、シリーズの主要キャラが揃い踏みした最終話。
それはまるで、舞台のラストで役者が観客の前に揃って現れる、カーテンコールを思い出させるものでした。
関連記事:
映画「ジュラシック・ワールド/炎の王国」感想
「恐竜映画の金字塔」とも言われる『ジュラシック・パーク』(1993)以降、各作品の出来にはかなりの波がありつつも、「シリーズの壮大なる終幕」とまで銘打たれたこの完結編にはそれなりに期待していました。
前作のラストで恐竜が解き放たれ、その後の世界がどうなったかも興味ありましたし。
今回は午後から所用のため、できるだけ朝早い上映回を検索。選んだのは、TOHOシネマズ新宿の8:30からの回でした。
こちらの映画館にもゴジラが屋上に顔を出しています。

『シン・ウルトラマン』観た時もTOHOシネマズ日比谷にゴジラがいましたが、東京に来てからはゴジラにもよく出会います。

JR新宿駅ではコラボ企画でラプトルの「ロボット」が。
* * *
さて、映画の内容ですが……
えっ、雪の降りしきる中で活動する恐竜?
近年は恐竜温血説も結構メジャーなようですから、そうした学説も取り入れたのでしょうか。あるいはそうした遺伝子を組み込んだのか?(そう言ってしまうとなんでもアリなのがこのシリーズの設定のすごいところ ^^;)
しかし本シリーズでは相変わらず登場人物が直情径行型というかムチャというかわがままというか……そのおかげでシリーズ第二作『ロスト・ワールド』(1997)では、ただ一人何も悪くないキャラが無残に恐竜に食われるという理不尽な展開があり、当時このシリーズが嫌いになった(こちらのにゃんにゃんさんのブログに、まったく同感の記事がありますのでぜひ)こともあったので不安を覚えつつ観続けると……
かなりでかいイナゴ(正確にはバッタでは?)の大群が登場。バイオシン社の畑だけ食い荒らされないというのは、農薬会社がやってきたと言われるあくどい手段と同じというのはすぐにピンときますが、このシリーズって大企業を悪者にするのが好きですねぇ。
バッタの大群による蝗害(こうがい)は、古来より飢饉を引き起こす重大な自然災害です。巨大化ではなく、猛烈な繁殖力とか薬剤耐性を悪徳企業や軍が組み込んだ、だったら確かにありそうですね。いや、本当にありそうでコワいですが……。
この巨大化昆虫ってよくあるSFネタですが、昔読んだ本によると、昆虫は気門で呼吸するため、巨大化すると台風並みの強風がないと呼吸できなくなるそうです。
えっ、作中では恐竜にもいろんな生物のDNAを組み込んでるから、別の生物のDNAを使ったのではって?
確かに古生代には巨大昆虫がいましたが、一説では当時は酸素分圧が高かったからとされています。現代の大気組成でも気門で呼吸できる巨大生物は、たぶん出現したことはないと思われます。まったく新しく創造しない限り……。
まぁマニアックなツッコミは置いときまして。それにしても「恐竜映画」で飛蝗を登場させるのは、唐突というか「取って付けた」感があります。
全体を通して感じたのは、味方の行動も敵の組織もちょっと雑すぎ。
そして都合よく絶妙のタイミングで再会するというのも、アメリカン映画のお約束。
個人の活劇が中心で、世に放たれた恐竜との共存がどうなったかは少なく、そもそもその個人の活劇を盛り上げるためだけに恐竜を使っているような気も。このあくまで「個人」メイン、ヒーロー中心というのもアメリカン映画的ですね。
他のモブキャラだと恐竜に食われてしまう状況でも、主要キャラだと助かったり。
過去作でも見たような場面があって、オマージュかも知れないけど、悪く言えば「二番煎じ」。
なんか散々言ってますが、恐竜をもっときっちり描くか、取って付けたような「恋愛」模様?よりも、人間や社会を詳しく描いてくれたら良かったと思うのですが……。
イアン・マルコム博士、前作ラストの「ジュラシック・ワールドへようこそ」という皮肉たっぷりのセリフが印象的なキャラですが……
バイオシン社で若い職員に向けて講演を行っていたシーン。
敵にバレて去る時、そこの職員に投げかけた弁舌。
こうした場面で、何か少しでも登場人物または観客の心に響く言葉が出てくるんじゃないか、と目を凝らしましたが(耳を澄ませた、じゃなくてスミマセン。吹替版じゃなく字幕版だったので ^^;)、なかったですね。ここで弁舌でキメるのがイアンだと思うのですが、結局彼も「個人の活劇」の一員になってるし。
これまでのシリーズ主要キャラ揃い踏みというのは豪華ではありますが、いささか詰め込み過ぎ。絶妙のタイミングで助けに来る新キャラも加わって、そこまで人数いるの? て感じでした。
ラスト、シャーロットが恐竜との共存を言ってましたが、その場面では角竜とゾウが一緒に歩いてたりするので、隔離した保護区ではなく、普通に自然界で共存のようです。しかも登場するのは主に草食恐竜。
キャパシティ問題(たとえ争わずとも、恐竜が増えた分、現生動物を圧迫しかねない)を除けば、草食恐竜とは共存できるかも知れません(ただ草食恐竜って中生代には裸子植物を食べてたはずですが、現代の被子植物も食べられるんですかね?)。
しかし肉食恐竜はどうでしょう?
現代において、たとえばクマが人を襲ったとなれば、たとえ人間が住処を奪ったのだとしても、残念なことですが人間はクマを狩り立て、射殺してしまいます。
凶暴な肉食恐竜が世に放たれたならば……おそらく世界中で軍隊が出動し、最後の一頭まで徹底的に狩り立てるでしょう。根絶できなくとも、それこそウルトラマンの「禍特対」みたいな組織が作られ、本作の主要キャラもそれに引っ張られるか、協力させられるでしょう。
そんな場面もあったような気もしますが、メインは「ヒーローと悪徳企業との対決」に終始してしまった。恐竜は世界中に広まったというのに舞台はこれまで通り、そのため相対的に矮小化してしまったように思います。タイトルの「新たなる支配者」って誰なん?
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それはまるで、舞台のラストで役者が観客の前に揃って現れる、カーテンコールを思い出させるものでした。
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テーマ : ジュラシックパークシリーズ
ジャンル : 映画