手塚治虫「火の鳥」 - 完結編の構想
へろんです。
「火の鳥」……言わずと知れた“漫画の神様”手塚治虫先生が、ライフワークと銘打って1954年から1988年にわたって書き続けた超大作です。

宝塚市立手塚治虫記念館前の火の鳥のモニュメント。後ろの樹がかぶってしまって顔などがちょっと分かりにくくなってますが……(^^;)ゞ 2001年1月3日撮影。
「黎明編」「未来編」など十数編の作品から成り、いずれも作品としては独立していますが、火の鳥をめぐるエピソードが共通してあり、火の鳥を軸にした壮大な人類史を構成しています。
その作品を執筆順に並べてみると、過去を描いた次は未来、その次はまた過去、と振り子のように時間軸を行ったり来たりして、しかもその振れ幅はだんだん短く……つまり過去・未来双方から現代へと近づいてくるという展開になっていました。

最後に描かれた「太陽編」では、7世紀と21世紀初頭という二つの時代を行ったり来たりという、それまでの「火の鳥」全体の構成をそのまま一つの作品に持ち込んだような構成でした。
1988年、「太陽編」完結。その翌年、手塚治虫先生は亡くなりました。
「太陽編」が(完結したものとしては)最後の作品ということは間違いないのですが、そのためか、時々「太陽編」が「火の鳥」完結編である、「太陽編」を以って「火の鳥」は完結した、などという誤解や間違いを時々見かけます。
しかし「火の鳥」は上記のように過去と未来を行ったり来たりしながらだんだん現代へ近づき、最後には「現代編」を以って完結する、という構想があったと言われています。
はたして「火の鳥」はどのような物語で完結するはずだったのか……今となっては分からないものの、それを予想させる作品が残されています。

1986年「火の鳥・鳳凰編」のアニメ版が公開され、このムックとして発刊された「ニュータイプ100%コレクション 火の鳥」(角川書店、1986年)。この中に、月刊「COM」昭和46年(1971年)11月号に掲載された「火の鳥 休憩 INTERMISSION」という6ページの短いエッセイ風マンガが収録されていました。
この中で語られたところによると、手塚先生自身がたまに見る奇妙な夢は、実はいわば前世の記憶のようなものではないか……これは(輪廻転生のように)何らかのエネルギーが受け継がれていくものではないか……そのエネルギーの一瞬の仮の姿が生命なのではないか……
「ぼくは火の鳥の姿をかりて 宇宙エネルギーについて気ままな空想をえがいてみたいのです
なぜ鳥の姿をさせたかというと……ストラビンスキーの火の鳥の精がなんとなく神秘的で宇宙的だったからです
だからこの「火の鳥」の結末はぼくが死ぬとき はじめて発表しようと思っています」
そして最後の一コマでは、手塚治虫本人の遺体を表しているのではないかと思われる、布に覆われたものから、火の鳥が飛び立とうとする姿が描かれています。
この作品は長らく単行本未収録だったため、あまり知られていないかもしれませんが(1997年になって講談社版手塚治虫漫画全集「手塚治虫エッセイ集」第6巻に収録)、偶然出会ったこの作品に強烈な印象を受け、「火の鳥」完結編は手塚治虫先生が亡くなる時に発表されるものしかあり得ない、と確信していました。
「火の鳥 休憩 INTERMISSION」の前のページに掲載された、手塚治虫先生と角川春樹氏との対談の中でも、このようなやり取りが載せられています。
手塚:僕のなかにあるエネルギー体が、何かの形で羽化をするときが、そのとき(引用者註:死ぬ時、そして完結編を描く時)だと思うんです。
角川:でも羽化するのは死ぬときですからね。描けませんよ(笑)。
手塚:いや、僕は描いてみせますよ(笑)。ひとコマでもいいんですよね。それがひとつの話になっていればいいんですから。「火の鳥」の終末になっていればいい。それは僕にとっての初めての体験でもあるんですよ。「あ、これで僕は死ぬんだ」とは思わないかもしれませんよ。どこかの星に行くのかもしれない。
もちろん現実には、死と同時に何かを製作したり、発表するというのは不可能ではないかと思います。だから、その意味でおそらく「火の鳥」は未完になるだろう、と思っていました。
なお「火の鳥 休憩 INTERMISSION」は、虫ん坊 2017年2月号の黒沢哲哉氏のコラム「手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!」の中に2ページ分が紹介されています。
そして1989年2月9日、手塚治虫逝去。たしか同じ頃に昭和天皇が亡くなったように思いますが、一個人の死ということに対する追悼の気持ち以上のものはあまりありませんでした。ですが手塚治虫逝去の報は、一時代の終わりを感じさせる、とてつもなく大きな事件でした。
予想はしていましたが、その時に「火の鳥」完結編が製作されたとか、発表されるといったことはありませんでした。
Wikipedia「火の鳥(漫画)」の中には「手塚は実際に死ぬ直前に何かを描こうとするも、それは叶わなかった」とあるのですが、この部分には注釈がないので真偽のほどは分かりません。
現在、「火の鳥」について調べてみると「大地編」「アトム編」「現代編」等々のいくつかの構想や噂話のようなものまで出てきます。
「火の鳥・完結編」がどのようなものであったのかは永遠に分かりません。手塚先生の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったそうです。最後にそう言いたくなるような仕事に巡り合えなかった私には想像もできないことではありますが……手塚先生が最後に言った「仕事」の中には、きっと「火の鳥・完結編」も含まれていたのではないでしょうか。
「火の鳥」……言わずと知れた“漫画の神様”手塚治虫先生が、ライフワークと銘打って1954年から1988年にわたって書き続けた超大作です。

