偉大なる半世紀の衆望
今月に入ってからあまりブログに手を付けられていませんが、いろいろあって深く静かに沈没中……
* * *
沈没といえば。
2023年2月13日、休憩時間にふと携帯からツイッター画面を見ると、「#日本沈没」がトレンドに上がっていました。
さては誰かが日本の状況を「日本沈没」に例えたか!? と思いましたが、実はこの日の13時より、1973年版の映画『日本沈没』がBSで放送されていたそうです。といってもこの日は仕事だし、そもそもうちはBSなんて観られないのですが、それでも「日本沈没」が注目されるのは小松左京ファンとして非常に嬉しいものです。

そしてなぜこれが取り上げられたか……一つには、小説『日本沈没』が出版され、映画が公開されたのが1973年。上のツイッター画面にありますように、「日本沈没」は今年50周年を迎える、というわけです。
ちなみに今年は1923年(大正12年)の関東大震災からも、ちょうど100年の年に当たります。
半世紀!
この半世紀の間に『日本沈没』は映画やドラマや漫画で何度も描かれ、様々な作品のモチーフに取り入れられ、さらには現実においても、地学的な意味ではない経済的・社会的な意味において「日本沈没」が唱えられています。
実に半世紀もの間、これほどまで何度も取り上げられ、注目されるコンテンツはそれほど多くないのではないでしょうか。
そして2月13日はもう一つ、松本零士先生が逝去されました。
手塚治虫先生や小松左京先生と同じぐらい、一つの時代の終わりを感じさせる、大きなニュースでした。
松本ワールドの中でも特に話題となる、知名度の高い作品といえばおそらく『銀河鉄道999』と『宇宙戦艦ヤマト』の2シリーズになるのではないでしょうか。もちろん他にも多数の作品やキャラがありますが、大雑把にみて『999』を中心にほとんどの松本ワールドが取り込まれた巨大世界が形作られる一方、『ヤマト』は一部重なりながらも独立した、一本の太い世界を構成しているように感じます。
むろん現実には『ヤマト』について原作者問題などいろいろと複雑な問題があったことは確かですが、ほとんどの人にとって「松本零士」と『ヤマト』は切り離せないものであり、『ヤマト』も松本ワールドの一部であることに異存はないと思われます。


『宇宙戦艦ヤマト』が最初に放送されたのは1974年。こちらもほぼ半世紀が経過しています。途中いろいろとありながらも、やはり半世紀もの間何度も取り上げられ、注目されてきたコンテンツの一つと言えるでしょう。
* * *
昨今話題になっているもので、人気の出たものの中で、半世紀未来でも多くの人々が多少なりとも知っている……そんなコンテンツはどれほどあるでしょうか。
もちろん当時に比べて現代は価値観や趣味嗜好の多様化、世の中の複雑化、文字通り掃いて捨てるほどの情報過多の中にあり、誰もが目を向けるほどの共通の話題が生まれにくくなっていることもあるでしょう。
どちらが良いかは一概に言えることではありませんが、多様化・複雑化から分断化に向かう懸念すらある現代から振り返ると、誰もが知っているほどの「ブーム」が世の中を席巻していた時代を、ある意味懐かしくも感じます。
もちろん全員が同じ方向を向く必要はありません。むしろそんな画一化も決してよくない。
かつて、男は誰でもタバコを吸って当たり前、野球ファンであることが当たり前、と言われた時代がありました。今でもオリンピックやサッカーには誰でも熱中して当たり前、誰でもディズニーランドが好きで当然、といった「全体主義的」嗜好は現存しており、その信奉者は他のものを排斥しようとします。
小松左京や松本零士を知らない人がいても別に構わないのとまったく同様に、オリンピックに興味がなかったりディズニーランドが嫌いな人がいてももちろん良い。
「オリンピック? やってたの? 僕は見てないけどどうだったの? へえ、良かったね!」
「みんな見てるんだから見ようよ」などと言うような全体主義者は論外として、互いの興味の対象について、否定せずにこれぐらいの距離感で語り合うぐらいがちょうど良いのではないでしょうか。その中で、おそらく半世紀後も語り継がれるような出来事やコンテンツがこれからも生まれてくると期待したいものです。
ただしオリンピックといえば、選手の頑張りとはまったく別の話として、オリンピック汚職は徹底的に追及することは切に、切に希望してますが(-_-;)
* * *
沈没といえば。
2023年2月13日、休憩時間にふと携帯からツイッター画面を見ると、「#日本沈没」がトレンドに上がっていました。
さては誰かが日本の状況を「日本沈没」に例えたか!? と思いましたが、実はこの日の13時より、1973年版の映画『日本沈没』がBSで放送されていたそうです。といってもこの日は仕事だし、そもそもうちはBSなんて観られないのですが、それでも「日本沈没」が注目されるのは小松左京ファンとして非常に嬉しいものです。

