東京都港区・芝東照宮

へろんです。
熊野神社にお詣りした後、田町方向へ南下する途中で案内板に「芝東照宮」があるのを発見しました。東照宮といえばこれまでに広島東照宮仙台東照宮にもお詣りしてきましたので、まだ時間もあったので3つ目の東照宮にお詣りすることにしました。

芝東照宮
実はまだ梅の残っている季節でした。

日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つだそうです。
増上寺の南側、芝公園に鎮座。当初、日比谷にあった増上寺境内に勘請されましたが、1598年(慶長3年)の江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転したそうです。

芝東照宮鳥居
さすが大都会の只中ということでしょうか、鳥居の前も後も駐車場になってました。

芝東照宮手水舎
手水舎はこじんまりとした感じでした。

芝東照宮社殿
社殿は1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲により、熊野神社と同じく焼失。1969年(昭和44年)現在の社殿が再建されたそうです。

芝東照宮御朱印
頂いた御朱印。初穂料は500円でしたが、御朱印と一緒に「芝東照宮道中安寧守」というお守りを頂きました。裏には日光杉並木古材とあり、杉の良い香りがします。

芝東照宮道中安寧守


伊能忠敬測地遺功表
すぐそばの高台に登って見つけた「伊能忠敬測地遺功表」。
東京都公園協会のHPによると、伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪の大木戸であった関係で、東京地学協会がその功績を顕彰して遺功表を建てたものだそうです。1889年(明治22年)に高さ8.58mの青銅製の角柱型のものが設置されましたが、戦災で失われたため、1965年(昭和40年)に現在のものが再建されました。
実は伊能忠敬の師であった天文学者、高橋至時(たかはしよしとき、1764~1804)を尊敬していますので、その弟子となった伊能忠敬についても興味を持っています。


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東京都港区・熊野神社

へろんです。
東京都港区の地図で「熊野神社」を見つけ、今年1月に和歌山の熊野三山にお詣りしていましたので、ご縁を感じて東京出張の折にお詣りしてきました。
東京タワーの近く、桜田通りに面して鎮座。通称として「飯倉熊野神社」とも呼ばれるそうです。

熊野神社鳥居
創建は養老年間(717~724年)または応永年間(1394~1428年)に和歌山の熊野三山を勧請したと伝えられるそうですが、1703年(元禄16年)に火事で記録が失われて、詳しくは分からないそうです。1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲でも焼失しており、1952年に再建されたそうです。

熊野神社手水舎
手水舎。近代的なデザインです。

熊野神社社殿
社殿。おみくじが自販機みたいなスタイルですね……?

提灯の八咫烏
提灯に描かれた八咫烏は何だか脚がたくましく見えます。

賽銭箱の八咫烏
お賽銭箱にも八咫烏。

熊野神社御朱印
そして御朱印にもしっかりと八咫烏が。シンプルで可愛らしいデザインです。

桜田通りからの東京タワー
お詣りの後、桜田通りをしばらく南下して振り返ると東京タワーがよく見えました。東京というと、スカイツリーよりもやっぱり東京タワーの方が馴染み深くて気に入ってます。


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岡山県瀬戸内市・牛窓神社

へろんです。
「日本のエーゲ海」とも称される、瀬戸内市は牛窓。「備前国風土記逸文」によれば、神功皇后が備前の海上を航海中、大きな牛が現れて船をひっくり返そうとしましたが、住吉明神が老翁の姿となり、牛の角をもって投げ倒しました。それでこの地を「牛轉(うしまろび)」と名付け、これが訛って「牛窓」になったのだそうです。

牛窓神社は長和年間(1012~1016年)の創建とされますが、初源はさらに遡ると考えられるそうです。

牛窓神社手水舎
駐車場に車を停めてお詣りすると、正面参道を経ずにいきなり社殿横へ出てきました。まずは手水舎でお清め。

牛窓神社拝殿


牛窓神社本殿
本殿は瀬戸内市重要文化財とのことです。

牛窓神社酉年大絵馬
毎年の干支大絵馬が有名で、2014年(平成26年)の午、2015年(平成27年)の未、2016年(平成28年)の申の絵馬も飾られていました。写真は今年(2017年)の酉の絵馬。

那須与一の絵馬
「平家物語」に描かれた那須与一の「扇の的」の逸話が絵馬になっていました。

芸術的な「酉」の文字
芸術的な「酉」の文字。「皇紀」でいうと2677年なんですね。

牛窓神社御朱印
頂いた御朱印。とっても豪快です。豪快なあまり「牛」の字がはみ出しています。この先にあたる箇所、御朱印帳のビニールカバーに墨が付いてました。御朱印帳の表装がたまたま黒なので見ても分かりませんが、はみ出した墨が御朱印帳の裏表紙にも付いていたと思います。でもこういう特徴ある御朱印はやっぱり魅力的ですね。

お詣りを済ませ、正面参道を歩いてみました。

牛窓神社隋神門
隋神門。左右にいらっしゃる右大臣・奇磐間戸神(くしいわまどのかみ)と左大臣・豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)が照明で照らされています。

