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映画『宇宙戦艦ヤマト2202 第七章 新星篇』感想

へろんです。
2019年3月2日、よく映画を一緒に観に行く旧友と『宇宙戦艦ヤマト2202 第七章 新星篇』を観てきました。

「宇宙戦艦ヤマト2202 第七章」ポスター

まだ公開中ではありますが、さすがにこれはラストに触れずしてあまり大したことは書けません。今回はネタバレ全開になりますので、ご了承いただける方のみ、下の「続きを読む」から、または以下の文章にお進み頂きますよう、お願いいたします。

これまでにもその傾向はありましたが、この第七章も、いささか性急で説明不足と感じる場面が多々ありました。
デスラーは何してんだかよく分からないし。
《ヤマト》の二番艦だったら《ムサシ》だろう!! という壮大なツッコミを浴びたシャチ○タ《銀河》は結局大して活躍しなかったし。
ミルの正体も態度の変化も最期も、あまりに性急です。
ズォーダーが剣を突っ立てた後も何が起こってるのかよく分からない。
各々の場面で言いたいことは分かりますが、「ワ」とか「エン」とか連発しているけど、なんか「言葉だけ」の感じが否めない。

そして、オリジナルの『さらば宇宙戦艦ヤマト』と同じ(よく似た)シーンが時々挿入されるのですが……徳川機関長や土方艦長、アナライザーの最期も、斉藤の最後のあのセリフも、特攻していく時に艦橋に現れる皆の姿も……そして最後の「ヤマトより愛を込めて」さえも! 「ほら、これ見たかったでしょ」と言わんばかりに無理やり押し込んだ感じで、しかも唐突すぎて充分活かされていない。

前評判ではオリジナルの『さらば宇宙戦艦ヤマト』でも『宇宙戦艦ヤマト2』でもない、「真実のラスト」とか言われていたかと思うのですが……あれ? あれれれ? 『さらば』のラストと同じ展開ですか!?
と思ったらその後に付け加えられた、謎の異次元空間からの生還劇。このあたりの理屈はまったく分かりませんでした(。・_・)ゞ
あ、でも真田さんの演説は感動的でしたね(ちなみに昔からメインキャラの中では真田さんがいちばん好き♪)

「アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ」表紙

以前も取り上げましたが 「アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ」 (池田憲章・編、徳間書店,1982年) の中で、中谷達也氏は「ヤマトはついに現実に銃をとることができなかった、かつての愛国少年の夢の実現なのだ」と批判しています。

このように、オリジナル『さらば』の「特攻」というラストには、その是非(真っ向から死を肯定して良いのか?)、そしてその効果(テレサも来てくれたから良いようなものの、ヤマトだけで効果は見込めたのか?)等々、様々な批判や突っ込みどころがあります。
私自身『さらば』には泣かされましたが、一方で特攻というラストを安易に肯定することもできないと思っています。
それでもなお、古代の葛藤(沖田との対話)、退艦を命じるにあたって皆を説得していくシーン、艦長席で傍らの雪の死体に語り掛ける古代、幻視かもしれないけど艦橋に現れる皆の姿、一人じゃない、皆と一緒に行くんだ、というシーン……是非はともかく、その描き方はものすごく重みを、真剣さを、真摯さを感じるものでした。

ひるがえって本作では……わざわざもう一度特攻のシーンを描くにあたって、「何らかの答えを出そう」とか「独自の解釈をしました」といった努力はあまり感じられず、オリジナル『さらば』と同じシーンも、同じであることを示すためにさらっと描かれたように感じられてしまいました。
これまでにも書いたように「リメイクとは壮大な同人活動である」と思っています。
結局、ヤマト2202とは「『さらば』のラストのままでは可哀想なので、二人が助かるようなストーリーを無理くり付け加えた」壮大な二次創作だったのではないか……??