そしてなぜこれが取り上げられたか……一つには、小説『日本沈没』が出版され、映画が公開されたのが1973年。上のツイッター画面にありますように、「日本沈没」は今年50周年を迎える、というわけです。
ちなみに今年は1923年(大正12年)の関東大震災からも、ちょうど100年の年に当たります。
半世紀!
この半世紀の間に『日本沈没』は映画やドラマや漫画で何度も描かれ、様々な作品のモチーフに取り入れられ、さらには現実においても、地学的な意味ではない経済的・社会的な意味において「日本沈没」が唱えられています。
実に半世紀もの間、これほどまで何度も取り上げられ、注目されるコンテンツはそれほど多くないのではないでしょうか。
そして2月13日はもう一つ、松本零士先生が逝去されました。
手塚治虫先生や小松左京先生と同じぐらい、一つの時代の終わりを感じさせる、大きなニュースでした。
松本ワールドの中でも特に話題となる、知名度の高い作品といえばおそらく『銀河鉄道999』と『宇宙戦艦ヤマト』の2シリーズになるのではないでしょうか。もちろん他にも多数の作品やキャラがありますが、大雑把にみて『999』を中心にほとんどの松本ワールドが取り込まれた巨大世界が形作られる一方、『ヤマト』は一部重なりながらも独立した、一本の太い世界を構成しているように感じます。
むろん現実には『ヤマト』について原作者問題などいろいろと複雑な問題があったことは確かですが、ほとんどの人にとって「松本零士」と『ヤマト』は切り離せないものであり、『ヤマト』も松本ワールドの一部であることに異存はないと思われます。


『宇宙戦艦ヤマト』が最初に放送されたのは1974年。こちらもほぼ半世紀が経過しています。途中いろいろとありながらも、やはり半世紀もの間何度も取り上げられ、注目されてきたコンテンツの一つと言えるでしょう。
* * *
昨今話題になっているもので、人気の出たものの中で、半世紀未来でも多くの人々が多少なりとも知っている……そんなコンテンツはどれほどあるでしょうか。
もちろん当時に比べて現代は価値観や趣味嗜好の多様化、世の中の複雑化、文字通り掃いて捨てるほどの情報過多の中にあり、誰もが目を向けるほどの共通の話題が生まれにくくなっていることもあるでしょう。
どちらが良いかは一概に言えることではありませんが、多様化・複雑化から分断化に向かう懸念すらある現代から振り返ると、誰もが知っているほどの「ブーム」が世の中を席巻していた時代を、ある意味懐かしくも感じます。
もちろん全員が同じ方向を向く必要はありません。むしろそんな画一化も決してよくない。
かつて、男は誰でもタバコを吸って当たり前、野球ファンであることが当たり前、と言われた時代がありました。今でもオリンピックやサッカーには誰でも熱中して当たり前、誰でもディズニーランドが好きで当然、といった「全体主義的」嗜好は現存しており、その信奉者は他のものを排斥しようとします。
小松左京や松本零士を知らない人がいても別に構わないのとまったく同様に、オリンピックに興味がなかったりディズニーランドが嫌いな人がいてももちろん良い。
「オリンピック? やってたの? 僕は見てないけどどうだったの? へえ、良かったね!」
「みんな見てるんだから見ようよ」などと言うような全体主義者は論外として、互いの興味の対象について、否定せずにこれぐらいの距離感で語り合うぐらいがちょうど良いのではないでしょうか。その中で、おそらく半世紀後も語り継がれるような出来事やコンテンツがこれからも生まれてくると期待したいものです。
ただしオリンピックといえば、選手の頑張りとはまったく別の話として、オリンピック汚職は徹底的に追及することは切に、切に希望してますが(-_-;)
スポンサーサイト