牛窓神社第二の鳥居
第二の鳥居。ここを過ぎて間もなく、亀山公園の展望台にたどり着きました。

亀山公園の展望台からの眺め
うす曇りだったのと夕方なのですでに暗くなり始めていたのですが、なかなかの絶景でした。手前が前島、奥が小豆島。晴れた日のもう少し早い時間に来られたら、きっと「日本のエーゲ海」にふさわしい青い空に青い海だったんでしょうね。

なぜか取り残されたぬいぐるみが・・・
他に誰もいなかったのですが、展望台のベンチにはなぜか取り残されたぬいぐるみが・・・

時間が気になってここで引き返しましたが、もう少し行くと第一の鳥居があり、牛窓海水浴場へ通じているそうです。
天気のいい日に、今度は正面参道から第一の鳥居を通ってお詣りに来たいものです。



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岡山県岡山市・岡山神社

へろんです。
岡山県立美術館を後にして、その近くの岡山神社にお詣りして来ました。

清和天皇貞観年中(860年)の創建。現在の岡山城本丸の地に鎮座しており、1573年(天正元年)、宇喜多直家が岡山城を築くにあたり、現在の社地に遷移。岡山城の守護神として歴代城主の崇敬を受けたそうです。

岡山神社鳥居


岡山神社隋神門
随神門。1945年(昭和20年)の岡山空襲でも焼け残ったそうです。2004年(平成16年)、岡山市の重要文化財に指定。

岡山神社手水舎


岡山神社拝殿
拝殿。その右にあるのは……

立体的な巨大絵馬
何だかえらく立体的な酉の巨大絵馬。

酉の羽絵馬
社務所に行くと、「酉の羽絵馬」というのがありました。「皆の願いで大絵馬をモフモフに!!」「大絵馬の羽になる!!」……そうか、あの立体的な巨大絵馬は、羽の一枚一枚が、参拝した皆さんが挿していったこの絵馬というわけなんですね!
岡山を拠点とするデザイン事務所cifakaとデザインユニットCOCHAEのコラボで製作されたもので、皆さんが絵馬を挿しこむ前はこんな顔だったそうです。

岡山神社より望む岡山城
神社の裏手から岡山城がよく見えました。

岡山神社御朱印
頂いた御朱印。すごくバランスが良いです。



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東京都港区・愛宕神社

へろんです。
港区の神社を調べていて見つけた、愛宕神社。「出世の石段」というのがあるそうなので、これは是非お詣りしなければ!ということでお詣りしてきました。

出世の石段

公式ホームページの愛宕神社トリビア「出世の石段のいわれ」によると、寛永11年(1634年)、三代将軍、徳川家光公が愛宕神社の下を通った際、愛宕山には梅が満開でした。そこで家光公は「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じたそうです。
しかし愛宕山の石段は急勾配で皆が躊躇する中、四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎(まがき・へいくろう)が馬で石段を駆け上がり、見事、山上の梅を手折り、家光公に梅を献上しました。平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたそうです。この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼ぶそうです。

出世の石段を上から振り返ってみます。
振り返ってみるとなかなかの急斜面です。
「こんな石段を馬が上れるわけがない。講談上の作り話だろう」とも言われるのですが、江戸以降にも馬で登り降りすることに成功した人が何人かいるそうです。

愛宕山三角点
出世の石段を登り切った右手には三角点が。
神社がある愛宕山は標高25.7メートル。天然の山としては東京23区内で一番高いそうです。江戸時代には見晴らしの名所としてにぎわい、東京湾や房総半島までを見渡すことができたそうです。

招き石
招き石。立てられていた札には「この石をなでて福を身につけて下さい」とありました。いわれなどは分かりませんが、何となく動物っぽく見えますね。

愛宕神社手水舎


愛宕神社朱門


愛宕神社拝殿


愛宕神社御朱印
頂いた御朱印。三月が「弥生」と書いてあるところも良いですね。

平九郎手折の梅樹
これが曲垣平九郎が出世の石段を駆け上がり取ってきた梅の木のようです。

平九郎の顔出しパネル
……にちなむ顔出しパネル。馬の顔もか(笑)

西郷・勝の顔出しパネル
勝海舟、西郷隆盛の顔出しパネルもありました。パネルの下には「江戸城無血開城会談の地」と書いてあります。
おお、あの歴史的な会談がここで! と思いましたが、実はこの後仕事で田町へ向かった時、JR田町駅近くで偶然こんな碑を発見しました。

西郷・勝会見の地の碑
この碑の説明によると、慶応4年(1868年)3月14日、ここにあった薩摩藩屋敷で勝・西郷会談が行われたそうです。では愛宕神社での「会談の地」というのは? と思いましたが、後で調べてみると、薩摩藩邸での会談前日、勝と西郷は愛宕山に登って江戸の町を見渡し、「この町を戦火に包んではいけない」と話したと言われているそうです。
階段で有名な地で会談したというわけですな(爆)



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