新型コロナ以上に大変なこと
2022年も3月に入り、新型コロナはピークを過ぎつつある一方、その減り方はやや鈍化しているともいわれ、最近は報道される「予測」がこれまでより比較的当たっているように思われます。
良く言えば初めの頃よりも知見が蓄積されてきたから、かも知れませんが、むしろマスコミが過度の恐怖を煽ることを控えはじめたのではないか、と感じます。控えはじめた理由としては、これまでやり過ぎたことを反省したから、だったら良いのですが……(だいたいワクチン3回目の接種が進まないのは、マスコミが副反応を強調しすぎたからだと思ってるんですけどね)
なぜ控えはじめたか。
個人的には、新型コロナよりもっと?大変なことが起こったから、と考えています。
2022年2月24日、ロシアがウクライナへ侵攻を開始しました。
まずこの侵略行為には一片の正当性も認められません。むろん戦争というものはすべて100%善と悪に色分けできるものではないことは確かですが、戦争によって解決しようという行為自身は、100%非難されるべきです。
しかし現実に戦争が始まった現在、これまで新型コロナの恐怖を煽ってきた連中は「しまった」と思ったのではないでしょうか。戦争が与える影響は計り知れません。一部の軍需産業などは儲けるかもしれませんが、庶民にとってはマイナスの影響が確実に出るでしょう。すでに経済的な影響が懸念され、首相が「省エネ」を求めたり……(ちょっと違うような気もするんですが)。
こんなことになるなら、新型コロナの恐怖を煽って経済を締め上げるよりも、もっと経済の足腰を強くしておくべきだった……と思ってくれればいいのですが。
新型コロナについては、これまでもこれからも、必要なことははっきりしています。医療などの体制整備と経済を両立させること。個人レベルでは過度に恐れず油断せず、ほどほどの感染予防のうえ、粛々と日常生活を営んでいくこと。
しかしこのたびの戦争で個人ができること、と考えるとなかなか答えが出ません。少なくとも、新型コロナと同様、あまり一方的な情報に惑わされることはないよう気をつける必要はあると思われます。
すでに軍拡や改憲の議論も出始めているようです。与党や改憲論者はこの事態を有利と捉えているかもしれません。一方の野党や護憲論者はちゃんと危機感をもって、これまでの単純な理想論・精神論ではなく、現実的な議論で立ち向かわなければ、それこそ「いつか来た道」でしょう。
個人的には、これまでの理想論、「タテマエ」を掲げつつ、必要に応じて拡大解釈したり例外的措置で対処したりというのは、結果的にはかなり現実的でバランスの取れた形であったと思っています。与党と野党、「右」と「左」、どちらかに傾きすぎることなく、全体としてほどほどのところに落ち着いてきた……というのは、新型コロナを過剰に恐れたりあるいは油断したりせず、ほどほどのバランスを取って社会を維持していくことと通じるような気がします。結果的に、政府の無為無策により集団的免疫が獲得され、日本の被害が少なく済んだ、という説に似ているような気もします。
現実問題として「withコロナ」は避けられません。しかし「with war」だけは何としても避けなければならない。その「意志」だけは持ち続けなければならないと考えています。
良く言えば初めの頃よりも知見が蓄積されてきたから、かも知れませんが、むしろマスコミが過度の恐怖を煽ることを控えはじめたのではないか、と感じます。控えはじめた理由としては、これまでやり過ぎたことを反省したから、だったら良いのですが……(だいたいワクチン3回目の接種が進まないのは、マスコミが副反応を強調しすぎたからだと思ってるんですけどね)
なぜ控えはじめたか。
個人的には、新型コロナよりもっと?大変なことが起こったから、と考えています。
2022年2月24日、ロシアがウクライナへ侵攻を開始しました。
まずこの侵略行為には一片の正当性も認められません。むろん戦争というものはすべて100%善と悪に色分けできるものではないことは確かですが、戦争によって解決しようという行為自身は、100%非難されるべきです。
しかし現実に戦争が始まった現在、これまで新型コロナの恐怖を煽ってきた連中は「しまった」と思ったのではないでしょうか。戦争が与える影響は計り知れません。一部の軍需産業などは儲けるかもしれませんが、庶民にとってはマイナスの影響が確実に出るでしょう。すでに経済的な影響が懸念され、首相が「省エネ」を求めたり……(ちょっと違うような気もするんですが)。
こんなことになるなら、新型コロナの恐怖を煽って経済を締め上げるよりも、もっと経済の足腰を強くしておくべきだった……と思ってくれればいいのですが。
新型コロナについては、これまでもこれからも、必要なことははっきりしています。医療などの体制整備と経済を両立させること。個人レベルでは過度に恐れず油断せず、ほどほどの感染予防のうえ、粛々と日常生活を営んでいくこと。
しかしこのたびの戦争で個人ができること、と考えるとなかなか答えが出ません。少なくとも、新型コロナと同様、あまり一方的な情報に惑わされることはないよう気をつける必要はあると思われます。
すでに軍拡や改憲の議論も出始めているようです。与党や改憲論者はこの事態を有利と捉えているかもしれません。一方の野党や護憲論者はちゃんと危機感をもって、これまでの単純な理想論・精神論ではなく、現実的な議論で立ち向かわなければ、それこそ「いつか来た道」でしょう。
個人的には、これまでの理想論、「タテマエ」を掲げつつ、必要に応じて拡大解釈したり例外的措置で対処したりというのは、結果的にはかなり現実的でバランスの取れた形であったと思っています。与党と野党、「右」と「左」、どちらかに傾きすぎることなく、全体としてほどほどのところに落ち着いてきた……というのは、新型コロナを過剰に恐れたりあるいは油断したりせず、ほどほどのバランスを取って社会を維持していくことと通じるような気がします。結果的に、政府の無為無策により集団的免疫が獲得され、日本の被害が少なく済んだ、という説に似ているような気もします。
現実問題として「withコロナ」は避けられません。しかし「with war」だけは何としても避けなければならない。その「意志」だけは持ち続けなければならないと考えています。
スポンサーサイト