宝塚市立手塚治虫記念館前の火の鳥のモニュメント。後ろの樹がかぶってしまって顔などがちょっと分かりにくくなってますが……(^^;)ゞ 2001年1月3日撮影。
「黎明編」「未来編」など十数編の作品から成り、いずれも作品としては独立していますが、火の鳥をめぐるエピソードが共通してあり、火の鳥を軸にした壮大な人類史を構成しています。
その作品を執筆順に並べてみると、過去を描いた次は未来、その次はまた過去、と振り子のように時間軸を行ったり来たりして、しかもその振れ幅はだんだん短く……つまり過去・未来双方から現代へと近づいてくるという展開になっていました。

最後に描かれた「太陽編」では、7世紀と21世紀初頭という二つの時代を行ったり来たりという、それまでの「火の鳥」全体の構成をそのまま一つの作品に持ち込んだような構成でした。
1988年、「太陽編」完結。その翌年、手塚治虫先生は亡くなりました。
「太陽編」が(完結したものとしては)最後の作品ということは間違いないのですが、そのためか、時々「太陽編」が「火の鳥」完結編である、「太陽編」を以って「火の鳥」は完結した、などという誤解や間違いを時々見かけます。
しかし「火の鳥」は上記のように過去と未来を行ったり来たりしながらだんだん現代へ近づき、最後には「現代編」を以って完結する、という構想があったと言われています。
はたして「火の鳥」はどのような物語で完結するはずだったのか……今となっては分からないものの、それを予想させる作品が残されています。

1986年「火の鳥・鳳凰編」のアニメ版が公開され、このムックとして発刊された「ニュータイプ100%コレクション 火の鳥」(角川書店、1986年)。この中に、月刊「COM」昭和46年(1971年)11月号に掲載された「火の鳥 休憩 INTERMISSION」という6ページの短いエッセイ風マンガが収録されていました。
この中で語られたところによると、手塚先生自身がたまに見る奇妙な夢は、実はいわば前世の記憶のようなものではないか……これは(輪廻転生のように)何らかのエネルギーが受け継がれていくものではないか……そのエネルギーの一瞬の仮の姿が生命なのではないか……
「ぼくは火の鳥の姿をかりて 宇宙エネルギーについて気ままな空想をえがいてみたいのです
なぜ鳥の姿をさせたかというと……ストラビンスキーの火の鳥の精がなんとなく神秘的で宇宙的だったからです
だからこの「火の鳥」の結末はぼくが死ぬとき はじめて発表しようと思っています」
そして最後の一コマでは、手塚治虫本人の遺体を表しているのではないかと思われる、布に覆われたものから、火の鳥が飛び立とうとする姿が描かれています。
この作品は長らく単行本未収録だったため、あまり知られていないかもしれませんが(1997年になって講談社版手塚治虫漫画全集「手塚治虫エッセイ集」第6巻に収録)、偶然出会ったこの作品に強烈な印象を受け、「火の鳥」完結編は手塚治虫先生が亡くなる時に発表されるものしかあり得ない、と確信していました。
「火の鳥 休憩 INTERMISSION」の前のページに掲載された、手塚治虫先生と角川春樹氏との対談の中でも、このようなやり取りが載せられています。
手塚:僕のなかにあるエネルギー体が、何かの形で羽化をするときが、そのとき(引用者註:死ぬ時、そして完結編を描く時)だと思うんです。
角川:でも羽化するのは死ぬときですからね。描けませんよ(笑)。
手塚:いや、僕は描いてみせますよ(笑)。ひとコマでもいいんですよね。それがひとつの話になっていればいいんですから。「火の鳥」の終末になっていればいい。それは僕にとっての初めての体験でもあるんですよ。「あ、これで僕は死ぬんだ」とは思わないかもしれませんよ。どこかの星に行くのかもしれない。
もちろん現実には、死と同時に何かを製作したり、発表するというのは不可能ではないかと思います。だから、その意味でおそらく「火の鳥」は未完になるだろう、と思っていました。
なお「火の鳥 休憩 INTERMISSION」は、虫ん坊 2017年2月号の黒沢哲哉氏のコラム「手塚マンガあの日あの時 第50回:大長編『火の鳥』の誕生と幻の結末に迫る!!」の中に2ページ分が紹介されています。
そして1989年2月9日、手塚治虫逝去。たしか同じ頃に昭和天皇が亡くなったように思いますが、一個人の死ということに対する追悼の気持ち以上のものはあまりありませんでした。ですが手塚治虫逝去の報は、一時代の終わりを感じさせる、とてつもなく大きな事件でした。
予想はしていましたが、その時に「火の鳥」完結編が製作されたとか、発表されるといったことはありませんでした。
Wikipedia「火の鳥(漫画)」の中には「手塚は実際に死ぬ直前に何かを描こうとするも、それは叶わなかった」とあるのですが、この部分には注釈がないので真偽のほどは分かりません。
現在、「火の鳥」について調べてみると「大地編」「アトム編」「現代編」等々のいくつかの構想や噂話のようなものまで出てきます。
「火の鳥・完結編」がどのようなものであったのかは永遠に分かりません。手塚先生の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったそうです。最後にそう言いたくなるような仕事に巡り合えなかった私には想像もできないことではありますが……手塚先生が最後に言った「仕事」の中には、きっと「火の鳥・完結編」も含まれていたのではないでしょうか。
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