戦争で人々が死んでいくのは、確かに可哀想だと思います。万が一にも、現実ではあってはならない展開だと思います。
可哀想だからこそ、現実にはあってはならないことだからこその問題提起、それこそがフィクションの役割の一つではないでしょうか。
それが、亡くなったはずの人が安易に生き返ってしまうような世界、ではむしろ失礼ではないか、逆に命を軽視してしまうのではないでしょうか。

例えば、オリジナル『さらば』では特攻の時に雪は死んでいました。しかし本作では生きていました。ならば……本当に愛しているならば、古代は雪に退艦を命じるべきではないでしょうか。まるで、後で異次元空間から助かることが予定されていたからこそ、ストーリーとして、雪も一緒に特攻に付き添ったように感じられてしまいます。

「銀河英雄伝説 回天編」表紙

田中芳樹先生の『銀河英雄伝説 回天編』にこんなセリフがあります(冒頭のみちょっとだけ省略・改編)。

「TVドラマだったら視聴者が訴えれば、死んだ主人公が生き返るだろう。だが、俺たちが生きているのは、それほど都合のいい世界じゃない。失われた生命は決して帰ってこない世界、それだけに生命というものがかけがえのない存在である世界に、俺たちは生きているんだからな」

主人公の一人、ヤン・ウェンリーがテロに斃れ、残された幕僚の一人が述べる言葉です。
この言葉を読んで、「これってまるでヤマトのことを言ってるみたいだな」と仲間内で顔を見合わせてニヤリとしたものです。
『さらば宇宙戦艦ヤマト』でその是非はともかく、大きな反響を持って完結したヤマト。ところが……主人公たちが死んでは可哀想だから、ということだったのかあるいは続編を作るためなのか、『ヤマト2』ではラストは大きく改変され、『さらば』のラストはなかったことにして、続編が延々と続けられることになってしまいました。
「自分にとってのヤマトは『さらば』で終わった」
大学時代の友人が言ってましたが、同じ声はネットなどでもよく見かけます。

ヤマトシリーズには『さらば』と『ヤマト2』と、大きく2つのパラレルワールドが発生することになりました。
『さらば』のラストこそ本来の完結編と考える人々。
『さらば』で主人公たちが死んでしまうのはよくない、と思う人々。
『ヤマト2』以降、続編も含めた流れをオッケーと見る人々。
こうした人々の思いをすべて受け入れ、つないでいくために……

『さらば』のラストを肯定する人々のために古代は特攻を敢行し、『さらば』のラストを否定する人々のために謎の異次元空間から生還し、『ヤマト2』以降の続編にもつなげることのできる形としてみた、そういうことなのではないでしょうか。
本作を見終わった直後は「説明不足で無理やり押し込んでるし、付け加えられた部分は訳わからんし、どうもなあ……」と思ったものです。
しかし『さらば』と『ヤマト2』、双方の肯定派も否定派も受け入れようとしたのではないか……そう考えてみると、「だとすればそりゃ大変だったろうなあ、双方から批判されかねないだろうに、可哀想だなあ」と思うようになりました。

ただやはり、残念ながら肝心のところが説明不足で、充分こなれていなかった感じは否めませんでした。良くも悪くも、オリジナルにとらわれ過ぎてしまったからでしょうか。
オリジナルではなかった理屈付けや細かい設定は付け加えられていましたが、そういう細かいところだけではなく、2年間もかけて7回にも分けて作ったからには、「もっと掘り下げてみました」「新しい解釈を付け加えました」、そういったものがもっとあれば良かったのに、と悔やまれます。

「さらば宇宙戦艦ヤマト」(1978年)パンフ

1978年公開当時のパンフ。41年も経って結構ボロボロになってますが、今でも大切にとってあります。2202とほぼ同様の内容を2時間半で描き切った『さらば』の密度はすごかったと思います。

拙い長文となりましたが、お読み頂きましてありがとうございました m(_ _)m

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へろん(♂)としろ(♀)の夫婦ですが、最近はへろん一人で書いてます。「御朱印」「SF」が多くなってますので、カテゴリからご興味のあるジャンルをお選び下さい。古い記事でもコメント頂けると喜びます。拍手コメントは気付くのが遅れてしまうことがありますが、申し訳ございません m(_ _)m

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