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陸奥、そして長門のメッセージ

へろんです。
先日アップしました難波八阪神社でも紹介しましたが、こちらの境内には「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」があります。

難波八阪神社の「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」

記念碑の説明によりますと、「抑気具(よくきぐ)とは主砲の先端に装着した天盍(てんこう)をいう」のだそうです。
おそらく、主砲の砲身先端の蓋のことですね。

「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」解説

同型艦の《長門》とともに、交互に連合艦隊旗艦を勤めたため、当時は《大和》などより知名度は高かったようです。主砲は《大和》の46センチ砲以前は最大で、「世界七大戦艦(ビッグ7)」に数えられたこともあるのだとか。
横須賀海軍工廠で建造され、1920年に進水。しかし太平洋戦争中の1943年、瀬戸内海停泊中に謎の爆発を起こして沈没。

ピクシブ百科事典「戦艦陸奥」によると、

「陸奥の爆沈は国民の動揺を招くと考えられたため緘口令が布かれ、遺体は全て近くの無人島「続島」で荼毘に付された後埋葬され、遺族に遺骨が返還されることはなかった。
死亡した乗組員の家族には給与の支払いが続けられていた。生き残った乗組員は口封じのため真っ先に激戦地に送り込まれ、終戦時に生き残っていたのは60名ほどとされる」

ムチャクチャやん。
でもそれが戦争。何があっても戦争だけはいけません。絶対に。

1970年から8年間もかけて引き揚げ作業が行われ、艦体の75%ほどが引き揚げられたそうです。引き揚げられた艦の一部や遺品は、山口県周防大島町の沈没地点を望む丘に1972年(昭和47年)建設された陸奥記念館で展示されているそうです(ただし1994年(平成6年)には国道の改修工事のため移転)。
その他、艦体は鉄屑として利用されたり、各地で展示されている……

と、ここではたと思い出したのが、広島県の大和ミュージアム

大和ミュージアムの1/10 《大和》

ここの屋外展示に、確かに《陸奥》の砲身やスクリューがありました。

大和ミュージアムの戦艦《陸奥》主砲砲身
あっ、この砲身には蓋がありますね。この蓋は再現品でしょうか、それとも一緒に引き揚げられたものでしょうか。
もしも再現品なら……難波八阪神社の抑気具と引き合わせてやりたいような気もします。

大和ミュージアムの戦艦《陸奥》主砲砲身


大和ミュージアムの戦艦《陸奥》スクリュー


大和ミュージアムの戦艦《長門》模型
大和ミュージアムに展示されている、同型艦の戦艦《長門》模型。《陸奥》もこれとほぼ同じスタイルでした。

「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」解説の《陸奥》写真
なお、この「戦艦陸奥主砲抑気具記念碑」の写真とは艦橋の形や煙突の本数など結構違いがありますが、当時の軍艦は改装前後で「別ものか!?」と思ってしまうぐらい大掛かりな改装を行うことがありましたので、この違いもそうした改装によるものと思われます。碑の写真は前期、模型は後期のスタイルと思われます。

さて《陸奥》と同型艦の《長門》ですが。
《長門》は呉海軍工廠で建造され、《陸奥》の前年、1919年に進水。
主要な海戦に参加しながら、中破状態で横須賀に係留され、稼動可能な状態で生き残った唯一の日本戦艦となりました。戦後アメリカ軍に接収。

そして1946年。ビキニ環礁で原爆実験の標的艦となります。
核爆発を受け、同時に標的とされた米空母《サラトガ》はすぐに沈んでしまったが、《長門》はその後もしばらく浮かび続け、日本の造船技術の高さを証明した……

って、小さい頃に読んだ、もうタイトルも覚えていない戦記物の本に書いてあったのですよ。

でも今調べてみると、実際には標的とされた艦は他にも何隻もあって、《長門》と同じぐらい持ちこたえた艦は他にもあったそうです……。

さて。
漫画家・石ノ森章太郎先生(1938~1998)の代表作『サイボーグ009』テレビアニメ版には、なんとこの《長門》が復活(?)する、というものすごい回があります。1968年に放送された、第16話「太平洋の亡霊」

「真珠湾が空襲され、アメリカ軍艦船が撃沈されるという事件が起こった。同様の事件は続き、ついにはかつての日本海軍の戦艦長門が復活、放射能をまとったままサンフランシスコへ動き出す」
(東映アニメーション作品ラインナップTV番組第16話「太平洋の亡霊」より)

作中では明らかに《大和》または《武蔵》と思われる戦艦も復活しますが、艦名などは出てきません。上記のように昔は《大和》は知名度がなく、《長門》が有名だったからでしょうね。
《長門》に対する作中のギルモア博士のセリフ、

「戦って沈まず、国敗れて敵の残忍な兵器の実験材料にされ、沈められてしまった。長門に武人の心あらば、どんなにか口惜しかったことだろう…!!」

という言葉にも共感してしまいます。
しかし《長門》をはじめとする「亡霊」は、別に「アメリカ憎し」といった過去にとらわれているのではなく、もっと深い理由がありました。

サイボーグたちの調査で、この事件は戦時中に特攻隊で一人息子を失った平博士によるものだ、ということが分かります。

「平博士、あなたは気が狂っている!」
「狂っているのは私ではない、人間だ。お前たちだ!
かつて日本は誤れる戦いをし、多くの若い命を犠牲にしてしまった。その時我々は彼らの魂に何と誓った!?

我々は戦争放棄を憲法によって定めた。
二度と軍隊を持たぬと宣言した。
世界中が戦争はもうこりごりだ、そう心から考えた筈だ。
なぜなら、それが死者の魂を鎮めるたった一つの方法だったからだ」


平博士の言葉とともに映し出される、広島や長崎の光景。原爆死没者慰霊碑も繰り返し映し出されます。

原爆死没者慰霊碑から原爆ドームをのぞむ

そして、日本国憲法第9条の条文そのものが映し出されます。一部のお偉方が目の敵にしている、まさにそのものです。

「だが、今やその誓いは虚しかった。
世界の各国は、軍備の拡張に、兵器の力を強める競争に、しのぎを削っている。

私の一人息子は戦争で死んだ。
死者が生きて帰らぬ以上、生きているわしは何をなすべきか。

これがわしの解答だ!」



この作品は今ではニコニコ動画にもアップされています(YouTubeの方は一部割愛されているようです)。

アメリカ軍ばかりを攻撃するのもどうだろうなとは思いますし、戦争を憎んだとしてもアメリカ将兵に犠牲が出てしまったらいかんだろう、とも思います。ただしそこは作中でサイボーグたちがきちんと指摘しているところであり、作品全体としてのバランスはうまく取れていると思われます。
確かにツッコミどころは他にもあるし、理想と現実、様々な意見もあるでしょう。
しかしそれでも、これほどまでにストレートに、純粋に、真剣に反戦を訴え、良い意味で「分かり易い」作品は、今見直しても決して色褪せてはいません。
むしろ、8月には毎年この作品を再放送しても良いのではないでしょうか。与党(の息がかかった勢力)の圧力がかかることは間違いないでしょうが……しかしその前に、この作品を作った1968年当時の人々に顔向けできるかどうか、今一度考えてみて頂ければと思います。

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